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【第一部完結】剣より重い計算式(ロジック) ~異端の査定員エマ・ルミナスの監査報告~  作者: 二進
第3章:勇者たちの『経費精算』

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第61話:虚飾の祭典と、黄金の入場券

 雨上がりの王都ルミナリスは、不自然なほどの熱気に包まれていた。


 湿り気を帯びた石畳を、数万の市民たちの足音が絶え間なく踏み鳴らしていく。彼らの視線が向かう先は、王都中央にそびえる神殿広場。そこでは今、王国最大の催事であり、信仰の集大成である大聖誕祭(だいせいたんさい)の幕が上がろうとしていた。


 地下の隠れ家から地上へと続く隠し通路を抜け、路地裏の暗がりから広場を見据えたエマ・ルミナスは、眩しさに薄く目を細めた。


 スレート・グレーの制服についた地下の埃を払い、懐の真鍮の万年筆があることを確認する。その隣には、先ほどまで書き上げていた「緊急立ち入り監査通知書」が、鋭い刃のように潜んでいた。


「……すごい人だね。これじゃあ、正門に辿り着く前に揉みくちゃにされちゃうよ」


 ルカが灰色のポンチョのフードを深く被り、周囲を警戒しながら呟いた。彼の隣では、アリアが自身の顔を隠すように歩調を速めている。彼女にとって、この神殿広場はかつての職場であり、今や自分を不備(エラー)として排除しようとする敵地そのものだった。


「問題ありません。群衆の流動係数は既に計算済みです。ヴォルフ、右前方30メートルの地点に、特務騎士の検問がありますね」


 エマが淡々と告げると、彼女の背後に控えていたヴォルフが、音もなく大剣の柄に手をかけた。


「ああ。あそこを抜けない限り、広場の特等席には行けそうにねえな」


 エマは歩みを止めず、魔導式解析眼(トレース・アイ)の深度を一段階引き上げた。視界から色彩が抜け落ち、眼前の光景が無機質な魔力波長の図表へと解体されていく。エマの網膜に映るのは、熱狂する群衆の笑顔でも、神々しい装飾でもない。ただ冷徹な費用の奔流だった。


 エマは、空から雪のように降り注ぐ青白い光の粒子――神殿の屋根に設置された高出力の投射機が散布している「幻影の触媒」の一粒を、指先で掬い取った。


「……見てください、アリアさん。この光の粉末1グラム。成分は微粉砕された感応石です。市場価格にして、およそ3ゴールド」


「それが……どうかしたの?」


「この広場の体積を満たすために散布されている粉末の総量と、それを発光させるための魔力を掛け合わせると、1時間あたり12,500,000ゴールドの原価(コスト)が燃焼していることになります」


 エマは、数万人の熱狂を冷めた目で見渡した。


「たった3ゴールドの微細な視覚的快楽の集合体が、王都の外縁部に住む貧困層100,000人の年間医療費という、巨大な社会的基盤を完全に食いつぶしているのです」


 エマは指先の粉末を、汚物でも払うように無造作に払い落とした。


「個人のささやかな祈りを搾取し、国家予算規模の浪費を正当化する。……実に悪辣で、吐き気のする設計です。直ちに強制停止させましょう」


 エマは迷いのない足取りで、白銀の甲冑に身を包んだ特務騎士たちが立ち並ぶ正門へと向かった。


 * * *


「止まれ! ここから先は聖域だ。神殿広報局の許可なき者の立ち入りは、いかなる理由があろうとも禁じられている!」


 正門を封鎖する特務騎士の小隊長が、槍を水平に構えてエマを阻んだ。彼の瞳には、職務への忠実さと、身分の低いギルドの査定員を見下す明確な蔑みが混在している。


 エマは足を止めることなく、懐から王国の印章が刻まれた羊皮紙を取り出し、騎士の鼻先に突きつけた。


「王立保険ギルド、特別監査室の査定員エマ・ルミナスです。ギルド規定第4条に基づき、現在この広場を独占使用している特定目的組織『アヴァロン』に対する緊急立ち入り監査を執行します」


「……立ち入り監査だと? こんな祝祭の最中に、何をふざけたことを!」


 小隊長の怒号が響く。だが、エマの視線はその男の顔ではなく、彼の胸当ての裏側に打たれた極小の識別刻印に向けられていた。


「ふざけているのは貴公らの管理能力です。……小隊長殿。貴公の着用しているその最新型の魔導鎧。接合部のルーン密度から算出して、調達価格は1着400ゴールドですね。しかし、貴公ら特務騎士の正規の月給は80ゴールドに過ぎない。その不自然な差額がどこから出ているか、計算したことはありますか?」


「な、何を言っている……! これは神殿からの正当な支給品だ!」


「いいえ。その装備の維持費は、神殿の『特別防衛費』という名目で、ギルドが市民から預かっている災害補填準備金から不正に流用されたものです」


 エマは、冷酷な現実を突きつける。


「つまり、資金の不透明な流れから見れば、貴公が着ているその鎧の所有権の15%は、現時点でギルドが保有しています」


 エマの指摘に、小隊長だけでなく、周囲の騎士たちも僅かに動揺を見せた。


「監査を拒否し、物理的な妨害を継続する場合、私は貴公ら個人を『ギルド資産の不当占拠者』と見なし、その場での資産回収を執行します。……具体的には、貴公らの給与口座の即時凍結、および退職金の受給資格剥奪です」


 エマの声は、喧騒の中でも驚くほど透き通り、そして氷のように冷たかった。


「神殿という巨大な組織の陰に隠れれば、個人の責任は免除されると錯覚しているようですが、毎月の給与明細を受け取るのは貴公ら個人の手です」


 一歩、エマが踏み出す。


「計算してみてください。この広場で燃やされている『奇跡』の原価(コスト)は、一人あたりの市民から徴収した保険料の約300%に相当します。貴公が守っているのは神の威光などではない。自分たちの将来の蓄えを燃料にした、ただの馬鹿げた焚き火ですよ」


 騎士の槍を持つ手が、僅かに震えた。


 一人の騎士の生活への不安という個人的な隙間を突く。それが、数千人の騎士団という巨大な組織構造を瓦解させる最も効率的な方法であることを、エマは知っていた。彼らは神の教えには殉じられても、明日からの食事代が消える恐怖には耐えられないのだ。


 騎士たちが顔を見合わせ、槍の切っ先が迷いと共に下がったその時。


「……惑わされるな! たかが計算屋のハッタリだ。強行突破しようというなら、不審者として切り捨てろ!」


 後方にいた強硬派の若い騎士が剣を抜き放ち、功名心からエマへと踏み込んできた。


「……ヴォルフ」


 エマが短く呼ぶより早く、黒い質量が彼女の横をすり抜けた。


 激しい金属音。

 ヴォルフは黒鉄の大剣を抜くことすらせず、鞘に収めたままの状態で、踏み込んできた騎士の剣の脆弱な一点を正確に打ち据えた。


「が……っあ!?」


 両腕の感覚を奪われ、剣を弾き飛ばされた騎士が石畳に尻餅をつく。ヴォルフは大剣を肩に担ぎ直し、退屈そうに鼻を鳴らした。


「……うちのお嬢様は、死体の処理に関わる不毛な支出すら嫌がるんでね。これ以上、無駄な負債になりたくなけりゃ、そこをどけ」


 ヴォルフの琥珀色の瞳に宿る、圧倒的な制圧の意志。奈落の底から這い上がってきた野良犬の殺気は、温室育ちの騎士たちを硬直させるに十分だった。


 彼らの意志は、すでに完全にへし折れていた。エマが提示した経済的な破綻という論理と、ヴォルフが体現する暴力。その二つの絶対的な定数を前に、彼らは無言で道をあけるしかなかった。


「……強引すぎない? あとで問題にならない?」


 アリアが小声で尋ねる。エマは事務的な手つきで眼鏡を直した。


「問題にはなります。ですが、彼らが自分の財布の心配を始めた時点で、神殿の絶対的な統制は失われました。強固な防衛線も、個人の利己心という小さなほころびによって容易に崩壊する。不備(エラー)の連鎖は、すでに止まりません」


 エマたちは、数万の信者が熱狂する広場の中央へと足を踏み入れた。


 ステージの上では、黄金の鎧に身を包んだ勇者アレクサンダーが、喝采を浴びながら剣を天に掲げている。その姿は、一見すれば完璧な英雄だ。

 だが、エマの瞳には、その背後で蠢く巨大な魔力の流動と、崩壊を待つばかりの不換紙幣の山がはっきりと見えていた。


「これより、勇者という名の不良債権を、市場から強制的に退場させます」


 エマは真鍮の万年筆を抜き、大聖誕祭という虚飾の舞台への、実地監査(アセスメント)の開始を静かに告げた。真実の提供(デリバリー)の時間であった。


■査定員エマの業務日誌:用語解説


不備(エラー)の連鎖】

一つの小さな計算違いや不正が、組織全体の信頼性を根底から揺るがす現象。エマは騎士個人の経済的不安を突くことで、神殿という巨大な「機構」の整合性を破壊しました。


【災害補填準備金】

本来、大規模な魔獣被害や天災が起きた際に、被災した市民の生活を再建するためにギルドが積み立てている資金。神殿はこれを「勇者による未然の防衛費」という名目で流用し、特務騎士の高価な装備費や祭典の費用に充てていました。


【資産回収】

契約違反や不正が発覚した際、ギルドが所有権を主張できる物品や権利を強制的に取り上げる行為。エマは「神殿の騎士としての地位」自体を経済的価値として扱い、その法的権利を停止させるという強硬な解釈を適用しました。


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