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【第一部完結】剣より重い計算式(ロジック) ~異端の査定員エマ・ルミナスの監査報告~  作者: 二進
第3章:勇者たちの『経費精算』

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第60話:幻影の原価と、緊急立ち入り監査

 王都ルミナリスの地下深く。公的な地図から完全に抹消された未登録区画。

 王都の裏経済を牛耳る投資家、ビアンカが所有する隠れ家の空気は、地上の喧騒とは無縁の静寂に包まれていた。


 無機質な青白い魔導ランプの光が、地下の冷え切った湿気と、安全地帯へと逃げ延びた一行を静かに照らし出している。


 エマ・ルミナスは、重厚なオーク材の机に向かい、神殿の最深部から奪取してきた原本の数値を、脳内の帳簿と照合し続けていた。

 彼女の視界は魔導式解析眼(トレース・アイ)によって色彩を失い、無機質な階層へと沈み込んでいる。


 情報の奔流が網膜を駆け抜け、彼女の灰青色の瞳の奥では、複雑な数式が絶え間なく明滅を繰り返していた。


 * * *


「エマさん、本当に大丈夫なの? そんなに極端な糖分ばかり摂ってたら、頭より先に胃が壊れちゃうよ」


 部屋の隅で、ルカが呆れたようにため息をついた。

 エマは、彼が備蓄庫から調達してきた特濃果実のコンフィをもう1粒、事務的な手つきで口に運んだ。

 それは高純度の砂糖と魔力蜜に漬け込まれた、喉が焼けるほど甘い代物だったが、演算領域を最大まで拡張している現在の彼女には、不可欠な燃料だった。


「問題ありません。脳の演算効率を維持するため、摂取した熱量は1%の損失もなく演算資力へと変換されています。……それよりも、ようやく計算の結び目が見えました」


 エマは真鍮の万年筆を置き、隠れ家に集まった面々へと向き直った。

 そこには、大剣の整備を終えたヴォルフ、身を潜めるように椅子に深く腰掛けているアリア、そしてルカとセラの姿があった。


「この原本に記された、12,500,000ゴールド相当の消費魔流量。……初めは、神殿が禁忌の魔導兵器でも開発しているのかと推測しましたが、違いました。ここにあるのは大量の光学触媒と感応石ばかり。もし兵器であれば、仕入れ項目に鉄鋼や魔導回路の記載があるはずです」


「兵器じゃないなら、何にそれだけの魔力を使うのよ」


 アリアが不安げに身を乗り出した。彼女は神殿の内情を知る元関係者だが、上層部の極秘事業までは把握していなかったのだ。

 エマは、ルカから借りた王都の見取り図を机に広げた。


「本日、神殿は数万の市民を集めて大聖誕祭を開催します。名目は、勇者アヴァロンが魔族の呪いを打ち払った奇跡の証明。……この莫大な魔力は、広場全体を覆う巨大な幻影を投影し、市民の信仰心を煽るための演出費用です。12,500,000ゴールドという数字は、ただの目くらましの原価(コスト)に過ぎません」


「……ただの目くらましに、それだけの魔力を燃やすってのか?」


 ヴォルフが眉をひそめ、不快そうに低い声を漏らした。

 剣を振るい、血肉を削って命を守る戦士からすれば、あまりにも非生産的で歪な浪費に見えるだろう。

 だが、広報局長カトリーヌにとっては、これこそが最高効率の投資なのだ。


「ええ。勇者という看板の社会的価値を維持するためには、常に新しい『奇跡』を供給し続ける必要があります。彼女たちは2,400,000ゴールドの不正な裏金で勇者の私生活を支え、さらに莫大な魔力で虚飾の舞台を作り上げている。その維持経費を、市民たちの寄付金や保険料から無断で差し引いているのです。これはもはや、平和の維持ではなく、壮大な資金洗浄に他なりません」


 エマはゆっくりと立ち上がった。

 スレート・グレーの制服についたわずかな埃を払い、懐中時計の蓋を閉じる。カチン、という硬質な音が、作戦開始を告げる合図となった。


 * * *


「……これから、私たちはその大聖誕祭の舞台へ向かいます。そして数万の信者の前で、この1,200ゴールドの魔獣仕入れ代の領収書と、不正な資金還流のすべてを公開します」


「ちょっと待ってよ!」


 ルカが慌てて立ち上がり、両手を振った。

「大聖誕祭の広場は、特務騎士たちが何重にも警備を敷いてるんだよ? そんなところに正面から乗り込むなんて、自殺行為だ! せめて抜け道を探すとか、変装するとか……」


「抜け道など使いません。そんな不確実な経路は、かえって時間的労力を増大させます」


 エマはルカの言葉を冷徹に遮った。

「こそこそと裏から忍び込めば、カトリーヌに《《異端者による破壊工作》》として処理される隙を与えます。私たちは不法侵入者ではなく、公的な監査機関の人間として、正面扉から堂々と入場するのです」


「正面からって……どうやって?」


 アリアが戸惑うように問いかける。

 エマは懐から、王国の印章が刻まれた一枚の羊皮紙を取り出した。


「王立保険ギルド規定、第4条。――『重大な保険金詐欺の疑いがあり、かつ証拠隠滅の恐れがある場合、査定員はあらゆる治外法権を一時的に凍結し、実地監査(アセスメント)を行う権利を有する』」


 その言葉に、隠れ家の空気がピンと張り詰めた。

 それは、ギルドの歴史上でも数回しか行使されたことのない、伝家の宝刀だった。


「私は既に、この特権を行使するための書類を作成済みです。これを広場の正門で提示すれば、神殿側は法的に私たちを拒否できません。もし特務騎士が力ずくで妨害すれば、それは王国法への明確な反逆行為……致命的な不備(エラー)となります」


「……なるほどな。法律と数字を盾にして、真正面から殴り込むってわけだ」


 ヴォルフが面白そうに口角を上げ、黒鉄の大剣を背中に背負った。

「俺は書類のことは分からねえ。だが、お前の計算を邪魔しようとする不純物は、すべて俺の剣で弾き落としてやる。……死体が出ると処理費用がかさむんだったな。安心しろ、生かしたまま機能を奪ってやるよ」


「頼りにしています、ヴォルフ」


 エマの「不殺」は慈悲ではない。

 殺害は証拠の散逸を招き、清掃や隠蔽工作といった余計な社会的労力を発生させる。生かしたまま「無価値」を宣告し、二度と表舞台へ立てぬよう社会的・経済的に再起不能にする。

 それが、査定員としての最も効率的な不備の排除であった。


 エマは真鍮の万年筆を胸ポケットに収め、地下からの階段を見上げた。

 その上には、雨上がりの王都と、熱狂に包まれた虚飾の祭典が待っている。


「行きましょうか。勇者パーティー『アヴァロン』の、強制的な精算の場へ。真実の提供(デリバリー)を開始します」


 1ゴールドの慈悲もない死神の監査が、ついに王国の表舞台へと歩みを進めた。



■査定員エマの業務日誌:用語解説


【消費魔流量】

魔法や儀式を発動する際に消費される魔力の総量を、市場価格ゴールドに換算した数値。神殿はこれを「祈りの力」といった非論理的な言葉で形容しますが、実態は魔導石を燃料とした、物理的に計算可能な経費です。


【緊急立ち入り監査権】

王立保険ギルド規定、第4条に定められた特権。重大な不正の証拠がある場合、いかなる組織の聖域であっても一時的に凍結し、強制的に監査を実行できます。これを物理的に妨害する者は、王国法に対する反逆者として、退職金や遺族年金の受給資格までをも剥奪される対象となります。


【偽装組織】

特注の事業を遂行するためだけに組成された組織。神殿は勇者パーティー『アヴァロン』という名を使い、実体のない「平和維持」という商品を売り出すための宣伝媒体として運用していました。


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