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【第一部完結】剣より重い計算式(ロジック) ~異端の査定員エマ・ルミナスの監査報告~  作者: 二進
第2章:白亜の魔都と、偽りの防衛線

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第42話:信用収縮と、悪党たちの作戦会議

 王都ルミナリスの地下深く、投資家ビアンカの隠れ家。

 豪奢なマホガニーのテーブルの上には、王都の精緻な地図と、おびただしい数の計算用紙が、 0.5 ミリ の重なりすら計算されたかのように散乱していた。壁に埋め込まれた魔導ランプが、 450 ナノメートル 周期の無機質な青白い光を落とし、室内に集った四人の影を石壁に鋭く刻み出している。


「……つまり、こういうことか」


 ヴォルフが地図の中心 ―― 王宮のすぐ隣に位置する『王立中央銀行』の重厚な建物を、無骨な指で 2 回 叩いた。


「財務卿の野郎は、俺たちから巻き上げた税金をこの銀行に貯め込んでるように見せかけて、実際は全部その地下にある『魔導炉』に突っ込んで、市民の命ごと燃やしてるってことか。道理で、この街の空気は金と脂の臭いがするわけだぜ」


「その通りです、ヴォルフ。理解の早さは、業務効率を 15 パーセント 向上させます」


 エマ・ルミナスは、首まで分厚い毛布に包まったまま、新しく淹れ直された三杯目のホットミルクを 15 ミリリットル ほど啜った。魔導式解析眼の過剰使用により、彼女の体温は 34.2 度 まで低下し、顔色は白を通り越して透き通るような不健康さを呈している。しかし、その灰青色の瞳だけは、獲物を解剖するメスのような鋭利さを失っていなかった。


「現在、この国の帳簿は完全に破綻しています。模造聖剣という『看板資産』が広場で不渡りを起こした今、財務卿がシステムを維持するためには、さらなる生命力 ―― すなわち、市民からの過剰な搾取を行うしかありません。不備の連鎖は、指数関数的に増大しています」


「ふん。だが、あの男なら強引にやるだろうさ」


 バルカ名誉教授が、ボサボサの白髪を掻きむしりながら鼻を鳴らした。分厚い丸眼鏡が、魔導ランプの光を反射して白く光る。


「特務騎士団という強大な武力がある。市民が文句を言おうが、力で押さえつけて魔導炉の出力を上げるだけだ。……お前さん、あの巨大な炉をどうやって止める気だ? 物理的に破壊するなら、軍隊が丸ごと一つ必要になるぞ。そのための予算はどこにある?」


「物理破壊などという野蛮で回収の果実の低い手段は取りません。私は査定員ですよ、教授。無駄な破壊は減価償却を早めるだけです」


 エマは真鍮の万年筆を、正確に 3.5 秒 の周期で指先でくるくると回した。


「炉の火を消す一番簡単な方法は、燃料を絶つこと。……すなわち、市民全員に『これ以上、 1 ゴールド も払いたくない』と思わせればいいのです。投資家が有害な資産から一斉に手を引くように、人心という名の流動性を凍結させます」


「……まさか」


 部屋の隅で、アリアが信じられないものを見るようにエマを見た。彼女の心拍数は、恐怖によって毎分 115 回 まで上昇している。


「暴動を起こさせる気ですか!? そんなことをすれば、特務騎士団が武力で鎮圧に動きます! 丸腰の市民が流血の惨事になるわ! それは、監査官が守るべき秩序とは正反対の行為よ!」


「暴動ではありません。極めて合法的な権利の行使です」


 エマは冷たく言い放つと、視線を黒のパンツスーツを着た女 ―― ビアンカへ向けた。ビアンカは細い葉巻をクリスタルの灰皿に置き、 12 パーセント の湿度を含んだ紫煙をゆっくりと吐き出している。


「ビアンカさん。貴女は王立中央銀行に、どれほどの預金口座をお持ちで?」


「……」


 ビアンカは漆黒の瞳の奥に、理性の怪物同士が共鳴する暗い愉悦を宿して微笑んだ。


「偽りの名義による会社や裏の投資組合をすべて合わせれば、この王都の流動資金の約 20 パーセント は、私が一通の小切手で動かせる状態にあるわ。財務卿の喉元に、いつでも銀貨の鎖を巻き付けられるわね」


「 20 パーセント 。……十分すぎます」


 エマは万年筆のペン先を、地図上の『王立中央銀行』へと正確に突き立てた。


「明日、王立中央銀行で《《取り付け騒ぎ》》を執行します」


 その言葉に、部屋の空気が 0.1 秒 ほど完全に停止した。


「……は?」


 ヴォルフが素っ頓狂な声を出す。


「取り付け騒ぎって……あの、市民が銀行に殺到して『俺のカネを引き出させろ!』ってパニックになるやつか? あれは災害だろうが」


「いいえ、必然です。財務卿は税金をすべて魔導炉の維持費に費消して燃やしています。金銀出納記録上、現在の王立中央銀行の巨大な金庫の中身は、限りなく 0 ゴールド に近いはずです。帳簿上は存在しても、物理的な現貨が存在しない。それが今のこの国の正体です」


 エマは銀縁眼鏡のブリッジを中指で 2 ミリ 押し上げ、冷酷な計算式を口にした。


「銀行というシステムは、『全員が一度に預金を引き出しに来ない』という信用の上でのみ成り立っています。もし明日、王都の市民が一斉に預金を引き出しに来たら? 当然、銀行は支払いに応じられず、システムは完全に《《連鎖的な崩壊》》を起こします。窓口一つあたりの金貨の数え速度は、熟練の行員でも 1 分間に 120 枚。ビアンカさんが送り込む人数を考えれば、 30 分 で物理的に窓口が機能不全に陥ります」


「……美しいわね、エマ」


 ビアンカが、低く囁くように言った。


「財務卿の最大の武器である『カネの巡り』を、物理的な暴力ではなく、経済の仕組みそのもので首を絞めて殺す。最高に効率的な解体作業よ。……でも、どうやって市民をパニックにさせるの? ただの不確かな噂じゃ、相場は動かないわよ」


「だから、確固たる火種を用意します。アリア監査官」


 エマの視線が、部屋の隅で硬直している元聖女候補へと向けられた。


「……な、何よ」


「貴女は、王都の特務騎士団や正規騎士たちの給与の仕組みを知っていますね? 彼らの給料は、ギルド本部を通じて中央銀行から支払われているはずです。 1 ゴールド の誤差も許さない、厳格な供給の連なりの末端として、彼らの通帳には数字が刻まれる」


「え、ええ。毎月 25 日 に、一斉に振り込まれるわ。……あっ」


 アリアの顔から、さっと血の気が引いた。 132 回 まで跳ね上がった彼女の心拍音が、静かな室内にまで漏れ聞こえそうだった。


「明日は、 25 日 です」


 エマは無表情のまま、王都の終焉を告げる宣告をした。


「ビアンカさんの資金力を使って、明日の朝一番に、王都中の傭兵や裏社会の人間を雇い、中央銀行の窓口を占拠させます。多額の小切手を一斉に現金化させるためです。これに要する物理的な資源は、先ほど計算済みです。……窓口の現金が、朝の 2 時間 で完全に枯渇します。銀行員は顔を青くして、支払い停止を宣言するでしょう」


「……そこへ、正当な給与を引き出しに来た騎士たちがやってくるわけね」


「はい。窓口には『現金がありません』と言われる。……命を担保にして国を守っている彼らが、給料日に 1 ゴールド も引き出せなかったら、どうなると思いますか? 鎧の摩擦音一つとっても、彼らの怒りは計算可能です」


「……暴動が、起きる」


 アリアが震える声で答えた。


「市民の暴動なら特務騎士団が鎮圧できても……『武力を持つ騎士団自身の怒り』は、誰にも止められない……! 国家の不渡りが、物理的な暴力に変換されるのね……。なんて恐ろしい計算なの」


「その通りです。これぞ究極の《《信用収縮》》。国家に対する絶対的な信頼が、たった 1 日 の未払いで連鎖的に崩壊します」


 エマは万年筆のキャップを、パチンと硬質な音を立てて閉めた。


「財務卿がこの事態を収拾するには、地下にある魔導炉の稼働を止め、そこに使われている固有の資産を現金に戻すしかありません。炉が止まれば、彼が隠蔽してきた巨大なシステムの『心臓部』が、無防備な状態で露呈します。……私たちが実地監査に向かうのは、その瞬間です」


 完璧な論理。一滴の血も流さず(少なくともエマたちの手は汚さず)、国家の最高権力者を「カネの理屈」だけで丸裸にするという、冷酷極まりない盤外戦術。


「……お前、本当に恐ろしい女だな」


 ヴォルフが呆れたように天井を仰いだ。彼はエマの細い首筋に浮かぶ、演算過負荷による血管の脈動を指先で確認し、彼女が本当に限界であることを悟る。


「剣を振り回す悪党より、数字で国をひっくり返そうとするお嬢様の方が、よっぽどタチが悪いぜ。……だが、嫌いじゃねえ。お前の計算通りに、道を開けてやるよ。そのための維持管理だ」


 ヴォルフは無造作に懐から、厚焼きのガレットを取り出した。バターの香ばしい匂いが室内に広がる。彼は恋愛感情など微塵も感じさせない事務的な手つきで、ガレットを一口大に割り、エマの口元に運んだ。


「補給だ。バターを 45 パーセント 配合した、高密度の熱量だ。 10 秒 以内に脳へ流し込め」


「……感謝、します。糖分吸収率の最大化のため、咀嚼回数を 24 回 に設定します」


 エマは事務的にガレットを噛み砕き、強引に脳の燃料を補充した。ヴォルフの無骨な手が、倒れそうになる彼女の背中を、まるで機械の支柱のように無機質に支える。


「さあ、徹夜の準備を。明日の朝、王都の経済を完全に《《停止》》させます。《《 1 ゴールド の誤差も許さない》》、真の《《決算》》の始まりです」


エマはヴォルフから差し出されたガレットを、その高い熱量カロリーを無機質に効率よく摂取するためだけに咀嚼し、嚥下した。バターの脂質が脳の摩擦を和らげるのを待ち、彼女は冷徹に、次の計算へと意識を沈めた。


■ 査定員エマの業務日誌:今回の用語解説


【信用収縮】

 市場の信用が急激に冷え込み、資金の供給の連なりが断絶する現象です。今回のように、国家という最大の債務者が支払義務を履行できないことが判明した瞬間、不確定変数は最大化し、システムは連鎖的な崩壊へと向かいます。物理的な剣よりも、 1 枚 の残高不足通知の方が、時に多くの騎士を無力化します。


【固有の資産】

 財務卿が隠蔽していた魔導炉、およびそこへ投入された生命力換算の資金を指します。彼は国民という最大の元手を、燃料として消費していましたが、それは投資ではなく、ただの資産の毀損です。


【不渡り】

 債務者が、支払期日に債務を履行できない状態。王立中央銀行の現金枯渇は、王国という巨大組織の債務不履行を意味します。 25 日 の給料日にカネが払われないという事実は、いかなる英雄の物語よりも残酷な現実を民衆に突きつけます。


【ガレット】

 ヴォルフから納品された、バターを高配合した洋菓子です。 1 ゴールド の誤差もない計算を維持するためには、 1 枚 あたり 280 キロカロリー の即効性の高い熱量が不可欠です。咀嚼に伴う脳内ノイズが並列演算を僅かに妨げますが、脳細胞を焼き切るよりは費用対効果が高いと言えます。


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