第37話:供給網の断絶と、命の減価償却
王都ルミナリスの北西に位置する、魔導産業地区。
そこは、 5 番街の優雅な静寂や白亜の景観とは対極にある、鉄の軋みと魔力排気が立ち込める汚濁の街だった。空は永劫に吐き出される黒煙によって濁り、太陽の光すらも価値を棄損された廃棄物のようにぼやけている。
エマ・ルミナスは銀縁眼鏡の奥で、空中に浮遊する煤塵の粒径が平均 2.4 ミクロン を超え、自身の肺胞への沈着率が 1 分間につき 0.14 パーセント ずつ上昇している事実を不快そうに算出していた。
「……ケホッ、……ゲホッ! ……不快、です。この地区の外部への不備は、私の許容範囲を著しく逸脱していますね。王都の繁栄という短期的な利益を維持するために、周辺住民の健康寿命という固有の元手を無断で削り取り、燃料に変えている。……あまりに非合理的な、目先の数字しか追わない三流の経営です。この空気の粘度は、私の肺の平滑筋に不当な負荷を強いています」
エマは、白いシルクのハンカチで口元を強く押さえ、眼鏡の奥の瞳に鋭い嫌悪の色を宿した。
「空気の味が最悪だぜ。鉄錆と、安物の魔導オイル、それに――」
ヴォルフが鼻を鳴らし、琥珀色の瞳を飢えた獣のように細めた。
「――煮え繰り返るような、腐った死臭が漂ってきやがる。お嬢様、ここの守衛コストはケチられてねえな。入り口の連中、立ち振る舞いだけで 1 日 1,000 ゴールド は下らねえ傭兵崩れだ。重心の移動速度から見て、抜剣までに要する時間は 0.72 秒。地方の騎士団よりも 0.1 秒 以上速い」
3 人 の目の前に、要塞のような重厚な鉄扉がそびえ立っていた。『バルガス魔導工学工房』。勇者アヴァロンが振るう聖剣の魔石、および専用装備を独占的に供給しているとされる、王国最大にして最悪の調達の要である。
「……エマさん、本当にここに入るの? 私の皮膚が、ここにある魔力を不浄だと叫んでいるわ。……鳥肌が止まらないの」
アリアが短剣の柄を、指の関節が白くなるほど強く握りしめた。元聖女候補である彼女の感覚は、この建物から漏れ出す異常な魔力波形――周波数 442 ヘルツ の「生命の絶叫」に似た不一致を、生理的な拒絶反応として受け取っていた。
「アリアさん。不透明な供給の連なりこそが、偽りの均衡を支える最大の脆弱性です。勇者の輝きが、一体どこの誰から補填されているのか。それを突き止め、物理的に断絶させない限り、私たちの清算は完了しません。 1 ゴールド の隠し立ても、私の計算は許容しませんから」
エマは迷うことなく、鉄扉の横にある受付用の魔導通話機を、正確な 1.0 秒 間隔の拍動で連打した。
* * *
奥から現れたのは、油と煤にまみれた革のエプロンを纏い、顔の右半分を真鍮製の魔導義眼で覆った工房主、バルガスだった。
「――監査だぁ? ふざけるな、ここは財務卿直属の指定工房だぞ! どこの馬の骨とも知れんギルドの小娘を通すわけなかろうが!」
「バルガス殿。貴方の不機嫌という不確定な変数は、私の帳簿には計上されません。その感情的な振れ幅を抑え、数字で対話することをお勧めします」
エマは事務的な手つきで、アヴァロン財団の執務室から一時差し押さえしたばかりの極秘記録の写しを提示した。
「貴方の工房へ流れた、不自然な過剰決済の証拠が発覚しました。市場価格の 314.2 パーセント。この異常な価格設定の妥当性を証明できない場合、私はギルド規約第 44 条 に基づき、この取引を不当な利得とみなします。……即刻、貴方の全資産を封鎖しますが、よろしいですね? 私の指がスタンプを有効化するまで、あと 12 秒 です」
「ガキが、余計な首を突っ込むんじゃねえ! あれは特級魔石の製造に必要な、正当な技術料だ!」
「ええ。ですから、その費用の内訳を拝見しに来たのです。バルガス殿、貴方が拒否権を行使するたびに、私の査定報告書における貴方の有罪確率は 5.3 パーセント ずつ加算されていきます。…… 100 パーセント に達する前に、道を開けなさい」
エマはバルガスの罵声を物理的に無視し、ヴォルフがバルガスを壁際に押し退ける間に、工房の深部へと足を踏み入れた。
工房の最深部には、巨大な魔力抽出炉が、脈打つ黒い心臓のように鎮座していた。勇者が使う人造魔石の製造拠点。エマは銀縁眼鏡の位置を直し、青白く発光する魔導式解析眼で、その巨大な魔力回路を走査した。
瞬間、彼女の脳内に膨大な不備の羅列が溢れ出す。
「……おかしいですね。バルガス殿。この炉の熱効率、計算が全く合いません。変換効率、わずか 3.8 パーセント。通常、王立学術院の最新理論に基づけば、この工程においてこれほどのエネルギー消失はありえません。残りの 96 パーセント 以上の熱量は、一体どこへ投棄されたのですか?」
エマは真鍮の万年筆の先を、炉の地下へと続く、鉛張りの不自然に太い魔力配管へ向けた。その配管の継ぎ目から漏れ出す、 0.02 ミリ の隙間から生じる異常な振動周波数。
「物理法則において、エネルギーは無からは生まれません。この消失した膨大なエネルギーは……別の何かから抽出された、激しい拒絶反応を伴う魔力を、無理やり勇者の属性へ洗浄するために消費されている。そうですね?」
「それは……冷却効率の問題で……!」
「嘘をつかないでください。呼吸の乱れから算出される貴方の動揺指数は、既に 87 パーセント に達しています。……冷却ではなく、中和です。貴方が作っているのは魔石ではない。魔獣から、あるいは……《《人間》》から抽出した生の生命力を、純粋な勇者の魔力として偽装洗浄している。その過程で発生する凄惨な魂の悲鳴を、物理的に押し殺すために、これだけの魔力を無駄に費やしているのでしょう?」
バルガスの魔導義眼がカチカチと不規則な音を立てて激しく回転した。顔から急速に血の気が引き、脂汗が床に滴る。
「……ヴォルフ。地下の、帳簿外資産の隠し場所を強制開放してください。そこに、この街の最大の不備が眠っています」
「心得た、お嬢様ッ!」
ヴォルフが吼え、大剣を一閃させた。厚さ 45 ミリ の鋼鉄の床板がバターのように切り裂かれ、その裂け目から溢れ出してきたのは、濃厚な死臭と――この世の終わりを煮詰めたような、絶望の色だった。
床下に隠されていたのは、数十人もの人間が、魔導回路に直接繋がれたまま生きたまま生命力を吸い取られている惨景だった。拉致された貧民、身寄りのない孤児。彼らは勇者の聖剣を輝かせるための生体電池として、その命を秒単位で償却させられていたのである。
「……バルガス殿。貴方の罪状を、改めて確定します」
エマの声は、絶対零度の静寂に達していた。演算負荷が限界に達し、視界が真っ白に染まりかける。だが、彼女が倒れるよりも速く、ヴォルフが背後からガシリと彼女の細い腰を支えた。
「……ヴォルフ。供給、不足。……脳が、融けそうです。計算式が、彼らの悲鳴で塗り潰されていく……」
「わかってるよ。……ほら、噛め。これを飲み込むまで、絶対に意識を手放すんじゃねえぞ。お前がここで目を閉じたら、こいつらの命の重さを数える奴がいなくなる」
ヴォルフはエマの口に、 2 個 同時に「特製高濃度ブドウ糖の練り菓子」をねじ込んだ。暴力的なまでの甘味がエマの神経系を強引に再起動させる。彼女はヴォルフの腕の中で再び目を見開き、バルガスを死神の瞳で射抜いた。
「人的な資産を、勇者という空虚な偶像のために不当に毀損させた罪。貴方は命に耐用年数を設定し、それを 1 ゴールド 単位の利益として売り払った。それは、この世界の計算式を根底から汚す、万死に値する不備です」
「衛兵! 掃除屋を呼べ! こいつらを今すぐ抹消処理にしろッ!」
バルガスの叫びに応じ、天井の闇から魔導暗殺者たちが飛び出してきた。
「……ヴォルフ。この工房の全人員を、回収不能な負債として処理してください。予備費は不要です。……全額、投入なさい」
「了解だ。……お嬢様。……こいつらの処分費、きっちり俺の残業代に上乗せしとけよ!」
ヴォルフの黒鉄の大剣が、工房の不浄な空気を一撃で切り裂いた。
爆圧と悲鳴が満ちる中、エマは震える手で帳簿を再び開き、地下で繋がれたままの命という資産を一人ずつ数え始めた。勇者パーティー『アヴァロン』の輝かしい武勲の裏側には、凄惨な命の粉飾が隠されていたのだ。
■ 査定員エマの業務日誌:今回の用語解説
【供給路】
製品が消費者に届くまでの全ての過程を指します。勇者の「力」という商品が、誰の犠牲によって製造されているかを解明することは、王国の信頼を再定義するために避けては通れない工程です。
【価値の磨耗】
資産の価値が時間の経過とともに失われていく様子。この工房は、人間の命を「使い捨ての設備」として扱い、その死を当然の管理費用として処理していました。私の計算では、彼らの命は 1 秒 ごとに 0.046 ゴールド ずつ磨り潰されています。
【人的な元手】
人間が持つ生産能力を価値ある資本とみなす考え方です。財務卿とバルガスは、自国の国民を投資対象ではなく、単なる燃焼材として消費しました。これは国家経営における致命的な失策であり、算出不能なほどの巨大な損失です。
【外部への不備】
ある活動が、当事者以外に悪影響を及ぼすこと。産業地区の汚染や、不当な人身売買は、まさに王都がひた隠しにしてきた巨大な不備です。
【抹消処理】
存在価値がゼロになったものを、記録から消去すること。バルガスは私を帳簿から消そうとしましたが、物理的な執行力であるヴォルフの存在を、自身の数式に組み込み忘れるという初歩的な不備を犯しました。




