第38話:支払停止勧告と、英雄の債務不履行
炎上するバルガス工房を背に、漆黒の飛行船『リヴァイアサン号』へと帰還したエマたちの空気は、かつてないほどに重く、沈んでいた。
船内の豪華なサロン。その一角にある書斎机に、スレート・グレーの制服を隙なく着こなしたエマ・ルミナスは、大量の返り血を浴びたままの総計台帳を広げ、一心不乱に万年筆を走らせていた。真鍮のペン先が紙を削るカリカリという乾燥した音だけが、静寂を切り裂いていく。エマは眼鏡を指で押し上げ、自身の袖口に付着した血液の飛沫曲線から、工房で命を散らした犠牲者たちが、魔力抽出の過負荷によってどの程度の肉体損壊を被ったかを無意識に逆算していた。
「……お嬢様。少しは休め。……それと、その顔を拭け。クリーニング代を、誰の口座に請求するつもりだ?」
黒いロングレザーコートを羽織ったヴォルフが、正確に 65 度 に温められた飲み物と、湿ったタオルを差し出す。だが、エマはその手を受け取ることなく、眼鏡の奥の瞳に青白い魔導式解析眼を灯したまま、虚空に展開された無数の数式と記録を睨みつけていた。彼女の脳内では、地下で計測した魔力波形の残響と、バルガスの隠し帳簿に記された数字が、 1 ミリグラム の誤差もなく照合され続けている。
「……休めません。バルガス工房の地下に繋がれていた 67 名。そのうち、救出後に生存が確定したのはわずかに 12 名 です。……残りの《《 55 名 の命》》は、すべて『アヴァロン財団』が量産した模造聖剣の出力を維持するための、ただの消費資源として使い潰されていました。 1 名 あたりの生命力を 1 時間 につき 1,200 単位 で強制抽出……これは、人体の代謝限界を 820 パーセント 超過する暴挙です。これほど巨大な不正を放置したまま私の時計を止めることは、査定員としての不作為に他なりません。現在、私の脳内演算器は、怒りによる熱暴走で、通常の 160 パーセント の負荷を計測しています」
エマの声は、極低温の氷細工のように冷たく、鋭いものだった。
急激な演算負荷により、脳細胞が熱量を奪い、末端の毛細血管が収縮して体温を奪っていく。だが、エマが筆を置くよりも速く、ヴォルフが背後からガシリと彼女の華奢な肩を支えた。そして、慣れた動作で高濃度の糖分を含んだ練り菓子を彼女の口元へ運ぶ。
「補給だ。……脳が焼き切れる前に、結論を出せ。お前の役割は、倒れることじゃなく、敵の喉元をペンで刺すことだろ。 0.01 パーセント の不純物も見逃さねえ死神さんよ」
「……感謝、します。脳内同期の再起動まで、あと 2.0 秒。……アリアさん。その無意味な情緒の海に沈むのを、 0.1 秒 でも削りなさい。貴女の涙の水分量は、帳簿を汚す以外に何の価値も生み出しません」
エマは事務的に練り菓子を噛み砕き、部屋の隅で膝を抱えて震えていたアリアを真っ直ぐに見据えた。
「勇者アヴァロンは、もはや王国を救う希望などではありません。彼らは『聖剣の恩寵を分け与える』という名目で模造品を量産し、地下に埋設した魔力伝導線を通じて、国民の命を無断で吸い上げ続けている。これは、王国の人的元手を根底から食いつぶす、巨大な偽りの演算です。このまま放置すれば、この国は確実に、回復不能な債務不履行に陥ります。国民という名の資本が、枯渇するのです」
「……どうするつもりなの、エマさん。あんな工房一つ潰したところで、財務卿や……財団の暴走が止まるとは思えないわ」
「ええ、止まりません。ですから、こちらから支払停止勧告を仕掛けます。……あのような汚濁に塗れた偽物の光は、もはや市場で流通させる価値はありません。即刻ゴミ箱へ投げ捨てるべき、不良資産です」
エマは、自らが書き上げたばかりの、真っ赤な魔導インクで署名された一通の書面を掲げた。そこには、王立保険ギルド特別監査室の印章と共に、エマの強烈な執念が刻まれた魔力署名が、不気味な赤い光を放っていた。
「アヴァロン財団、および王都守備を担う特務騎士団。彼らに対し、全業務の即時停止と、全資産の強制開示を要求する、最終通告を突きつけます。……これこそが、散らされた 55 名 の犠牲者に対する、唯一の精算です」
* * *
翌朝。王都ルミナリスの中央広場。
そこでは、アヴァロン財団に所属する『特務騎士団』の新たな武勲を称えるための祝賀式典が、大々的に執り行われようとしていた。広場には 1 平方メートル あたり 4 人 という過密な密度の群衆が詰めかけ、黄金の装飾で彩られた白亜の街灯には、財団の紋章を刻んだ旗がはためいている。
豪華な装飾が施された演壇の上。勇者アヴァロンの代理として白銀の鎧を纏った男――特務騎士団筆頭のガウェインが、民衆の狂信的な声援に応えて右手を掲げていた。その腰には、大元の聖剣から力を分け与えられたとされる「模造聖剣」が、神々しいまでの光を放っている。エマの解析眼は、その光の波長が 450 ナノメートル に不自然に固定され、強制的な魔力励起状態にあることを、 0.001 パーセント の誤差もなく捉えていた。
「我ら特務騎士団は、勇者アヴァロン様の御名に代わり、再び王都の平和を脅かす魔獣を退けた! この勝利は、勇者様が分け与えてくださった聖なる力と、諸君らの祈りがあったからこそだ! 正義は常に、我らと共にあり!」
ガウェインの朗々とした声が響き渡り、民衆は狂喜乱舞した。だが、その熱狂の絶頂を、一人の少女の、事務的で、冷徹な声が拡声魔導を通じて切り裂いた。
「――特務騎士ガウェイン。その量産された勝利の原価について、国民の前で正確な数値での説明を要求します。…… 1 ゴールド の誤差も、 1 秒 の隠蔽も、私の計算は許容しません」
広場が、一瞬で凍りついた。音楽が止まり、数万の視線が一点に集中する。
民衆が左右に分かれる中、純白のケープを羽織った監査官制服の少女が、ヴォルフとアリアを従えて、石畳を正確なリズムで叩きながら歩みを進めてきた。エマの歩幅は正確に 65 センチ 、呼吸数は 1 分間 に 16 回 。完全な冷静さを維持したまま、演壇へと肉薄する。
「……何だ、君は。祝賀の場を汚す不敬な振る舞いは、勇者様への、および王国への反逆と見なすが? 衛兵、この狂人を排除しろ」
「反逆ではありません。これは、正当な法と約款に基づく抜き打ち監査です」
エマは演壇の前で立ち止まり、手に持った赤い封筒を高く掲げた。彼女の眼鏡の奥で、魔導式解析眼がガウェインの持つ模造聖剣を走査し、その出力特性を瞬時に可視化していく。
「特務騎士ガウェイン。貴方の持つ模造品が放つ光、その出力値は現在 18,500 を計測しています。対して、過去 3 年分 の身体測定記録に基づく貴方自身の魔力上限は、わずか 2,400 に過ぎません。……物理法則を無視した、この 16,100 もの異常な差額。一体どこの不潔な供給路から仕入れましたか?」
広場にざわめきが広がる。エマは容赦なく、言葉を継いだ。手元の台帳を指先で弾く。
「さらに、この第 3 区域 の地下工事記録です。先月だけで 420,000 ゴールド もの莫大な水道管の修繕費が不自然に計上されていますが、市役所の記録ではこのエリアで《《水漏れなど一度も起きていない》》。……この不自然な支出額と、貴方の剣の魔力不足分をバルガス工房から地下経由で遠隔供給させるための『極秘の導力配線敷設費用』を照合すれば、 1 ゴールド の誤差もなく完全に一致します。水道管の中を流れていたのは水ではなく、盗まれた国民の生命力だ」
ガウェインの顔から、さっと血の気が引いた。エマは氷のような声で宣告する。
「その不足する魔力は、工房に繋がれた 67 名 の国民を、 償却という名目で使い潰すことで得られた不当な利得ですね? 騎士よ。貴方の勝利は、国民の命を担保にした不渡り寸前の借金で買い叩かれたものです。この帳簿の物理的な不一致について、即刻、正確な数値での弁明を要求します」
「……馬鹿なことを。根も葉もない妄言だ! その少女を捕らえろ! 彼女は財務卿からも指名手配されている、王国の害悪だ!」
ガウェインの合図と共に、周囲の特務騎士たちが一斉に剣を抜いた。だが、その刃がエマに届くより早く、黒衣のヴォルフが大剣を石畳に突き立て、凄まじい闘気の衝撃波を発生させた。石畳が 30 センチ ほどの深さまで粉砕され、重厚な圧力が広場を支配する。
「悪いな、英雄の偽物ども。俺の雇い主の精算時間を邪魔する奴は、たとえ神様だろうと廃棄にすると決めてんだ。……お前らの量産品の剣じゃ、この『不備』は斬れねえよ。重心の置き方からやり直してこい」
ヴォルフの放つ圧倒的な武威が、特務騎士たちの動きを物理的に硬直させた。
エマは動じない。彼女は懐から、一通の赤い勧告書をガウェインの足元へと投げ捨てた。
「特務騎士団、およびアヴァロン財団。貴方たちの信用格付けを、本日、この瞬間をもって債務不履行へと引き下げます。これ以上の粉飾された勝利への投資は、ギルドが認めません」
「貴様ぁ……ッ! この光が、勇者様から分け与えられた加護でなくて何だというのだ!」
「それは加護ではなく、単なる他者の命の搾取です。……清算の時間は、終わりました。さあ、支払停止勧告に応じるか、それとも、その醜悪なメッキを自ら剥ぎ取るか。……選択なさい。さもなくば、私が貴方たちの全存在を市場から強制清算します。 1 ゴールド の価値も残さず、徹底的にです」
■ 査定員エマの業務日誌:今回の用語解説
【支払停止勧告】
証拠金を用いた取引において、損失が拡大し、維持に必要な資金が不足した際に行われる私の「最終通告」です。今回は、勇者という偶像の維持に国民の命という原資が足りなくなったため、その活動を即刻停止させるための警告として用いました。これに応じない場合、次の段階は物理的な破産のみです。
【債務不履行】
債務者が支払いや義務を継続できなくなった状態のこと。量産された特務騎士たちは、自らの魔力だけでは機能を発揮できず、外部からの不正な供給に依存していたため、実質的にはすでに破綻した不良債権と言えます。他人の財布で正義を語る厚顔無恥な数式には、相応の報いが必要です。
【強制清算】
損失が一定の水準に達した際、被害の拡大を防ぐために、私の裁量で強制的に取引を終了させることです。他者の命を食い潰す有害資産を、物理的かつ論理的に市場から完全に退場させました。
【不当な利得】
法律上の正当な理由なく、他人の損失によって得られた利益を指します。今回の騎士団は、国民の生命力という最も高価な資産を無断で流用しており、これは明白な法理違反です。
【導力配線の敷設】
物理的な水道管の修繕に見せかけ、地下に隠密に魔力供給路を構築したことを指します。エマは土木工事の予算書と実際の掘削記録、および排出される土砂の成分比率の 0.1 パーセント の矛盾から、その隠された配線を特定しました。




