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【第一部完結】剣より重い計算式(ロジック) ~異端の査定員エマ・ルミナスの監査報告~  作者: 二進
第2章:白亜の魔都と、偽りの防衛線

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第27話:騎士の涙と、闇市場の回収益

 「……ふざけるな。机の上で数字だけを弄っている小娘に、我々の何が分かるッ!」


 第三正規騎士団の兵舎。小隊長ガレスの悲痛な叫びが、無骨な石造りの壁に反響し、重く沈殿していく。

 石壁に染み付いた長年の鉄錆の匂いと、男たちの乾いた汗の臭い。


 エマは鼻腔を抜けるその空気の質から、この場所の換気設備の不備と、騎士たちのストレスによる異常なアドレナリン分泌量を即座に算出していた。


 愛する部下とその家族を餓死から救うため、魔獣討伐にかこつけて最高級の魔導回復薬(ハイ・ポーション)を横領し、闇市場で換金した罪。

 それを冷徹な数字の矛盾から暴き出したエマ・ルミナスに対し、ガレスは血走った目で、震える剣の柄を握りしめていた。


 彼の網膜には、栄養失調で痩せ細り、皮下脂肪を 8 パーセント以下まで削ぎ落とされた部下の子供たちの顔が焼き付いている。


 「私の懐には 1 ゴールドたりとも入っていない! ……我々は、愛する者を守るために剣を握ったのだ! それを罪と呼ぶなら、私を投獄でも何でもしろッ!」


 その言葉と共に、兵舎の奥で息を潜めていた十数名の若い部下たちも一斉に武器を構え、エマとヴォルフを取り囲んだ。

 彼らの目にもまた、飢えた家族を守るための《《悲壮な決意》》が宿っている。


 一触即発の空間。

 エマは彼らの筋肉の収縮速度と、抜剣までにかかる 0.8 秒の未来を予測し、ヴォルフへ微かな視線を送る。


 ヴォルフは琥珀色の瞳を細め、いつでも背の大剣を抜けるように重心を 15 センチ落とし、空気の粘度を物理的に塗り替えるような圧を放った。


 だが、エマは微塵も怯むことなく、真鍮の万年筆のキャップを静かに外した。

 その灰青色の瞳は、死を覚悟した騎士たちの感情的な熱量を、ただの不規則な数値のノイズとして処理していた。


 彼女の視界には、騎士たちの装備の摩耗率や、心拍数の上昇に伴う筋肉の酸素消費量が、冷たいマトリクスの羅列となって浮遊している。


 「ガレス小隊長。貴方のその『家族愛』と称する生存戦略は、計算式として根本的に破綻しています」


 「……何だと?」


 「ここで私を殺害した場合の期待利益を算出しましょう。一時的な感情の充足を除けば、利益はゼロ。対して損失は、国家反逆罪による部隊の即時解体、貴方たち全員の処刑。


 ……および、残された家族は反逆者の連座資産として没収され、王都外周への強制追放。彼らが現在の物価指数の中で、自給自足によって生存を維持できる確率は、私の計算上 0.02 パーセント未満、事実上のゼロです。救済のために破滅を選択する。これほど《《非合理的な演算》》を、私は不備と呼びます」


 正義でも倫理でもない、絶対的な結果の計算。

 その残酷なまでの理詰めの前に、ガレスの握っていた剣が、カランと力なく床に滑り落ちた。


 彼の中にあった「騎士の誇り」という情緒的な防壁が、エマの放った数字の刃によって、 1 ゴールドの価値もなく粉々に粉砕されたのだ。


 「……では、どうしろと言うのだ……ッ。 500,000 ゴールドなど、この困窮しきった兵舎のどこを探しても存在しない……!」


 「私が回収するのは、貴方たちの命でも涙でもありません。ただの物理的な事実です。ガレス小隊長、貴方たちが横流しした 50 本の回復薬、闇市場の末端価格ではなく、ブローカーにいくらで買い叩かれましたか?」


 「…… 100,000 ゴールドだ。それが、裏路地の質屋が提示した限界だった」


 「本来 500,000 ゴールドの資産価値があるものを、わずか 20 パーセントの価格で。……足元を見られましたね。素人が不慣れな帳簿操作を行うから、そのようなエネルギー効率の悪い取引になるのです。


  400,000 ゴールドの損失。この穴は、貴方たちが流した涙の塩分濃度では到底埋まりません」


 エマは手元の書類にスラスラと新しい数式を書き込みながら、ヴォルフへと振り返った。


 「ヴォルフ。取引の相手――地下質屋『黒鉄の秤』。その店舗内の空気循環システムから、微細な魔導インクの粒子を特定しました。


 先日、私が私書箱へ投函した目論見書(もくろみしょ)への返信に含まれていたノイズの周波数が、この近辺の不良資産(ふりょうしさん)の流出先と一致しています。


 ……行きましょう。王都の裏経済に流れたギルドの資産を、今から《《物理的に強制回収》》に向かいます。私の血糖値が活動限界を下回る前に」


     * * *


 王都ルミナリス、南区。

 腐ったドブ川から発生するメタンガスの匂いと、不法投棄された魔導具の回路から漏れ出す不協和音が満ちるスラム。その地下にある質屋『黒鉄の秤』。


 「……おいおい、王立保険ギルドの査定員殿が、こんなドブ臭い地下室に何の用だい? 保険金の請求なら、別の窓口に行ってくれよ」


 金歯を光らせた悪徳商人の男がニヤニヤと笑い、背後には数人の、暴力に特化した用心棒たちが控え、腰の得物を誇示している。


 「監査に参りました。貴方の店の帳簿と、実際の在庫の魔力波長の照合です」


 エマは埃っぽいカウンターに、ギルドの公式な監査命令書を、 1 ミリのズレもなく置いた。


 「直近で、第三正規騎士団の者から、最高級の魔導回復薬 50 本を 100,000 ゴールドで買い取っていますね? 盗品と知りながら不当に買い叩く行為は、ギルドの共有資産に対する重大な侵害行為。


 ……つまり、貴方は私の目の前で、 400,000 ゴールド分の不備を撒き散らしているのですよ」


 「はっ、証拠があるのかよ? 騎士団の連中が勝手に持ってきたガラクタを、情けで引き取ってやっただけだ」


 「証拠は、必要ありません。私の網膜が、事実を透視しています」


 エマの魔導式解析眼(トレース・アイ)が、青白く発光する。

 視界から色彩が剥ぎ取られ、世界は魔力の流動と密度の数式へと変貌する。


 極めて分厚い鋼鉄を透視する強引な魔力行使により、エマの脳幹に鋭い痛みが走る。脳細胞が恐ろしい速度でブドウ糖を消費していくが、彼女は表情を凍らせたまま、事実を突きつける。


 「この店の奥、地下 4 メートル地点の隠し金庫。厚さ 30 センチの防魔鋼鉄板の向こう側に、ギルド特有の保護印が刻まれた魔力波長が、 50 本分、 1 パーセントの減衰もなく検出されています。


 ……貴方はすでに、盤面上で詰んでいます。これ以上の虚偽報告は、貴方の頭部の硬度と、ヴォルフの拳の衝突係数を試すだけの無意味な行為です」


 「ちっ……! 野郎ども、やれ! その生意気な眼鏡を粉々にしろッ!」


 商人が怒鳴った瞬間、ヴォルフが地を蹴った。


 「……査定の邪魔だと言ったはずだ。お嬢様の計算に、これ以上のノイズを混ぜるな」


 黒い疾風。大剣の鞘ごと横薙ぎに振るわれた重量級の一撃。

 衝撃波が室内の埃を吹き飛ばし、数人の用心棒がまとめて壁まで打ち付けられ、石壁に深いヒビを刻んで崩れ落ちた。


 ヴォルフは剣を抜くことさえせず、ただ圧倒的な運動エネルギーの変換のみで空間を支配する。その動作の軌道は、エマが算出した「回避不能な最短距離」と完全に同期していた。


 這いずって逃げようとする商人の襟首をヴォルフが掴み上げ、カウンターへと叩きつける。

 その鈍い音と同時に、エマは淡々と 1 枚の最終請求書を突きつけた。


 「ギルド規約第 41 条『不当利得による損害賠償』。買い叩いた差額の 400,000 ゴールドに、虚偽報告への制裁金、および私の脳の追加カロリー消費コストを上乗せし、しめて 600,000 ゴールドになります。


 今すぐ現金、もしくは同等の換金性を持つ魔石で支払いなさい。……払えないなら、この店ごと貴方の存在を差し押さえ(さしおさえ)ます。これは《《比喩ではなく、確定した物理現象》》です」


     * * *


 数時間後。再び、第三正規騎士団の兵舎。

 エマは、絶望の淵にいたガレス小隊長の前に、金貨の詰まった分厚い麻袋を 3 つ、事務的に置いた。


 「……これは?」


 「闇市場からの回収益(かいしゅうえき)です。これでギルドの帳簿は、 1 ゴールドの誤差もなく合いました。不備は解消されました」


 「た、助かったのか……? 我々は、罪を問われずに済むのか?」


 縋るような目で涙を流そうとする彼らを、エマは冷酷な宣告で切り捨てた。


 「これより向こう 3 年間、第三騎士団に支給される特別討伐手当は、全額ギルドが直接没収し、今回の不足分と違約金の補填に充てます。


 貴方たちは今後 3 年間、無給に近い形で過酷な魔獣討伐をこなし、自らの間違った愛情が積み上げた負債を《《肉体労働》》で払い続けなさい」


 「……っ……」


 「感謝という不確かな変数は不要ですよ。私はただ、貴方たちの命を処刑で破棄するよりも、生かして働かせた方がギルドにとって回収効率が高いと算出しただけですから。


 死体は 1 ゴールドも生み出しませんが、生きた騎士は莫大な価値を生成し続ける資産(アセット)です」


 兵舎を去るエマの背中に、老騎士ガレスは深々と、震える手で感謝の敬礼を捧げていた。

 それが彼らにとっての救済であると同時に、これから始まる 3 年間の地獄の始まりであることを、誰もが理解していた。


 駐屯地の外へ出た瞬間。エマの歩幅が、 12 センチほど乱れた。

 魔導式解析眼(トレース・アイ)による長時間の高負荷解析。脳細胞が消費した糖分は、すでに生命維持の限界値を突破していた。


 視界が白く飽和し、頭の芯が、内側から爆発するように脈打つ。


 だが、彼女の膝が石畳に触れるよりも 0.3 秒速く、ヴォルフが背後からガシリと、強固な支柱となって身体を支えた。


 「わかってるよ。お前の脳がオーバーヒートしてるのは、さっきから見てれば分かる。……よく倒れずに堪えたな。 0.5 パーセントの振動も許さない、《《完璧な定点》》になってやるよ」


 ヴォルフはエマを立ち止まらせることなく、歩きながら慣れた手つきで、王都の裏通りで買った特製の練り菓子(タフィー)を彼女の口元へ運ぶ。


 「食え。……清算する前に脳を焼くなよ。お前がいなくなれば、この街の数字は永遠に合わなくなる」


 エマは無言でそれを受け取り、奥歯で噛み砕いた。

 暴力的なまでの甘味が血流に乗って駆け巡り、ガス欠を起こしていた神経系を強引に再起動させる。


 真っ白に霞んでいた視界の霧が瞬時に晴れ、割れるような頭痛がゆっくりと凪いでいく。

 エマはヴォルフの支えを借りることなく、自らの足でしっかりと敷石を踏みしめ、再び冷徹な歩調を取り戻した。


 「……供給、確認。……次なる不備の選定を継続します。ヴォルフ、歩調の振動をあと 0.5 パーセント抑制してください。脳内の同期に、微細なノイズが混じります」


 「へいへい。王都の闇は、氷砂糖 1 つじゃ足りないくらい深そうだぜ」



■査定員エマの業務日誌:今回の用語解説


回収益(かいしゅうえき)

不当に流出した資産を、市場価格との差額や違約金を乗せて回収することで得られる利益です。今回は悪徳ブローカーからペナルティを含めて全額を回収したため、帳簿上は完全に黒字として処理されました。


不当利得(ふとうりとく)

法律上の正当な理由なく、他人の損失によって得られた利益を指します。今回の闇商人は、騎士団の窮状につけ込んで資産価値の 20% という不当な安値で仕入れており、これは明白な不当利得に該当します。


【極度の糖分枯渇による機能不全】

厚さ 30 センチの鋼鉄板越しに魔力波長を精密解析した結果、脳細胞が急激にリソースを消費し、深刻な低血糖状態に陥りました。ヴォルフの迅速な糖分補給がなければ、兵舎を出た直後に再起動不能となっていた確率が極めて高いです。

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