第4話 まだまだですと言うおっさんは間違いなく魔術師である
ゴブリン(以下略)。
――神界。
先ほどまでの軽いやり取りとは打って変わり、白き神と黒き神は揃って険しい表情を浮かべていた。二柱は神座の前に並んだまま地上を見下ろし、これまで送り込んだ刺客たちのことを思い返すようにしばらく黙っていたが、やがて黒き神が重々しく息を吐き、腕を組んだまま隣の白き神へ視線を向ける。
『追放するのは……もう少し待とう』
黒き神が眉間に皺を寄せ、慎重に言葉を選ぶような口調で告げると、白き神はすぐには返事をせず、地上へ向けていた視線をゆっくりと隣へ戻した。
『ええ』
白き神は小さく頷き、黒き神の意見に同意する。
二柱はまた地上を見下ろした。
『あの男をこの世界から追い出すのは、簡単かもしれない』
黒き神は顎に手を当て、考えを整理するようにゆっくりと言葉を続ける。
『しかし、それでは問題の先送りにしかならない』
そう言って眉をひそめた黒き神に、白き神も不安げに表情を曇らせた。
『そもそも、あれほどの存在を追放したところで、追放先の世界が無事である保証もないでしょう』
白き神は両手を胸元で重ね、これから起こるかもしれない事態を想像するように遠い目をする。
『むしろ……』
しばらく考え込んだあと、白き神は困ったように眉を下げ、諦めたように首を横へ振った。
『追放先で新しい問題を起こしそうですね』
『うむ』
黒き神も否定できないとばかりに苦笑し、肩を落とす。
二柱は互いに顔を見合わせ、それからほとんど同時に深いため息をついた。
やがて黒き神が額へ指先を当て、もう一度考え直すようにしばらく黙り込んでいたが、ふと何かを思いついたらしく顔を上げる。
『ならば……最後に、もう一度だけ試してみるか』
黒き神が白き神へ期待を込めた視線を向けると、白き神は意外そうに目を見開き、首を傾げた。
『もう一度?』
『ああ』
黒き神は頷きながら右手を掲げ、これまでの方法とは違う手段を示すように指を一本立てる。
『これまでの召喚は、どちらも肉体とスキルを主体としたものだった』
白き神は顎に手を当て、これまでの刺客を思い返すように目を細めてから頷く。
『たしかに』
『ならば今回は――魔術だ』
黒き神がそこで意味ありげに口角を上げると、白き神はその顔を見た瞬間に嫌な予感を覚えたらしく、わずかに眉をひそめた。
『魔術師、ですか』
『ただの魔術師ではない』
黒き神は胸を張るように姿勢を正し、いかにも切り札を紹介するといった表情で地上へ手を差し伸べる。
『ゴブリン・アークメイジ』
『……!』
その名前を聞いた瞬間、白き神が驚いたように息を呑む。
『千年以上にわたって魔術だけを研究し、あらゆる属性の魔法を極めた存在だ』
『どの程度です?』
白き神は半信半疑ながらも興味を惹かれたらしく、少し身を乗り出して黒き神へ尋ねる。
『火、水、風、土、雷、氷、光、闇』
黒き神は自信ありげに指を折りながら、一つずつ属性を挙げていく。
『……』
白き神は黙ったまま聞いていたが、次第に口元が固くなっていった。
『召喚、結界、幻術、転移、精神干渉、空間魔術』
黒き神がさらに指を折っていくたび、白き神の視線が次第に鋭くなっていく。
『……』
『禁呪も含めて、使えない魔術はない』
最後の一言を黒き神が誇らしげに言い切ると、白き神はすぐには答えず、腕を組んだまま地上を見つめた。
『それなら……』
やがて白き神は少しだけ期待を滲ませた顔で、隣の黒き神へ振り返る。
『勝てるだろう』
黒き神は自信満々に頷き、口元にもわずかな笑みを浮かべた。
『本当に?』
白き神が疑うように片眉を上げると、黒き神は一瞬だけ言葉に詰まり、視線を横へ逸らす。
『……』
数秒ほど考えたあと、黒き神は腕を組み直し、少し慎重な声で答える。
『少なくとも、肉体で殴り合うよりは勝算がある』
『それはそうですが……』
白き神は苦笑しながら片手を頬へ添え、まだ完全には納得していないという顔で黒き神を見つめる。
『今度は、絶対に森や平原のような広い場所で戦わせないでくださいね』
白き神が人差し指を立て、念を押すように言う。
『分かっている』
黒き神は少しむっとした顔で頷く。
『惑星を壊すような魔術も禁止ですよ』
『当然だ』
今度は黒き神も即答する。
『大陸を消すのも駄目です』
白き神が真顔のまま追い打ちをかけると、黒き神の眉がぴくりと動いた。
『分かっている』
それでも黒き神は渋々頷く。
『できれば山一つくらいまでに』
白き神が何気なく条件を付け加えると、黒き神は思わず顔を向け、信じられないものを見るように目を細めた。
『……それでも十分危険ではないか?』
呆れたように尋ねる黒き神に、白き神は悪びれる様子もなく肩をすくめる。
『ドレヴァンツ相手なら、その程度は必要でしょう』
『……』
黒き神はしばらく無言で白き神を見つめていたが、結局は反論できず、諦めたように目を閉じてからゆっくり頷いた。
『よし』
こうして、最後の刺客が送り込まれることになった。
その名は――。
ゴブリン・アークメイジ。
・・・
その頃、ドレヴァンツは再び山へ戻っていた。目の前にそびえる巨大な岩をじっくり眺めながら顎に手を当て、前に持ち上げた岩と大きさを比べるようにしばらく見つめたあと、楽しそうに口元を緩める。
「ふむ……先ほどは五トンでしたからね。今度は十トンに挑戦してみましょう」
そう呟くと、ドレヴァンツは軽く肩を回し、両足を踏ん張って腰を落としながら巨大な岩へ手をかけた。
「ふんっ!」
全身に力を込めた瞬間、ズズズズズ……と足元の地面が低く震え始める。
「ふんんんっ!」
さらに力を込めると、ゴゴゴゴゴ……という地鳴りが響き、目の前の岩がゆっくりと持ち上がっていく。そのままドレヴァンツは両腕を伸ばし、ついには岩を頭上へ高々と掲げてみせた。
「おお!」
成功したことがよほど嬉しかったのか、ドレヴァンツは目を輝かせながら満面の笑みを浮かべる。
「やりました! 少しずつですが、確実に成長していますね」
本人はいたって本気だった。
そして、持ち上げた岩をゆっくりと地面へ戻すと、ドレヴァンツは満足げに頷いてから、今度は魔術の鍛錬へ移る。
「さて、今日も少し魔術の練習をしておきましょう」
右手を前へ伸ばし、指先へ意識を集中させると、手のひらに小さな火球が生まれた。
「火球生成」
ポッ。
「うむ」
ドレヴァンツは嬉しそうに目を細め、手のひらの上で揺れる火球をあちこちから眺めるように顔を動かす。
「これを、どうすればもっと強くできるでしょうか」
本人は知らない。
神々が。
自分を倒すために。
また新たな存在を送り込もうとしていることを。
・・・
その日の夕方、村の近くに一匹のゴブリンが現れた。
普通のゴブリンよりも痩せているにもかかわらず、その全身から漂う魔力だけは異様なほど濃かった。手には杖を握り、頭には骨で作った冠をかぶり、身体には奇妙な紋様が刻まれている。その姿を見た村人たちは、互いに不安そうな顔を見合わせながら距離を取り、一人の男が隣の村人へ声を潜めて問いかけた。
「ゴブリンシャーマンか?」
男がゴブリンから目を離さないまま尋ねると、隣の村人も怯えた表情で相手を見つめながら小さく頷く。
「たぶん……」
だが。
その正体は違った。
ゴブリン・アークメイジ。
魔術というものを極限まで極めた怪物である。
彼は怯える村人たちなど一瞥もせず、杖の先端を地面へ静かに突き立てた。
ドン。
その瞬間、周囲の空気が一変する。
「……人間」
低く呟きながら、アークメイジは細い目を村人たちへ向ける。しかし、すぐに何かへ気づいたらしく、ゆっくりと顔を別の方向へ向け、遠くを見つめた。
「いや……人間ではないな」
その視線の先にいたのは、白いローブ姿の男だった。
「……あれが」
アークメイジは目を細め、相手の存在を慎重に見極めるように無言で見つめ続ける。
「世界の歪みか」
神々から与えられた使命。
――ドレヴァンツの排除。
アークメイジは口元に薄い笑みを浮かべ、杖をゆっくりと持ち上げた。
「なるほど。この程度の男ならば、私が直接手を下すまでもない」
そう呟きながら杖を掲げると、その足元から巨大な魔法陣がゆっくりと広がっていった。
・・・
ドレヴァンツは山道を歩いていたが、前方に一匹のゴブリンが立っているのに気づくと、足を止めて相手の姿をじっくり眺めた。杖に骨の冠、そして明らかに普通ではない魔力を見て、ドレヴァンツはすぐに納得したように頷き、穏やかな笑顔を向ける。
「なるほど。ゴブリンシャーマンですね」
「……」
その一言を聞いた瞬間、アークメイジの動きが止まった。眉がぴくりと動き、聞き間違いではないかと確かめるようにドレヴァンツを見つめる。
「……シャーマン?」
「はい」
ドレヴァンツは何の疑いもなく頷く。
「私はアークメイジだ」
アークメイジは胸元へ手を当て、自分自身を指し示しながら訂正した。
「なるほど」
しかし、ドレヴァンツは相変わらず穏やかな表情のまま頷いただけだった。
「随分と立派なシャーマンですね」
「……」
アークメイジの口元がわずかに引きつる。
「私は……アークメイジだ」
今度はわずかに声を強め、杖を握り直しながら念を押す。
「はい」
ドレヴァンツは笑顔のまま、素直に返事をする。
「最上位魔術師だ」
アークメイジはどうにか威厳を保とうと胸を張り、自分の肩書を強調するように告げた。
「ええ」
「魔術の頂点に立つ者だ」
アークメイジが堂々と言い切ると、ドレヴァンツは感心したように目を輝かせた。
「それは凄いですね」
「…………」
褒められているはずなのに、アークメイジは褒め言葉にどう反応すればいいのか分からないような複雑な顔を浮かべていた。
そんな彼の心情などまったく気にしないまま、ドレヴァンツは期待に満ちた表情で一歩近づいた。
「では、ぜひとも魔術を見せてください!」
目を輝かせながら頼んでくるドレヴァンツを見て、アークメイジは思わずこめかみに指を当て、頭を抱えたくなる衝動を抑える。
「……まあいい」
やがて諦めたように息を吐き、杖を構えると、表情を一変させて鋭い目でドレヴァンツを睨みつけた。
「見るがいい!」
アークメイジが杖を天へ掲げた瞬間、空が急速に暗くなり、巨大な雲が渦を巻き始める。轟く雷鳴に周囲の木々が激しく揺れる中、アークメイジは力強く声を張り上げた。
「サンダーレイン!」
次の瞬間、無数の雷が一斉に地上へ降り注いだ。
ドゴォォォォォォォン!
大地が大きく震え、木々が焼け、山肌までもが吹き飛んでいく。
しかし、煙が次第に晴れていくと、その中心にはドレヴァンツが何事もなかったかのように立っていた。
「おお!」
ドレヴァンツは目を見開き、まるで珍しいものを見る子供のように嬉しそうな笑顔を浮かべる。
「凄いですね!」
「……無傷?」
アークメイジは一瞬言葉を失い、その場に立ち尽くしたままドレヴァンツを見つめる。
「私も雷魔術は少し練習したことがありますが、ここまでの規模はできません」
ドレヴァンツが純粋な感想を口にすると、アークメイジは握った杖に力を込め、悔しそうに歯を食いしばった。
「ならば――」
そのまま一度深く息を吸い、今度は炎を呼び出した。
「インフェルノ!」
杖を振り下ろした瞬間、巨大な炎の壁がドレヴァンツへ押し寄せる。
ドゴオオオオオオ!
凄まじい熱量が周囲を包み込む。
ところが、炎がやがて消えていくと、その中からドレヴァンツが平然とした顔で歩いてきた。
「おお!」
ドレヴァンツは腕を軽く眺めながら、少しだけ眉を上げる。
「熱いですね」
「熱いですね、じゃない!」
アークメイジはとうとう耐えきれなくなり、両手を広げながら声を荒らげた。
「普通は死ぬんだ!」
「そうなのですか?」
ドレヴァンツは本気で驚いたらしく、目を丸くして尋ね返す。
「そうだ!」
アークメイジは額へ手を当て、半ば呆れながらも叫ぶ。
「なるほど」
ドレヴァンツは妙に真面目な顔で頷き、しばらく考えたあとにふっと顔を上げた。
「では、今度はこちらからも一つ」
そう言いながらドレヴァンツが手を前へ伸ばすと、アークメイジは警戒するように肩を引き、杖を構えたまま身構える。
「……何をする」
「火炎弾です」
ドレヴァンツの掌に小さな火球が生まれる。
「そんなものが私に通用するとでも――」
アークメイジが呆れたように笑いかけた、その瞬間だった。
ドレヴァンツは火球を、自分の足元へ落とした。
「なに?」
アークメイジは思わず目を見張り、一歩だけ前へ出る。
その間にドレヴァンツは腰を落とし、片足を後ろへ引きながら真剣な表情を浮かべた。
「いつもの技では、先ほどの魔法には勝てませんでした」
アークメイジは何をするつもりなのか分からず、困惑した顔でドレヴァンツの足元を見る。
「……?」
「ですから」
ドレヴァンツは楽しそうに口元を緩める。
「少し工夫します」
次の瞬間、ドゴォン! という轟音とともに、火球が強烈な蹴りによって空高く打ち上げられた。
「もっともっと!」
ドレヴァンツが拳を握りながら叫ぶと、火球はぐんぐん上昇していく。
「熱くなれよおおおおおおおおおお!」
そのあまりにも勢いのある叫びに、アークメイジの口元が引きつる。
「まさか――」
空高く舞い上がった火球が急激に巨大化する。
「熱く!」
さらに巨大化し、
「もっと!」
炎が白く輝き始め、
「もっともっと!」
やがて赤い炎は青白い光へ変わっていった。
「熱くなれよおおおおおおおおおおおお!」
その光景を見たアークメイジは、慌てて杖を振り上げる。
「馬鹿な……!」
必死の形相で魔力を解放し、大規模な結界を何重にも展開する。
「絶対防御結界!」
巨大な魔法陣が次々と重なり、アークメイジは杖を握る手へありったけの力を込めた。
「これならば!」
直後。
ドレヴァンツの火球が凄まじい速度で飛来する。
「ネオファイヤァァァァァァァァ!」
ドゴォォォォォォォォォォォン!
第一の結界が砕ける。
続いて二枚目、三枚目と、幾重にも重なった結界が次々と破壊されていく。
「な……!」
アークメイジは思わず息を呑み、後退しながら必死に杖を振る。
「こんな……!」
最後の結界までもが砕け散った。
「ばかなあああああああ!」
追い詰められたアークメイジは反射的に転移魔法を発動させる。
――シュンッ。
その場から姿を消し、少し離れた場所へ転移したアークメイジは、膝へ手をつきながら肩で荒く息をした。
「はあ……危なかった……」
胸を押さえながら深呼吸を繰り返し、ようやく安堵の表情を浮かべた、その直後だった。
「おや?」
背後から穏やかな声が聞こえ、アークメイジの肩がびくりと跳ねる。
「……!」
恐る恐る振り返る。
そこには、ドレヴァンツが立っていた。
「転移魔法ですか」
ドレヴァンツは感心したように目を輝かせ、まるで珍しい魔術を見つけたかのように相手を眺める。
「……」
アークメイジは口を半開きにしたまま、顔を引きつらせてドレヴァンツを見る。
「どうやって私の転移先を……」
「走って追いかけました」
「…………」
アークメイジは完全に言葉を失い、しばらく瞬きすらできなかった。
「転移魔法は便利ですね」
ドレヴァンツが素直に感心する姿を見て、アークメイジはとうとう額を押さえた。
「いや!」
それでも我慢できなくなったように顔を上げ、両手を大きく広げて叫ぶ。
「走って追いつくものじゃない!」
こうして最強のアークメイジは、いつの間にか常識を叫ぶ側になっていた。
・・・
「では、こちらも本気でいきます」
アークメイジは荒い息を整えながら杖を握り直し、先ほどまでとは明らかに違う、覚悟を決めた表情を浮かべる。
「ならば、この世界最高位の魔術を見せてやる!」
声を張り上げながら杖を掲げると、大地が震え始め、周囲の空間そのものが歪んでいった。巨大な魔法陣が地上へ展開され、その周囲には無数の古代文字が浮かび上がる。
「究極魔術――」
アークメイジは額に汗を浮かべながら、全身の魔力を一気に引き出す。
「天地終焉!」
山そのものを飲み込むほどの魔力が一つの場所へ収束し、アークメイジは鬼気迫る表情でドレヴァンツを睨みつける。
「これで終わりだ!」
その瞬間。
ドレヴァンツは片足を前へ出した。
「……?」
アークメイジは怪訝そうに眉をひそめ、今度はドレヴァンツの構えを注意深く観察する。
「では」
ドレヴァンツは落ち着いた様子で身体を沈め、まるで新しい遊びを思いついた子供のような笑顔を浮かべた。
「私も、新しい技を」
その言葉を聞いた瞬間、アークメイジはわずかに口を開き、そのまま固まった。
「待て」
「はい?」
「その構えは何だ」
アークメイジは警戒しながら杖をドレヴァンツへ向ける。
「蹴りの構えです」
「……」
アークメイジは額に手をやり、ゆっくりと息を吐いた。
「秘奥義――」
「待て!」
アークメイジは思わず手を突き出し、必死の形相でドレヴァンツを止める。
「はい?」
「その名前を聞く前に言っておく」
アークメイジはもはや威厳などかなぐり捨てたような顔で、ドレヴァンツへ食い下がる。
「私はゴブリンシャーマンではない」
「はい」
「アークメイジだ」
「分かっています」
「そして私は世界最強の魔術師だ」
最後の誇りを守るように胸を張って言い切るアークメイジに、ドレヴァンツは素直に頷く。
「凄いですね」
「だから――」
アークメイジは両手を強く握りしめ、ほとんど泣きそうな表情で叫んだ。
「蹴るな!」
「無理です」
ドレヴァンツは申し訳なさそうに眉を下げながらも、きっぱりと答える。
「なぜだ!」
「私は足技の魔術師ですから」
ドレヴァンツが何の迷いもなく言うと、アークメイジはとうとう顔を覆いたくなるような表情を浮かべる。
「そういう問題じゃない!」
次の瞬間。
ドレヴァンツの蹴りが、アークメイジの究極魔術を真正面から蹴り飛ばした。
巨大な魔力の塊は進行方向を無理やり変えられ、そのまま空へ向かって吹き飛んでいく。
そして――。
――ドォォォォォォォォォン!
空の彼方で大爆発が起きた。
しばしの静寂のあと、アークメイジは呆然としたまま手から杖を落とし、そのまま力なく膝をついた。
「……」
何も言えず空を見上げたまま、しばらく固まっていたが、やがて震える唇からかすかな声を漏らす。
「……私の魔術が」
アークメイジは信じられないものを見るような目で、まだ爆発の余韻が残る空を見つめる。
「蹴りで……」
そんなアークメイジの様子を見たドレヴァンツは心配そうに眉を下げ、ゆっくりと近づいていった。
「大丈夫ですか?」
「…………」
アークメイジは返事をすることもできず、ただ空を見上げ続ける。
「私は……」
やがて、これまで積み上げてきた自分の存在意義すら疑うような弱々しい声で呟いた。
「ゴブリンシャーマンですらなかったのか……?」
「いえ」
ドレヴァンツは首を横へ振り、励ますような穏やかな笑顔を向ける。
「立派なゴブリンシャーマンでしたよ」
「違うと言っているだろうがぁぁぁぁぁぁぁ!」
アークメイジは両手を振り上げ、ありったけの声で叫んだ。
その絶叫が山中へ響き渡った。
・・・
神界。
『…………』
『…………』
白き神と黒き神は、完全に沈黙していた。
しばらく互いの顔を見つめていたが、やがて黒き神が引きつった笑顔を浮かべながら、恐る恐る白き神へ顔を向ける。
『……どうだった?』
尋ねる黒き神に対し、白き神はゆっくり目を閉じ、疲れ切ったように深いため息を吐く。
『聞かないでください』
『我々が送り込んだ最強のアークメイジは?』
黒き神が人差し指を立てて確認するように問いかけると、白き神は遠い目をしながら答えた。
『蹴られました』
『究極魔術は?』
黒き神が少し身を乗り出して尋ねる。
『蹴り返されました』
『転移魔法は?』
黒き神の眉が上がる。
『走って追いつかれました』
『結界は?』
黒き神が恐る恐る聞き返す。
『全部破られました』
そう答えた白き神は、とうとう片手で額を押さえた。
『…………』
『…………』
二柱はしばらく無言で見つめ合っていたが、やがて黒き神が遠い目をしながらぽつりと呟いた。
『……もう、あれはゴブリン退治という範疇じゃないだろ』
『最初からそうですよ』
白き神は呆れたような顔で答えながら、こめかみを指先で揉む。
『では、どうする?』
黒き神が肩を落として尋ねると、白き神は返事をする代わりに地上へ目を向けた。
そこでは、ドレヴァンツが何事もなかったかのように笑顔で話している。
「いやあ、ゴブリンシャーマンは強敵でしたね」
ドレヴァンツは腕を組み、先ほどの戦いを思い返すように満足げに頷いた。
「もう少し修行が必要です」
そう真面目な顔で言ったあと、ふと何かを思いついたように目を輝かせる。
「次は魔法を蹴るのではなく、魔法そのものを蹴って消せるようにしたいですね」
『…………』
『…………』
二柱は無言のまま顔を見合わせた。
黒き神が力なく肩を落とすと、白き神も深いため息をつき、疲れ切った顔で地上を見下ろす。
『……あれだけは、絶対に新しい技を考えさせてはいけない』
黒き神が真剣な表情で言うと、白き神も重々しく頷いた。
『同意します』
だが。
時すでに遅し。
ドレヴァンツは、すでに新たな技の鍛錬を始めていた。
「まずは魔法そのものを蹴る練習からですね」
そう呟いた直後、ドレヴァンツの身体から、それまでとは明らかに違う妙な気配が一気に立ち上った。
――ブワッ。
「……?」
ドレヴァンツ自身も何かを感じ取ったらしく、眉を寄せながら身体を見回す。
「これは……?」
すると、地面に転がっていた小石が、まるで見えない何かに持ち上げられたかのように、ふわりと浮かび上がった。
『…………』
『…………』
神界の二柱が同時に固まる。
やがて黒き神が、何か非常に嫌なものを確認するように白き神へ顔を向ける。
『おい』
『なんでしょう』
白き神もすでに不安そうな顔をして黒き神を見る。
『今のは……』
『……気です』
白き神が低い声で答えると、黒き神はしばらく黙ってから額へ手を当てた。
『やっぱり?』
『たぶん』
白き神も自信なさげに頷く。
地上では、ドレヴァンツが何かを確かめるように拳をゆっくりと握りしめていた。
「なるほど」
その顔には、なぜか嬉しそうな笑みが浮かんでいる。
「これが魔力とは別の力なのですね」
『違う!』
思わず神界から二柱の声が重なった。
当然ながら、その声が地上まで届くはずもない。
ドレヴァンツは神々の叫びなど知る由もなく、さらに考えを深めていく。
「ならば……この力を足に集中させれば」
そう言って右足へ意識を集中すると、足元の地面がピシッとひび割れた。
「もっと強く」
さらに力を込めるにつれて、ゴゴゴゴゴゴゴゴ……という地鳴りが響き、大地が大きく震え始める。
「もっと!」
ドレヴァンツの表情から笑みが消え、真剣そのものの顔でさらに力を高めていく。
『やめろ!』
黒き神は頭を抱えながら叫ぶ。
『やめてください!』
白き神も思わず両手を振りながら制止する。
だが、神々の叫びが地上へ届くことはない。
ドレヴァンツはそんなことには気づかず、足を後ろへ引きながら新しい構えを取った。
「新技――」
そして、一歩踏み込む。
「超・魔力蹴撃!」
ドゴォォォォォォォォォン!
凄まじい衝撃が山全体を揺らし、山の斜面が数十メートルにわたって吹き飛んだ。
ドレヴァンツはその光景を見ながら、わずかに首を傾げる。
「……」
その一方で。
『…………』
『…………』
神界では二柱が完全に言葉を失っていた。
やがて黒き神が震える手で白き神を指差し、信じられないという顔で問いかける。
『……あれは』
白き神は遠い目をしたまま地上を見つめ、静かに頷いた。
『はい』
『気まで使い始めたぞ』
『次は……何でしょうね』
白き神が諦めにも似た声で呟く。
『考えたくない』
『超能力でしょうか』
『やめろ』
『時間停止とか』
『やめろ』
『因果律操作とか』
白き神が半ば冗談のつもりで続けると、黒き神はとうとう両手で頭を抱え込んだ。
『本当にやめろ!』
しかし。
地上では。
「まだまだですね」
ドレヴァンツが拳を握り直し、満足そうに頷いていた。
「次はもっと修行しましょう」
そう言って、何の悪気もなく新たな修行へ向かっていく。
神々は思った。
――もう、まともな刺客を送るのはやめよう。
だが、その判断が下された直後だった。
黒き神が突然何かを思いついたように顔を上げ、隣にいる白き神へ鋭い視線を向ける。
『……待て』
低い声で呼び止められた白き神が怪訝そうに振り返る。
『なんでしょう』
白き神が眉を上げて尋ねると、黒き神はしばらく黙ってから、意味ありげに口元を吊り上げた。
『まだ一つだけ、試していないものがある』
『まさか』
その笑みを見た瞬間、白き神の顔に嫌な予感が浮かぶ。
『ああ』
黒き神は確信に満ちた様子でゆっくり頷く。
『――精神攻撃だ』
白き神は、すぐには返事をしなかった。
数秒間、何とも言えない顔で黒き神を見つめたあと、やがて恐る恐る問いかける。
『……それ、私たちがやられる側になりませんか?』
『…………』
黒き神の笑顔が消える。
白き神も無言になる。
二柱は互いの顔を見つめたまま、やがて示し合わせたように同時に頭を抱えた。




