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さえないおっさん魔術師は役不足と初心者パーティーを追放される  作者: 水源


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17/17

五十年経っても、魔王は今日も岩を砕く

 ――それから。


 人間王国は。


 少しずつ。


 確実に変わっていった。


 畑には新しい農具が並ぶようになった。


 収穫量が増え。


 街道は整備され。


 以前なら何日もかかった道程を。


 商人たちは、より短い時間で行き来できるようになった。


 鍛冶師たちは新しい技術を覚え。


 職人たちは互いの国から伝わった技法を試し。


 街には。


 五十年前には存在しなかった品々が。


 当たり前のように並ぶようになっていた。


 魔王国との交易も。


 途切れることなく続いていた。


 もちろん。


 最初から平穏だったわけではない。


 商人同士が相手を探ることもあった。


 荷の中身を念入りに確認する者もいた。


 人間王国には。


 今でも魔王国を危険視する者がいる。


 魔王国にも。


 人間を信用しきれない者はいる。


 それでも。


 戦争にはならなかった。


 互いに警戒し。


 互いに学び。


 互いに力をつける。


 そんな関係が。


 いつしか。


 特別なものではなくなっていった。


 人間と魔族。


 かつてなら。


 絶対に交わることのなかった二つの国。


 それが今では。


 商人が国境を越え。


 農作物が売買され。


 職人が技術を伝え合っている。


 昨日まで敵だった種族と。


 今日の取引をする。


 そんな光景さえ。


 少しずつ。


 珍しいものではなくなっていった。


 ――そして。


 時は流れた。


 十年。


 二十年。


 三十年。


 四十年。


 五十年。


 五十年という歳月は。


 人間にとって。


 一つの人生そのものが終わるほどの時間だった。


 王が代わった。


 また王が代わった。


 将軍も代わった。


 文官も代わった。


 商人も代わった。


 農民も。


 職人も。


 街に生きる人々も。


 少しずつ入れ替わっていった。


 かつて魔王国を恐れ。


 魔族の姿を見ただけで震えていた者たちは。


 いつしか老いて。


 その多くが土へ還っていった。


 その子供たちが大人になり。


 さらに。


 その子供たちが新しい時代を生き始めた。


 街並みも変わった。


 石造りの建物が増えた。


 道は広くなった。


 市場には見慣れない商品が並ぶようになった。


 人々の服装も。


 食べるものも。


 暮らし方さえも。


 五十年前とは違っていた。


 五十年前を。


 自分の目で知っている者すら。


 もう。


 少なくなっていた。


 ――だが。


 そんな長い年月の中で。


 たった一人。


 何一つ変わらない者がいた。


 魔王国。


 その奥深くに広がる森。


 朝露に濡れた葉が。


 風に揺れている。


 木々の間から差し込む朝日が。


 地面にまだら模様を作っていた。


 鳥の声が響く。


 湿った土の匂いがする。


 そして。


 その森の一角に。


 一人の男が立っていた。


「さて」


 低い声が。


 静かな森に響く。


 大きな岩の前で。


 男は拳を握った。


 ドレヴァンツだった。


「今日も鍛えるか」


 五十年前と。


 まったく同じ言葉。


 肩を回す。


 首を軽く動かす。


 足を踏みしめる。


 土が。


 ぐっと沈んだ。


 ドレヴァンツは。


 目の前の岩を見上げる。


 人間一人よりも。


 はるかに大きい。


 何十年も風雨にさらされ。


 苔まで生えた巨大な岩だった。


「ふむ」


 ドレヴァンツが。


 小さく息を吐く。


 鼻から吸い。


 ゆっくりと吐き出す。


 胸が一度。


 二度。


 大きく膨らむ。


 森の空気が肺へ入り込む。


 足の裏に伝わる土の感触。


 指先に集まる力。


 肩から腕へ。


 腕から拳へ。


 全身の力が。


 一点へと集まっていく。


 そして。


 静寂。


 ほんの一瞬だけ。


 森から音が消えたように感じられた。


 次の瞬間。


「――ふっ!」


 轟音。


 拳が岩へ叩き込まれた。


 ズドンッ!!


 大地が震える。


 岩の表面に亀裂が走った。


 一本。


 二本。


 それが一瞬で無数に広がる。


 バキバキバキッ!


 巨大な岩が。


 一撃で砕け散った。


 大きな破片が飛び。


 砂埃が舞う。


 木の葉が衝撃で揺れ。


 森の鳥たちが一斉に飛び立った。


 しばらくして。


 砕けた岩の破片が。


 地面へ落ちていく。


 ゴロゴロと。


 重い音が森へ響いた。


「うむ」


 ドレヴァンツは。


 砕けた岩を眺める。


 拳を軽く握り直す。


 痛みなど。


 一切ない。


 息一つ。


 乱れていない。


「今日も調子がいい」


 満足そうに。


 頷いた。


 五十年。


 人間にとっては。


 人生そのものを変えてしまう時間だ。


 顔つきが変わる。


 髪が白くなる。


 身体は衰える。


 若者だった者が。


 老人になる。


 そして。


 その老人でさえ。


 次の世代へ何かを残していく。


 だが。


 ドレヴァンツにとっては。


 違った。


 五十年は。


 昨日から今日へ進んだ。


 それと。


 大して変わらない。


 顔つきも。


 体格も。


 声も。


 何も変わらない。


 白髪もない。


 皺もない。


 腰も曲がっていない。


 腕も衰えていない。


 息も乱れない。


 五十年前と同じように。


 岩を砕く。


 五十年前と同じように。


 拳を握る。


 五十年前と同じように。


 笑う。


 そして。


 五十年前と同じように。


 次の岩を探す。


 変わったのは。


 周囲だけだった。


 昔は細かった木々が。


 今では空を覆うほど大きくなっている。


 若木だったものが。


 太い幹を持つ巨木になっていた。


 かつて若かった魔族たちは。


 今では立派な大人になった。


 その中には。


 子供どころか。


 孫まで持つ者もいる。


 五十年。


 確かに。


 それだけの時間が流れている。


 なのに。


 ドレヴァンツだけは。


 その流れの外にいる。


「ドレヴァンツ様!」


 森の向こうから。


 若い魔族の声が飛んできた。


 枝をかき分け。


 一人の若者が駆けてくる。


 息を切らしながら。


 ドレヴァンツの前で足を止めた。


「はぁ……はぁ……」


 肩で息をする若者。


 対して。


 ドレヴァンツは平然としている。


「どうした?」


「また岩を砕いていたんですか?」


「ああ」


「……相変わらずですね」


 若い魔族は。


 足元に散らばった岩の破片を見る。


 そして。


 大きく息を吐いた。


「何十年続けてるんです?」


「覚えていない」


「覚えてないんですか?」


「昔からやっているからな」


 ドレヴァンツは。


 本当に何でもないことのように言った。


「昔って……」


 若い魔族が。


 苦笑する。


「僕の祖父が子供だった頃ですよ」


「そうなのか?」


「そうですよ」


「ふむ」


 ドレヴァンツは。


 少しだけ考えるように首を傾げる。


 だが。


 それ以上は気にしなかった。


「では、次だ」


「まだやるんですか!?」


「当然だ」


「さっきの岩、僕でも五人がかりで動かせませんよ!?」


「だから鍛錬になる」


「そういう問題ですか!?」


 若い魔族の声が。


 森に響く。


 ドレヴァンツは笑った。


 五十年前と。


 同じ笑い方だった。


「さて」


 また。


 岩の前へ歩いていく。


 拳を構える。


 足を開く。


「次は少し大きいな」


「大きいとか小さいとか、そういう問題じゃないです!」


 だが。


 次の瞬間には。


 また轟音が響いた。


 ズドンッ!!


 若い魔族が。


 思わず耳を塞ぐ。


 木の葉が舞い。


 鳥が飛び立つ。


 そして。


 また一つ。


 巨大な岩が砕け散った。


 ――


 その光景を。


 森のさらに奥から。


 一人の男が見つめていた。


 かつて。


 勇者と呼ばれた男だった。


 今では。


 すっかり年老いている。


 背中は少し曲がり。


 髪には白いものが増え。


 顔には幾本もの皺が刻まれている。


 昔は軽々と持ち上げていた剣も。


 今では。


 杖代わりに使うことが増えた。


 その隣には。


 孫が立っている。


「お祖父ちゃん?」


 孫が。


 不思議そうに顔を覗き込む。


「どうしたの?」


 勇者は。


 答えなかった。


 ただ。


 遠くを見ていた。


 そこでは。


 一人の男が。


 砕けた岩の前に立っている。


「あいつだ」


「……あの人?」


「ああ」


 勇者は。


 ゆっくりと目を細める。


 その目に。


 五十年前の記憶が蘇る。


 若かった自分。


 仲間たち。


 初めて魔王国へ足を踏み入れた日。


 そして。


 森の中で。


 巨大な岩を拳一つで砕いていた男。


 ドレヴァンツ。


 あの日も。


 奴は笑っていた。


 あの日も。


 奴は岩を砕いていた。


 そして。


 五十年後。


 今も。


 同じだ。


 勇者の手が。


 知らず知らずのうちに握られる。


 その指は。


 かつて剣を握った手だった。


 だが。


 今では。


 節が太く。


 皮膚は薄く。


 血管が浮き出ている。


「……ありえないな」


「何が?」


「五十年だ」


 勇者は。


 低く呟いた。


「五十年経ったんだぞ」


 自分は老いた。


 仲間たちも老いた。


 国も変わった。


 人々も変わった。


 孫までできた。


 あの日。


 一緒に戦った仲間の中には。


 もうこの世にいない者もいる。


 なのに。


 あの男だけは。


 五十年前のままだ。


 勇者は。


 しばらく黙っていた。


 風が吹く。


 木々が揺れる。


 遠くで。


 また岩が砕ける音がする。


「まるで……」


 勇者は。


 その音を聞きながら。


 ぽつりと呟いた。


「時間が、あいつを避けているみたいだ」


 孫には。


 その意味が分からない。


 だが。


 勇者には。


 なんとなく分かる気がした。


 あまりにも。


 異質だった。


 強いからではない。


 長生きする魔族なら。


 他にもいる。


 だが。


 変化そのものがない。


 昨日と。


 五十年前と。


 同じ顔。


 同じ声。


 同じ身体。


 同じ笑顔。


 同じ鍛錬。


 そして。


 同じように。


 岩を砕いている。


「……本当に変わらないな」


 勇者は。


 苦笑した。


 その表情には。


 恐れだけではない。


 呆れ。


 懐かしさ。


 そして。


 ほんの少しだけ。


 安心するような感情まで混じっていた。


 ――


 さらに。


 はるか天上。


 雲海の向こうから。


 地上を見下ろす者たちがいた。


『……五十年経った』


 白き神が言った。


『はい』


 黒き神が答える。


『人間王国では、王も将軍も何度も代わった』


『はい』


『勇者まで老いた』


『はい』


 白き神は。


 地上へ視線を落とす。


 そこには。


 五十年前と変わらない姿で。


 また岩を砕くドレヴァンツがいる。


 拳が振り下ろされる。


 岩が砕ける。


 地面が震える。


『なのに』


 白き神が。


 ぽつりと言う。


『あいつだけは、何も変わらんな』


『まったく』


 黒き神も。


 遠い目をする。


『見た目だけではありません』


『鍛錬も』


『はい』


『言っていることも』


『はい』


『生活も』


『はい』


 黒き神は。


 少し間を置いてから。


 続けた。


『五十年前から、ほとんど同じです』


『……本当に魔王なのか?』


『私にも分かりません』


『神である我々にも分からないのか?』


『分かりません』


 二柱は。


 しばらく黙り込んだ。


 その時。


 空気が少しだけ変わった。


 時間そのものが。


 揺れたような。


 そんな気配だった。


『……何を見ている?』


 振り返ると。


 そこには。


 時の神が立っていた。


 時を司る神。


 世界を流れる時間を。


 誰よりも正確に把握する存在。


『ドレヴァンツだ』


 白き神が答える。


『ああ』


 時の神は。


 地上を覗き込む。


 そして。


 固まった。


『……』


『どうした?』


『……五十年?』


『そうだ』


『本当に五十年?』


『そうだ』


 時の神は。


 目を細める。


 もう一度。


 ドレヴァンツを見る。


 五十年前と。


 何一つ変わらない。


 同じ姿。


 同じ顔。


 同じ身体。


 しかも。


 五十年前と同じように。


 五十年前と同じ森で。


 五十年前と同じように。


 岩を砕いている。


『……私の管轄だぞ』


『そうだな』


『時間は流れている』


『流れている』


『人間も老いている』


『老いている』


『勇者も老いた』


『老いた』


『木々も成長している』


『成長している』


『大地も変化している』


『している』


 時の神は。


 しばらく黙った。


 そして。


 もう一度。


 地上を見る。


 ドレヴァンツが。


 次の岩へ歩いていく。


 拳を握る。


 構える。


 そして。


 ズドンッ!!


 岩が砕ける。


『……』


 時の神は。


 ゆっくりと。


 その場から一歩下がった。


『……なのに、なんであいつだけ変わらないんだ?』


 二柱の神にも。


 答えはない。


 時の神は。


 さらに一歩。


 後ろへ下がる。


『……こわっ!』


『……』


『あいつには近寄らんようにしとこ』


 白き神と黒き神が。


 顔を見合わせる。


『神が逃げるのか?』


『時間を司る神ですから』


『関係あるのか、それ』


『あると思います』


『そうか』


 白き神は。


 それ以上追及しなかった。


 ――


 神々が心配していた。


 人間王国も警戒していた。


 魔王国も。


 いつか来る未来を考えていた。


 だが。


 当の本人は。


 そんなことなど。


 何一つ知らない。


「さて」


 ドレヴァンツは。


 額の汗を手の甲で拭った。


 ほんの少し。


 本当にほんの少しだけ。


 汗が浮かんでいる。


 それすら。


 五十年前と同じだった。


「次はもっと大きな岩にするか」


 森の奥へ歩いていく。


 靴の裏が。


 乾いた土を踏む。


 ザッ。


 ザッ。


 枝を踏むたび。


 小さな音が響く。


 やがて。


 さらに大きな岩が見えてきた。


 ドレヴァンツは。


 それを見上げる。


「おお」


 少し嬉しそうに。


 笑った。


「これはいい」


 拳を握る。


 肩を回す。


 深く息を吸う。


 肺いっぱいに。


 森の冷たい空気を取り込む。


 そして。


 静かに。


 息を吐く。


「よし」


 足を踏みしめる。


「行くか」


 次の瞬間。


 拳が振り抜かれた。


 轟音。


 地面が震える。


 岩が砕ける。


 舞い上がった砂埃の向こうで。


 ドレヴァンツが笑っている。


「うむ」


 砕けた岩を見て。


 満足そうに頷いた。


「今日も元気だ」


 それだけだった。


 世界は変わった。


 人々も変わった。


 国も変わった。


 世代も変わった。


 五十年という時間が。


 あらゆるものを押し流した。


 神々でさえ。


 その長さを意識している。


 ただ一人。


 ドレヴァンツだけは。


 何も変わらない。


 そして。


 本人には。


 そのことへの特別な感慨すらなかった。


 ただ。


 今日も鍛える。


 昨日も鍛えた。


 明日も鍛える。


 それだけだ。


 そんなドレヴァンツが。


 ふと。


 昔のことを思い出した。


 まだ自分が若かった頃。


 まだ。


 今ほど強くなかった頃。


 あの日。


 誰かに言われた言葉。


 ――ゴブリン退治には役不足だ。


 その一言だった。


 悔しかった。


 だから。


 鍛えた。


 一日。


 また一日。


 何度も。


 何度も。


 拳を握った。


 岩を殴った。


 身体を鍛えた。


 そして。


 気がつけば。


 五十年が過ぎていた。


 ドレヴァンツは。


 砕けた岩の前に立つ。


 散らばった破片へ視線を落とす。


 昔の自分なら。


 この岩一つを砕くことも。


 できなかったかもしれない。


 だが。


 今は違う。


 拳を見つめる。


 そして。


 小さく笑った。


「『ゴブリン退治には役不足』と言われないですむように、私はなれたでしょうか」


 誰に尋ねるでもない。


 答えを求めるでもない。


 ただ。


 昔の自分へ語りかけるように。


 静かな森へ。


 その言葉を落とした。


 森は。


 何も答えない。


 葉が風に揺れる。


 遠くで鳥が鳴く。


 木漏れ日が。


 ゆっくりと地面を動いていく。


 それだけだった。


 だから。


 ドレヴァンツは。


 また歩き出す。


 次の岩へ。


 次の鍛錬へ。


 次の一日へ。


 その足取りは。


 五十年前と。


 何一つ変わらない。


 そして。


 これから先も。


 きっと変わらない。


 人間王国が。


 また新しい時代を迎えても。


 魔王国が。


 新しい王を選ぶ日が来ても。


 神々が。


 何度ため息をついても。


 ドレヴァンツは。


 きっと。


 今日と同じように。


 朝になれば起き。


 森へ行き。


 岩を見つけ。


 拳を握る。


 そして。


 笑うのだ。


「今日も元気だ」


 轟音。


 また一つ。


 岩が砕ける。


 その音は。


 五十年前と同じように。


 森の奥へ。


 長く。


 長く。


 響いていった。


 ――世界が変わり続ける中で。


 たった一人。


 変わらない男とともに。

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