勇者一行に狙われてもおっさんは間違いなく魔術師である
――人間の王国。
王城。
勇者一行が魔王国へ向かう、その少し前。
玉座の間には、国王、宰相、そして数人の貴族が集まっていた。
高い天井に吊られた燭台の火が、かすかに揺れている。
誰も口を開かない。
重い沈黙の中。
国王が、ゆっくりと口を開いた。
「……魔王国が、豊かになりすぎている」
「はい」
宰相が答える。
手元の書類を一枚めくる。
紙が擦れる音だけが、やけに大きく響いた。
「農業生産量は、この数年で大幅に増加しております。街道や水路も整備され、魔族の生活水準も上がっています」
「人間との交易も始まっています」
別の貴族が付け加えた。
「以前の魔王国なら、人間と争うことも珍しくありませんでした」
宰相が、一枚の報告書を国王へ差し出す。
「ですが、現在は違います」
国王が受け取った。
紙面に並ぶ数字へ目を落とす。
「豊かな農地」
「整備された街道」
「安定した治安」
「増え続ける人口」
「そして、周辺諸国との交易」
一つずつ。
確認するたび。
国王の眉間に刻まれた皺が深くなっていく。
「このままいけば、魔王国は周辺最大の国家になります」
「…………」
「戦争が減れば、国境の兵も減らせる」
「交易が増えれば、さらに豊かになる」
「そして、豊かな魔王国を周囲の国々が頼るようになる」
国王の指が、玉座の肘掛けをゆっくりと叩いた。
コツ。
コツ。
小さな音が、静まり返った玉座の間に響く。
「魔王が、人間を武力で倒すのではなく……」
そこで、一度言葉を切った。
「豊かさによって取り込んでいく、ということか」
「その可能性はあります」
「……厄介だな」
その一言に。
誰も反論しなかった。
――
「しかし陛下」
一人の若い貴族が、意を決したように口を開く。
「魔王国は、人間を攻めておりません。討伐する理由がありません」
国王の視線が向く。
「理由ならある」
「……神託ですか?」
「そうだ」
国王は、低く答えた。
「新たなる魔王が現れし時、勇者を選び、これを討つべし」
空気が張り詰める。
誰もが知っている古い言葉だった。
「ですが、その神託は数百年前のものです」
宰相が慎重に口を挟む。
「現在の魔王が危険だという証拠には――」
「だから、調べた」
国王が別の報告書を開いた。
「魔王国周辺では、強力な魔獣が急激に減少している」
「……魔王軍が討伐しているのですか?」
「可能性はある」
「それだけなら、人間にとって有益では?」
「問題は、その一方で……」
国王が次の紙をめくる。
「魔王城周辺の地形まで変わっていることだ」
「地形が?」
「山の一部が崩れ、地面が砕かれている」
貴族たちが顔を見合わせる。
「戦闘の跡では?」
「分かっていない」
宰相が別の記録を確認する。
「魔王自身についても、詳しい記録がありません」
「元は人間だった男だということだけは分かっています」
「魔力測定も?」
「通常の基準では測定できなかったそうです」
「…………」
国王は、ゆっくりと書類を閉じた。
「人間を襲った証拠はない」
若い貴族が顔を上げる。
「ならば――」
「だが」
国王の声が重なる。
「正体も、力も、目的も分からない」
沈黙。
「それで十分に危険だ」
その言葉だけが。
玉座の間に重く落ちた。
――
王城の神殿。
古い石壁に囲まれた空間には、香の煙が薄く漂っていた。
勇者たちが、古びた巻物の前に立っている。
巻物は何度も開かれたのだろう。
端は擦り切れ、紙は黄ばんでいた。
「新たなる魔王が現れし時、勇者を選び、これを討つべし」
神官が読み上げる。
その声が、静かな神殿に反響する。
「これが、今回の討伐の根拠です」
「人間を襲った証拠は?」
勇者が尋ねる。
「確認されておりません」
「侵攻の記録は?」
「ありません」
「では、なぜ倒す?」
勇者の眉がわずかに動いた。
「神託だからです」
即答だった。
勇者は黙った。
納得できたわけではない。
だが、先ほど渡された報告書を開く。
そこには。
魔獣の減少。
地形の変化。
魔王国の急速な発展。
いくつもの情報が並んでいた。
「……分かった」
勇者は巻物から目を離した。
「俺は、自分の目で確かめる」
――
数日後。
魔王国へ向かう街道。
朝の冷たい空気を吸い込みながら、勇者一行が歩いていた。
乾いた土を踏むたび。
ザッ。
ザッ。
と靴音が鳴る。
前方には山々が見えている。
「いよいよだな」
戦士が肩に担いだ剣へ手を添えた。
「ああ」
勇者は前を見た。
風に髪が揺れる。
「魔王城へ行けば、答えが分かる」
その時だった。
――ドゴォォォン!
突然。
地面が震えた。
「……何だ?」
戦士が足を止める。
「今の音……」
魔術師が周囲を見回す。
「魔王軍の訓練か?」
「分からない」
魔術師の顔から血の気が引いた。
「でも……」
喉を鳴らす。
「とんでもない魔力を感じる」
勇者は一瞬だけ迷った。
だが。
「行ってみよう」
四人は音のした方へ進んだ。
木々を抜ける。
枝が肩に当たる。
葉が頬を擦る。
やがて。
木々の向こうが開けた。
「…………」
誰も声を出さなかった。
そこには。
巨大な岩山があった。
その前に、一人の男が立っている。
白いローブ。
細い身体。
遠目には、とても戦士には見えない。
次の瞬間。
「ふんっ!」
男の拳が岩へ突き刺さった。
――バゴォン!
岩が砕ける。
破片が雨のように飛び散った。
土煙が舞い。
地面へ細かな石が転がる。
「…………」
勇者たちは立ち尽くした。
「……今の、拳だよな?」
戦士の声が掠れる。
「拳だ」
魔術師が答えた。
「魔法じゃない」
男は何事もなかったように、砕けた岩を見つめている。
「まだ弱いですね」
呟く声まで穏やかだった。
「もう少し重量が必要でしょうか」
「…………?」
男は。
何でもないことのように。
足元にあった巨大な岩へ手をかけた。
ぐっ。
地面から岩が剥がれる。
「……え?」
戦士の口から声が漏れた。
男は、その岩を持ち上げた。
まるで大きな木箱でも運ぶように。
「…………!」
戦士の顔が青ざめる。
魔術師が息を呑む。
「……あれ……本当に魔族か?」
「普通ではない」
その声には、隠しきれない震えがあった。
男が岩を頭上へ持ち上げる。
筋肉が膨らむ様子すらない。
ただ。
軽々と。
「せいっ!」
――ドォォォン!
巨岩が地面へ叩きつけられた。
土が弾ける。
衝撃が足元から伝わる。
地面が陥没し、細かな石が四方へ飛ぶ。
勇者は無意識に、一歩下がった。
背中に冷たい汗が流れる。
「…………」
喉が、ひどく乾いた。
これほどの力を持つ存在を。
勇者は知らなかった。
男は、額の汗を拭った。
「うーん……」
首を傾げる。
「まだ足りませんね」
「…………」
四人の誰一人として笑えなかった。
――
やがて。
男が振り返った。
「あっ」
目が合う。
男の顔に、ぱっと表情が浮かんだ。
「旅の方ですか?」
まるで。
ただ道端で旅人を見つけたかのような声音だった。
勇者は警戒を解かない。
「お前は何者だ?」
「ドレヴァンツです」
「ここで何をしている?」
「修行です」
「なぜ?」
ドレヴァンツは少しだけ考える。
「力が足りないので」
「…………」
勇者は思わず眉を寄せた。
さっきの光景が頭から離れない。
岩山を拳で砕き。
数百トンはありそうな巨岩を軽々と持ち上げる男。
それが。
「まだまだ未熟です」
そう言っている。
冗談にしか聞こえない。
「……魔王軍の幹部か?」
「違います」
「なら、魔王の側近?」
「違います」
「では、お前は何者なんだ?」
ドレヴァンツは首を傾げた。
「ただのドレヴァンツです」
「…………」
勇者には。
ますます理解できなかった。
「勇者様」
聖女が小声で呼ぶ。
「どうしますか?」
勇者はドレヴァンツから目を離さない。
「魔王城へ行く」
そして。
「一緒に来てもらう」
「なぜです?」
「お前が何者なのか、まだ分からないからだ」
ドレヴァンツは、あっさり頷いた。
「分かりました」
その素直さが。
かえって勇者を警戒させた。
――
魔王城。
正門を抜ける。
勇者一行は。
そこで初めて。
魔王国そのものを目にした。
兵士たちが行き交っている。
役人が書類を抱えて走っている。
荷馬車が決められた場所を通り、荷を降ろしている。
市場からは食事を焼く香ばしい匂いが漂っていた。
笑い声まで聞こえる。
「…………」
戦士が周囲を見回した。
「……妙だな」
「何が?」
「魔王城だというのに、随分と平和だ」
魔術師も黙って街を眺める。
「それだけじゃない」
「全員の動きが揃っている」
誰かが命令しているようには見えない。
だが。
人々は自然に流れ。
必要な場所へ必要な物が運ばれている。
兵士たちは談笑しながらも、視線を周囲へ配っていた。
その姿に、勇者は妙な感覚を覚えた。
統制されている。
それなのに。
息苦しくない。
むしろ。
人々の表情は明るかった。
やがて。
大勢の魔族が左右に分かれて整列した。
ざっ。
ざっ。
靴音が揃う。
誰も命令されているようには見えない。
それでも。
全員の動きには無駄がなかった。
勇者の胸に、不安が膨らむ。
――もし。
こいつらが。
この組織力と。
あの魔王の力を持って。
人間の国へ侵攻してきたら。
勇者の手が。
自然と聖剣の柄を握った。
やがて。
玉座の間へ続く大扉の前にたどり着く。
巨大な扉が。
ゆっくりと開いていく。
ギィィィ……。
重い音が響いた。
――
玉座の間。
左右には魔族の重臣たち。
その視線が、一斉に勇者たちへ向けられる。
そして。
玉座には。
一人の男が座っていた。
白いローブ。
細い身体。
勇者の目が大きく見開かれる。
「…………」
声が出ない。
脳裏に。
さっきの岩山が浮かんだ。
拳。
巨岩。
陥没した地面。
――まさか。
「お待ちしていました」
男が笑った。
穏やかな声音。
勇者の喉が鳴る。
「……まさか」
「はい?」
「お前が……」
視線が。
男から玉座へ移る。
「……魔王なのか?」
玉座の間が。
しん。
と静まり返った。
男は少し考え。
「はい」
そして。
「私が魔王です」
「…………!」
四人の身体が固まった。
勇者の心臓が。
ドクン。
と大きく鳴る。
あの男が。
魔王。
さっき裏山で見せた力。
それが。
この国の王の力だった。
「勇者様……」
聖女が、震える声で囁く。
「……分かっている」
勇者は聖剣の柄から手を離せなかった。
いや。
離せなかったのではない。
離すことが、怖かった。
――
会議室。
テーブルの上には紅茶と菓子。
そして。
魔王国の資料が並んでいた。
勇者は、その中の一枚を手に取る。
「農業生産量の推移です」
ドレヴァンツが説明する。
「ここ数年で、かなり増えています」
紙に並ぶ数字。
国王から渡された報告書とも一致する。
「……本当に、国を豊かにしているんだな」
「はい」
「魔獣が減ったのも?」
「危険な魔獣は追い払っています」
「街道を整備したのも?」
「はい」
「人間との交易を始めたのも?」
「はい」
勇者は。
書類から顔を上げた。
目の前の男を見る。
「……人間を敵だと思っているか?」
「いいえ」
「人間の国へ侵攻するつもりは?」
「ありません」
「世界を支配するつもりは?」
「ありません」
即答だった。
迷いがない。
言葉を探す様子もない。
それでも。
勇者は首を振った。
「……それでも、俺はお前を信用できない」
「そうですか」
「だから、戦って確かめさせてくれ」
「分かりました」
あまりにも簡単に返事をされ。
勇者の方が戸惑った。
――
魔王城の裏庭。
土の匂いがする。
風が草を揺らす。
勇者が剣を構えた。
「行くぞ!」
踏み込む。
靴が地面を蹴った。
一気に距離を詰める。
「はぁっ!」
聖剣が唸る。
横薙ぎ。
だが。
ドレヴァンツは身体をわずかに傾けただけでかわした。
「なっ!」
空振り。
勇者の身体が流れる。
そこへ戦士が突っ込む。
「おおおおっ!」
重い一撃。
ドレヴァンツは手のひらで受け止める。
ズンッ。
土煙が舞う。
「ぐっ……!」
戦士の腕が震える。
押している。
そう思った。
だが。
動かない。
一寸たりとも。
「……嘘だろ」
次の瞬間。
「すみません」
ドレヴァンツが軽く押した。
ドンッ!
「うわぁっ!」
戦士の身体が吹き飛び、地面を転がった。
「戦士!」
魔術師が叫ぶ。
魔法陣が展開する。
「火炎球!」
轟音。
炎が飛ぶ。
ドレヴァンツは。
それを横へ跳んでかわした。
炎が地面を焼く。
焦げた匂いが立ち込める。
「まだです!」
勇者が再び斬り込む。
剣。
拳。
魔法。
何度も何度も。
だが。
当たらない。
受け止められる。
逸らされる。
転ばされる。
吹き飛ばされる。
――殺されない。
それだけは。
最後まで変わらなかった。
やがて。
勇者が地面に倒れた。
胸が激しく上下する。
「はぁっ……はぁっ……」
口の中が乾いている。
腕が重い。
身体中が痛い。
それでも。
目だけはドレヴァンツから離せなかった。
「……なぜだ」
「はい?」
「なぜ俺を殺さない?」
ドレヴァンツは少しだけ困った顔をした。
「必要ないからです」
「…………」
「戦う理由は分かりませんが、殺す理由はもっと分かりません」
勇者は黙った。
自分たちは。
本気だった。
聖剣で斬った。
命を奪うつもりで攻撃した。
なのに。
目の前の男は。
その気になれば。
一瞬で殺せたはずなのに。
一度も。
殺そうとしなかった。
「……俺たちが、本気で殺そうとしていたのにか?」
「はい」
「それでも?」
「はい」
即答だった。
勇者はゆっくりと上体を起こす。
土が制服に付着している。
肩で息をしながら。
ドレヴァンツを見た。
そこに。
憎しみはない。
怒りもない。
ただ。
本当に不思議そうに見ていた。
「……分からない」
「何がですか?」
「お前が怖い」
勇者は正直に言った。
「力だけなら、今まで見た誰よりも恐ろしい」
ドレヴァンツは黙って聞いている。
「でも」
勇者は一度、息を整えた。
「今の戦いを見ていると……」
自分の手を見る。
震えていた。
「少なくとも、お前は人間を殺したいわけじゃない」
「はい」
「そこまでは、信じていいんだな?」
「はい」
また。
即答だった。
勇者は長く息を吐いた。
「……分かった」
地面に落ちていた聖剣を拾う。
ゆっくりと。
鞘へ収めた。
「まだ全部を信じたわけじゃない」
「はい」
「だが」
勇者はドレヴァンツを見る。
「少なくとも、俺たちはお前を敵だと決めつけるべきじゃなかった」
ドレヴァンツは。
ほんの少しだけ笑った。
「そうですか」
――
その夜。
会議室。
今度は剣を抜く者はいない。
テーブルの上には、温かな料理が並んでいた。
湯気が細く立ち上る。
勇者は資料をめくった。
「それでは」
顔を上げる。
「魔王国の農業改革について、詳しく教えてくれ」
「もちろんです」
「人間の国にも使える方法があるかもしれない」
「でしたら、情報交換をしましょう」
ドレヴァンツの目が輝く。
「ぜひ」
その夜。
勇者と魔王は。
敵同士だったはずなのに。
なぜか農地の収量や水路の整備について語り合った。
――
翌朝。
まだ太陽が山の向こうから昇ったばかりだった。
冷たい朝の空気の中。
勇者一行は魔王城の門前に立っていた。
「では、帰ります」
勇者が言う。
「はい」
ドレヴァンツが頷く。
「王には、俺からも話してみる」
「ありがとうございます」
「正式な交易協定についても伝える」
「助かります」
「それと」
勇者が笑った。
「また今度、修行相手になってくれ」
「もちろん」
「次はもっと強くなってくる」
ドレヴァンツは嬉しそうに笑う。
「私も負けないように修行します」
「……」
勇者が苦笑する。
「もう十分強いと思うぞ」
「いえいえ」
ドレヴァンツは首を横に振った。
「まだまだです」
「……そうだったな」
勇者は笑った。
「じゃあ、またな」
「はい。またお会いしましょう」
勇者一行は。
街道を戻っていった。
遠ざかる背中を。
ドレヴァンツは門前で見送った。
――
「魔王様」
「はい?」
「次の問題がございます」
重臣が書類を差し出す。
「隣国から、大量の農作物の購入を求める使者が来ています」
「なるほど」
「ですが、こちらも国内の備蓄に余裕があるわけではありません」
ドレヴァンツは紙面を見る。
「では、まず必要量を計算しましょう」
「はい」
「余剰分だけ輸出します」
「承知しました」
「そして、今年の収穫量が増えた場合には――」
勇者たちが帰った後も。
魔王国の朝は。
何一つ変わらず始まっていた。
ドレヴァンツは。
いつも通り仕事を始めた。
――
神界。
二柱の神は地上を見ていた。
『……勇者まで負けたな』
『はい』
『しかし、人間と魔族を敵対させるどころか、交易まで始まりそうだ』
『ええ』
『あいつ、本当に魔王をやる気があるのか?』
『イメージとは違いますね。むしろ世界を平和にしているような気がします』
黒き神は長く黙った。
『そもそも、あの神託は我々が出したものではないぞ』
『ええ』
『人間側にも魔族側にも似た神託が残っている』
『はい』
『誰が出した?』
『分かりません』
『……我々にも分からないのか』
『はい』
『神なのに?』
『神でも、分からないことはあります』
『開き直るな』
――
その日の夜。
ドレヴァンツは。
また裏山へ向かった。
夜風が頬を撫でる。
月明かりが岩肌を白く照らす。
「もっと収穫量を増やすには……」
腕を組み。
しばらく考える。
「まずは鍬を改良しましょう」
そして。
拳を握った。
「ふんっ!」
――ドゴォォォン!
山の一角が吹き飛ぶ。
大量の岩が夜空へ舞った。
神界。
『…………』
『…………』
『……あれが、どうして鍬になるのだ?』
『分かりません』
黒き神は深く息を吐く。
地上を見る。
そこには。
月明かりに照らされた豊かな畑。
整備された街道。
行き交う荷馬車。
その先にある。
人間と魔族の町。
そして。
山では魔王が。
鍬を改良するために。
岩山を吹き飛ばしていた。
『……もういい』
『はい』
『我々が何かするたび、あいつは世界を良くする』
『はい』
『なら』
黒き神は目を閉じた。
『何もしない』
『賛成です』
――
こうして。
二柱の神は。
神でありながら。
誰よりもドレヴァンツという存在を理解できていなかった。
そして。
勇者もまた。
かつては彼を。
「危険だから倒すべき魔王」だと思っていた。
だが。
自分の目で見た。
自分の剣で戦った。
そして。
自分の命を守られた。
だからこそ。
勇者は少しずつ理解していった。
――この男は、確かに恐ろしい。
――だが、恐ろしいことと、人間の敵であることは同じではない。
そのことに気づいたとき。
勇者は初めて。
魔王を見る目を変えた。
勇者が帰った後も。
魔王国の日常は、何も変わらない。
朝になれば畑へ人が向かう。
街道では荷馬車が軋みを上げる。
市場では人間と魔族が値段を交渉する。
兵士たちは巡回し。
役人たちは今日も書類に追われる。
そして。
山では。
魔王が岩を砕いている。
ゴォン。
ゴォン。
ゴォン。
そんな轟音の向こうで。
人間と魔族の歴史は。
誰にも気づかれないほど小さな一日から。
少しずつ。
確かに。
変わり始めていた。




