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さえないおっさん魔術師は役不足と初心者パーティーを追放される  作者: 水源


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15/17

勇者一行に狙われてもおっさんは間違いなく魔術師である

 ――人間の王国。


 王城。


 勇者一行が魔王国へ向かう、その少し前。


 玉座の間には、国王、宰相、そして数人の貴族が集まっていた。


 高い天井に吊られた燭台の火が、かすかに揺れている。


 誰も口を開かない。


 重い沈黙の中。


 国王が、ゆっくりと口を開いた。


「……魔王国が、豊かになりすぎている」


「はい」


 宰相が答える。


 手元の書類を一枚めくる。


 紙が擦れる音だけが、やけに大きく響いた。


「農業生産量は、この数年で大幅に増加しております。街道や水路も整備され、魔族の生活水準も上がっています」


「人間との交易も始まっています」


 別の貴族が付け加えた。


「以前の魔王国なら、人間と争うことも珍しくありませんでした」


 宰相が、一枚の報告書を国王へ差し出す。


「ですが、現在は違います」


 国王が受け取った。


 紙面に並ぶ数字へ目を落とす。


「豊かな農地」


「整備された街道」


「安定した治安」


「増え続ける人口」


「そして、周辺諸国との交易」


 一つずつ。


 確認するたび。


 国王の眉間に刻まれた皺が深くなっていく。


「このままいけば、魔王国は周辺最大の国家になります」


「…………」


「戦争が減れば、国境の兵も減らせる」


「交易が増えれば、さらに豊かになる」


「そして、豊かな魔王国を周囲の国々が頼るようになる」


 国王の指が、玉座の肘掛けをゆっくりと叩いた。


 コツ。


 コツ。


 小さな音が、静まり返った玉座の間に響く。


「魔王が、人間を武力で倒すのではなく……」


 そこで、一度言葉を切った。


「豊かさによって取り込んでいく、ということか」


「その可能性はあります」


「……厄介だな」


 その一言に。


 誰も反論しなかった。


 ――


「しかし陛下」


 一人の若い貴族が、意を決したように口を開く。


「魔王国は、人間を攻めておりません。討伐する理由がありません」


 国王の視線が向く。


「理由ならある」


「……神託ですか?」


「そうだ」


 国王は、低く答えた。


「新たなる魔王が現れし時、勇者を選び、これを討つべし」


 空気が張り詰める。


 誰もが知っている古い言葉だった。


「ですが、その神託は数百年前のものです」


 宰相が慎重に口を挟む。


「現在の魔王が危険だという証拠には――」


「だから、調べた」


 国王が別の報告書を開いた。


「魔王国周辺では、強力な魔獣が急激に減少している」


「……魔王軍が討伐しているのですか?」


「可能性はある」


「それだけなら、人間にとって有益では?」


「問題は、その一方で……」


 国王が次の紙をめくる。


「魔王城周辺の地形まで変わっていることだ」


「地形が?」


「山の一部が崩れ、地面が砕かれている」


 貴族たちが顔を見合わせる。


「戦闘の跡では?」


「分かっていない」


 宰相が別の記録を確認する。


「魔王自身についても、詳しい記録がありません」


「元は人間だった男だということだけは分かっています」


「魔力測定も?」


「通常の基準では測定できなかったそうです」


「…………」


 国王は、ゆっくりと書類を閉じた。


「人間を襲った証拠はない」


 若い貴族が顔を上げる。


「ならば――」


「だが」


 国王の声が重なる。


「正体も、力も、目的も分からない」


 沈黙。


「それで十分に危険だ」


 その言葉だけが。


 玉座の間に重く落ちた。


 ――


 王城の神殿。


 古い石壁に囲まれた空間には、香の煙が薄く漂っていた。


 勇者たちが、古びた巻物の前に立っている。


 巻物は何度も開かれたのだろう。


 端は擦り切れ、紙は黄ばんでいた。


「新たなる魔王が現れし時、勇者を選び、これを討つべし」


 神官が読み上げる。


 その声が、静かな神殿に反響する。


「これが、今回の討伐の根拠です」


「人間を襲った証拠は?」


 勇者が尋ねる。


「確認されておりません」


「侵攻の記録は?」


「ありません」


「では、なぜ倒す?」


 勇者の眉がわずかに動いた。


「神託だからです」


 即答だった。


 勇者は黙った。


 納得できたわけではない。


 だが、先ほど渡された報告書を開く。


 そこには。


 魔獣の減少。


 地形の変化。


 魔王国の急速な発展。


 いくつもの情報が並んでいた。


「……分かった」


 勇者は巻物から目を離した。


「俺は、自分の目で確かめる」


 ――


 数日後。


 魔王国へ向かう街道。


 朝の冷たい空気を吸い込みながら、勇者一行が歩いていた。


 乾いた土を踏むたび。


 ザッ。


 ザッ。


 と靴音が鳴る。


 前方には山々が見えている。


「いよいよだな」


 戦士が肩に担いだ剣へ手を添えた。


「ああ」


 勇者は前を見た。


 風に髪が揺れる。


「魔王城へ行けば、答えが分かる」


 その時だった。


 ――ドゴォォォン!


 突然。


 地面が震えた。


「……何だ?」


 戦士が足を止める。


「今の音……」


 魔術師が周囲を見回す。


「魔王軍の訓練か?」


「分からない」


 魔術師の顔から血の気が引いた。


「でも……」


 喉を鳴らす。


「とんでもない魔力を感じる」


 勇者は一瞬だけ迷った。


 だが。


「行ってみよう」


 四人は音のした方へ進んだ。


 木々を抜ける。


 枝が肩に当たる。


 葉が頬を擦る。


 やがて。


 木々の向こうが開けた。


「…………」


 誰も声を出さなかった。


 そこには。


 巨大な岩山があった。


 その前に、一人の男が立っている。


 白いローブ。


 細い身体。


 遠目には、とても戦士には見えない。


 次の瞬間。


「ふんっ!」


 男の拳が岩へ突き刺さった。


 ――バゴォン!


 岩が砕ける。


 破片が雨のように飛び散った。


 土煙が舞い。


 地面へ細かな石が転がる。


「…………」


 勇者たちは立ち尽くした。


「……今の、拳だよな?」


 戦士の声が掠れる。


「拳だ」


 魔術師が答えた。


「魔法じゃない」


 男は何事もなかったように、砕けた岩を見つめている。


「まだ弱いですね」


 呟く声まで穏やかだった。


「もう少し重量が必要でしょうか」


「…………?」


 男は。


 何でもないことのように。


 足元にあった巨大な岩へ手をかけた。


 ぐっ。


 地面から岩が剥がれる。


「……え?」


 戦士の口から声が漏れた。


 男は、その岩を持ち上げた。


 まるで大きな木箱でも運ぶように。


「…………!」


 戦士の顔が青ざめる。


 魔術師が息を呑む。


「……あれ……本当に魔族か?」


「普通ではない」


 その声には、隠しきれない震えがあった。


 男が岩を頭上へ持ち上げる。


 筋肉が膨らむ様子すらない。


 ただ。


 軽々と。


「せいっ!」


 ――ドォォォン!


 巨岩が地面へ叩きつけられた。


 土が弾ける。


 衝撃が足元から伝わる。


 地面が陥没し、細かな石が四方へ飛ぶ。


 勇者は無意識に、一歩下がった。


 背中に冷たい汗が流れる。


「…………」


 喉が、ひどく乾いた。


 これほどの力を持つ存在を。


 勇者は知らなかった。


 男は、額の汗を拭った。


「うーん……」


 首を傾げる。


「まだ足りませんね」


「…………」


 四人の誰一人として笑えなかった。


 ――


 やがて。


 男が振り返った。


「あっ」


 目が合う。


 男の顔に、ぱっと表情が浮かんだ。


「旅の方ですか?」


 まるで。


 ただ道端で旅人を見つけたかのような声音だった。


 勇者は警戒を解かない。


「お前は何者だ?」


「ドレヴァンツです」


「ここで何をしている?」


「修行です」


「なぜ?」


 ドレヴァンツは少しだけ考える。


「力が足りないので」


「…………」


 勇者は思わず眉を寄せた。


 さっきの光景が頭から離れない。


 岩山を拳で砕き。


 数百トンはありそうな巨岩を軽々と持ち上げる男。


 それが。


「まだまだ未熟です」


 そう言っている。


 冗談にしか聞こえない。


「……魔王軍の幹部か?」


「違います」


「なら、魔王の側近?」


「違います」


「では、お前は何者なんだ?」


 ドレヴァンツは首を傾げた。


「ただのドレヴァンツです」


「…………」


 勇者には。


 ますます理解できなかった。


「勇者様」


 聖女が小声で呼ぶ。


「どうしますか?」


 勇者はドレヴァンツから目を離さない。


「魔王城へ行く」


 そして。


「一緒に来てもらう」


「なぜです?」


「お前が何者なのか、まだ分からないからだ」


 ドレヴァンツは、あっさり頷いた。


「分かりました」


 その素直さが。


 かえって勇者を警戒させた。


 ――


 魔王城。


 正門を抜ける。


 勇者一行は。


 そこで初めて。


 魔王国そのものを目にした。


 兵士たちが行き交っている。


 役人が書類を抱えて走っている。


 荷馬車が決められた場所を通り、荷を降ろしている。


 市場からは食事を焼く香ばしい匂いが漂っていた。


 笑い声まで聞こえる。


「…………」


 戦士が周囲を見回した。


「……妙だな」


「何が?」


「魔王城だというのに、随分と平和だ」


 魔術師も黙って街を眺める。


「それだけじゃない」


「全員の動きが揃っている」


 誰かが命令しているようには見えない。


 だが。


 人々は自然に流れ。


 必要な場所へ必要な物が運ばれている。


 兵士たちは談笑しながらも、視線を周囲へ配っていた。


 その姿に、勇者は妙な感覚を覚えた。


 統制されている。


 それなのに。


 息苦しくない。


 むしろ。


 人々の表情は明るかった。


 やがて。


 大勢の魔族が左右に分かれて整列した。


 ざっ。


 ざっ。


 靴音が揃う。


 誰も命令されているようには見えない。


 それでも。


 全員の動きには無駄がなかった。


 勇者の胸に、不安が膨らむ。


 ――もし。


 こいつらが。


 この組織力と。


 あの魔王の力を持って。


 人間の国へ侵攻してきたら。


 勇者の手が。


 自然と聖剣の柄を握った。


 やがて。


 玉座の間へ続く大扉の前にたどり着く。


 巨大な扉が。


 ゆっくりと開いていく。


 ギィィィ……。


 重い音が響いた。


 ――


 玉座の間。


 左右には魔族の重臣たち。


 その視線が、一斉に勇者たちへ向けられる。


 そして。


 玉座には。


 一人の男が座っていた。


 白いローブ。


 細い身体。


 勇者の目が大きく見開かれる。


「…………」


 声が出ない。


 脳裏に。


 さっきの岩山が浮かんだ。


 拳。


 巨岩。


 陥没した地面。


 ――まさか。


「お待ちしていました」


 男が笑った。


 穏やかな声音。


 勇者の喉が鳴る。


「……まさか」


「はい?」


「お前が……」


 視線が。


 男から玉座へ移る。


「……魔王なのか?」


 玉座の間が。


 しん。


 と静まり返った。


 男は少し考え。


「はい」


 そして。


「私が魔王です」


「…………!」


 四人の身体が固まった。


 勇者の心臓が。


 ドクン。


 と大きく鳴る。


 あの男が。


 魔王。


 さっき裏山で見せた力。


 それが。


 この国の王の力だった。


「勇者様……」


 聖女が、震える声で囁く。


「……分かっている」


 勇者は聖剣の柄から手を離せなかった。


 いや。


 離せなかったのではない。


 離すことが、怖かった。


 ――


 会議室。


 テーブルの上には紅茶と菓子。


 そして。


 魔王国の資料が並んでいた。


 勇者は、その中の一枚を手に取る。


「農業生産量の推移です」


 ドレヴァンツが説明する。


「ここ数年で、かなり増えています」


 紙に並ぶ数字。


 国王から渡された報告書とも一致する。


「……本当に、国を豊かにしているんだな」


「はい」


「魔獣が減ったのも?」


「危険な魔獣は追い払っています」


「街道を整備したのも?」


「はい」


「人間との交易を始めたのも?」


「はい」


 勇者は。


 書類から顔を上げた。


 目の前の男を見る。


「……人間を敵だと思っているか?」


「いいえ」


「人間の国へ侵攻するつもりは?」


「ありません」


「世界を支配するつもりは?」


「ありません」


 即答だった。


 迷いがない。


 言葉を探す様子もない。


 それでも。


 勇者は首を振った。


「……それでも、俺はお前を信用できない」


「そうですか」


「だから、戦って確かめさせてくれ」


「分かりました」


 あまりにも簡単に返事をされ。


 勇者の方が戸惑った。


 ――


 魔王城の裏庭。


 土の匂いがする。


 風が草を揺らす。


 勇者が剣を構えた。


「行くぞ!」


 踏み込む。


 靴が地面を蹴った。


 一気に距離を詰める。


「はぁっ!」


 聖剣が唸る。


 横薙ぎ。


 だが。


 ドレヴァンツは身体をわずかに傾けただけでかわした。


「なっ!」


 空振り。


 勇者の身体が流れる。


 そこへ戦士が突っ込む。


「おおおおっ!」


 重い一撃。


 ドレヴァンツは手のひらで受け止める。


 ズンッ。


 土煙が舞う。


「ぐっ……!」


 戦士の腕が震える。


 押している。


 そう思った。


 だが。


 動かない。


 一寸たりとも。


「……嘘だろ」


 次の瞬間。


「すみません」


 ドレヴァンツが軽く押した。


 ドンッ!


「うわぁっ!」


 戦士の身体が吹き飛び、地面を転がった。


「戦士!」


 魔術師が叫ぶ。


 魔法陣が展開する。


「火炎球!」


 轟音。


 炎が飛ぶ。


 ドレヴァンツは。


 それを横へ跳んでかわした。


 炎が地面を焼く。


 焦げた匂いが立ち込める。


「まだです!」


 勇者が再び斬り込む。


 剣。


 拳。


 魔法。


 何度も何度も。


 だが。


 当たらない。


 受け止められる。


 逸らされる。


 転ばされる。


 吹き飛ばされる。


 ――殺されない。


 それだけは。


 最後まで変わらなかった。


 やがて。


 勇者が地面に倒れた。


 胸が激しく上下する。


「はぁっ……はぁっ……」


 口の中が乾いている。


 腕が重い。


 身体中が痛い。


 それでも。


 目だけはドレヴァンツから離せなかった。


「……なぜだ」


「はい?」


「なぜ俺を殺さない?」


 ドレヴァンツは少しだけ困った顔をした。


「必要ないからです」


「…………」


「戦う理由は分かりませんが、殺す理由はもっと分かりません」


 勇者は黙った。


 自分たちは。


 本気だった。


 聖剣で斬った。


 命を奪うつもりで攻撃した。


 なのに。


 目の前の男は。


 その気になれば。


 一瞬で殺せたはずなのに。


 一度も。


 殺そうとしなかった。


「……俺たちが、本気で殺そうとしていたのにか?」


「はい」


「それでも?」


「はい」


 即答だった。


 勇者はゆっくりと上体を起こす。


 土が制服に付着している。


 肩で息をしながら。


 ドレヴァンツを見た。


 そこに。


 憎しみはない。


 怒りもない。


 ただ。


 本当に不思議そうに見ていた。


「……分からない」


「何がですか?」


「お前が怖い」


 勇者は正直に言った。


「力だけなら、今まで見た誰よりも恐ろしい」


 ドレヴァンツは黙って聞いている。


「でも」


 勇者は一度、息を整えた。


「今の戦いを見ていると……」


 自分の手を見る。


 震えていた。


「少なくとも、お前は人間を殺したいわけじゃない」


「はい」


「そこまでは、信じていいんだな?」


「はい」


 また。


 即答だった。


 勇者は長く息を吐いた。


「……分かった」


 地面に落ちていた聖剣を拾う。


 ゆっくりと。


 鞘へ収めた。


「まだ全部を信じたわけじゃない」


「はい」


「だが」


 勇者はドレヴァンツを見る。


「少なくとも、俺たちはお前を敵だと決めつけるべきじゃなかった」


 ドレヴァンツは。


 ほんの少しだけ笑った。


「そうですか」


 ――


 その夜。


 会議室。


 今度は剣を抜く者はいない。


 テーブルの上には、温かな料理が並んでいた。


 湯気が細く立ち上る。


 勇者は資料をめくった。


「それでは」


 顔を上げる。


「魔王国の農業改革について、詳しく教えてくれ」


「もちろんです」


「人間の国にも使える方法があるかもしれない」


「でしたら、情報交換をしましょう」


 ドレヴァンツの目が輝く。


「ぜひ」


 その夜。


 勇者と魔王は。


 敵同士だったはずなのに。


 なぜか農地の収量や水路の整備について語り合った。


 ――


 翌朝。


 まだ太陽が山の向こうから昇ったばかりだった。


 冷たい朝の空気の中。


 勇者一行は魔王城の門前に立っていた。


「では、帰ります」


 勇者が言う。


「はい」


 ドレヴァンツが頷く。


「王には、俺からも話してみる」


「ありがとうございます」


「正式な交易協定についても伝える」


「助かります」


「それと」


 勇者が笑った。


「また今度、修行相手になってくれ」


「もちろん」


「次はもっと強くなってくる」


 ドレヴァンツは嬉しそうに笑う。


「私も負けないように修行します」


「……」


 勇者が苦笑する。


「もう十分強いと思うぞ」


「いえいえ」


 ドレヴァンツは首を横に振った。


「まだまだです」


「……そうだったな」


 勇者は笑った。


「じゃあ、またな」


「はい。またお会いしましょう」


 勇者一行は。


 街道を戻っていった。


 遠ざかる背中を。


 ドレヴァンツは門前で見送った。


 ――


「魔王様」


「はい?」


「次の問題がございます」


 重臣が書類を差し出す。


「隣国から、大量の農作物の購入を求める使者が来ています」


「なるほど」


「ですが、こちらも国内の備蓄に余裕があるわけではありません」


 ドレヴァンツは紙面を見る。


「では、まず必要量を計算しましょう」


「はい」


「余剰分だけ輸出します」


「承知しました」


「そして、今年の収穫量が増えた場合には――」


 勇者たちが帰った後も。


 魔王国の朝は。


 何一つ変わらず始まっていた。


 ドレヴァンツは。


 いつも通り仕事を始めた。


 ――


 神界。


 二柱の神は地上を見ていた。


『……勇者まで負けたな』


『はい』


『しかし、人間と魔族を敵対させるどころか、交易まで始まりそうだ』


『ええ』


『あいつ、本当に魔王をやる気があるのか?』


『イメージとは違いますね。むしろ世界を平和にしているような気がします』


 黒き神は長く黙った。


『そもそも、あの神託は我々が出したものではないぞ』


『ええ』


『人間側にも魔族側にも似た神託が残っている』


『はい』


『誰が出した?』


『分かりません』


『……我々にも分からないのか』


『はい』


『神なのに?』


『神でも、分からないことはあります』


『開き直るな』


 ――


 その日の夜。


 ドレヴァンツは。


 また裏山へ向かった。


 夜風が頬を撫でる。


 月明かりが岩肌を白く照らす。


「もっと収穫量を増やすには……」


 腕を組み。


 しばらく考える。


「まずは鍬を改良しましょう」


 そして。


 拳を握った。


「ふんっ!」


 ――ドゴォォォン!


 山の一角が吹き飛ぶ。


 大量の岩が夜空へ舞った。


 神界。


『…………』


『…………』


『……あれが、どうして鍬になるのだ?』


『分かりません』


 黒き神は深く息を吐く。


 地上を見る。


 そこには。


 月明かりに照らされた豊かな畑。


 整備された街道。


 行き交う荷馬車。


 その先にある。


 人間と魔族の町。


 そして。


 山では魔王が。


 鍬を改良するために。


 岩山を吹き飛ばしていた。


『……もういい』


『はい』


『我々が何かするたび、あいつは世界を良くする』


『はい』


『なら』


 黒き神は目を閉じた。


『何もしない』


『賛成です』


 ――


 こうして。


 二柱の神は。


 神でありながら。


 誰よりもドレヴァンツという存在を理解できていなかった。


 そして。


 勇者もまた。


 かつては彼を。


 「危険だから倒すべき魔王」だと思っていた。


 だが。


 自分の目で見た。


 自分の剣で戦った。


 そして。


 自分の命を守られた。


 だからこそ。


 勇者は少しずつ理解していった。


 ――この男は、確かに恐ろしい。


 ――だが、恐ろしいことと、人間の敵であることは同じではない。


 そのことに気づいたとき。


 勇者は初めて。


 魔王を見る目を変えた。


 勇者が帰った後も。


 魔王国の日常は、何も変わらない。


 朝になれば畑へ人が向かう。


 街道では荷馬車が軋みを上げる。


 市場では人間と魔族が値段を交渉する。


 兵士たちは巡回し。


 役人たちは今日も書類に追われる。


 そして。


 山では。


 魔王が岩を砕いている。


 ゴォン。


 ゴォン。


 ゴォン。


 そんな轟音の向こうで。


 人間と魔族の歴史は。


 誰にも気づかれないほど小さな一日から。


 少しずつ。


 確かに。


 変わり始めていた。

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