水中に引き込まれるおっさんは間違いなく魔術師である
――神界。
白き神と黒き神は。
もはや、何度目になるのか分からない会議を開いていた。
『……アルティメットオーガも駄目だった』
『はい』
『あれはゴブリンより強かったぞ』
『はい』
『オーガの中でも最強だった』
『はい』
『再生能力まで持っていた』
『はい』
『なのに、最後は蹴飛ばされた』
『はい』
黒き神は頭を抱えた。
『もう陸上で戦わせるのは無理なのではないか?』
白き神が顔を上げる。
『……水中』
『うむ』
『ドレヴァンツは、これまで水上を走ったことはあります』
『ああ』
『溶岩の上も走りました』
『うむ』
『ですが』
白き神が指を立てる。
『水中で戦ったことは、まだないはずです』
『なるほど』
黒き神の目が輝いた。
『陸上ではあれほど強くても、水中ならどうだ?』
『水の抵抗があります』
『呼吸もできない』
『動きも制限される』
『視界も悪い』
『そして――』
二柱が同時に言った。
『ケルピー』
水を支配する魔獣。
馬のような姿を持ちながら、水中では魚雷のような速度で泳ぎ。
水流を操り。
獲物を水底へ引きずり込み。
決して浮上させない。
『これなら』
『さすがのドレヴァンツでも――』
二柱は。
久しぶりに明るい顔をした。
・・・
その頃。
ドレヴァンツは。
山から少し離れた湖へ来ていた。
「ふむ」
湖を覗き込む。
「最近は陸上での鍛錬ばかりでしたからね」
ドレヴァンツは考える。
「水中での鍛錬も必要でしょう」
そして。
大きく息を吸い込んだ。
「まずは潜水です」
ザブン。
水へ入る。
「……」
水底へ。
さらに。
さらに。
十メートル。
二十メートル。
三十メートル。
「なるほど」
ドレヴァンツは水中で頷いた。
「水圧もなかなか良い負荷になりますね」
そして。
水底で逆立ちを始めた。
・・・・
湖のさらに奥。
水草の陰。
巨大な影が動く。
馬のような頭。
長い鬣。
黒々とした身体。
そして。
水中なのに。
黄色く光る目。
ケルピー。
水中を支配する魔獣である。
『……見つけた』
ケルピーは。
ドレヴァンツを見つめる。
どうやら。
獲物はこちらに気づいていない。
『愚かな人間』
ケルピーは静かに近づく。
水流を操る。
気配を消す。
そして。
ドレヴァンツの足へ。
絡みつく。
――ガシッ!
「……?」
ドレヴァンツが振り返る。
「おや」
ケルピーが。
一気に水底へ引きずり込む。
――ズドォォォン!
ドレヴァンツの身体が。
さらに深い場所へ沈んでいく。
『ふふふ……!』
ケルピーは勝利を確信した。
水中では。
自分が絶対的な強者だ。
人間など。
水に引きずり込めば終わり。
息ができない。
動けない。
そして。
水圧に押し潰される。
『これで終わりだ!』
ケルピーは。
さらに深く。
さらに速く。
ドレヴァンツを引きずり込む。
百メートル。
二百メートル。
三百メートル。
そして――。
『ここならば!』
水圧。
極限。
普通の生物なら。
骨も内臓も耐えられない。
ケルピーは。
ドレヴァンツを放した。
ゆっくりと。
水中へ沈んでいく。
『終わった』
――その時。
「……なるほど」
声がした。
『……?』
ケルピーが振り返る。
ドレヴァンツが。
立っていた。
水底に。
「かなり深いですね」
『な……』
「水圧もかなりあります」
『なぜ生きている!』
「鍛えておりますので」
『そういう問題ではない!』
ケルピーが叫ぶ。
しかし。
水中なので。
声はほとんど音にならない。
「……?」
ドレヴァンツは首を傾げた。
何か言っているようだ。
だが聞こえない。
「水中では会話も難しいですね」
ケルピーは。
歯ぎしりした。
『……ならば!』
水流を操作。
巨大な渦を作る。
――ゴゴゴゴゴゴゴ!
ドレヴァンツの身体が。
渦に巻き込まれていく。
「おお」
ドレヴァンツが目を輝かせる。
「これは良い鍛錬になりますね」
『鍛錬ではない!』
ケルピーはさらに水流を強める。
『これは水流魔法だ!』
ドレヴァンツは。
ぐるぐる回りながら。
なぜか冷静に考えている。
「なるほど……」
そして。
「回転運動ですか」
ケルピーが怪訝そうに見つめる。
「……?」
次の瞬間。
ドレヴァンツの身体が。
突然。
自分から回転を始めた。
ぐるぐるぐるぐる。
『……何をしている?』
さらに高速回転。
「水流があるなら!」
ドレヴァンツは回る。
「こちらも回ればいい!」
――ズドォォォォォォン!
水中に巨大な渦が生まれた。
『な、なんだと!』
ケルピーの作った渦と。
ドレヴァンツが作った渦が。
ぶつかる。
ゴゴゴゴゴゴゴ!
水中が。
めちゃくちゃになる。
『馬鹿な!』
ケルピーが必死に水流を操る。
『俺の水流操作が押されているだと!』
「なるほど」
ドレヴァンツは。
回転しながら頷く。
「水中でも回転は重要ですね」
『だから鍛錬ではない!』
もちろん。
ドレヴァンツには聞こえていない。
・・・
ケルピーは。
次の手を使う。
巨大な水の槍。
何十本もの水流を。
一斉にドレヴァンツへ向ける。
『これなら!』
――バシュッ!
ドレヴァンツは。
足を振った。
水の槍を蹴る。
一本。
二本。
三本。
次々と蹴り飛ばす。
『水を蹴った!?』
ケルピーが驚愕する。
しかも。
蹴り飛ばされた水の槍が。
そのままケルピーへ戻ってくる。
『ぎゃあああああ!』
水流の槍が。
ケルピーの身体を吹き飛ばす。
――ドゴォォォン!
ケルピーは水底を転がった。
『……』
しばらく動けない。
やがて。
ゆっくり起き上がる。
『なぜだ……』
ドレヴァンツが泳いでくる。
「大丈夫ですか?」
『なぜ……』
「?」
『なぜ、水中で普通に動ける……?』
ようやく。
水中でも意思が伝わる方法に気づいた。
魔力を使った念話だった。
「なるほど」
ドレヴァンツも気づく。
「念話ですか」
『そうだ』
「便利ですね」
『……』
ケルピーは。
少し冷静になった。
『貴様……』
「はい?」
『水中で息をしていないな?』
「そういえば」
ドレヴァンツは首を傾げる。
「息をするのを忘れていました」
『……』
ケルピーは。
絶句した。
『息を……忘れた?』
「はい」
『三百メートル近い水深だぞ?』
「そうですね」
『普通の人間なら死んでいる』
「そうでしょうね」
『なのに』
「鍛錬していますから」
『…………』
ケルピーは。
もう何も言えなかった。
・・・
それでも。
水の魔獣としての誇りがある。
ケルピーは最後の力を振り絞った。
『ならば……』
湖全体の水が。
動き始める。
巨大な水流。
渦。
水圧。
すべてが一点に集まる。
『これを受けてみろ!』
湖底そのものが。
巨大な水の槍へ変わる。
凄まじい勢いで。
ドレヴァンツへ突き進む。
「……!」
ドレヴァンツの目が輝いた。
「なるほど!」
彼は。
足を構える。
「これは!」
そして。
水の槍へ向かって。
思いきり。
蹴りを放った。
――バゴォォォォォォン!
水圧と。
蹴りの衝撃が。
正面から激突する。
湖が。
大きく揺れた。
そして。
水の槍は。
あっさりと。
方向を変えた。
そのまま。
ケルピーへ。
『なっ――』
ドゴォォォォォン!
ケルピーが。
水底から吹き飛ぶ。
湖面まで浮上。
さらに。
その勢いのまま。
空へ飛び出した。
「おお!」
ドレヴァンツも。
湖面から飛び出す。
水飛沫。
そして。
ケルピーは。
湖畔へ叩き落とされた。
「……」
「……」
ケルピーは。
しばらく空を見上げた。
「……負けた」
そして。
自分の身体を見ながら呟く。
「俺は水中最強の魔獣だ」
「はい」
「水中なら誰にも負けない」
「そうでしょうね」
「なのに」
ケルピーは。
ドレヴァンツを見る。
「なんで水中で普通に蹴るんだ……」
「水中でも足技は使えますよ?」
「そういう問題じゃない!」
ケルピーの絶叫が。
湖畔に響き渡った。
・・・
神界。
『…………』
『…………』
『また失敗した』
『はい』
『今度は水中だぞ』
『はい』
『水圧も利用した』
『はい』
『湖そのものを武器にした』
『はい』
『それを蹴り返された』
『はい』
黒き神は。
静かに天を仰いだ。
『……もう、あいつに対して環境を変える意味がないのでは?』
白き神が答える。
『私もそう思います』
『陸上でも』
『駄目』
『洞窟でも』
『駄目』
『空でも』
『たぶん駄目でしょうね』
『水中でも』
『駄目でした』
『溶岩でも』
『駄目でしょう』
黒き神は。
しばらく考えた。
『……では』
『はい』
『そもそも戦わせない、というのはどうだ?』
『それは以前から考えていましたね』
『今度こそ、それしかない』
二柱は。
ようやく。
一つの結論にたどり着きつつあった。
――戦わなければいい。
ところが。
地上では。
「水中でもまだまだですね」
ドレヴァンツが。
湖の前で考えていた。
「次は水圧をさらに高くしてみましょう」
そして。
「一度、深海まで潜ってみるのも良さそうですね」
――ドレヴァンツは。
新たな修行場所を見つけてしまった。
『…………』
『…………』
神々は。
またしても。
頭を抱えた。
そして。
『深海には行かせるな』
『どうやって止めるんです?』
『…………』
『…………』
『……分からん』
神々の苦悩は。
まだまだ続くのであった。




