閃光の鬼女
1
人生なんて賭け、そう言い切ったディーバの視界の中で、彼女を取り囲んだ三隻の船は行動に移ろうとしていた。
ディーバを排除するための行動に、である。
ビッキャロン男爵が減速し、ピンカーソンが加速する。
ただし、ピンカーソンの場合は、アンスリウムによるロケット噴射の影響を受けない位置まで、であったが・・・。
それと呼応してエル・ドラゴもまた、船体を右に寄せてきた。どうでも、ディーバを星の河で泳がせようとの意図が明白に表わされている。
「きたわね」
徐々に狭められる行動可能範囲を3Dホロビューで見守るディーバだったが、その瞳に恐怖の色はなかった。
若さ故の勇気と、相手に対する敵愾心だけが激しい。
それでも、逃げ場がまったくないという状況には何の変化もありはしない。
それどころか、今まで以上に立場は悪くなっていくのである。
だが、範囲が狭められていく事は、この場合ディーバの望むところであった。彼女が逆転するために必要な環境が整いはじめたのだと言っても語弊はないだろう。
三者の船が限界ギリギリにまで近づいたことを確認して、ディーバは逆転劇の初めの一歩を踏み出した。
すなわち、エンジンに対して過大なリミッターをかけ、速度を急激に落としたのである。 これにより、後方に取り付いていたピンカーソンは慌てて減速、後退せねばならなくなる。
彼としても、生きたままロケット噴射で焼き殺される気はなかったのだ。
ピンカーソンの後退は、そのままディーバの行動範囲を広げたことと同じになる。そうと気づいて、ビッキャロンとエルが彼女の行動を牽制しようと動く。
だが、そこで動いたことが彼らにとっては痛恨の誤算になった。思惑が完全に裏目に出てしまったのである。
ピンカーソンの後退で開いた穴をカバーすべく、エル・ドラゴはやや後退、ビッキャロン男爵もエルの動きに合わせて、心持ち左に船を移動させたのだ。
これこそ、ディーバが待ちに待った瞬間だったのである。
ビッキャロンが動いたことで生じた右側、ディーバにとっては真正面の隙間に向け、彼女はエンジンへのリミッターを解き、フル出力、最大船速で突っ込んだ。
エンジンに対し、リミッターをかけつつもエンジンそのものには制動をかけなかった、これが理由である。
その意図に気づいたのであろう、ビッキャロン男爵は見ていて滑稽に思えるほどの狼狽ぶりで、無理矢理船体を右側に傾けてきた。 そのすぐ右には秒速22キロのエネルギーの風が壁のように佇んでいる。
もう、減速する暇はなかった。
「アンスリウムの全高は全幅の三割! ならば、いける!!」
ディーバはアンスリウムの船体を90度傾けた。
メイン・モニターでフロック号がロールしながら大きくなっていく。
そして…。
「抜けた!」
だが、この時アスフォデルはレースをつづけるうえで、最も有利な武器を半分失ってしまっていた。
わずかな隙間を目指して突進し、抜ける瞬間。フロック号と接触してしまったために、四つあるブースト用のノズルのうち、上側の二本が潰れてしまっていたのである。
これではブーストをかけたとしても、出力は最高時の半分にもならないだろう。
「チッ! しくじっちゃったわね。…でも、いいわ。あの三人が相手なら、この位ちょうどいいハンデよ」
気落ちしかける自身の気持ちを鼓舞するように呟き、ディーバは操縦悍を握り直した。
これで、性能的には四隻とも互角、ある意味、ここからが本当の勝負ということになる。
『レースも佳境を迎え、断然面白くなってまいりました。ディーバのアンスリウム、エル・ドラゴのフロックスロット、ビッキャロン男爵のグララス、ピンカーソンのタマリンド。まさに四つ巴の闘い。もはや、勝つのが誰か予想することすら難しい接戦であります』
新一、アスフォデルのことを完全に無視して、ある一部の人にとっては不愉快なことこのうえもない実況を続ける、ポンコツアナウンサー。
その声と姿、そして相変わらず四隻の船しか映さないカメラに激しい憤りを感じつつ、怒声を張り上げたい気持ちの昂ぶりに、二人のうら若き乙女は耐えていた。
二人のうら若き乙女。言うまでもなくアミルナ王女とミレィエ技師長である。
二人は一様に体を強ばらせ、息を殺してテレビの映像と音声に意識を集中させていた。両の掌も、きつく握られた拳の中で、汗に濡れている。
それでも、二人は失望も絶望もしてはいなかった。希望に頼ったりもしていない。
ただただ、自分らが欲している情報が、まったくと言っていいほど伝わってこないことに不満を持ち、怒っていたのである。
彼女たちは知っていたのだ。新一が勝負を捨ててなどいないことを、いづれ必ず追いついてくることを・・・。
今、彼女らを苦しめているのは不安でも恐怖でも、その他のマイナス感情のどれでもなく、待ち続けることの時間の長さ、見事なくくらいにそれだけであった。
「新一の奴、レディーを待たせるとは、存外だらしのない奴じゃ。帰ってきたら平手打ちの一つもくれてやらねばな」
「それでしたら、わたしは腕の一つも抓らせていただきましょう。それくらいの権利はあるはずですから」
このセリフが強がりではなく、本心から出ているのだから、彼女らの神経が外見とは裏腹に図太いことがよくわかる。
『デットヒート、まさに白熱との表現がピッタリとくる責め着合いが繰り返される中、最終チェック・ポイントが近づいてまいります。さぁ、最初にくぐり抜けるのはアンスリウム、フロックスロット、グララス、タマリンドのいづれでありましょうかぁ!!』
最終チェック・ポイントを前に意気上がる、おまえが意気を上げてどうすんだ? と思わずツッコミを入れたくなるアナウンサーの言葉が終わったとき、テレビ画面に釘付けになっていた人々は小さな異状に気がついた。
最終チェックを前にして激しく順位争いを続けている四隻の船を、後方から追うようにして岩の塊が飛んできていたのである。
2000メートルにも満たない小惑星だ。
だが、それは岩の塊にしては妙なものだった、なんといってもただの岩に推進装置などがついているはずがないのに、その岩は間違いなくロケット噴射で飛んでいたのだ。
「な、なんなのよ! あれ?」
ディーバが気付いて声を上げる。
その声は他の船、とりわけエル・ドラゴとの舌戦に備えて全開放型になっていた通信システムに乗って、周囲に広がった。
「あれ、はないでしょう。代名詞の用法を間違っているよ。ディーバさん」
「え!!」
突然、自分の名を呼ばれ、ディーバがうろたえる。その瞳には、砕け散る岩が映っていた。
内部からの爆発により破片が飛び散り、岩の中から別の何かが現れる。
金属性の何かが・・・。
「ア、アスフォデル!!」
「シン!!」
そこには紛れもないアスフォデルの雄姿があった。
2
ディーバら四隻の後ろ姿を余裕で見送った新一、勝てないとあきらめ戦線から離脱したのでは決してなかった。
勝つための最後の布石を実行するため、あえて速度を落とし、彼らに下手なちょっかいをださせないよう距離を置いただけだったのである。
それは、故障したカ所を直しつつも、前を行く四隻との差をできる限り0に近ずける。その上、必ず順位を争い足の引っ張り合いをするであろう彼らが傷つき、疲れたときにほぼ万全に近い状態で戦線に復帰するという、一石三鳥の作戦であった。
「・・・! 嫌な予感が頭をよぎった・・・。キッド。重力場コントロール装置は無事なのか?」
この作戦を実行するにあたって一番大事なことを確認していなかったこと思い至り、少なからず狼狽した新一が遅かりながら問う。 万一、正常に作動するのが五割以下にまで減少していたりすれば、新一の策は机上の空論と化してしまうのである。
「全体の三割強が破損しています、正常に作動するのは六割弱です」
キッドの報告に新一はホッと息をついた。とりあえず六割を確保できれば十分なのである。
「上等。それで充分だ。それじゃ早速、作戦開始といこう」
新一が考えた作戦というのは、一言で表わせば邪道以外のなにものでもないものであった。
重力場コントロール装置を使い。小惑星、と言っても直系が百メートルにも及ばない岩の塊を引き寄せ、船体を覆うことで防御力を高める。
無論、それだけでは岩などにぶつかろうものならアスフォデルにも被害が及ぶために重力場で引力と同時に斥力を発生させて、どんな衝撃を受けても岩が一定の距離以上、船体に接触しないように固定しておく。
そうした上で、宇宙潮流の渦の中に飛び込み、秒速22キロの風に乗って、移動しようというものだった。
こうすれば、エンジン機関そのものを停止させて、航行中はいじれないような機関部の奥にまで、修復システムを廻して修理することが可能になるのである。
「風まかせってわけだ。・・・もっとも、僕は人生そのものが風まかせだからな。いまさらなんとも思わないけど・・・」
我身に起こる事柄はすべて受け入れ、その場の成りゆきに行動の選択を任せる。
それが、そんな表現が許されるものならば、新一の人生哲学である。
自分自身以外、なにも存在しない部屋、その天井から札束が吊るされている、手をせいっぱい伸ばしてなお七十センチは遠い。
何か、踏台でもあれば簡単に取れるのだが、それもない。
そんな状況の時、人間が示す行動は大まかに分けて二種類。今のままではどうしょうもないと諦め、果報を待つタイプと、無駄とは知らず、もしくは知っていて、それでも飛び跳ね続けるタイプだ。
前者の場合、運が良ければ吊るされている糸が緩んで落ちてくる可能性がある。
もちろん、それは後者も同様だが、跳ね回ったぶん体力を無駄に消費したことになる上に、怪我をする可能性も出てくる。
どちらにしても自然に落ちてくるものならば、怪我をする可能性がないぶん前者のほうがいい。
基本的に新一は、そう考えている。
無論、そんなものは時によりけりで【漆黒の魔女】の時のように、少ない可能性に賭けることもないではないが、賭けなんてものは、特に賭けるものが自分の命や他人の命運などの場合は、しないですませられるなら、それに越したことはないのだ。
「潮流からの離脱に最適な時期、タイミングはいつになる?」
無事、潮流内への進入を果たし、船を流れに乗せるのに成功した新一が尋ねた。風任せとの自覚があるためか、妙にサバサバした口調である。
「三時間二十一分後に最も有効な角度での離脱が可能です。その角度での離脱が成功すれば、他船との時間的な差は五分以下に抑えられます。全てがシン、貴方の思惑通りに運べば、の計算でではありますが・・・」
「そうか。じゃ、とりあえず食事を済ませるだけの余裕はあるな」
まさに余裕。開き直りとも言う、であった。
レース途中で眠ってしまえる新一のこと、レースのさなかに食事をするのも異常だとは認識していないらしかった。
キッドのほうも慣れてしまったのか、呆れているのか肯定も否定もせず、無言のまま新一が宇宙食を取り出すのを見ている。
宇宙食と言うとだいたいがチューブみたいな袋に入っていて、食べるときは水を入れ、よくもんでからストローで吸って食べるものと決まっている。
そうしないで地上同様に固形物を食べようものなら、無重量状態であるために口の中で噛み砕かれた欠片が浮遊し、最悪の場合は気管に詰まらせて死んでしまう。
ただし、それはあくまで地球の科学技術での話で、重力場を自在に操れるここでは、そんな面倒なことはしなくていい。
重力さえあれば、宇宙船も地上を走る電車やバスとなんら変わりはしないのだ。
「本当に食えるのか? これ」
宇宙食とおぼしき包みを開いた新一の第一声がそれであった。
新一の目に飛び込んできた映像は、地球人の感覚から言えば、およそ食べ物とは思えない色彩を放っていたのである。
その色合いたるや、まるでラスベガスか上海か、ともかく原色の嵐であった。
それでも赤や青、紫ぐらいまでなら一瞬躊躇するだけで、食べるのに支障はない。
しかし、金や銀などの金属っぽい色で、しかも心なしか発光しているのだから、食欲が失せたとしてもやむおえないことだったろう。
「・・・食べず嫌いってのは良くないよな。見た目はともかく、成分構成的には毒じゃないんだろうし・・・」
躊躇しながら、新一はこれまで食べていたもの、アミルナと知り合ってからレースが始まるまでの十日間に食べてきたものが、実は地球人である新一にあわせて作られたもので、現実に彼女らが食べているものとは異なるのだということに気づいていた。
「ルナの奴も変なところで気を使うんだものな。あらかじめ本当の姿を見せておいてくんなきゃ、こういうときに困るじゃないか」
なかなか食事を口に運ぶ勇気が出てこない自分に苛立ちながら、新一はアミルナの焦点のズレた優しさを非難している。
実像と虚像の間にある溝を実感していたのだ。言わば映画を見せられ、それが現実だと言われていたようなものなのである。
だが、映画と現実はイコールでありえないものなのだ。
映画には必ず嘘がある、それが夢や理想を求める人々を普段の生活の中で苦しめるのである。
人は、夢を見なくては生きられない。
しかし、夢の甘さと現実の辛さには天と地ほどの開きがあり、夢を見るほどに現実に生きることが辛くなってしまうのも事実であった。
「だとしても、生きていなければ夢を見ることもできなくなる。生きるためには…食べなきゃな。見た目の不味さを嘆くより、口に入れてから味を云々するほうが建設的ではあるのだから・・・」
一人で呟き、一人で結論づけ、一人で納得し、新一は銀と金の発光する液体をスプーンのようなものですくい、口に運んだ。
「・・・! うまい!!」
目をつぶり、恐々口に入れた新一だったが、含んだ途端口一杯に拡がり、鼻孔から溢れ出すような香気と豊潤な味わいに、思わず声を上げていた。
地球の食べ物とは比べようのない、少なくとも新一には、その味を今まで食べてきていた食物に置き換えて説明することはできなかった。地球人の味覚では表現し切れない味なのである。
たんに、新一の食事メニューのレパートリーが少なすぎただけ、との見方もあったりするのだが・・・。
「シン。システムの一つにすぎない私が言うのはおこがましいかも知れませんが、私たちは今レースをしているのであって、ピクニックに来ているのではないのですよ。もう少し、緊迫感があってもいいと思うのですが」
見事なほどくつろいでいる新一に、一抹の不安を感じたのであろう。キッドが注意してきた。
「・・・じゃあ、君の言うように緊迫感を持ってレースに望めば必ず勝てるのかい? 僕みたいに余裕を持ってくつろいでいて、レース展開に支障があるとでも?」
「いえ、そんなことは・・・」
「そんなことはないよね。だったら、これでいいんだよ。これが僕にとってはベストの闘い方なんだから」
一方的に結論づけ、新一は瞳を閉じた。
寝るためではない、精神集中のための瞑想のためである。
宇宙潮流からの離脱を果たして以降の、レース展開をイメージしようとしていたのだ。 レース最後の見せ場は直線18.000光秒の典型的なスピード・コースである。
今までのような小細工はいっさい使えない。使ったとしても通じないであろう。完全な機動力の勝負なのである。
策略ならともかく、直接的な闘いには、まったくと言っていいほど自信のない新一だった。まして、乗艦アスフォデルの潜在能力については未だに、まったく判っていないのだ。
「・・・ここまではうまくいったけど、ここからはどうなるか自分でも判断のしようがない。・・・いまさら、弱音吐いてもしょうがないか。やるだけやるしかないかないものな」
3
『お聞きください、この大歓声! 惑星アタージョは、われんばかりの歓声に包まれております。もはや絶望と思われていた新一、アスフォデルの再来で嫌が応にも盛り上がる、レースの行方やいかに!! いよいよ、レースは最終18.000光秒の直線を残すのみです。勝利の女神の微笑みは誰の手に!!』
歓声をあげている本人に、その歓声を聞け。などと言ったところで意味はないと思うのだが、このポンコツアンドロイドのアナウンサーはかまわずしゃべり続ける。
もちろん、この第一声の後は再び聞くに耐えないメチャクチャな実況になったので、一般客の耳にはいっさい入っていなかった。
その実況すらも、真剣な面持ちで聞いていたのは、やはりアミルナとミレィエである。こうなることは判っていた。いや、知っていた。それでも、いま目の前で起こっていることが信じられないような思いを、二人は味わっていたのである。
それほど、新一の戦線復帰は鮮やかで、まるで計算され尽くした映画の演出かと思ってしまうほどだった。
現実に起こっていることだと、認識するのが困難になってしまうほどに…。
「う~む。新一の奴、顔に似合わず格好を付けたがるところがあるようじゃな」
アミルナは婚約者。彼女の心の中では、すでに新一の優勝は決定済みなので、の隠された一面を覗き見たような面持ちで呟いている。
もっとも、これは完全な買い被りであった。新一は別に格好を付けたわけではなく、単に楽に勝つことを考えたら、これが一番楽で安全だったというだけのことなのである。
まぁ、過大評価と我儘と恋心は、切り離すことのできないものなのかもしれない。
「あの者といると、退屈だけはせずにすみそうだな」
それが、アミルナの端的にして素直な感想であった。無論、その中には皮肉や諦めと言える気持ちも多分に含まれてはいた。
ただ、一つだけ確かなことは、アミルナが新一と共に居たいと思う気持ちに嘘偽りはなく、迷いもなかったことだけである。
「なににせよ。無事に戻ってきてくれることを祈って、待つとしょう」
「まさか、あそこから追い上げてくるとはね。さすがにあの可愛娘ちゃんが入れ込んでるだけあって、しぶといじゃないの。でも・・・これでも追いかけてこれるかしら?」
挑戦的に言って、扇情的な微笑みを閃かせたディーバが、ブースターのレバーに手を伸ばす。
ガチャン!
ほとんどの操作機器がボタン式で、音の立たない機械が多い中、妙に違和感のある機械音が響く。
同時に、アンスリウムは現時点での最高速度で突進し始めていた。
ブースターの半分が死んでいるとはいえ、機動性能重視で設計された、その機体は流星のような滑らかさで加速し、他の船を引き離しにかかる。
エル・ドラゴ、ビッキャロン、ピンカーソンの三人も愛機の限界を超える加速に移る。無駄と知りつつも・・・。
「ほ~ら、あたしに付いてこれる奴なんていやしないじゃないの」
見る間に遠ざかっていく三つの影を視界の端に認め、ディーバが嘲笑する。
しかし、その表情はすぐさま引き攣って、青ざめていった。
影の数が少ないことに気がついたのである。新一の、アスフォデルがいない。
「どこに?」
なにか、得体の知れない不安にかられ、震えを帯びた声で呟く彼女だったが、次の瞬間その疑問は氷解し、変わりに彼女自身の身体と心が凍りつくことになった。
「そんな・・・!!」
ディーバが見つけたもの、それは単なる数値の異常だった。だが、その単なる数値上の異常によって表わされる危険は、単なる、などという言葉を使えるようなものではなかった。
質量感知レーダーによって、アンスリウムの周囲の、特に後方の質量が異常に増大していることが判ったのである。
「後ろ? いつのまに!!」
新一の船、アスフォデルはアンスリウムの後方、やや上方に密着していたのだった。
その位置は、本来なら四連ブースターの上二連によるロケット噴射で、超高熱の地獄と化しているはずだったが、ご承知のように潰されてしまっているため、一種の安全地帯になっている。
「むかしむかし、キツネとタニシが競争することになりました。タニシはキツネの尻尾に捕まっていき、ゴール間際もう大丈夫、とキツネが振り返った瞬間。タニシはゴールに飛び込んで【キツネどん。わしゃ、もうついとるで】ってね。昔話や童話も、そう馬鹿にするものじゃないな。妙なところで役に立つ」
喉の奥でクックックッと笑いながら、新一が呟く。だが、その目は真剣そのもので恐いくらいに輝いている。
普段の気の弱そうな坊やとの印象を完全に払拭させるに充分な殺気を含んでいた。
「キッド。エンジンの調子を万全にしておいてくれ、惑星アタージョの大気圏内への進入と同時にアンスリウムを躱し、ゴールに飛び込む。タイミング勝負になるからな。一秒の遅れが命取りになりかねないぞ」
などと偉そうに言いながら、新一本人は、またもやコーヒー片手に寛ぐ態勢になっている。
今、新一の乗るアンスリウムは、例の重力場発生装置によってディーバのアンスリウムと連結したような状態になっているため、新一の言うようにゴール間際、躱そうとする瞬間までは、新一もキッドにしても、することがまったくないのである。
「命取りに、ですか? とても、そんなふうには見えませんが」
どうやら、もともと単なる計算機のかたまりにしかすぎなかったAI・Cシステムのキッドも、この数時間に及ぶレースの流れの中で人格らしきものを持つようになったらしい、間接的な死であるとはいえ命のやりとりをしているとは思えない新一の行動に呆れたように聞き返している。
「あぁ、命取りだよ。ルナをほかの奴に取られて平然としていられるほど、僕は恋愛経験がないからね。失敗したりしたら生きてはいけないよ」
一方的に好きになって、一方的に振られた経験はあるが、両想いでありながら別れねばならなくなる、そんな恋の経験がない新一である。
アミルナと逢えなくなったとき、自分がどんなことになるか想像することすらできずにいた。
「少なくとも、今までの僕でいることはできないだろうな・・・・・・」
『レース終盤、18,000光年の直線コースへと各選手が突入していきます。先頭を切って進むのは鮮血のプリマドンナ。ディーバ・ハマンドリア。その後方わずか数メートルの位置に、まさに吸い付くように纏わり付くのは予想外の健闘を見せています。アミルナ王女が自から連れてきた地球人の新一。その二人に大差を着けられながらも必死に追いすがるエル・ドラゴ、ビッキャロン、ピンカーソンの三人。最後に笑うのは、いったい誰なのか、これが最後の関門です!』
いわずともがなの実況と共に、二隻の船が映し出される。ディーバのアンスリウムと新一のアスフォデルだ。
この二隻は完全に密着しており、遠目で見ると一つの流星にしか見えない。
少し潰れた感じの楕円形の核から尻尾が生えている、とでも言おうか。
ともかく、それだけ接近していては互いに下手な手出しはできない。下手なことをすれば自分自身すらも危うくなることが判っているからだ。
「ゴール直前で躱そう。とか考えてるんだろうけど、そうはさせないわ。このままゴールに飛びん込めば、あたしの勝ちなんだもの。意地でも譲れないわ。 ぜ~たい、抜かせないんだから!」
「理屈も計算も完璧。あとはタイミングだけ、愛する人のためだ一生分の幸運を使い果たしたってものにしてみせるさ。勝つのは、僕だ!!」
レースも大詰め、ますます気合いの入る二つの、見た目には一つなのだが、閃光はラスト・ランに突入していった。




