漆黒の美女
1
「ルナが逃げ出したくなるわけだよ。これじゃあな」
レース前夜、出場者を歓迎するパーティーの会場内を見渡し、新一が呟く。
そこには、まるでハロウィンかと思うほどの奇妙な姿のものたちが集まっていた。
ちょっと見渡すだけでもワニ顔のゴリラだの縦に引き伸ばされたカエル、ピカソの絵から抜け出たような奴、そんなのが我が物顔で歩いている。
彼らとて皆が皆悪人と言うわけではないのだろうが、こいつらの腕にルナが抱かれる姿など見たくも考えたくもなかった。
割とまともそうなのもいないわけではないが、AI・Cのメモリーバンクに問い合わせると、その多くが両性具有のスカル星人とかいうものらしい。
言ってしまえばルナや新一と同種族のものは数えるほど、というよりまったくいなかったのだ。
「あなたね、アミルナ王女ごひいきの地球人てのは」
会場内を所在なげにブラブラしていると、妙に明るい口調で話しかけてくる美人がいた。淡雪のような白さ、見るだけでムチムチとした感触が伝わってくるような、モチ肌で細面の女性。
しかし、その頭には一本の毛も生えてはいない。
スカル星人の典型的な特徴である。
進化の収斂作用によって地球人の新一やカンターピレ人のアミルナ姫などと似通った姿をしてはいるが、彼らの先祖は地球で言うところのクラゲやナメクジ系の生きものだったらしく、体に一本の毛も生えないのである。
両性具有のスカル星人のこと、彼女も姿がそうなだけで中身は・・・考える気にならない。とにかく鑑賞するには良い素材だが、余り深い関係になろうとは想えなかった。
「そうですけど、なにか?」
「別に用はないの、ただあの可愛子ちゃんがどんな男を連れてきたのか興味があってね。ま、ルックスは合格点を上げてもいいわ。でも中身はどうかしら?」
挑戦的に言って鼻が触れ合うほどに顔を寄せてくる。
ここで弱みを見せてはなめられる。新一は後退さろうとする自身の体を気力で押しとどめ、胸を張って言ってやった。
「明日になればわかりますよ」
自然な声と表情で言ったつもりだったのだが、あまりうまくいかなかったようだ。声が裏返り口元が引きつっているのが自分でもわかる。
「ハハハハハッ! たとえ虚勢でも、それだけ言えれば上等だ。最初は大き過ぎる靴でも慣れてくれば履きやすくなる。それと同じよ」
まるで扁桃腺が腫れているのに無理して出しているような声が、話に割り込んできた。
そいつは身長2メートル以上のゴリラ。ちょっと目には某有名映画の名脇役チ○ーバッハに似ているが、こいつの顔はその倍は間延びしている。
「エル。まだ生きてたの? あんたの顔なんて見たかないわよ」
「そいつぁお互い様だぜ、ディーバちゃん」
どうやらこの二人、顔見知りらしい。
話の様子からして恐らくレースのライバル、というところなのだろう。もっとも、言葉の節々からにじみ出ているニュアンスからは仲の良い喧嘩友達としか感じられないのだが。
「今回は俺に勝たさせてもらうぜ、両性具有のおまえに、あの賞品はもったいなさ過ぎるからな」
そう言って、アミルナ王女の均整の取れた肢体を思い浮かべているのだろう。
舌舐めずりするエル。
エル、か。
図体の割には、かわいい名前だな。
そんなことを思わず考えてしまう、新一は彼自身の体の反応とは逆に、心理的には結構余裕があるようだ。
「なにいってんだい。あんたこそ自分のずうたいを考えていいな。姫様が壊れちまうだろ!」
そんなこんなで言い合う二人を見て、新一は心の底から思い、誓ったのだ。
僕以外の奴に勝たさせたりするものか!
なんぴとたりとも僕の前は走らせん!!、と。
そして、その翌日。
夜の明けぬうちから、パイロットの登録と船の点検が行なわれ、日の出と共にカンターピレ王家主催のレースは開催された。
惑星アタージョに設置されたスタートとゴールの各ゲート。
その左右に設けられた観覧席にはレース開始を今か今かと待ちわびる120万人の観客と、主催したハリードラー国王とフェティーシア王妃がいる。
アミルナ王女もまた、賞品の一つとして鎮座していた。
その心中いかばかりか、当人ならぬ身にわかろうはずもないが、新一の勝利をひたすら信じているのは間違いないだろう。
『皆さんも御存知の通り、このレースのルールは実にシンプル。こちらで用意した四つのチェックポイントを決められた順番に通過して、一番速くゴールしたものが優勝です』
この星は地球を上まわる文化をもっていると思っていたが、そうでもないらしく地球でもよく見られるテレビのアナウンサーそのもののアンドロイドがレースのルール説明を始めた。
『むろん、そのチェックポイントの近くにはアステロイド地帯や恒星風などの難所が設けられており、挑戦者を待ち受けているのです。鉄のような意志、火のような勇気、氷のような冷静な判断力が必要になるこのレース。幾多の過酷な試練を乗り越え、栄光のチェッカー・フラッグを受けるのは誰か!! 出場各位の健闘を期待しましょう! レース、スタートです』
アナウンサーの合図とともに、各船の前方で電光掲示板に示された数値が下がっていく。
5・4・3・2・1・スタート!!
一斉に飛び出していく数百隻の船、その中で新一の船だけが出遅れた。
スタートの言葉を聞いてから、たっぷり十数えてから動きたしたのである。他の船からはあっという間に離されてしまった。
「シン。急がなくてよろしいのですか? 差をつけられてしまいますよ」
シンの愛機、アスフォデルに搭載されたAI・Cシステム。正式名、AI・C対話型自動制御用思考同調機、という長ったらしい名の機械が尋ねてきた。
「すでに12エルから18エル離されています」
エルは時間と距離の単位で、一秒を表わし同時にその一秒間に光が進む距離をも表わしている。つまり、1エル=30万キロメートル。概算で360万から540万キロ離されたと言うことである。
1エル=1光秒と考えれば分かりやすいだろう。
「心配いらないよ。あのスピードのままで飛び続けるのであればね。今のペースでも充分追いつけるさ」
まだまだ余裕の新一である。
「そんなことより、データ整理と分析、軌道計算をしっかりしてくれ。僕は数学と物理は苦手なんだ。頼むよ。キッド」
キッド、このAI・Cシステムそっくりのものをいち早く取り入れた地球の某TV番組ナ○ト・ライダー。ナ○ト・2000の愛称である。このやたらと長い名前の機械を船に搭載することを決めた時点で、この愛称を使うことを決めていたと言うのだから新一の趣味推して知るべし、というところだろう。
新一の言葉に応え、AI・Cシステム。キッドはコクピットの右側にあるホロビューに先頭集団を模式化した3D映像を写し出した。
その行く手には暗黒の闇の中に佇む暗黒。ブラック・ホールがある。シュワルツシルト半径は9キロ、質量は6京トンの100億倍、危険宙域の半径は最大限3200光秒、9.6億キロに及ぶ。
こちら側から見て、そのブラック・ホールの裏側にレース最初のチェック・ポイントがある。
「10億キロ以内には近づかないほうが賢明でしょう。他の船も12億キロ以上離れて迂回するようです」
実際、ホロビューに映し出された全ての船がブラック・ホールを迂回している。
本当に優勝する気あんのか? こいつら。
勝とうとする意欲が少しでもあるんなら、危険は承知の上で多少は無理をするべきだろう。少なくとも、危険宙域である10億キロギリギリまで寄って移動するぐらいのことはしてほしいものだ。
思わず、深々とため息を漏らす新一。
その脳裏では、この障害を一気に飛び越えるためのプランができあがっていた。
「・・・って事で、軌道計算を頼む」
一瞬目を閉じ、頭の中でイメージを膨らませたあと、新一はそう指示していた。それがキッドへの初めての指示である。
キッドの正式名称はAI・C対話型自動制御用思考同調機、である。
思考の同調、すなわち新一の考えを即座に読み取り、船の動作に取り入れ、自動でイメージ通りに動かすことを前提に造られている。
従って、言葉にすると複雑に過ぎる指示でも、一瞬のうちに伝えられる上に、必要と思われるデータが欲しいと思ったその時に得られるのだった。
「可能で有効なのは認めますが、かなり危険な作戦と言えます。本当に実行するのですか?」
いかに人格を与えられているとは言え、所詮はコンピューター。失敗の確率が成功のそれとほぼ半々というのは無視できないらしく、再度確認してきた。
「あのな、キッド。なにかをしょうとするとき、少なからぬリスクがあるのは当然のことだ。で、そのリスクに見合うだけの結果を得ることができるのであれば、そのリスクを危険すぎるとは言わないんだよ」
他に勝つ方策もないことだし、とまでは口にできない新一である。
もっともその気持ちとて、キッドには筒抜けだったのだが・・・。
「とにかく、GOだ!」
2
「あの子、口の割に大したことないのね。エルの相手も飽き飽きしてるし、もっとこうアドレナリンを分泌させてくれる敵はいないのかしら」
ホロビューのエリア外に消えようとしている新一の船を見やりつつ、ディーバはぼやいていた。
「かりにもあたしが参加してるのよ。もっとこうなんて言うの? 意欲って物を見せてほしいわけよ。誠意が足りないわ、誠意が!」
周囲をただただ並走している他の船を一瞥してディーバが喚く。
彼女としては派手な撃ち合い、はルールで禁じられているから、せめて船同士の責め着合い。早い話がぶつけ合いがしたいのだ。
命ぎりぎり、生か死かという極限状態でのスリル、血が逆流するような、あの刺激があればこそレースに参加する意味があると言うものではないか。
それなのに・・・。
「その消極的な態度、許さないんだからぁ」
やにわに叫んで、ディーバは操縦桿を倒した。
一瞬にして高度を下げた彼女の船アンスリウム号の、見目にも鮮やかな赤に染めぬかれた巨大な角錐、言わば横倒しになったピラミッドを頂点から二つに割った上半分、とでも言うような機体が、そのまま地を這うようにして加速する。
・・・本当は宇宙空間に地なるものの存在するはずはないのだが、要は気分とイメージの問題である。
とにかく、彼女の船は他の船とは相対的に低い位置から、ホップする。前を行く他の船めがけて・・・。
そのまま本当にぶつかったりすれば、彼女の船とてただでは済まない。
爆発するとまではいかないまでも、航行不能に陥るぐらいはありえる。無論、彼女にもそれぐらいのことは判っていた。
「フェイ。敵船との距離と相対速度の計算、よろしくね」
一応彼女の船にもAI・Cは備え付けられている。
ただ、彼女が人格を有する高性能のものとは言え、機械に意見されることを好まないのと頭に血の昇りやすい性格であるため、フェイと名付けられたこのAI・Cは自己保存のために無口でいることを、自ら定めている。
「了解」
無感情な声が応える。
たかだか計算機ごときに感情なんぞいらん。と言い切ったディーバの要望により、感情の感じられない。
それでいて聞いていて違和感のない、ある程度渋目の声。というのがこれなのだそうだが、こればかりは彼女の感性が主体になっているので余人にはよく分からない。
声を確認し無言で一つ頷くと、彼女は前方に大写しになったターゲットを睨み付けた。
「いっけぇ~!!」
彼女の機体が、前方上部にいた船の舳、彼女に言わせれば鼻の先数ミリのところを掠め飛ぶ。
それも最大加速しながらである。
その推進力は馬鹿にならない威力があった。
一瞬にして、相手の船は艦首を蒸発させて下方に跳ね飛ばされる。
恐らくパイロットの命はもうあるまい。
「まずは一隻、潰したぁ~!!」
顔は菩薩で心は阿修羅、戦う姿は鬼神のよう。とは彼女を知る全ての人が共通して口にする言葉であるが、まさに面目躍如の行動である。
たった今乗員ごと船を宇宙の彼方へと文字通り跳ね飛ばした彼女の目は、もう次のターゲットを探している。
その気配を察したのか、彼女の周りにいた船はスーっと距離を取った。
「逃がしゃしないっての!! わたし以外の参加者なんて、みんなお星様になっちゃえ~っ!!」
言ってることは可愛いが、やってることはかなりえげつない。そのうえ彼女自身が、それを自覚しているのだから始末におえない。
「サ~クサクいくわよ。レッツ・トラ~イ」
「派手にやってくれるぜ。跳ねっ返りのじゃじゃ馬が」
口では悪態をつきながらも、口元がほころんでいくのを抑え切れないエル。
エル・ドラゴである。
彼女ディーバが暴れれば暴れるほどライバルは減っていく、自分にお鉢が回ってこない限りは楽なレース運びができると言うものだ。その上で、度重なる加速と減速の繰り返しで弱った彼女の船をぶっちぎってしまえば完璧である。
今までもそうやって勝ってきた。
経過はどうあれ、勝てなくては意味がない。
「馬鹿な奴・・・」
エル・ドラゴは、黒一色に統一されたシンプルなデザインのペット・ボトル、そうとしか表現のしようがない。愛機フロックストック号の中で呟いていた。
その憎まれ口の中に、友愛やら賞賛やらの多彩な精神作用のゆらめきがあるのを、彼自身は気付いていない。
または、気付いていないふりをしている。
体に似ず、結構繊細なところもある男なのである。女々しいと思わないでもなかったが、不思議と変えようとは思わない彼だった。
「それにしても・・・」
前方に見える赤い鏃の狂乱麗舞から、後方を映し出しているホロビューに視線を移してエルは不審そうに眉を寄せた。
「何を考えているのだ? あの小僧は。なぜ飛ばして出てこない」
彼をはじめとするレース参加者は皆、一部の例外もあるが前半はスローペースで後半に勝負を賭けようと考えている。
現に今も通常航行速度のまま飛んでいた。これは最高速度の三分の一の速さでしかなく。新一にそのつもりがあればいつでも追いつくことができるはずであった。
なのに、新一はまったく行動を起こそうとしていない。
これはなにかある。
長年のレーサーとしての勘がそう告げていた。今まで外れたことのない勘が・・・。
「ダイア。後方の船の動きを逐次教えてくれ、要注意だ」
「あいよ」
およそ機械らしくない声と言葉で、エルのAI・Cは応える。
声も言葉も、そして名前もエルの母親がモデルになっているのだ。
外見からは想像もつかないが彼はマザコンなのである。
そしてもう一つ、アミルナ王女に目をつけていることでもわかるようにロリコンでもある。両方共、軽度のもので実害のあるものではないが、気色の良いものでもない。
「おっと、その船がなんかやらかすみたいだよ。艦尾視認レーダー最大望遠。しっかりと見なよ」
気風の良い声とともに後方監視用のモニターに一隻の船が映り、ホロビューには模式化された情景と、その船が取る予想コースが表示される。
「・・・っ! んな、馬鹿な!!」
3
アスォデルは新一を乗せたままブラック・ホールの危険宙域内を通過する角度で進んでいる。
そのまま行くのであれば確実にブラック・ホールによる重力圏に捕まり、抵抗しえない巨大な重力による潮汐力が、船を紙細工のようにねじり、引き裂くであろうことは誰の目にも明らかであるように見えた。
だが、新一はスピードを緩めようとはせず、それどころか徐々に加速していく。
光さえも呑み込む重力場のために、スクリーンは底知れず暗く、理論上は可能であることを知り、AI・Cの冷徹な計算によるお墨付きを貰っている新一でさえ、やめとけば良かったと後悔の念を感じずにはいられなかった。
「おやめになるのでしたら、今のうちですよ。今なら全力で後退すれば通常宙域に出られますから」
新一の微妙な心の揺れを感じたのだろう。キッドが尋ねてくる。
「いや、このまま進んでくれ。僕は、僕は勝たねばならないんだ」
~ねばならない。なんとも嫌な言葉だな。
新一は心の中で自分自身に対して冷笑を禁じ切れなかった。
かつて、そんな言葉を口にしながら無惨にも滅んだ国や人の歴史は枚挙にいとまがないではないか、そんな連中の前例にならうつもりなのか?
人一倍歴史に強い男だけに自分の言葉や行動に亡国の衰退する様が重なってみえていることに気付かずにはいられず、かと言っていまさらやめる気もなく、もう笑うより他なかったのである。
『あいつ、死ぬ気か?』
その様子を見た各参加選手や、中継を固唾を呑んで見守る観戦者たちの誰もが、そう思わずにはいられなかった。
最大加速をかけつつ突入する姿は、篝火に群がる虫を思わせ、いずれは燃えつきる運命を感じさせた。
だが、新一も別に自暴自棄になったわけではなく、しっかりとした計算があっての行動なのである。
つまり、星が収縮してブラック・ホールとなる。
その大きさをシュワルツシルド半径と言って、その境界のことを「事象の地平線」と言うわけなのだが新一の船アスフォデルは、その事象の地平線ぎりぎりの線に突進していき、そのまま双曲線軌道に乗って船の推力に勝る速度を得て重力圏を脱っしょうと考えていたのである。
そうすれば、他の選手のようにブラック・ホールを迂回するより距離的には三割、時間的には四割から五割短縮できる。
さらに重力圏離脱のタイミングと角度をうまく調節できれば、第一チェック・ポイント通過するまでと通過後しばらくの間は宇宙空間であることの強み、一度出たスピードは何かに制動をかけられるまで同じ方向へ同じスピードのまま慣性で進み続けるという利点を最大限利用できる。
それによって本来なら出すことのできない推進力、速力を確保維持し、できうる限り後続の船との差を広げようというのが新一の狙いだった。
「急造の船じゃ、まともな勝負で他の船に勝つのは難しいからな」
新一の乗るこのアスフォデル。もともとは母船に備え付けられた緊急脱出用の小型シャトルに過ぎなかったものにブースターを取り付け、護衛戦艦の装甲を被せたようなものなのである。
一応はしっかりとした改造が施されてあって、それほどやわな造りではないはずなのだが、当然のごとくいざというときの粘り強さには不安が残る。
許されるならば、他の船とデットヒートなど演じずに済ませたい。他の船に追いつかれる前にダントツでゴールしたい。というのが新一の本音であった。
「重力圏に入ります。強烈なGがかかりますから、ご注意を」
腹立たしくなるほどの冷静さで、キッドが報告と忠告をする。
「重力場外部コントロール装置をフル稼動して内部にかかる分は相殺させろ。こんなときのための装備なんだぞ、あれは!」
叫び返す新一。
地球のジェットコースターにも乗れない新一である。
自分のGに対する耐久力に自信が持てないのはもっともなことであった。
そのことに危険を感じるのも・・・。
新一の指示を受け、キッドは無言でコントロール装置を最も有効と考えられる位置へと移動させた、らしい。
と、言うのはコクピットの中から船の表面を眺めることなどできはしないから、モニター表示で確認するしかないのだ。
この船アスフォデルの表面には縦横無尽のレール、他に言いようがない、が敷かれてあってその上に約百台の重力場コントロール装置が乗っている。だから状況に応じてコントロールする角度や強さを任意に変えることができるのだ。
「重力圏突入10秒前、…5・4・3・2・1・突入!」
キッドのカウントが終わっても、コクピッドの新一には何の影響もない。一瞬の気圧変化で耳鳴りがした程度である。
しかし、船の外部では間違いなく強烈な重力場がアスフォデルを「事象の地平線」へ没し去ろうと掴みかかってきているのだ。
「この先は、キッド、おまえに任せる。当初の計画通り、うまくやってくれよ。僕は少し寝る」
すぐ横にブラック・ホールが口を開け、今にも自分を呑み込もうと言う状況下にいて、寝ると公言できるあたり、豪胆と言うべきかなんなのか、ともかく新一はそう言ってすぐシートを倒して寝る支度をする。
「なにを!!」
いかに感情の起伏が少ない人工人格とはいえ、これには驚いたらしくキッドが声を上げた。
口調はそのままなのだが音声が1オクターブほど高くなっている。
「どうせ、次の第二チェック・ポイントの周辺宙域まで、このまま慣性飛行を続けるんだし、その間は僕にはすることがないんだもの。寝たっていいだろう?」
当たり前のことのように言う新一、確かに彼の言うようにしばらくの間はキッドの軌道計算にもとづいて導き出された角度で重力圏を脱し、そのまま慣性で飛ぶだけなのだから、パイロットの出る幕はないのだが、しかし、それにしても・・・。
「寝ますか? 普通、この状況で」
「人事を尽くして天命を待つ。僕にできることはした。あとは結果を見るだけだよ。いくら背伸びをしたところで手の届かないことに神経すり減らすより、いざというときのために力を温存しておくほうがいいだろ」
これは相当に無責任な発言をしているな。
自分でも苦笑しながら、新一は大きく口を開け、あくびを一つすると長椅子状態になったシートの上に丸くなり、目を閉じた。
「・・・重力圏離脱まで、あと三十秒。重力場コントロール解除。離脱角度…理想コースの許容誤差内。離脱10秒前、・・・4・3・2・1・離脱!! 各種センサーに異常なし、船の損傷を認めず」
完全に寝る態勢の新一に、それでも律儀に報告を続けるキッドである。それを聞いているのかいないのか、新一は目を閉じたまま応えない。
「第一チェック・ポイント接近中。・・・・・・第一チェック・ポイント通過!」
『第一チェック・ポイント。【漆黒の美女】をトップで抜けたのは、今回の賞品でもありますアミルナ・プライン・カンターピ王女自らが連れてきたと言う、辺境の惑星地球出身マユムラ・シンイチだ~! それにしましても、ブラック・ホールの超重力圏を逆に利用して最大加速を更に上回る推進力を得ようとは、なんとも思い切った作戦と言えるでしょう。他の選手もこれには度肝を抜かれたか、一斉にスピードを上げるが、これは追いつけない!!』
中継カメラを見ながらのアンドロイドアナウンサーの声と、新一の船アスフォデルの雄姿は全宇宙の観戦者を驚かせるのに充分なものであったが、それ以上に驚いたのは他の参加者たちであった。
最終チェック・ポイントまでは、このまま一塊になっての単調なレース運びとなるはずが、一気に先頭に出た新一のおかげで必死の追撃をしないわけにはいかなくなった。
のんびり、ゆっくり行って他の船が潰し合うのを傍観し、それらが自滅するのを待つという手も無くはないが、1200光秒以上の差をつけられては、それもままならない。
別の障害で足止めされることを期待しつつ、最大船速で追いかけるしかないのだった。
「クソッ! 見かけのひ弱さにだまされた。あんな大胆な作戦でくるとはな。だが、最後に笑うのがおまえと決まったわけではないぞ。優勝は俺が貰う!!」
エルが歯ぎしりし。
「やるじゃないの、坊や。ぞくぞくするほど楽しい、久々に燃える展開だわ。本気でいくわよ!!」
ディーバが燃える。
他の参加者にしても思いは似たようなものだろう。
昨日今日にポッと出たような、ど新人の小僧にこのまま勝たせてなるものか!!
新一の見事すぎる作戦が、レース参加者と観戦者の全ての闘志と心に油を注いで火を付ける皮肉な結果になったわけだ。
『トップを行くアスフォデル号は早くも第二チェック・ポイントのエリア内へと突入する。そこで彼を待つのはフレアとコロナ、星の溶鉱炉恒星アレグロの灼熱地獄、100万度の熱波が彼に襲いかかります。果たして、無事に通り抜けることができるのでありましょうか!! また他の選手が追いつくことは可能なのでありましょうか!! レースは未だ始まったばかり、何が起こるか分かりません。この後も、このチャンネルでお送りします。テレビの前の皆さん、どうぞお見逃しなく』
これはマラソンのテレビ中継だったのか? 船の通信回線に入ってくる、レース中継でのアンドロイドアナウンサーの最後の一言に、思わず含み笑いをする新一である。
このノリはほとんどそれに近いような気がする。
新一としては、F-1中継並みの軽快さが欲しいところだったのだが、宇宙空間などというだだっ広いところではスピードの乗った実況は望むべくもないのかも知れなかった。
「まっ、気長にやるさ。焦っても仕方ない、一休み、一休み」




