第24話 代理人の訂正
王都法院の受付窓口は、朝から人でごった返していた。
賃貸の争いを抱えた老夫婦、給金を求める職人、封印した箱を胸に抱く貴族の家令。誰もが自分の書類だけは先に読ませようと、窓口の前で肩を押し合っている。
リツは列へ並び、訂正申立書を両手で持っていた。
紙は薄い。それでも初回の申立書より重く感じる。
順番が来ると、書記官は訂正書を読み、二度だけリツの顔を見た。問い詰めることも、慰めることもない。初回の原本を保管棚から取り出し、同じ綴り紐で結ぶ。
最初の申告と、後から出た原本と、それを受けて狭めた請求が、これからは一緒に残る。
受理印が紙へ落ちた。
「保全の範囲は、既存の屋号、店舗、製法、契約前に作られた備品に限定。共同資金については対象外。その範囲だけ、査問日まで継続を求める。相違ありませんね」
「相違ありません」
書記官は控えにも印を押した。限定された保全は査問日まで延長された。なぜ緊急の保全を求め、原本が出た翌朝に範囲を狭めたのかは、査問会で問われる。それまでは文字だけが先に公の棚へ入った。
法院の門を出ると、セドリックが石段の下で待っていた。
「受理されましたか」
リツが控えを渡す。彼は立ったまま目を通し、依頼人の秘匿だけでなく、緊急保全を選んだ経緯まで記した行で指を止めた。
「ここは伏せる余地があった」
「横領が判明したので範囲を訂正する、とだけ書くこともできました」
「それなら、なぜ」
「なぜ法院の力が先に動いたのかを隠せば、次に読む人にはリーゼさんだけが嘘をついたことになります」
門前を荷馬車が通り、冬の風が受理票を鳴らした。セドリックの指は紙の端を押さえたままだった。
「査問会では、私も経緯を証言します」
「監察院の仕事ではないでしょう」
「保全の危うさを警告したことも、原本が出た翌朝にあなたが範囲を狭めたことも見ています」
「私の不利な証人になりますよ」
「事実を話す証人です」
受理票が返される。彼の手袋の指先は、紙だけでなく、冷えていたリツの指へ一瞬重なった。
リツが手を引くと、セドリックは何も言わず石段を降りた。
その夜、ホノカの営業が終わっても、リツは厨房の作業台から離れられなかった。
契約を一条ずつ書き写し、譲渡された権利と、書かれていない権利を左右へ分ける。屋号。店舗。製法。焼き型。祭りへの出店歴。母親の名で交わされた仕入れ契約。
頭は動いているのに、同じ一行を三度読んでいた。
背後で扉が開く。
「まだ続けるのですか」
セドリックだった。昼と同じ外套を脱ぎ、椅子の背へ掛ける。
「少し、調べ物が」
「昼食は」
リツは答えず、次の頁へ手を伸ばした。
「夕食は」
「今は食べても味が分からないと思います」
「味が分からなくても、腹は減ります」
セドリックは売れ残りの籠からライ麦パンを一つ取り、代金を置いた。黒い皮を両手で割り、半分をリツの書類の上へ置く。
「紙に油がつきます」
「では、持ってください」
「命令ですか」
「あなたが倒れると、証言する機会がなくなる。実務上の要請です」
リツはパンを持った。ライ麦の酸味が舌へ戻ってくるまで、二口かかった。
セドリックも向かいで食べる。励ましも、提出した訂正書の評価も口にしない。作業台に残る焼き印のついた半分を見ても、理由を訊かなかった。
「ありがとうございます」
「代金は払いました」
「そういう意味ではありません」
セドリックの手が、二つ目を割ろうとして止まった。
表の戸を叩く音がした。
夜間配達の腕章をつけた使者が、王都法院の封書を持っている。ダミアン側から提出された、訂正申立てへの反論書だった。
リツは指の粉を払って封を切った。
『申立人リーゼによる横領の事実を認定する。よって共同経営者である当方は、損害を補填するため、同女が所有するすべての事業資産を直ちに差し押さえる権利を有する』
セドリックが横から読み、契約書へ手を伸ばす。
「すべての事業資産」
「問題は、その『すべて』に何が含まれるかです」
リツは食べかけのパンを皿へ置いた。
今度は空腹を忘れたのではない。残りを食べてから、反論書を開き直した。




