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その婚約破棄、無効です ~前世弁護士のパン屋店主、契約書で理不尽を詰ませます~  作者: 他力本願寺


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第17話 妻を病人として処理する

手紙は、焼却を逃れた唯一の控えだった。


 紙面には三年間の計画が、事業報告のような文体で記されている。


 満期には妻の持参金を充てること。子が生まれれば財産が保護されるため、妻を寝室から遠ざけていること。期限が来れば、医師の証明を用いて妻側の身体的事情として処理すること。


 エレノアは途中で読むのをやめなかった。自分の名が出てくるたび、指先でその行を押さえた。


 最後には、新たな持参金を持つ後妻を迎える予定まで書かれていた。


 ヴィクトルと一緒に店へ来た女が、その一行を爪で叩く。


「私の名前は、どこにもない」


「あなたも次の妻になると約束されていたのですね」


 エレノアの声に責める響きがないことが、かえって女の顔を歪めた。


「指輪を選ばせると言われたわ。あなたとの離縁が済んだら、春には家へ迎えると」


「私の寝室へ来ない夜、あなたのところへ?」


 女は首を横へ振った。


「月に二度か三度。商談が忙しいのだと思っていた。あなたを避けるために、私の家へ通っているふりまでしていたのね」


 自分が選ばれた証だと信じた時間まで、計画の道具だった。


「あなたを笑ったことは謝る」


 女は膝へ置いた手を握った。


「でも、騙されていたから許してなんて言わない。私が言ったことは、私が言ったことよ」


 エレノアは差し出された手紙を受け取った。


「許しません」


 女の肩がわずかに落ちた。


「ただ、この紙を持ってきたことは受け取ります。書斎のどこにあったか、査問会で証言してください」


「するわ」


 二人は手を取り合わなかった。傷を消す言葉も交わさない。同じ男の嘘に、別々の場所から背を向けただけだった。


 リツは手袋をつけ、手紙を証拠袋へ収めた。


 一通だけなら、盗んだ女が偽造したと反論される。書斎の引き出し、封蝋、債権者名。誰の手を経て届いたかだけでなく、受取側にも同じ内容が残っていると示さなければならない。


「引き出しの鍵は?」


「ヴィクトルの上着から取ったわ。戻してある」


「手紙以外に触れましたか」


「同じ封蝋の控えが二通、炉へ入るのを見た。残ったのはこれだけ」


「この紙を見た人は」


「私と、ここにいる三人だけよ」


 リツは一つずつ記録した。自分が失わせた控えの代わりを、相手の手元から取らなければならない。


 医師は対面診察をしていないと認めたが、ヴィクトルの指示は否定している。手紙が加わっても、まだ本人の言葉を固定する必要があった。


 債権者は最初、取引先を守るとして受領簿の開示を拒んだ。


 リツはその夜、第三者記録の保全請求を書き直した。焼け残った封蝋の型と債権者名を添え、セドリックの確認を受け、翌朝もう一度窓口へ出した。受領簿を押さえられたのは、査問会前日の夕刻だった。


 そこへ法院から召喚状が届いた。


 ヴィクトル側の証人欄に、エレノアの元侍女の名がある。


「あの子には、伯爵邸に残した家族がいます」


 エレノアはそれだけ言い、証人の名を指で覆った。


 数日後、第二査問会が開かれた。


 高い窓から入る冬の光が、証言台だけを白く照らしている。


 ヴィクトルは店に来た時と同じ、いたわり深い夫の顔で立った。傍聴席には、ホノカで彼の話を聞いた洗濯女や御者の姿もある。


「妻は病を恥じ、私を寝室へ入れなかった。私は毎晩扉を訪ねたが、彼女の意思を尊重して無理に開けなかったのです」


「三年間、ほぼ毎晩ですか」


「そうだ。夫としてできる限りのことをした」


 リツは数字を繰り返させ、書記へ記録を求めた。


 次に診断書の日、医師が王都にいなかった通行記録を示す。


 ヴィクトルは驚いた顔を作り、医師の記章へ視線を向けた。


「それは私も初めて知った。医師が独断で不正確な証明を作ったのなら、私も被害者だ」


「診断書の作成を依頼していない?」


「一度も。病名を指定したことも、代金を払ったこともない」


 リツは答えを復唱せず、書記のペンが止まるのを待った。


 続いて寝室の鍵を訊く。


「妻が内側から施錠していた。私は鍵を管理したことも、外から閉めたこともない」


「一度も?」


「一度もない」


 その供述も紙へ落ちた。


 元侍女が呼ばれた。


 青ざめた彼女は、ヴィクトルの横を通る時だけ足を止めた。証言台からエレノアを見ようとしない。


「奥様は毎晩、内側から鍵をかけておいででした。旦那様が扉を叩いても、開けようとはなさらなかったのです」


「あなたは、奥様が鍵を回すところを見ましたか」


「いいえ。私は、扉の前に」


「室内へ入ったことは?」


「ございません」


「伯爵が鍵を持っていないことを確認しましたか」


 元侍女の唇が動いた。視線が一度だけ、家族を残した主人の方へ滑る。


 リツは答えを迫らなかった。


 彼女が直接見たのは、閉じた扉と、扉を叩く主人だけだ。誰が鍵を持ち、扉の向こうがどうなっていたかは見ていない。


「証人が見た範囲は分かりました」


 リツは元侍女から一歩離れ、一冊の帳簿へ手を置いた。


「では、伯爵ご本人の証言どおり、三年間の鍵の管理記録を確認しましょう」


 ヴィクトルの指が、椅子の肘掛けを掴んだ。

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