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第5話「観測者」

 

 潮風が石段を吹き抜け、海藻の湿り気を含んだ匂いと、鉄の錆びた匂いを運んでくる。


 渡来の岸の外縁にあたる開けた草地では、何十人もの新規プレイヤーたちが歓声を上げていた。

 低酸素環境への適応力を持つ大柄な山人やまびとが野太刀を振り下ろし、細身の人間種が手に持った木の杖から頼りない小火球を放って拍手を送る。

 彼らは一撃の威力を数値化するバトルログの明滅に目を輝かせていた。


 その狂騒から数十メートル離れた日陰の岩場に、私は屈み込んでいた。


「なるほど。

 海流の影響による微小な塩分付着と、午前中の日照条件が、葉の表面を覆うクチクラ(キューティクル)層の厚みを変化させているわけか」


 人差し指で青紫色の芽を軽く摘み、葉脈の弾力を確かめる。

 港の濡れた石畳に生えていた標準的な

『紫芽草』

 とは異なる、塩分耐性を獲得した沿岸性の近縁種


 ——『沿岸紫芽草』だ。

 湿った土から引き抜いた根の匂いを嗅ぎ、細根の密度と土の付着具合を観測ログに記録していく。


 すれ違う山人の戦士職のプレイヤーが、大剣を肩に担ぎながら不審そうな視線を投げてきた。


「おい見ろよ、あの装備

 ……薬草採取人だろ? 

 さっきから雑草を一本ずつ抜いては、ずっとメモを取ってるぞ」


「妙な奴だな。

 戦いもせず何をしているんだ?」


 無知な噂話を雑音として意識の外へ追いやり、私は手元の

 [簡易薬草図鑑]

 の余白へ文字を刻み続けた。


 沿岸紫芽草の観察を終え、私は岩場の奥、直射日光が完全に遮られた湿った陰地へ移動した。

 そこに群生していたのは、ハート型の暗緑色の葉と、ツンと鼻を突く特有の精油臭を放つ草


 ——『心葉草しんようそう』だった。


「ほう……

 精油成分と多糖類、そして少量のフラボノイドを保持する個体群か。

 刺激臭は強いが、多糖類による粘液は胃粘膜の保護作用を持ち、他の有効成分の吸収速度を平滑化させる緩衝特性が期待できる」


 ピンセットで葉柄の付け根を慎重に摘み取り、生体組織を潰さないよう試薬袋へ収めた。


 潮打ちの岩場に自生する沿岸紫芽草や香附草こうふそう

 日陰の湿地に群生する心葉草や甘露葉かんろよう

 そして傾斜地の草地に広がる接骨草せっこつそう車前草しゃぜんそう香蓬かおりよもぎ現証草げんしょうそう千苦草せんくそう明眼草めいがんそう


 渡来の岸の異なる環境帯に自生する10種の植物について、名称や生息地に加え、日照角度と塩分ストレスによる変異傾向、葉を破砕した際の粘度変化、推定される有効成分の局在部位を記していく。

 有志によってゲーム内掲示板へ共有されている非公式データベース

 [無名の道しるべ]

 の環境軸を参考にしつつ、私自身の観察結果を生体反応の視点から追記していった。


「10種の採取と基礎観測ログの記録完了だ。

 受付へ戻るとしよう」


 ◆


 緑十字商会の薄暗い支部に入ると、年配の人間種の職員がカウンターで古い帳簿をめくっていた。


「ほう、戻ったか。

 渡来の岸周辺の10種、集まったかね?」


「ああ。

 登録処理を完了した」


 私が手元の

 [簡易薬草図鑑]

 を差し出すと、職員は羊皮紙のページを何枚かめくり、後半に書き込まれたページでぴたりと手を止めた。


 本来なら名前と発見場所程度が走り書きされるはずの羊皮紙の余白に、びっしりと細かい文字で観測データが敷き詰められていた。


 [登録名:心葉草しんようそう

  ・生息環境:渡来の岸・北西側日陰岩隙(標高3.5m/微気候:高湿度・日照制限)

 ・形態的特徴:心形(ハート型)の暗緑色葉。表皮組織下に精油腺が発達。

 ・生理・成分推測:組織破砕液に特有の芳香と高粘性(多糖類およびフラボノイド化合物の複合体)。熱に対する構造保持力は中程度。

 ・想定薬効・生体作用:外用において局所抗炎・粘膜保護作用を発揮。経口投与時は共存する他成分の吸収速度を平滑化する緩衝効果を持つ。

 ・採取推奨条件:精油成分の揮発を防ぐため、日照前の冷涼な時間帯か陰蔽部から、組織を損傷させない剪断摘出を推奨。


「……おい、なんだこれは。

 ただの初級採取依頼だぞ。

 普通は

『海岸の岩場にあった』

 の一行で終わるんだが、初級依頼の範疇を完全に逸脱しているぞ」


「事実を観測し、正確に記録したまでだ。

 何らかの不備でもあったかね?」


「不備どころか……」


 職員は眼鏡の奥の目を丸くし、台帳へペンで何事かを素早く書き込んだ。


「ここまで高精度な環境データが一度に持ち込まれたのは久しぶりだ。

 組合内評価を修正させてもらう」


『初期依頼①[薬草図鑑10種の採取および登録]を達成しました』

『報酬:100PANACEAクレジット、[簡易鑑定ツール]を獲得しました』


 視界にシステムウィンドウが明滅し、アイテム欄に小さな真鍮製のルーペに酷似した道具が追加された。

 それをタップして起動し、先ほど採取した心葉草へかざしてみる。


 [名称:心葉草]

 [品質ランク:D(標準)]

 [分類:全草類/湿生]


 従来の単純な「Eランク」表示から一歩進み、分類名と標準的な品質が出現した。


「なるほど。

 対象の形態的分類と、市場で扱われる一般的な品質基準が視認可能になったわけか。

 だが、やはり有効成分の含有量や、受容体への影響評価までは届かないな」


「当たり前だ、それはただの鑑定ツールだ」


 職員は苦笑しながら、カウンターの引き出しから上質な羊皮紙を一枚取り出した。


「本来ならもう少し簡単な採取をこなしてから渡すところだが……

 お前のような異常な観察眼を持つ者なら、この調合依頼を試してみる価値はあるかもしれん。

 渡来の岸の住人からの個別依頼だ」


 [新規依頼②:不眠に効く薬を作ってほしい]

 [依頼主:石段の民区の住人]

 [概要:長引く不眠症に悩む住人のため、副作用のない鎮静薬の調合・納品]


「不眠症状の改善か。生体反応としては中枢神経活動の適度な鎮静、または交感神経の過剰緊張の緩和というわけだな」


「作れるか? 

 単に薬草を擂り潰しただけの未熟な調合品では、効果が出ないどころか依頼主の体調を壊しかねんぞ。

 乾燥や抽出、必要なら減圧蒸留などの工程が必要なら、奥の『調合室』を使うといい。温調付きの加熱炉やガラス蒸留器、粉砕器具が一通り揃っている。

 ……ただし、設備の維持費として貸出は有料だ。

 1時間につき20クレジット取るがな」


「温度制御された熱源と精密な抽出器具が担保されているなら、設備利用料を支払う価値は十分にあるな。

 仮説を立て、用量を計算し、適切な成分を抽出するだけだ。問題ない」


 私が依頼受諾の手続きを済ませていると、掲示板の側で、寒暖差に強い厚い皮膚を持つ荒人あらびとと人間種の二人の行商人が噂話を交わしているのが耳に入ってきた。


「……へえ、潮幸組合ちょうこうくみあいの港の方でも変な奴がいるもんだな」


「ああ。獲れたての新鮮な魚をすぐに売らずに、わざわざ妙な温度で何日も寝かせてるらしい。

『熟成で旨味が変わる』

 とか言ってる変わり者の漁師だそうだ」


 片方の行商人が呆れたように鼻を鳴らす。


「鮮度が命の魚を寝かせるなんて、腐らせて捨てるようなもんだろ。

 市場評価も散々らしいぜ」


 死後経過時間に伴う自己分解オートリシスの制御


 ——ATP(アデノシン三リン酸)の分解代謝とアミノ酸生成の時間経過の制御か。


「新鮮さという表層的な価値に囚われ、時間による分解過程を無視している市場評価は、実に非科学的だな」


 私は小さく呟いた。

 海洋域で時間の閾値を検証している者がいること自体は興味深い。

 だが、他領域の動向がどうあれ、今の私の最優先課題には無関係だ。


「中枢神経の過剰興奮を鎮静するには、過剰投与による無理な麻痺ではなく、閾下投与

 ——すなわち過不足のない最小有効量で神経系を静める設計が必要だ。

 まずは必要な素材の調達のため、石段の民区へ向かうとしよう」


 私は商会の購買で100クレジットの一部を使い、精密ピンセットや防護用革手袋、遮光小瓶などを購入した。

 さらに、夜の調合を見越して採取したばかりの心葉草を共用乾燥棚へセットし、脱水処理を仕込んでから坂道の奥へと続く石段へ足を踏み出した。

[SYS_LOG::MITRA_CORE_IMMUNE]

[EVT_TRACE::SESSION_02_SAMPLING]

├─ FIELD_GATHER :: ENTITY_882109-DOSE :: MULTI_SPECIES_SAMPLING (N=10)

│ ├─ SPECIES: [ENGAN_SHIGASOU], [KOUFUSOU], [SHINYOUNSOU], [KANROYO],

│ │ [SEKKOTSUSOU], [SHAZENSOU], [KAORIYOMOGI], [GENSHOSOU],

│ │ [SENKUSOU], [MEIGANSOU]

│ └─ OBSERVED_DATA: MICRO_CLIMATE_DENSITY x ACTIVE_COMP_CONC

├─ QUEST_CLEAR :: ID_Q_001 [HERBARIUM_10_SPECIES] -> EVAL_SCORE_OVERFLOW

│ ├─ REWARD_GRANT: +100_CREDIT / TOOL [SIMPLE_APPRAISER_TOOL]

│ └─ RATING_ADJUST: AGENT_NPC_CLERK (RACE: HUMAN) -> SCORE_UP

├─ ITEM_APPRAISE :: TARGET [SHINYOUNSOU_RAW] -> RANK_D (WETLAND_VEG)

├─ QUEST_ASSIGN :: ID_Q_002 [INSOMNIA_SEDATIVE_REQ] -> INDIVIDUAL_NPC_8021

│ └─ FACILITY_PERM: LAB_RENTAL_PERM_OPEN (COST: 20_CREDIT/HR)

├─ CROSS_SIGNAL :: OCEAN_DOMAIN_RUMOR_PARSED

│ ├─ SOURCE_AGENTS: AGENT_MERCHANT_01 (ARABITO) / AGENT_MERCHANT_02 (HUMAN)

│ ├─ PAYLOAD : "FISH_AGING_AUTOLYSIS_CONTROL" (NODE_UID_7012_MINATO)

│ └─ DOSE_ANALYSIS: "ATP_DEGRADATION_TIME_AXIS_CONTROL"

├─ SHOP_BUY_EXEC :: SPEND_CREDIT = 45 -> [PINSET_BRASS, GLOVE_LEATHER, BOTTLE_SHADE_x3]

├─ DRYING_QUEUE :: DEPOSIT [SHINYOUNSOU_RAW] -> LOW_TEMP_DEHYDRATION (QUEUE_TIME: 4.0hrs)

└─ POS_TRANSITION:: ENTITY_882109-DOSE -> ZONE_MEBIUS_L1 [ISHIDAN_RESIDENTIAL]

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