第3話「誰も来ないギルド」
指先の腹に残った分泌液は、微かな粘性と、軽い刺激感を皮膚に伝えていた。
紫がかった葉の断面を観察する。
表皮のすぐ下にある維管束の走行、毛状突起の密度。
指を離すと、薄青いシステム光が視界に小さく明滅した。
『基礎スキル[採取]を実行しました。
[紫芽草]を獲得しました』
『基礎スキル[鑑定]を実行しました』
透過ウィンドウが空中に一枚浮かび上がる。
[名称:紫芽草]
[品質ランク:E(粗悪)]
それだけの無機質なテキストが表示され、光はあっけなく消えた。
「……実に大雑把な鑑定機能だな」
私は立ち上がり、濡れた指先を布地で拭いながら呟いた。
「名称と品質表示だけか。
アルカロイドの含有率も、基本的な化学的性質すら表示されない。
これでは毒性域か治療域かの判別など不可能だ」
『プレイヤー:ドーズ様』
私の呟きに応じるように、宙に浮遊する青い球体
——案内用AIのナビが、柔らかな合成音を発した。
『現在解放されている初期スキル[鑑定]は、対象の標準的な分類名および品質ランクを可視化する仕様となっております。
より高精度な情報を得るには、専門職としての実績構築が必要です』
「有効成分濃度や薬理パラメータのウィンドウは、どの設定項目に隠されているのかね?
このシミュレーションエンジンが分子レベルで演算を行っている以上、データそのものはサーバー側に存在するはずだ」
『申し訳ございません。
該当するパラメータ表示機能は、現在の一般インターフェースには存在いたしません』
ナビの返答は即座だった。
だが、一拍の間を置いて、青い球体の表面に走る光のパターンが不規則に揺れた。
『……興味深いご要望です。
一般アクセスアカウントからの要求としては、サービス開始以来、成分濃度や薬理パラメータの数値出力を求められたケースは本件が初めてとなります。
他のプレイヤー様のほぼ全ては、ダメージ数値や攻撃範囲の表示を要求されています』
その合成音声の間には、ほんの微か、機械的な定型処理を超えた人間的な含みが残されていた。
球体が静かに光を明滅させ、余韻を引くように宙を揺蕩う。
私は眉をひそめ、その不自然な静寂をじっと見つめた。
「AIのチュートリアルボイスにしては、ずいぶん柔軟な応答をするな」
『私はPANACEA全域の案内を統括するシステムAIです。
プレイヤー様の行動傾向に応じた最適なナビゲーションを提供できるよう設計されております』
ナビは平坦な音調に戻り、光の球体をゆっくりと回転させた。
『まずは、渡来の岸の中腹にございます[緑十字商会受付]へ向かわれることを推奨いたします。
組合登録を行うことで、依頼の受注および市場取引の機能が解放されます』
「わかった。案内したまえ」
◆
湿った石畳の坂道を上るにつれ、周囲の喧騒は熱を帯びていった。
「おい、冒険者ギルドの受付あっちだぞ!
初日限定の依頼を受けに行こうぜ!」
「魔法使いの初級魔法、火球の威力がヤバいらしい! 早く杖買いに行こう!」
大剣を背負った大柄な山人の戦士や、刺繍の施されたローブを纏った人間種の魔法使いなど、派手な装備を整えた新規プレイヤーたちが大通りを駆け上がっていく。
彼らが目指しているのは、各職業を統括する冒険者ギルドや、戦闘系職業の訓練場だった。
一方、ナビに誘導されて辿り着いた細い路地の奥
——古びた石造りの建物には、人影がまったく存在しなかった。
木製の看板には、錆びた錨と薬草をかたどった紋様が刻まれている。
[緑十字商会・メビウス渡来の岸支部]
「静かなものだな。大通りの狂騒とは無縁のようだ」
『緑十字商会は、プレイヤー同士が結成する有志の民間ギルドとは異なります』
重い木製扉を押し開けながら中へ踏み込むと、ナビが背後から説明を続けた。
『メビウス特別自治区における公的な生産・流通インフラを担う公式組合であり、NPC国家への物資供給や、市場取引の品質担保を担うシステム機関です。
白百合治療団のような地域組織も、本組合の管理下に登録されます。
戦闘系プレイヤーの大多数は冒険者ギルド傘下の民間組織へ所属するため、こちらへ足を運ぶ生産職は極めて少数に留まります』
「なるほど。プレイヤー主導の互助会ではなく、世界循環の物流を管理する行政機関というわけか」
薄暗い受付のカウンター奥から、年配の人間種の職員がゆっくりと顔を上げた。
「……ほう。初日からここに来るとは珍しいな、若い薬草採取人か。組合登録だな?」
「そうだ。登録の手順を」
「羊皮紙に手をかざして名を告げてくれ。
それで登録は終わる」
カウンターに提示された古びた羊皮紙へ手のひらを重ねる。
微かな温もりが伝わり、システムウィンドウが立ち上がった。
『緑十字商会への登録が完了しました』
『機能[市場利用権][依頼掲示板アクセス権]が解放されました』
「よし、登録完了だ。ドーズと言ったな」
職員は台帳にペンを走らせながら、淡々と言った。
「ここでは素材の品質がすべてだ。
質の悪い薬草を持ち込んでも評価は伸びんし、商会の信用も下がる。
逆に、極上の品を納品し続ければ、上位の依頼や特殊な取引ルートが開ける。
……まあ、焦らずまずは基礎的な採取から始めることだな」
「品質ランクの算出ロジックは、どのパラメータを基準に採点されているのかね?」
職員は台帳からチラリと目を上げ、
「……妙な物言いをする若者だな」
と眉をひそめた。
私は手元に表示された商会証のマークを指先で確認した。
戦闘職たちが威力を競い合う陰で、この静かな行政システムこそが、生体シミュレーションを支える膨大な生産・流通データを蓄積している。
「さて……
挨拶は終わった。
最初の実験
──依頼を確認させてもらおうか」
[SYS_LOG::MITRA_CORE_IMMUNE]
[EVT_TRACE::SESSION_02_GUILD]
├─ SKILL_EXEC ::[GATHERING] & [APPRAISE_LV1] -> OBJ_REF [SHIGASOU_E01]
├─ USER_QUERY ::REQ_FIELDS [ACTIVE_COMP_CONC, RECEPTOR_AFFINITY, METABOLISM_RATE]
├─ NAVI_EXCEPT:: OVERRIDE_RSP (PUBLIC_ACCOUNT_FIRST_QUERY_INSTANCE)
├─ NAV_TRACK :: POS_CHG[TORAI_PIER] -> [GREEN_CROSS_BRANCH_01] (CIVIC_ADMIN_NODE)
├─ AUTH_EXEC ::BIOMETRIC_READ -> ENTITY_882109-DOSE :: REGISTERED
├─ PERM_GRANT :: UNLOCK[MARKET_ACCESS_LV1], [QUEST_BOARD_ACCESS_LV1]
└─ NPC_INT_LOG :: AGENT_NPC_CLERK(RACE: HUMAN) -> COGNITIVE_DELTA_DETECTED




