第2話「薬草採取人、〇・三パーセント」
視界を埋め尽くしていた暗闇が、瞬時に無機質な純白へと塗り替えられた。
網膜の奥で電子音が微かに鳴った。
肺に流れ込んでくる空気の質量、喉を通過する冷気、足裏にかかる重力感覚。
実在の部屋と寸分違わぬ生体信号の同期率に、視線を低く落として自らの手のひらを開閉させた。
指先の神経末端が捉える皮膚の触感まで、完全に再現されている。
「感覚遮断から感覚フィードバックの再構築まで、数百ミリ秒か。サンプリング精度は極めて高い」
頭上に青白い光が収束し、透過型のインターフェース群が並んだ。
『プレイヤーの生体特性(種族)を選択してください』
提示された立体モデルとパラメータ群を注視する。
・人間種(汎用型代謝モデル/環境補正なし)
・山人(高所耐性代謝/登坂適性補正)
・海人(浸透圧・脂質代謝/潜航適性補正)
・荒人(寒暖差耐性代謝/馴化適性補正)
・森人(感覚処理系の代謝効率/追跡適性補正)
それぞれのモデルの横に、血中酸素飽和度や脂質代謝効率の初期値が並んでいた。
山人は低酸素耐性が高く、海人は体液濃度の調整機構に特化している。
荒人は激しい寒暖差への適応力に長け、森人は感覚処理の効率に秀でていた。
「実に興味深いな。亜人種という記号を、特定の代謝経路の強調として処理しているわけか」
私は迷わず『人間種』の項目に指先を重ねた。
「登坂や潜航の基礎値にボーナスがつかないのは一見すると不利に見える。
だが、最初から特定の代謝特性に偏ったモデルを使っては、獲得できる用量データの汎用性が損なわれるだけだ。
フラットな人間種の代謝モデルでなければ意味がない」
選択を確定させると、人間種の光体モデルが収束し、続いて職業選択のダイアログが展開された。
『初期選択職業の決定』
画面の脇には、全プレイヤーのリアルタイム選択率を示す円グラフが円環状に明滅していた。
[戦士:45.2%]
[魔法使い:32.1%]
[弓兵:14.3%]
[盗賊:7.1%]
[その他・生産系:1.3%]
生産系の項目をさらに細分化させて表示させる。その最下層に、ひっそりと刻まれた名称があった。
[薬草採取人:0.3%]
「0.3パーセントか。大衆の関心がどこに向いているかが一目で分かるな」
グラフの約八割を占める魔法使いや戦士のアイコンを眺める。
表向きのインターフェースとして用意された「火」や「水」の魔法。それらは生体反応に対して広く浅くアクセスし、爆発や発熱といった派手な演出に抽象化されたシステムだ。詠唱ひとつで身体機能を活性化できても、どの酵素をどれだけの速度で生成させるかという精密な用量制御までは到底届かない。
「生体反応の精密制御を試みる者が、数千万人の中でわずか0.3パーセント……
実に嘆かわしい数値だが、静かに実験を進めるには好都合だ」
私は『薬草採取人』の文字に躊躇なく触れた。
次に表示された外見調整画面では、現実の骨格データを引き継ぐ「リアル同期」を選択した。
身長や髪色、眼鏡の有無に至るまで補正率をゼロに設定し、鏡面となったウィンドウに映る己の姿を確認する。
細身の体躯に白のシンプルな初期装備。現実の研究室にいた時と何も変わらない。
『プレイヤーネームを入力してください』
虚空に浮かぶ空中キーボードへ、迷いなくアルファベット4文字を打ち込む。
[Dose]
「Dose——用量。それで十分だ」
『プレイヤーマーカー(頭上名札)の公開属性を選択してください:[公開/非公開]』
続けて表示された設定画面に対し、私は間髪入れずに『非公開』を選択した。
「不要な詮索や視線を引き寄せる必要はない。名前の提示が必要な局面があれば、その都度個別に開示すれば足りる話だ」
『すべての初期設定が完了しました。環海都市メビウス・特別自治区へ転送します』
純白の空間が足元から霧散していった。
一瞬の無重力感ののち、湿り気を含んだ温かい潮風が頬を撫でた。
ツクツクボウシに似た、甲高く断続的な鳴き声が遠くで響き、潮騒が岸壁を打つ鈍い重低音が足裏から骨へと伝わってくる。
視界が開けた。
眼前に広がっていたのは、海に臨む傾斜地にびっしりと立ち並ぶ、古い石造りの街並みであった。
高低差のある坂道に沿って幾重にも連なる段々畑のような民区。その遥か上空には、霞に包まれた広大な高台が聳え立っている。
視線を足元へ落とす。布地の擦り減った初期装備のブーツが乗っているのは、海水で濡れて苔が薄く張りついた、頑丈な石畳の埠頭だった。
「ここが、環海都市メビウスの低層……『渡来の岸』か」
潮の匂いに混じって、わずかに腐敗した藻類と、どこかの屋台から漂う焦げた油脂の匂いが鼻腔を突く。周囲を見渡せば、派手な大剣を背負った者や、刺繍の施されたローブを纏った新規プレイヤーたちが、物珍しそうに歓声を上げながら坂道を駆け上がっていくのが見えた。
私の視界の隅に、青い球体の輪郭を持った案内用AI
——「ナビ」が静かに浮遊した。
『ようこそ、PANACEAへ。プレイヤー:ドーズ様。チュートリアルを開始します。
まずは周辺の環境を観察し、基本的な採取・鑑定操作を行ってください』
私はナビの無機質な音声を背景に聞き流しながら、石畳の隙間に生えている青紫色の雑草へ視線を向けた。
「冒険や戦闘の真似事に付き合うつもりはない。
……実験を始めようか」
湿った石の表面に膝をつき、葉の裏側に付着した小さな水滴の粘度を、人差し指の腹で静かに確かめた。
[SYS_LOG::MITRA_CORE_IMMUNE]
[EVT_TRACE::SESSION_01_INIT]
├─ SESS_ESTAB ::<NG_ENT_PRO> SYNC=99.98% / LATENCY<0.42ms>
├─ PHENO_SEL :: [HUMAN_GENERIC](BIAS=0.000 / CALIB_FLAT)
├─ JOB_SEL :: [PHARM_COLLECTOR] (RATIO=0.3012% /DIRECT_BIO)
├─ CHAR_SYNC :: REAL_BONE_ALIGN (OFFSET=0.000)
├─ ID_REGISTER ::"Dose" / MARKER_VISIBILITY=FALSE
├─ MTRX_XFER :: ZONE_MEBIUS_L0[TORAI_SHORE_PIER]
├─ NAVI_ATTACH :: SUB_ROUTINE_NAVI_01
└─ INITIAL_ACT ::TARGET_OBJ [SHIGASOU_E01] -> TACTILE_VISCOSITY_TEST




