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第25話「閾の手前」

夜の最初の鐘が鳴るころ、戸口に担架が着いた。


 担ぎ手は副官の隊員が四人で後ろから、荷を提げた往診担当の荒人がついてくる。

副官は今度も敷居の外で足を止め、大剣を溝の向こうに寝かせた。


「娘は奥の寝台へ。

往診担当は、私の隣で記録を取ってくれ」


 私がそう指示すると、荒人の男は短くうなずいた。


「承知した。

名はヒイラギ。

外に立っているのが、副官のバルトだ」


 男の頭上には、プレイヤーを示すマーカーだけが灯っている。

名前も所属も表示を伏せているから、わざわざ名乗ったのだろう。


 寝台に寝かされた娘の頭上にも、名前のない同じマーカーが灯っていた。

顔は赤く、瞳孔は黒一色に開ききっている。

両手は毛布の上で、何もない場所をつまんでは離していた。


 額に触れると、熱い。

ところが肌は乾いたままで、汗が一滴も出ていない。

唇も、ひび割れるほど渇いていた。


「熱があるのに汗が出ず、口も干上がっている。

抗コリン作用の典型だな」


 私は眼鏡の鼻あてを押し上げ、ヒイラギに手を差し出した。


「頼んだものは」


「ここに書いた。

体重は施薬所の秤で量った。

今日飲んだ水と、傷癒水を飲ませた回数もある」


 ヒイラギが差し出した紙を受け取り、数字を目で追う。

小柄な娘だ。水は朝から杯で二つ。

曼陀羅草の毒は、汗や唾液を出させる働きを止める。

水を飲んでも、体は熱を逃がせない。


「先に、考え方を説明しておく。

立会人の君が分からないままでは、記録の意味がない」


「聞こう」


 ヒイラギは、筆を構えて私を見た。


「毒は、体が汗や唾液を出す働きを止めている。

接骨草の抽出液は、その働きを元に戻す薬だ。少なければ効かない。

多すぎれば今度は逆に、唾も汗も出しすぎて、脈が落ち、吐き、息が乱れる。薬が毒に変わるわけだ」


「つまり、量がすべてというわけか」


「そうだ。だから一度には入れない。

計算で出した全量の四分の一だけ与えて、効きを見る。

足りなければ足す。

効きすぎる手前まで、それを繰り返す」


 ヒイラギは、眉を寄せたまま筆を走らせた。


「毒使いにしては、ずいぶん慎重だな」


「私に都合よく書く必要はない。

見たまま書けばいい」


 私は小瓶から抽出液を匙に取り、水で薄めて娘の唇の端から少しずつ流し込んだ。


「第一投。

時刻を書いてくれ」


 待つ間、瞳孔と脈と肌の乾きを見る。

十分が過ぎても、熱は変わらない。

ただ、手の動きが少し鈍った。


「第二投。

同じ量だ」


 さらに十分。

乾ききっていた唇に、わずかな湿りが戻った。

額には、細かい汗の粒が浮いている。


「効きはじめた。

ここからは、さらに慎重に行く」


 三度目は、量を半分に落とした。

娘の喉が、こくりと動く。

口の中に、唾が溜まりはじめたのだ。


「ここで止める」


「まだ熱は残っているぞ」


 ヒイラギが、筆を止めて私を見た。


「残っていていい。

唾が出すぎる手前が、この薬の限度だ。

これ以上入れれば、薬のほうが体を害する」


 娘が、小さく息を吐いた。

濁っていた瞳が、天井から私の顔へゆっくり移る。


「……隊長は……」


 朦朧とした掠れ声だった。


「外にいる」


 私が答えると娘は目を閉じ、そのまま眠りに落ちた。

脈は安定している。

扉の外で、バルトが長く息を吐く気配がした。


 手帳に書き込む。

曝露の経路、発症までの時間、体重、三度の投与量、効きはじめた時刻。

症例、四十六。


 そのとき、ヒイラギが壁際に並んだ四人の隊員に顎をしゃくった。


「あの四人も診てくれ。

娘の袖に樹液が付いていて、素手で担いだ。

手は洗わせたが、さっきから口が渇くと言っている」


 四人を卓の前に並べる。

山人が二人、人間種が二人。

いずれも軽症だ。

瞳孔はやや大きく、口の中が乾いている程度で熱も錯乱もない。


「放っておいても、半日で治るかもしれない。

だが、体質ごとの差を知る機会だ。

ごく少量で、確かめさせてもらう」


 一人目の人間種には娘に使った一回分の十分の一ほどを、さらに薄めて与えた。

五分で、口の渇きが和らいだ。

二人目の人間種は同じ量では足りず少し足すと、ちょうど楽になった。


 山人の二人は、量を変えた。

一人目の山人は最初の一滴で唾が出すぎ、あわてて水を飲ませた。

敏感な体質なのかもしれない。

二人目の山人には、その半分から始めた。


「同じ毒、同じ症状でも量は一人ずつ違う。

実に理にかなった、そして面倒な話だな」


「面倒だが、全部書いた。

これが先生のやり方なんだろう」


 ヒイラギは乱暴な筆跡の紙を、卓の端に置いた。


 手帳に、四人分の行を足す。

四十七から五十。

五行の数字が並んだ。


 そのとき、視界の端に半透明の文字が浮かんだ。


〈技能を習得しました:閾下投与〉

〈薬の効果が、毒性に傾く境目の手前を、より正確に把握できるようになります〉


 私はしばらく、その通知を眺めた。


「システムが、私のやり方に名前を付けたわけか。

……だが、この感覚が本物かどうかは、次の患者で確かめるしかないな」


 小瓶を光に透かす。

三分の一も残っていなかった。

五人に使い、足りた。

足りたが、次はない。


「診療録の写しは、明日の昼までに作る。

……彼女は、助かるのか」


 ヒイラギは、扉の外へ目をやったまま、低く聞いた。


「朝には、熱は引いている。

目を覚ませば、水を少しずつ飲ませろ。

傷癒水は、まだ与えるな」


 ヒイラギは、深く頭を下げた。

扉の外では、バルトも同じように頭を下げていた。


 夜が、更けていく。


 毒と薬を分けるのは、量だ。

だが、その量は、人によってこれほど違う。そ

れを知っただけでも、今夜は十分な収穫だった。

[SYS_LOG::MITRA_CORE_IMMUNE]

[EVT_TRACE::SESSION_02_NIGHT_TREATMENT]

├─ ADMIT :: PLAYER_LILY_ROOKIE (RACE: YAMABITO) -> SAFE_HOUSE_INTERIOR (STRETCHER)

├─ TREATMENT :: ANTIDOTE_TITRATION (3 STEPS) / STOP_POINT = BEFORE_SALIVATION_EXCESS

│ └─ RESULT : STABLE / CASE_COUNT = 46

├─ CASE_BATCH :: PLAYER_CARRIERS x4 (YAMABITO x2 / HUMAN x2) :: MILD_TRANSDERMAL_EXPOSURE

│ └─ NOTE : DOSE_RESPONSE_VARIES_BY_INDIVIDUAL = RECORDED / CASE_COUNT = 47-50

├─ WITNESS :: PLAYER_PHYSICIAN (NAME: HIIRAGI / RACE: ARAHITO) = RECORD_KEPT

├─ SKILL_UNLOCK :: SUBTHRESHOLD_DOSING = ACQUIRED

├─ SUPPLY_CHECK :: ANTIDOTE_STOCK = CRITICAL (UNDER_ONE_THIRD)

└─ LOG_ID-8870

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