第24話「副官の用件」
夕風が、石段の埃を海のほうへ押し流していた。
副官は保護の溝の手前に立ったまま動こうとしない。
足元に寝かせた大剣が、夕日を鈍く跳ね返している。
「外で立ち話を続ければ、人目につく。
中で聞こう」
私は敷居の内側から、男にそう声をかけた。
「この敷地の中では、戦闘不可の補正が働く。
私が君を傷つけることも、君が私を斬ることも、システムが許さない。
武器を置いたまま入るなら、互いに安全だ」
副官はしばらく私を見つめ、それから大剣を置いたまま溝を跨いだ。
家の中でも、男は腰を下ろさなかった。
立ったまま、組んだ両手を見つめている。
「今朝の二人を雇ったのは、俺だ。
あんたを消せば、施薬所の信用は戻ると思っていた」
「知っている。
その考えを捨てた理由は何かね」
私が促すと、副官は低い声で話しはじめた。
「昼に、あの二人が戻ってきた。
前金を叩き返して、
『あの薬屋には手を出すな』
と言ってな。
自分たちがどんな目に遭ったかも話していった。
目が開けられないほど眩しい。
喉が渇く。体が熱い。
居もしない虫が見える。
……そして、あんたが毒を飲ませたあとで、解毒の薬を口へ入れていったことも」
副官は、そこで言葉を切った。
「毒を使い、毒を治せる者は、この街にあんたしかいない。
……同じ症状の者が、いま施薬所の奥で寝ている」
私は、手帳を閉じた。
「誰だ」
副官は組んだ両手に力を込めた。
「新人の隊員だ。
若い山人の娘で、仕事を一から教えたのは俺になる。
古い付き合いでな。
妹みたいなものだ。
向こうも、俺を兄のように思っている」
副官は、そこで一度息を整えた。
「二人を見送って施薬所へ戻ると、あいつは奥で寝かされていた。
聞けば今朝、傷癒草の代わりになる葉を探しに、北側の石垣の陰へ行ったそうだ。
施薬所の信用が落ちて、薬が足りない。
そう俺が零したのを、聞いていたらしい。
……俺のために行ったんだ」
「素手で葉を摘んで、三十分もしないうちに手が震えはじめた。
昼には熱が高く上がって、誰の顔も分からなくなった」
病床で眠る美緒の顔が、頭をよぎった。
大切な者が熱に苦しんでいるのに、自分の手では治せない。
その無力さを、私は知っている。
この男は、それに耐えきれず今朝まで命を狙っていた相手のもとへ来たのだ。
北側の石垣の陰。
曼陀羅草が生える場所だ。
あの葉には経皮毒性がある。
素手で摘めば、汁が皮膚から入る。
発症までは三十分。
今朝の山人は、もっと早かった。
平常の状態だった娘と、戦闘の直前で心拍の上がっていた男との差だろう。
散瞳の差を説明する対照が、一つ増えた。
「傷癒水は飲ませたのかね」
「飲ませた。
効かなかった。
当たり前だ」
副官は、苦い顔で首を振った。
「うちには、毒を治す薬がない。
団長は、毒草を扱うことを禁じてきた。
毒には触るな、近づくなと教えるだけで当たった者を治す方法は誰にも教えていなかった」
「毒を遠ざける組織に、毒への備えがなかったわけか」
私は事実だけを口にした。
副官は、反論しなかった。
「あいつに万一のことがあれば、俺は自分を許せない。
あんたを殺そうとした男に、頼む資格がないことは分かっている」
副官は、私の目をまっすぐに見た。
「それでも、あいつを診られるのはあんたしかいない。
頼む」
副官は懐から折り畳んだ羊皮紙を取り出し、卓に置いた。
「今朝の依頼の経緯を、俺の署名入りで書いてきた。
誰に、いくら払い、何を命じたか。
団長にも緑十字商会にも、見せていい。
……あんたが俺を信用できなくて当然だ。
だから、先に首を差し出す」
私は羊皮紙を広げ、署名と日付を確かめた。
内容は、今朝の二人の証言と一致している。
罠なら、こんな書面は書かない。
これを私が持つ限り、副官は私に手を出せない。
筋は通っている。
それに妹のように思う者の命を前にして、この男は自分の署名を先に差し出した。
取引のための芝居にしては、代償が大きすぎる。
美緒のためなら、私も同じことをするだろう。
ただし、危うさは残る。
娘が助からなければ、毒使いが毒で殺したと言われかねない。
その責めを私一人に負わせない仕組みが、診る前に要る。
「治療は、条件にしない」
私は羊皮紙を畳み、手帳に挟んだ。
「経皮曝露の中毒を診る機会は、私にも必要だ。
診よう。
ただし、君の用件はそれで終わりではないはずだ。
同じことは、明日も起きる。
君たちの仕組みが変わらない限りな」
副官が顔を上げた。
「何が望みだ」
「取引だ。
対価を三つ、もらう」
私は指を折った。
「一つ目。
見張りの撤収は、対価にならない。
君が置いたものを、君が外すだけだ。
私が求めるのは、中央坂道の通行だ。
緑十字商会の支部へ行く道を、塞がれたままにはしておけない」
「退去命令の執行は、うちの隊員が担う。
団長の命令は破れないが、巡回の配置を決めるのは俺だ。
先生が通る時間は、あの坂道の巡回を外す」
「二つ目。
施薬所の診療録を見せてもらう。
過去の処方と経過、患者の体格と症状。
傷癒水が効かなかった者の記録は、私の用量の計算に役立つ」
「持ち出しはできない。
往診担当に、写しを作らせる」
「三つ目。
経過は、立会人を付けて記録する。
立会人は君の側から出す。
往診担当の荒人がいい。
その記録を、緑十字商会への公認登録に使う。
私の静心散は、臨床が未検証という理由で登録が保留のままだ。
白百合の記録があれば、その理由は消える」
「あの男は、先生を毒使いだと団長に報告した」
「だから、いい。
自分の目で経過を見た者の報告なら、団長にも通る」
副官はしばらく黙り、やがて深くうなずいた。
「三つとも、受ける。
団長には、俺から話す。
殴られる覚悟はできている。
娘は今すぐ運ばせる。
何を用意すればいい」
「冷たい水を少しずつ飲ませ、濡れ布で体を冷やしながら運べ。
体重と、今日飲んだ水の量、口にしたものを、運ぶ前に往診担当に確かめさせろ。
解毒の量は、体格と水分で決まる」
副官は大剣を拾い、駆けるように夕闇へ消えていった。
私は棚から接骨草抽出液の小瓶を取り出し、光に透かして残量を確かめた。
今朝、二人に使った分で、残りは多くない。
足りる。
足りるが、余裕はない。
手帳の新しい頁を開き、欄を作る。
曝露の経路、発症までの時間、体重、今日飲んだ水の量、傷癒水を飲んだ回数。
数字が揃えば、今朝の山人との差も、いずれ説明がつくだろう。
戸口の外では、日がほとんど落ちていた。
夜までに、娘は運ばれてくる。
毒と薬を分けるのは、量だ。
その量を一人の娘の命に合わせて、もう一度決めなければならない。
[SYS_LOG::MITRA_CORE_IMMUNE]
[EVT_TRACE::SESSION_02_ADJUTANT_VISIT]
├─ BORDER_CROSS :: PLAYER_ADJUTANT (RACE: YAMABITO) -> SAFE_HOUSE_INTERIOR (WEAPON_LEFT_OUTSIDE)
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│ └─ FLAG : LEADER_UNINFORMED (CONFIRMED)
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│ └─ NOTE : ADJUTANT_TIE = SENIOR_JUNIOR (SIBLING_LIKE) / ORIGIN_UNDISCLOSED
├─ NEGOTIATION :: TERMS = ROUTE_ACCESS / CLINICAL_RECORDS / WITNESSED_TRIAL (OFFICIAL_REGISTRATION_USE)
│ └─ STATUS : ACCEPTED
├─ SUPPLY_CHECK :: ANTIDOTE_STOCK = LOW (MARGIN_TIGHT)
└─ LOG_ID-8869




