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第19話「噂が追いつく」

 タリサの家の作業台で、私は豊穣組合の畑から持ち込まれた『深根性傷癒草』の根から、共生菌の代謝物を抽出する作業に没頭していた。


 その時、人通りの絶えていたはずの外縁の路地から、無数の足音が近づいてくるのが聞こえた。


 ギィ……と古い鉄のドアが押し開かれる。


 戸口に立っていたのは、先日処方を行った山人の石切職人の男と、彼の背後にひしめく十数人ほどの人間種や荒人の住民たちだった。石段の民区の職人だけでなく、下層の渡来の岸から噂を聞きつけて上ってきた海人の商人の姿もあった。


「先生! 頼む、みんなを診てやってくれ! 白百合の施薬所の薬はもう完全に効かなくなっちまったんだ!」


「白百合の隊員は『気のせいだ』と言うばかりで……。でも、石切の旦那やタリサさんが『外縁の先生の薬なら一発で痛みが引く』って教えてくれたんだ!」


「毒草だなんて噂されてたけど、もう背に腹は代えられない! 頼む、助けてくれ!」


 押し寄せる住民たちの切迫した声。


 私は手元から視線を上げ、彼らの群れを冷静に観察した。


 PANACEAのNPCコミュニティには、体験した生体反応の改善度や満足度が周辺へと波及する『評判・伝聞エンジン』が実装されている。通常であれば、白百合治療団が保持する『広報・警戒フラグ』が優先されるが、白百合側の標準薬の効能低下という不満が限界に達した状態で、私が積み重ねてきた確実な症例データ(N)が結合した瞬間、情報の伝播閾値が突破され、評判が一気に正方向へ反転して伝播したのだ。


「騒いでも生体反応は改善しない。全員、一列に並びなさい。一人ずつ問診を行う」


 私が静かに告げると、群衆は即座に静まり返り、路地へ整然と列を作った。


 私は住民を一人ずつ家の中へ通し、作業を開始した。


 手首の脈拍、皮膚の乾燥度、推定体格、直近の発汗量と水分摂取量。


 PANACEAの生体シミュレーションエンジンは、血中濃度や肝代謝率といった『不可視の生体ステータス』をリアルタイムで演算している。私は症例をこなす中で研ぎ澄まされた観察技術を用い、一人あたり数分足らずで彼らの体組成と見かけの分布容積(Vd)を正確に割り出していった。


 天秤でミリグラム単位の精製粉末を計測する。


 豊穣組合の畑で育った極上素材から得た共生菌抽出物を加えた『静心散』。心葉草の多糖類が胃粘膜を保護し、曼陀羅草のトロパン系アルカロイドが、過敏になった患者の受容体閾値へ精密に作用する。


「この粉末を、ごく少量の水で飲み下したまえ」


 次々と薬を飲み干していく住民たち。


 服薬から十数分が経過するごとに、家の周囲からは驚喜の声が上がり始めた。


「痛みが……長年苦しんでた関節の痛みが、本当に消えていく……!」


「頭の重さが嘘みたいに軽い! 白百合の傷癒水とはまるで別物だ!」


 生体反応は劇的に改善していった。白百合治療団が「標準化された安全」を掲げて配り続けた標準薬が、実は有効成分の不足した気休めに過ぎなかったことが、目の前の生体反応によって証明されていく。


 ふと、路地の遠くから視線を感じ、私は窓外へ目を向けた。


 人混みの途切れた石段の陰で、白百合治療団の山人の副官と数人の隊員が、蒼白な表情のまま立ち尽くし、この光景を見つめていた。施薬所に並んでいた患者たちが次々と列を離れ、この外縁の隠れ家へ流れてきている現実に、彼らは言葉を失っているようだった。


 システムが自動集計する白百合治療団の「NPC回復率」の数値は暴落し、逆に私の生体調合に関する内部学習ログのスコアは、上昇を続けているだろう。


「感謝は不要だ。私は臨床データを収集したに過ぎない。……次の方」


 私は静かに次の患者へ向き直り、触診を続けた。


 日が沈み、月光がタリサの家を照らす頃には、すべての住民の処方とデータ記録が完了していた。


 作業台の上に開かれた手帳には、さまざまな体格や代謝特性を持つ膨大な生体データが、美しい数式となってびっしりと刻まれていた。


「信用の反転か。……規格化された標準処方の限界が、生体データの真実に敗北しただけのことだ」


 私は手帳を静かに閉じ、木箱に収めた。


 標準化による大量救済を掲げた白百合治療団が、自らの安全神話の崩壊を黙って静観するはずもない。


 夜風が吹き抜けるタリサの家の窓の外、暗がりから注がれる刺すような視線の気配を感じながら、私は静かに試薬ポーチへ手を添えた。


 次の局面は、すでに始まっている。

[SYS_LOG::MITRA_CORE_IMMUNE]

[EVT_TRACE::SESSION_02_TRUST_REVERSAL]

├─ HOUSING_NODE :: HOUSING_ID_ISHIDAN_OUTER_12 [TALISA_HOUSE]

│ └─ PATIENT_ARRIVE: N=17 (RACE: HUMAN, ARABITO, AMABITO)

├─ RUMOR_PROPAGAT:: PROPAGATION_THRESHOLD_OVERRIDDEN

│ ├─ OVERRIDE_TARGET: LILY_HEALERS_WARNING_FLAG

│ └─ PATTERN : POSITIVE_REVERSAL_SPREAD_DISTRICT_WIDE

├─ CLINICAL_EXEC :: ITEM_SEISHINSAN_HYBRID_A_RANK x17

│ ├─ Vd_SPEED : AVERAGE_TIME = 1.8min/PATIENT

│ ├─ BINDING_AFFINITY: AVERAGE_MATCH = 99.1% (NO_SIDE_EFFECTS)

│ └─ DATASET_GROWTH : ACCUMULATED_DATASET_N = 35_SAMPLES

├─ METRIC_SHIFT :: LILY_NPC_RECOVERY_RATE = 11.4% (CRITICAL_DROP)

│ └─ DOSE_SCORE : INTERNAL_LEARNING_LOG_SCORE = EXPONENTIAL_RISE

└─ ADVERSARY_OBS :: AGENT_NPC_ADJUTANT (RACE: YAMABITO) :: THREAT_LEVEL_UP

└─ ACTION_PREP : FORCE_EXCLUSION_PREPARATION_DETECTED

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