第10話「白百合」
病院を訪問した後もPANACEAへログインして、私は日々、石垣の日陰で
『曼陀羅草』や
『心葉草』の生育データを計測しつつ、
貸出調合室で精製した
『静心散』の用量反応曲線の修正作業を進めていた。
石段の民区の中央広場へ向かうと、そこにはいつもと異なる整然とした緊張感が漂っていた。
数日前からこの民区で原因不明の体調不良を訴える住民が急増したことを受け、古くからこの地に根差す歴史ある医療機関
『白百合治療団』が、
自らの使命として大規模な臨時施薬所を構えていたのだった。
広場の中央には、白地に銀の刺繍が施された統一感のあるローブや皮甲冑を纏った一団が陣を張り、集まった人間種や荒人の住民、通りがかりのプレイヤーたちへ整然と薬品を配っていた。
「白百合治療団の標準回復薬です!
当治療団の厳格な品質基準をクリアした、安全な汎用傷癒水をお配りしています!」
「お一人様三瓶までとなります!
危険性評価の済んでいない調合薬の使用は、当治療団の規律により禁止されています!」
地域医療を担う組織としての使命感のもと、採算を度外視した物量で薬を配り続ける統率の取れた集団。
その施薬所の中央で、ひときわ仕立ての良い白い皮甲冑に身を包んだ人間種の女性が、提出された調合ログの帳簿に目を通していた。
背筋を真っ直ぐに伸ばし、腰には飾り気のない細身の長剣を差している。
「……そちらの班の傷癒水の抽出温度は、規定より一度高いわ。
わずかだが成分のブレが生じている。廃棄して調合し直しなさい」
「は、はい!
失礼しました、団長!」
隊員の報告を冷徹に退け、彼女は淡々と手元の羊皮紙にペンを走らせる。
その動作には一ミリの迷いもなく、長年この街の衛生と命を統括してきた組織の指導者特有の、徹底された規律が伺えた。
私がその施薬所の脇を通り抜けて坂道を上ろうとした時、彼女の視線が鋭く私へ向けられた。
「待ちなさい。
……巡回中の治療団員から報告を受けているわ。
石段の民区で曼陀羅草を夜間に採取し、未承認薬を住民へ渡した薬草採取人
——あなたね。名前を聞かせてもらえるかしら」
凛とした声が石段の広場に響いた。
彼女は帳簿を副官へ預けると、澄んだ瞳で私を射抜くように見つめながら、数歩歩み寄ってきた。
腰の細剣が、歩調に合わせてカチリと軽い金属音を立てる。
「ドーズだ。
緑十字商会への登録名だが」
「ドーズ……。
私は白百合治療団の団長、レイよ」
彼女
——レイは静かに己の名を明かすと、眉ひとつ動かさずに言葉を重ねた。
「ドーズ、あなたが住民へ渡したあの薬……
曼陀羅草は劇物に分類される危険植物よ。
一歩間違えれば、抗コリン作用による意識混濁や呼吸抑制を引き起こす。
そのような不確定で危険な毒性植物を医療に持ち込むことは、患者の命をギャンブルに晒すのと同じ。
絶対に許されないわ」
「ギャンブル、か」
私は小さく首を振った。
「君は
『毒』というラベルだけを見て、
用量という決定的な変数を無視している。
どんな劇薬であっても、有効量と致死量の間には明確な治療域が存在する。
患者の体格と代謝率を正確に計測し、その安全域の範囲内に用量を収めれば、劇薬は至高の薬効を発揮するのだ」
「その
『安全域』とやらを担保する客観的な保証が、
どこにあるというの?」
レイの声のトーンが、わずかに低くなった。
「患者の生体反応には個体差があるわ。
体調や環境によって耐性は常に変動するのよ。
だからこそ、私たちは膨大なデータで安全性が確認された標準的な薬草だけを使い、管理された環境で一定の品質を供給しているの。
未知のリスクを排除し、再現可能な安全性を担保することこそが、私たち白百合治療団の治療理念よ」
「100%の安全など、生理学的に存在しない」
私はレイの目を真っ直ぐに見返した。
「君たちが提供している標準薬は、多数の傷病者へ均一かつ安全に投与するには優れた成果物だ。だが、安全域を過剰に広く取ったその処方は、初期の軽症者向けの補助薬に過ぎない。
強い交感神経の過活動や、個別の症状を抱えた患者に対しては、その画一的な『安全な薬』では生体反応を十分に制御できない。
リスクを恐れて有効な成分を端から切り捨てるのは、治療ではなく単なる思考停止だ」
「思考停止……
ですって?」
レイが不快そうに眉を歪めたその瞬間、隣に立つ山人の副官の男が一歩前に出ようとした。
だが、レイは手でそれを制した。
「……あなたの理屈は理解したわ、ドーズ。
だが、自分の計算だけを絶対視し、毒を薬と断じて大衆へ投与する行為を、私は看過できない」
レイは白銀の革手袋をはめた手で、腰の細剣の柄に静かに手を置いた。
「白百合治療団はこの街の衛生と安全を維持する責任を負っているの。
かつて未検証の技術や安易な効率化が、この地にどれほど大規模な破滅と薬害をもたらしたか……
あなたのような独善的な人間には理解できないでしょうね」
「過去の惨劇を理由に科学的検証を拒むのは自由だが、私の調合と治療行為を阻害する権利は君たちにはない」
「警告よ」
レイは冷ややかな声で言い放った。
「次に白百合治療団の管理エリアで、その
『危険調合物』を取引・投与しようとした場合、
私たちはあなたを公衆衛生を脅かす存在とみなし、相応の措置
——規律違反者としての強制排除を含む対応を取らせてもらうわ」
「好きにすればいい。
私に従うのは君たちのルールではなく、生体反応のデータと数値だけだ」
私はレイへ背を向け、静かな足取りで石段を上り始めた。
背後から注がれる白百合治療団の刺さるような視線を背に受けながら、私は思考を静かに整理した。
「100%の絶対安全という幻想。
……標準化による大量救済を掲げる白百合治療団は、今後私の前に立ちはだかる存在となるだろう。だが、どちらが患者を救うか。
その答えは、いずれ生体データが示す」
[SYS_LOG::MITRA_CORE_IMMUNE]
[EVT_TRACE::SESSION_02_IDEOLOGY_CONFLICT]
├─ AREA_EVENT :: ZONE_MEBIUS_L1 [ISHIDAN_SQUARE]
│ ├─ CLINIC_ORGAN: LILY_HEALERS (SPONSOR_AI_PHARMA_CONSERVATIVE)
│ └─ LEADER_NPC : AGENT_NPC_RAY (RACE: HUMAN / ROLE: GUILD_MASTER)
├─ IDENTITY_EXCH:: INTERACTION [DOSE] <---> [RAY] (NAME_VERIFICATION_COMPLETE)
├─ CONFLICT_AXIS:: STANDARDIZED_SAFETY_POLICY vs INDIVIDUAL_DOSE_WINDOW_OPT
│ └─ ADJUTANT_NPC: RACE_YAMABITO (THREAT_LEVEL_RISE)
├─ WARNING_FLAG :: SECURITY_ALERT_ISSUED BY AGENT_NPC_RAY
│ ├─ TARGET: ENTITY_882109-DOSE
│ └─ REASON: UNAPPROVED_HAZARD_COMPOUND_DISTRIBUTION
└─ SYSTEM_ARCH :: DUAL_IDEOLOGY_METRICS_LOGGED -> [INTERNAL_LEARNING_LOG_ID-8825]




