第八話 三千人を救うために、今は受け入れない
同じ境遇の子供が、少なくとも三千人。
クラリスから告げられた数字を聞き、俺は運動場を見回した。
つい先ほど入学した百十二人が、簡易宿舎へ荷物を運んでいる。
壊れた校舎。
急造した寝床。
村から分けてもらった食料。
今いる生徒だけでも、明日からどう授業を始めるか考えなければならない。
三千人全員を、ここへ呼ぶことはできない。
俺がそう答えると、クラリスは静かに頷いた。
当然です。
意外な反応だった。
てっきり、全員を受け入れてほしいと言われると思っていた。
クラリスは分厚い名簿を開く。
この学院の敷地へ三千人を集めても、寝床も食料も教師も足りません。助けるどころか、新しい問題を生むだけです。
分かっているなら、なぜ俺に話した。
学院長が、百十二人を受け入れられたからです。
クラリスは運動場へ目を向けた。
これまで王国教育院では、子供を剣術、魔術、神術のいずれかへ振り分けていました。
どれにも当てはまらない者は、才能がないと判断される。
だが、先生は違いました。
掃除、料理、裁縫、動物の世話。
王都では能力として数えられなかったものまで、必要な才能として扱われた。
クラリスは俺へ向き直る。
三千人すべてをここへ集めたいのではありません。
この学院の考え方を、各地へ広げたいのです。
それなら話は変わる。
俺一人が三千人を見るのは不可能だ。
だが、子供の才能を見つける方法を教師へ教えることならできる。
問題は、その教師がいるかどうかだ。
王都の学院は、簡単には方針を変えないだろう。
俺の考えを読んだように、クラリスが一枚の書類を差し出した。
各地の学院で解雇された教師の名簿です。
教師まで解雇されているのか。
王国の方針に従わなかった者たちです。
そこには、二百人近い名前が並んでいた。
剣を使えない生徒へ、弓を教えた。
魔力の少ない生徒へ、魔道具の制作を勧めた。
勉強の苦手な生徒へ、農業実習を行った。
魔族の子供を、他の生徒と同じ教室へ入れた。
どれも、教育院の決めた授業から外れたことを理由に処分されている。
この者たちは今、どうしている。
小さな村で個人教師をしている者もいます。仕事を失い、故郷へ戻った者も。
クラリスは名簿を閉じた。
先生なら、彼らを正しく使えるのではないでしょうか。
俺は少し考えた。
クラリス。
はい。
この学院で働くと言ったな。
もちろんです。
給料は、すぐには出せない。
覚悟しています。
仕事は多い。
望むところです。
王国教育院から、今後敵視される可能性もある。
それについては、すでに手遅れです。
クラリスは制服につけていた徽章を外した。
昨日、百十二人を先生のもとへ連れてくると決めた時点で、教育院からは戻らなくてよいと言われました。
つまり、お前も追い出されたのか。
正確には、辞職する前に解雇されました。
表情は変わらない。
だが眼鏡の奥には、少しだけ悔しさが見えた。
俺はクラリスから徽章を受け取らず、その手を押し戻した。
それは自分で持っておけ。
よろしいのですか。
過去を捨てる必要はない。
教育院で十年働いた経験も、お前の才能だ。
クラリスはしばらく徽章を見つめた。
やがて胸元へ戻す。
ありがとうございます、学院長。
ただし、ここでは俺一人で決めない。
俺はリリアたち七人と、ミレイユたち初期生徒を集めた。
さらに、入学したばかりの百十二人から、年齢の違う者を五人選ぶ。
学院の運営方針を決めるためだ。
全員が、壊れた教室へ集まった。
椅子は足りないので、半数は立ったままだ。
クラリスが黒板へ数字を書く。
現在の生徒数、百十六人。
正式な教師、一人。
教師見習い、七人。
事務職員候補、一人。
食料の備蓄、五日分。
資金。
クラリスの手が止まった。
ほぼ、ありません。
教室の空気が重くなった。
勇者リリアが手を挙げる。
私の財産を。
却下だ。
まだ最後まで言っていません。
言わなくても分かる。
賢者ルシアが続ける。
では、魔導塔を。
売らない。
精霊使いマリアが手を挙げた。
宝石を。
掘らない。
七人が一斉に黙る。
クラリスが眼鏡を押し上げた。
学院長の方針は理解しました。英雄個人の財産には頼らない。
そうだ。
この学校は、一時的に誰かの善意で生き残る場所にしない。
誰かがいなくなれば潰れる学校では、三千人を助けることなどできない。
まず、今いる百十六人が自分たちで暮らせる仕組みを作る。
その後、各地へ教師を送る。
俺が告げると、教室にいた全員が真剣な表情になった。
具体的には、どうされるのですか。
クラリスが尋ねる。
生徒を年齢や身分では分けない。
今できることと、学びたいことによって班を作る。
俺は黒板へ四つの項目を書いた。
生活。
学習。
訓練。
生産。
生活班は、料理、掃除、洗濯、寮の管理。
学習班は、読み書き、計算、歴史。
訓練班は、剣、魔法、身体づくり。
生産班は、農業、建築、裁縫、道具の修理。
全員が一つの班だけに所属するわけではない。
午前は学び、午後は学院を維持するために働く。
子供を働かせるのですか。
生徒代表として選ばれた少女が不安そうに尋ねた。
無理な仕事はさせない。
だが、自分たちの場所を自分たちで作る経験は必要だ。
料理を覚えた者は、食堂を助ける。
文字を覚えた者は、年下へ教える。
力のある者は、木材を運ぶ。
誰にもできることがないとは言わせない。
テオが手を挙げた。
僕は、地面の下の水を探せます。
なら、生産班で井戸の場所を探してくれ。
ミレイユも立ち上がる。
私は、魔力を流す練習をしながら畑を耕せると思います。
爆発させない範囲で頼む。
はい。
返事だけは立派だ。
ノエルは薬草園を担当したいと言った。
生命活性の力があれば、成長を助けられる。
セシリアは木の枝を使い、建築用の木材を切る訓練を希望した。
四人とも、自分の学びと学院の仕事を結びつけ始めている。
悪くない。
次に教師だ。
俺は七人を見る。
戦い方を教える前に、まず各班へ入って生徒と同じ仕事をしなさい。
リリアが目を瞬かせる。
私たちも、ですか。
教師ができないことを、生徒へやらせるつもりか。
七人が姿勢を正す。
勇者リリアは生活班。
剣聖エリシアは生産班。
聖女セレナは生活班と治療所。
賢者ルシアは学習班。
竜騎士フィオナは建築と運搬。
精霊使いマリアは農業。
クロエは。
俺がクロエを見ると、姿が消えていた。
数秒後。
教室の天井裏から声が聞こえる。
警備班を希望します。
降りてきなさい。
すぐに黒い頭が天井の穴から現れた。
お前は、まず子供たちに見える場所で働け。
クロエが不満そうに床へ降りる。
最後にクラリスだ。
事務、予算、名簿、時間割。
全部任せる。
はい。
それから、解雇された教師たちへ手紙を送ってくれ。
全員を呼ぶのですか。
いや。
俺は名簿へ目を落とした。
まずは十人。
この学院へ来てもらい、教師としてではなく、生徒として学んでもらう。
教える者が、生徒を見る方法を学ぶ。
それができなければ、各地へ学校を広げても同じ失敗を繰り返すだけだ。
クラリスは力強く頷いた。
すぐに手配します。
こうして、エルガ学院の最初の方針が決まった。
三千人は、まだ受け入れない。
代わりに、三千人を受け入れられる教師と場所を作る。
翌朝。
百十六人の生徒と七人の教師見習いが、運動場へ並んだ。
生活班は朝食の準備。
学習班は使える教科書を集める。
生産班は畑と井戸の調査。
訓練班は、まず自分の身体を知ることから始める。
全員が動き出した直後。
生産班へ向かったテオが、突然足を止めた。
地面へ手をつき、顔を青ざめさせる。
先生。
どうした。
水が、あります。
井戸を掘れそうか。
違います。
テオは震える指で、校舎の真下を示した。
ものすごく大きな空洞があります。
空洞。
その中を、何かが動いています。
直後。
学院の地下から、巨大な振動が響いた。
机が揺れ、窓ガラスが音を立てる。
運動場の中央に亀裂が走った。
百年以上閉ざされていた地下への階段が、ゆっくりと姿を現した。




