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第五十話 首席を剥奪した元担任は、元教え子から授業を教わることになりました



翌朝、王立中央学院から教師交換制度の参加者がやって来た。


俺は転移門の前で待っていたが、隣に立つカイルは朝から妙に落ち着かない。手にはいつもの《未発見才能記録》を持っているのに、さっきから同じ頁を開いたり閉じたりしていた。


「緊張してるのか?」


そう尋ねると、カイルは少し考えてから頷いた。


「……しています。六年間ずっと担任だった先生なので」


首席として褒められたことも、失敗を叱られたことも、進路を相談したこともある。その教師が今度は、首席資格を失った自分が残っている学校へ、教える方法を学ぶために来る。


気まずくない方がおかしい。


白い光が転移門を満たし、一人の男性が現れた。


四十代半ばほどだろう。黒髪には少し白いものが混じり、濃紺の王立中央学院の教師服を隙なく着こなしている。手には大きな鞄と、何冊もの授業記録。


いかにも王立中央学院の教師らしい。


ただし、俺へ挨拶する前に。


彼の視線はカイルで止まった。


「……元気そうだな、カイル」


「はい。先生も」


それだけ。


六年間の担任と教え子にしては、ずいぶん短い再会だった。


けれど、たぶん言いたいことが少ないのではない。


多すぎるのだ。


男性教師は一度息を整えてから、俺へ深く頭を下げた。


「王立中央学院から参りました。三日間、教師交換制度へ参加させていただきます。本来であれば、まず学院長へご挨拶すべきところを失礼しました」


「気にしません。それより、今回は何を学びに?」


俺が尋ねると、彼はすぐには答えなかった。


用意してきた言葉はあるのだろう。


だが。


少し迷った末。


「カイルが、ここで何を学んだのか知りたいと思っています」


隣でカイルの指が止まった。


「私が教えていた頃とは、明らかに考え方が変わった。以前なら、学院からの処分理由へあれほど問い返す生徒ではありませんでした」


褒めているのか。


困っているのか。


たぶん両方だ。


「それが良い変化なのかどうかも、まだ私には判断できません」


男性教師は続けた。


「だからこそ、今回は判断する前に見たいと思っています」


俺は頷いた。


それなら。


十分だった。



最初の実習は、カイルの授業だった。


教師交換制度なのに、生徒が教師を教えるのか。


普通なら変だと思うだろう。


俺も少し思う。


ただ、今日カイルが担当する《発見授業》は、今のところカイルが一番深く関わっている。本人が《未発見才能記録》を作り、何度も失敗して修正してきたのだから、説明役として一番分かりやすい。


教室へ入る前。


元担任が足を止めた。


「カイルが授業を?」


「補助です」


カイルがすぐ訂正する。


「正式な教師ではありません。今日は先生に方法を説明するために、進行を任されています」


「そうか」


元担任は。


少しだけ安心したようにも。


少し寂しそうにも見えた。


教室には十六人の生徒がいた。


カイルは黒板の前へ立つと、以前よりずっと簡潔に説明を始める。


「今日は、隣の人について気づいたことを三つ書いてください。ただし、『優秀』『苦手』『真面目』『才能がある』という評価の言葉は禁止です」


生徒たちは慣れた様子で紙を受け取った。


「見たことだけを書くんです。何をしていたか。どんな時に笑ったか。何を頼まれていたか。本人が当たり前だと思っていることでも構いません」


元担任が。


すぐ手を挙げた。


「質問しても?」


カイルの背筋が一瞬伸びる。


六年間。


質問する側ではなく。


答える側になることなど、ほとんどなかったのだろう。


「はい」


「なぜ評価を禁止する?」


カイルは少し考えた。


「評価すると、その後に見えるものまで評価に引っ張られることがあるからです」


「例えば?」


「最初に『怠けている』と思った生徒を見ると、休んでいる時間ばかり目につきます。でも実際には、他の生徒が困っている時だけずっと手伝っているかもしれません」


元担任が。


小さく頷く。


「では、事実だけ集めれば正しく理解できるのか?」


今度は。


カイルはすぐ答えなかった。


「できないと思います」


元担任の眉がわずかに動く。


「ならば、この授業の目的は?」


「正しく理解することではありません」


教室にいる生徒たちまで、カイルを見る。


「自分がまだ知らないことがあると気づくためです」


元担任は。


何も言わなかった。


ただ。


持っていたノートへ。


一行。


何かを書いた。



実習が始まった。


元担任にも同じ記録用紙が渡された。


対象は。


一人の少年。


十二歳。


授業中。


ずっと椅子を揺らしている。


落ち着きがないように見える。


元担任は数分観察し。


すぐ紙へ書いた。


『着席中、継続して身体を動かしている』


事実。


評価ではない。


さすがに慣れている。


次。


『教師の説明中、三度窓を見る』


また事実。


さらに。


『隣席の生徒が筆記具を落とした際、説明中にもかかわらず拾う』


元担任の筆が。


そこで止まった。


たぶん。


以前なら。


「集中力不足」


と書いたのだろう。


でも今日は。


そこまで書かない。


しばらくして。


少年が紙を書き終えた。


その瞬間。


立ち上がる。


元担任が。


思わず口を開きかけ。


止まった。


少年は教室の後ろへ行き。


別の生徒の机へしゃがみ込む。


「そこ、書けない?」


「うん」


「先生の説明だと難しい?」


「うん」


「じゃあ、この箱を三つに分ける感じ」


近くにあった木片を使って説明を始める。


数分後。


相手の生徒が。


「あ、分かった」


と笑った。


少年は。


何事もなかったように自分の席へ戻る。


また椅子を揺らし始める。


元担任は。


ずっと見ていた。


俺は尋ねない。


カイルも何も言わない。


やがて。


元担任が紙へ書いた。


『自分の課題が終わると、周囲で止まっている者を探す』


その下。


一度。


『集中力が――』


まで書いて。


消した。


代わりに。


『なぜ身体を動かし続けているのか、まだ本人へ聞いていない』


と書いた。


カイルが。


少しだけ笑った。



昼休み。


元担任は、その少年へ自分から話しかけた。


「少しいいか?」


「はい」


「授業中、椅子を揺らしていただろう」


少年が。


一瞬。


身構えた。


「……すみません」


「今日は叱るためではない」


元担任自身が。


その言葉を口にして。


少し変な顔をした。


いつもなら。


同じ状況で注意していたのかもしれない。


「どうして動かす?」


少年は。


不思議そうに考える。


「止まってると、頭の中がうるさくなるから」


「頭の中が?」


「はい。先生の声とか、外の音とか、みんなが紙を書く音とか、全部気になって」


椅子を。


少しだけ揺らす。


「こうすると、一個だけ考えやすいです」


元担任が。


黙った。


「昔から?」


「たぶん」


「誰かに聞かれたことは?」


「ないです。いつも止めなさいって言われます」


元担任の視線が。


手元の記録へ落ちる。


『着席中、継続して身体を動かしている』


同じ行動。


でも。


理由を聞いただけで。


見え方が変わった。


「もう一ついいか?」


「はい」


「なぜ、他の生徒を手伝っていた?」


「暇だったから」


元担任が。


少し拍子抜けした顔になる。


「困っていたから、ではなく?」


「それもあるけど」


少年はパンを食べながら答える。


「自分でやるより、人に説明した方が面白いです」


「なぜ?」


「分からないところが違うから」


元担任は。


また黙った。


「先生」


少年が。


逆に尋ねる。


「なんでそんなに聞くんですか?」


元担任は。


かなり長く考えた。


そして。


「今まで」


少し苦笑した。


「聞かずに決めていたことが多かったからだ」


少年は。


よく分からないようだった。


それでいい。


これは。


生徒側の問題ではない。



午後。


今度は。


元担任が授業をする番だった。


題材は。


魔法理論基礎。


俺たちが王立中央学院から学んだ。


《今日必ず覚えること》


《できれば覚えること》


《興味があれば先へ進むこと》


三段階の授業だ。


さすがだった。


説明が速いのに。


置いていかれない。


黒板へ書く量も必要最低限。


途中で確認を挟み。


質問をその場で答えるものと。


後に回すものへ。


迷わず分ける。


俺は後ろで見ながら。


素直に感心した。


カイルも。


じっと授業を見ている。


元担任が黒板へ術式を書き終えた。


「ここまでが、今日必ず理解してほしい部分だ。ここから先は、できれば覚えて帰ってほしい」


そこで。


一人の少女が手を上げた。


「先生」


「はい」


「どうして、ここはこの記号なんですか?」


教科書にある。


昔から使われている。


基礎術式の一部。


元担任が。


説明しようとして。


止まった。


五秒。


十秒。


少女が不安そうになる。


以前なら。


何か答えたのかもしれない。


「この記号には魔力流を安定させる役割があります」


それだけなら。


正しい。


だが。


少女が聞いたのは。


なぜ。


その記号なのか。


元担任は。


黒板を見る。


そして。


「……分からない」


教室が静かになった。


カイルの目が。


大きくなる。


元担任は続けた。


「正確には、この記号が使われるようになった歴史的な理由までは、私は知らない」


少女が。


驚いている。


「先生でも?」


「先生でもだ」


少し間を置いて。


「だから、調べて次の授業で答える。それでいいか?」


少女は。


笑った。


「はい!」


後ろで。


リリアが。


ものすごく嬉しそうにカイルを見る。


カイルも。


同じ顔をしていた。


たぶん。


自分たちが送ったものが。


王立中央学院の教師へ。


本当に届いていると分かったのだ。



授業後。


カイルと元担任は。


二人だけで教室へ残った。


俺は。


廊下へ出ようとした。


「先生」


カイルに呼び止められる。


「いてください」


少しだけ。


迷った声だった。


「分かった」


俺は教室の後ろへ座る。


元担任は。


カイルの前へ立っていた。


最初に口を開いたのは。


元担任だった。


「首席資格のことだ」


カイルの表情が固くなる。


「はい」


「私は」


彼は。


言葉を選んでいる。


「処分に賛成した」


カイルが。


目を伏せた。


知っていたのかもしれない。


それでも。


本人の口から聞くのは違う。


「学院の教育方針へ疑問を持ち、それを他の生徒へ広げる可能性がある。当時の私は、首席という立場の生徒ならば、なおさら看過できないと判断した」


「……はい」


「今も、学院に基準や秩序が必要だという考えは変わっていない」


カイルが顔を上げる。


元担任は。


逃げなかった。


「だから、あの時の私が何も考えず間違えたとは言わない」


それでいいと。


俺は思った。


全部間違っていた。


こちらが全部正しかった。


そんな話ではない。


「ただ」


元担任は続けた。


「一つ、間違えた」


カイルの目が。


少し揺れる。


「あの時、私は」


「はい」


「お前がなぜ疑問を持ったのか、本人に聞かなかった」


教室の中。


遠くで。


外の生徒たちの声が聞こえる。


「処分を決める前に、一度でも聞くべきだった」


「……」


「それは」


元担任が。


深く頭を下げた。


「教師として、私の失敗だった。すまなかった」


カイルは。


動かなかった。


六年間。


自分を教えてきた教師が。


頭を下げている。


すぐに。


「大丈夫です」


とも。


「許します」


とも。


言わなかった。


長い時間。


ただ。


見ていた。


そして。


「僕も」


ようやく口を開く。


「先生たちのことを、全部間違っていると思いかけました」


元担任が顔を上げる。


「ここへ来て、自分が見ていなかったものを知って。王立中央学院は古くて、点数だけしか見ていない学校なんじゃないかって」


カイルは。


今日の授業で使われた資料を見る。


「でも、この前の授業で」


「はい」


「僕が六年間、当たり前すぎて見ていなかった工夫がたくさんあると分かりました」


首席徽章を失っても。


王立中央学院で学んだ六年は。


なくならない。


第四十一話で。


カイル自身が言ったことだ。


「だから」


カイルは。


自分の《未発見才能記録》を一枚抜いた。


元担任へ差し出す。


「先生についても、まだ分からないことがあると思います」


元担任が。


紙を受け取る。


そこには。


今日。


カイルが書いたらしい。


《教える速度が速いのに、最低目標を見失わない》


《質問を後へ回す判断が早い》


《昔より「分からない」と言うようになった》


最後。


――まだ分からないこと。


『先生が、どうして教師になったのか』


元担任が。


長く。


その一文を見ていた。


やがて。


少しだけ笑った。


「六年教えたのに」


「はい」


「そんなことも話していなかったか」


「僕も聞かなかったので」


「そうか」


元担任は。


近くの椅子へ座った。


「長くなるぞ」


カイルも。


向かいへ座る。


「今日は時間があります」


俺は。


そっと立ち上がった。


今度は。


止められなかった。


たぶん。


もう俺がいなくても大丈夫だ。



夕方。


二人はかなり長い間話していたらしい。


カイルが記録室へ戻ってきた時。


持っていた《未発見才能記録》には。


いつもの倍くらい。


文字が増えていた。


俺は尋ねる。


「どうだった?」


「先生が教師になった理由、知りました」


「そうか」


「最初は魔法研究者になりたかったそうです」


意外だった。


「でも、学生時代に後輩へ術式を教えたら、その子が初めて魔法を成功させて」


カイルが。


少し笑う。


「自分が成功した時より嬉しかったから、教師になったそうです」


「それは」


俺も少し笑った。


「今まで知らなかったのは惜しかったな」


「はい」


六年間。


毎日顔を合わせていた。


それでも。


知らないことがあった。


同じ人間を長く知っていることと。


その人の全部を知っていることは。


やはり違う。


「先生」


カイルが。


俺へ一枚の紙を渡した。


教師交換制度。


第二回。


実習記録。


――いつもの学校との違い。


――通じなかった説明。


――生徒から教えられたこと。


――次に変えたいこと。


そして。


最後。


――まだ分からないこと。


そこには。


元担任の字で。


一行。


書かれていた。


『六年間教えた生徒について、私は他に何を知らなかったのか』


俺は。


その一文を見た。


王立中央学院から。


教師が一人。


学びに来た。


エルガ学院から。


生徒が一人。


昔の学校の良さを。


もう一度学んだ。


教師交換制度。


第二回。


今度も。


成功したのかどうかは。


まだ分からない。


ただ。


教師と生徒。


六年間一緒にいた二人の間に。


今日。


初めて交わされた話があった。


それだけでも。


やった意味はあったと思う。


そして翌朝。


俺の机には。


教師交換制度の申請書が。


十一枚置かれていた。


エルガ学院から五人。


王立中央学院から六人。


希望者が。


一晩で増えている。


一番上の申請書を見る。


交換希望先。


王立中央学院。


申請者。


七人の勇者の一人。


剣の勇者。


理由。


『普通の生徒に剣を教えてみたい』


俺は。


静かに申請書を伏せた。


普通の生徒へ。


剣の勇者。


ものすごく嫌な予感がした。


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