第四十七話 勇者の教師見習い、他校の先生に「失敗を見せてください」と助言する
「私が書きます」
そう言ったリリアは、王立中央学院から届いた相談の手紙を両手で受け取った。
少し前までなら、俺に「何を書けばいいですか」と聞いていただろう。教師課程へ入った当初は、授業の組み立て方から生徒との距離の取り方まで、何かあるたびに俺の顔を見ていた。
けれど今日は違う。
机へ向かうと、自分で便箋を広げ、しばらく考えた末に筆を走らせ始めた。
俺とカイルは、その少し後ろから見守っていた。
「何て書くんでしょう」
カイルが小声で聞いてくる。
「さあな」
「先生、確認しなくていいんですか?」
「書き終わってから本人が見せたいと言ったら見る」
俺が答えると、カイルは一瞬だけ意外そうな顔をしたあと、自分の《未発見才能記録》へ何かを書き込んだ。
「今のまで記録するのか?」
「先生が口を出さなかったことです」
「それを何に使うんだ」
「まだ分かりません」
最近、この言葉をずいぶん便利に使うようになった気がする。
悪いことではないのだろうが。
◆
しばらくして、リリアが筆を止めた。
「できました」
「早いな」
「今日、自分が失敗したばかりですから」
そう言って差し出された手紙を読む。
最初の部分は普通だった。
王立中央学院の教師たちが、生徒から「質問しづらい」と言われたことについて、自分も同じ失敗をしたと書いてある。
問題はその先だった。
『私の場合、生徒へ何度も「分からなければ聞いてください」と伝えていました。しかし、それでも質問してもらえませんでした』
ここまではいい。
『原因を聞いたところ、私は勇者であり、魔法の達人でもあるため、私に「分からない」と伝えることそのものが生徒にとって恥ずかしく、怖いことになっていました』
正直だ。
そして。
『そこで私は、自分が子供だった頃に使用していた教科書を生徒へ見せました。そこには「分からない」「なぜ?」「先生の説明が分かりにくい」などの書き込みが大量に残っています』
俺はそこで読む手を止めた。
「最後の一つ、必要か?」
「必要です」
「俺の名誉が」
「教師としての先生の名誉は上がります」
本当だろうか。
疑問は残ったが、続きを読む。
『その結果、生徒たちは私も最初から何でもできたわけではないと理解し、質問してくれるようになりました』
そこから。
少し字が大きくなっていた。
『ですから、先生方も生徒へ失敗を見せてみてください』
俺はもう一度止まった。
「リリア」
「はい」
「これ、誤解されないか?」
「どうしてです?」
「王立中央学院の教師三十二人が、わざと授業で失敗し始めたら困る」
リリアが固まった。
カイルが隣から手紙を覗き込み、真剣な顔で頷いた。
「可能性があります」
「ありますか?」
「教師は指示を具体的に解釈しますから」
「それ、お前が言うと妙に説得力あるな」
カイル本人も、少し前まで評価基準を文字通りに運用する側だった。
リリアは慌てて文章を書き足した。
『なお、わざと失敗するという意味ではありません』
「これでどうでしょう」
「もう少し説明しよう」
結局。
俺たち三人で話しながら。
文章を少しずつ直していった。
わざと間違える必要はない。
知らないことを知らないと言う。
過去に失敗したことがあるなら隠さない。
質問を受けてすぐ答えられなければ、「調べてから答える」と伝える。
教師が完璧な存在ではないと、生徒が知る機会を作る。
そして。
生徒から「分からない」と言われた時に、それを失敗扱いしない。
最後にリリアが、自分の言葉で一文を加えた。
『質問してもらえる先生になりたいなら、まず先生自身が「分かりません」と言えるところを見せるのも、一つの方法だと思います』
俺はその文章を読んだ。
「いいんじゃないか」
「本当ですか?」
「ああ」
リリアの顔が、ぱっと明るくなる。
世界を救ったと報告された時より嬉しそうなのは、どういうことなのだろう。
◆
手紙を送った三日後。
返事は来なかった。
代わりに。
ものすごく分厚い荷物が届いた。
「先生!」
またカイルが走ってくる。
最近、この学院で最も嫌な予感を運んでくるのは、たぶんカイルだ。
「今度は何だ?」
「王立中央学院から実践報告です」
「三日で?」
「はい」
早い。
というか。
実践報告を送るほどの内容だったのか。
荷物を開けると、三十二人分の記録が入っていた。
一番上には、視察団長からの手紙。
『リリア先生の助言に基づき、各教師が一つずつ「自分が分からないこと、または過去に失敗したこと」を担当生徒へ伝える試みを実施しました』
リリアが。
俺の横で固まった。
「本当にやったんですか?」
「お前が勧めたんだろ」
「そうですけど……」
読み進める。
最初の教師。
魔法理論担当。
生徒から新型術式について質問され、今までは「次回説明する」とだけ答えていた。
今回は。
『私もまだ完全には理解していない。一緒に調べてもいいか』
そう伝えたらしい。
その結果。
普段ほとんど質問しない生徒三人が。
放課後に術式資料を持ってきた。
二人目。
歴史担当。
若い頃に年代を一つ間違えて授業し、一週間後に生徒から指摘された話をした。
すると。
授業後。
いつも黙っていた生徒が。
「教科書と先生の説明が違うところがあります」
と初めて指摘した。
教師は調べた。
生徒が正しかった。
三人目。
基礎魔法担当。
昔、火球をまともに作れるまで半年かかったと話した。
すると。
火球を三か月成功させられていなかった生徒が。
その日の放課後。
初めて補習を申し込んだ。
一枚。
また一枚。
読んでいく。
全部が成功しているわけではなかった。
「先生が分からないなら誰に聞けばいいんですか」と余計不安にさせてしまった例もある。
過去の失敗を長く話しすぎて授業時間を使い切った教師もいた。
なぜか学生時代の失恋まで話してしまい、生徒から「それは聞いていません」と言われた教師もいた。
「何をやってるんだ、この人」
俺が呟く。
カイルが記録を確認した。
「倫理学の先生です」
「倫理以前の問題だろ」
リリアは。
笑いを堪えて肩を震わせている。
◆
だが。
三十二人分を全部読み終える頃には。
笑ってばかりもいられなくなった。
結果が。
数字になっていたからだ。
『実施前一週間の質問数、合計百二十一件』
『実施後三日間の質問数、合計二百八十七件』
期間が短いのに。
倍以上。
もちろん。
これだけで原因を決めつけることはできない。
だが。
変化が起きたのは確かだった。
カイルは何度も数字を確認している。
「先生」
「なんだ」
「これって、成功なんでしょうか?」
「分からん」
「ですよね」
カイルは。
もうそれで不満そうな顔をしない。
「質問の数が増えただけで、理解度が上がったとは限りません。それに質問しすぎて授業が進まなくなった人もいます」
「あるな」
「失敗談を話すこと自体が目的になりかけてる人もいます」
「いるな」
「失恋の人とか」
「それは忘れてやれ」
ただ。
一つだけ。
はっきりしたことがある。
教師が自分を完璧に見せることを少しやめただけで。
話しかけてくれる生徒がいた。
それだけでも。
試してみる価値はあったのだろう。
◆
翌日。
リリアは自分の授業へ向かった。
昨日までと同じ十五人。
教室へ入った瞬間。
三人の手が上がった。
「勇者様!」
「はい?」
「昨日家で練習したんですけど、魔力の核が途中で消えます!」
「私は火球が横に飛びます!」
「僕は火球じゃなくて煙が出ました!」
授業前だぞ。
リリアが。
俺を見る。
俺は廊下から手を振った。
頑張れ。
リリアは一瞬だけ困った顔をしたが。
すぐ笑って教室へ入った。
「では、今日は予定を少し変えましょう」
黒板へ。
三つの失敗を書く。
核が消える。
横へ飛ぶ。
煙になる。
「まず」
リリアが言う。
「どうしてそうなったのか、みんなで考えてみませんか?」
生徒たちが。
教科書を開き始める。
一人は昨日のノートを出し。
もう一人は火球を作る手の形を確認する。
教師が答えを説明するところから。
授業が始まらなかった。
分からないことから。
始まった。
俺は。
その様子を少しだけ見て。
教師課程の記録室へ戻った。
◆
夕方。
リリアが戻ってくる。
「先生」
「どうだった?」
「予定していたところまで、全然進みませんでした」
「そうか」
「でも」
机へ座る。
実習記録を開く。
「昨日より、みんなの顔を覚えました」
「昨日から同じ生徒だろ」
「そうじゃなくて」
リリアは笑う。
「誰がどこで困っているのか、少し分かったって意味です」
実習記録へ。
今日の反省を書く。
『質問が増えると授業は遅くなる』
その下。
『でも、遅くなった理由が分かる授業になった』
さらに。
《まだ分からないこと》。
少し考えて。
『全員の質問を聞きながら、授業をどう進めればいいのか』
そこへ。
カイルがやって来た。
また手紙を持っている。
「先生」
「今日は走ってないな」
「毎回走ってるみたいに言わないでください」
かなり走っている。
カイルは手紙を差し出した。
王立中央学院。
またか。
「今度は何だ?」
「リリアさんの助言について、王立中央学院の教師会議で正式に検討したそうです」
リリアが。
固まった。
「正式に?」
「はい」
嫌な予感がする。
かなり。
「それで」
カイルが読む。
『今回の実践結果を受け、王立中央学院では教師が生徒との対話を改善するための研修項目として――』
一度。
カイルが止まった。
「何だ?」
「名前がついてます」
「名前?」
カイルが読み上げる。
『《不完全教師実習》の導入を検討します』
静かになった。
リリアが。
ものすごく嫌そうな顔をした。
「……名前、変じゃないですか?」
「変だな」
「私が考えたみたいになりますよね?」
「たぶんな」
「嫌です!」
その場にいた教師見習いたちが笑い始める。
リリアは慌てて手紙を取り上げた。
「すぐ返事を書きます!」
「何て?」
「名前を変えてくださいって!」
世界を救った七人の勇者。
その一人。
リリア。
教師見習い。
初めて他校へ送った助言は。
わずか数日で。
王立中央学院の正式研修候補になった。
本人は。
内容より。
名前の方が気に入らないらしい。
そして俺は。
別のことを考えていた。
王立中央学院の教師たちが。
こちらから答えをもらうだけではなく。
自分たちで試し。
失敗し。
また考えるようになっている。
なら。
そろそろ。
こちらが向こうから学ぶ番でも。
いいのかもしれなかった。




