第四十四話 教師四百八十六人は受け入れません。その代わり、先生同士で学んでもらいます
「王立中央学院の正規教師、四百八十六名です」
視察団長がもう一度言った。
聞き間違いではなかったらしい。
俺は転移門の前に立ったまま、彼から渡された分厚い研修計画書を見る。年間を通して人数を分散させ、順番にエルガ学院へ送り込む。教師課程の授業見学だけでなく、生徒の観察、教師見習いとの意見交換、実習への参加まで希望している。
よく考えられていた。
だからこそ。
「無理です」
俺は返した。
視察団長が固まる。
「……即答ですか?」
「はい」
後ろに並んだ三十一人の教師たちまで、微妙な顔になった。
ユリアだけは、俺がそう答えると予想していたのか苦笑している。
「人数を分散させても?」
「無理です」
「年間計画でも?」
「無理です」
「では、人数を半分に――」
「人数の問題だけじゃありません」
俺がそう言うと、視察団長の表情が変わった。
ようやく話を聞く顔になる。
俺は、今日一日使われていた校舎を見る。王立中央学院の教師三十二人を二人ずつ分けただけでも、教師見習いと職員がかなり動いた。何より、生徒たちは普段とは違う大人が教室に入ってきたせいで、少なからず緊張していた。
あの栗色の髪の少女もそうだった。
最初に「三十二人に見られるのは嫌だ」と、はっきり言ってくれたから気づけた。
「この学院は、教師を研修するために生徒を置いているわけじゃありません」
視察団長が黙った。
「皆さんに学んでもらうのは構いません。でも、そのために毎日知らない大人が教室へ入り、生徒が落ち着いて学べなくなるなら順番が逆です」
「……確かに」
「教師を育てるために、生徒へ我慢させる学校にはしたくありません」
後ろにいた教師の一人が、自分の手帳へ何かを書き込んだ。
たぶん今日も、分からないことが一つ増えたのだろう。
◆
視察団長はしばらく考えてから、計画書を閉じた。
「では、この研修計画は撤回します」
思ったより早かった。
「いいんですか?」
「今の話を聞いた直後に、人数だけ減らして再提出するほど私も鈍くはありません」
昨日までの俺なら。
いや、昨日までのこの人なら、もう少し食い下がっていたかもしれない。
一日生徒たちを見ただけで、教師側も少し変わったらしい。
ただし。
「ですが、諦めるつもりもありません」
やっぱりそうなるか。
視察団長は俺を見る。
「四百八十六人をここへ連れてくる方法が問題なのなら、エルガ学院へ来なくても学べる方法を考えればいい」
その言葉に、俺は少しだけ興味を持った。
隣にいたユリアも同じだったらしく、眼鏡を押し上げる。
「王立中央学院の中で、ですか?」
「そうだ」
「でも」
ユリアが首を傾げた。
「今日私たちが学んだのは、エルガ学院の特別な授業方法そのものではありませんよね」
視察団長が彼女を見る。
「どういう意味だ?」
「私も昨日まで勘違いしていたんです。ここに何か特別な教授法があって、それを覚えれば生徒を正しく見られるようになるのだと」
そこで一度、俺を見る。
「でも違いました」
「違う?」
「私が昨日やったことなんて、一人の生徒を見る。それだけです」
視察団の教師たちも集まってきた。
ユリアは続ける。
「ただし、自分が見たものだけで結論を出さない。分からなければ本人に聞く。他の教師とも話す。昨日の自分の評価と今日見たものが違えば、評価の方を疑ってみる」
それなら。
王立中央学院でもできる。
誰かが、そう呟いた。
俺も同じことを考えていた。
ここへ四百八十六人を連れてくる必要はない。
王立中央学院には。
王立中央学院の生徒がいる。
その生徒たちを。
今までとは少し違う見方で見ればいい。
◆
「先生」
後ろから声がした。
カイルだった。
授業を終えたらしく、《未発見才能記録》を何枚も抱えている。
「何の話ですか?」
「王立中央学院の教師四百八十六人を、うちで研修させたいらしい」
「四百八十六人!?」
予想通りの反応だった。
「断った」
「ですよね」
最近、カイルまで俺の判断を予想するようになっている。
少し複雑だ。
だが。
カイルは視察団長たちを見ると、持っていた紙を一枚めくった。
「だったら」
何かを考えている顔だった。
「教師用の《未発見才能記録》を作ればいいんじゃないですか?」
全員の視線が集まった。
「教師用?」
ユリアが聞き返す。
「はい」
カイルは自分の記録を見せる。
もともとは、試験だけでは見つけられない生徒の才能や特徴を書き残すために作ったものだ。
それを。
教師自身へ使う。
「先生が生徒を見たときに、分かったことを書くんじゃなくて」
カイルは考えながら言った。
「自分がどう判断したかと、その判断が本当に合っているか確認したかを書くんです」
視察団長が身を乗り出す。
「具体的には?」
「例えば……」
カイルはその場にしゃがみ込み、新しい紙へ項目を書き始めた。
――生徒を見て、最初にどう思ったか。
――なぜそう思ったか。
――本人へ理由を聞いたか。
――別の可能性を考えたか。
――昨日と評価が変わった点。
――まだ分からない点。
最後まで書いたところで。
カイル自身が止まった。
「……これ」
「どうした?」
「かなり嫌な記録ですね」
「自分で作ったんだろ」
「自分がどれだけ決めつけたか残るので」
ユリアが笑った。
「それがいいんじゃない?」
「先生は昨日十七個ありましたもんね」
「カイル君?」
笑顔なのに声が少し怖い。
カイルは紙へ視線を戻した。
◆
結局。
その場で教師たちが集まり、項目を増やしたり減らしたりし始めた。
俺はほとんど口を出さなかった。
王立中央学院の教師たちが使うものなら、王立中央学院の教師たち自身が考えた方がいい。
一時間後。
最初の試作版が完成した。
名前は。
《教師観察記録》。
普通だ。
カイルが少し不満そうだった。
「もっと分かりやすい名前がいいと思います」
「例えば?」
「《先生の思い込み発見表》」
ユリアが即座に首を振った。
「嫌です」
「分かりやすいですよ?」
「教師室で毎日それを書くんですよ?」
視察団の教師たちも、全員嫌そうな顔をしている。
結局。
《教師観察記録》に戻った。
中身は。
それなりに厳しい。
最初に下した判断。
判断の根拠。
本人への確認。
他の可能性。
その日の終わりに変わった評価。
そして。
まだ分からないこと。
視察団長は完成した用紙をじっと見た。
「これなら、王立中央学院でも実施できる」
「ただ」
俺は言う。
「記録を書くこと自体が目的になったらやめた方がいいですよ」
視察団長が顔を上げる。
「記録することが目的になる?」
「こういうものは、全員提出とか毎日必須とかにすると、すぐ書類を埋める仕事になりますから」
何も見つからなかった日でも。
何か書かなければならない。
すると。
教師は書くために問題を探し始める。
それでは。
また別の点数表になるだけだ。
カイルが。
少し気まずそうに視線を逸らした。
自分の《未発見才能記録》も。
最初は同じ危険があったことに気づいたのだろう。
「必要な時に使う」
俺は続ける。
「判断に迷った時。生徒が思った通りに伸びない時。自分の見方に自信がなくなった時。それくらいでいいと思います」
視察団長は。
しばらく考えた後。
大きく頷いた。
「規則にしないのですか?」
「規則にしたいなら、そちらで決めてください」
「エルガ学院では?」
「しません」
「なぜ?」
「書かなかったら怒られる《分からないこと》って、変でしょう」
数人が笑った。
視察団長も。
少しだけ笑った。
◆
その日の夕方。
王立中央学院の教師三十二人は。
四百八十六人分の研修計画書を持ち帰った。
代わりに。
一枚の《教師観察記録》を持って。
「まずは三十二人で試します」
視察団長が言った。
「うまくいけば、王立中央学院内で少しずつ広げます」
「その方がいいと思います」
「うまくいかなければ?」
「やめればいいでしょう」
また驚かれた。
「やめてもいいのですか?」
「合わない方法を続ける方が困ります」
視察団長は。
自分の手の中の紙を見る。
「教育制度というものは、一度作れば守るべきものだと思っていました」
「守った方がいいものもあるでしょう」
「変えていいものも?」
「あると思います」
俺自身。
この学院を始めた頃から。
何度変えたか分からない。
生徒が増え。
教師が増え。
分校が増え。
教師課程までできた。
最初から。
全部予定していたものなんて。
ほとんどない。
「完成した学校なんて」
俺は言った。
「たぶん、ないですよ」
視察団長は。
その言葉まで記録しようとして。
手を止めた。
「これは書かなくていいですね」
「好きにしてください」
少しだけ。
笑いながら。
三十二人は転移門へ入っていった。
◆
問題が起きたのは。
三日後だった。
朝。
カイルが教室へ飛び込んできた。
「先生!」
「どうした」
手には。
王立中央学院から届いた手紙。
「《教師観察記録》の結果が来ました!」
「もう?」
「三十二人全員、三日間試したそうです」
早いな。
カイルは。
興奮したまま報告書を開く。
「最初の三日で、教師が自分の評価を変更した生徒が――」
数字を見て。
止まった。
「何人だ?」
「百七十三人です」
今度は俺が止まった。
多い。
さすがに多すぎる。
「ただし、成績を上げたとか下げたとかじゃありません」
カイルが急いで続ける。
「『集中力不足』を『理由不明』へ変えたとか、『努力不足』を『学習方法が合っているか未確認』へ変えたとかです」
なるほど。
評価が良くなったわけではない。
分かったつもりだったものを。
分からないへ戻した。
それが。
百七十三人。
カイルは。
次の紙を見る。
「それで……」
急に。
妙な顔になった。
「何だ?」
「王立中央学院から、追加の質問です」
「また視察?」
「違います」
カイルが読み上げた。
「『教師側の評価を変更した結果、生徒本人から“では僕の得意なことは何ですか”と質問され、答えられない教師が続出しています』」
俺は。
嫌な予感がした。
カイルが。
最後の一行を読む。
「『つきましては、才能の見つけ方についてエルガ学院へ助言を求めます』」
静かになった。
俺は。
カイルを見る。
カイルも。
俺を見る。
《未発見才能記録》。
そもそも。
それを作った本人だ。
「カイル」
「はい」
「王立中央学院から質問が来てるぞ」
「……はい」
「才能って、どうやって見つけるんだ?」
王立中央学院元首席。
十五歳。
数日前まで。
点数で人を判断していた少年は。
かなり長い間。
黙った。
そして。
《未発見才能記録》の。
一番下の欄を指さした。
――まだ分からないこと。
「先生」
「なんだ」
「これ」
「うん」
「僕にもまだ分かりません」
俺は頷いた。
「じゃあ」
カイルを見る。
「次は、それを調べる授業だな」
カイルの顔が。
ぱっと明るくなった。
どうやら。
王立中央学院から届いた質問が。
今度は。
うちの学院の新しい授業になりそうだった。




