第四十三話 王立学院の教師三十二人、視察の前に「分かりません」を書かされました
翌朝。
転移門の前に、王立中央学院の教師が三十二人並んでいた。
昨日までなら、一人来ただけでも珍しかった。
今日は三十二人だ。
全員が王立中央学院の濃紺の制服を着ているため、朝から妙な威圧感がある。
その先頭には、五十歳ほどの男性教師が立っていた。白髪交じりの髪をきっちり後ろへ撫でつけ、胸にはいくつもの教員徽章が並んでいる。
「王立中央学院教育視察団です。本日は受け入れに感謝します」
「エルガ学院長のアレンです。よろしくお願いします」
俺が頭を下げると、三十二人が一斉に頭を下げた。
動きまで揃っている。
さすが王立中央学院。
横にいたユリアが、小声で言った。
「……本当に三十二人来ましたね」
「あなたのせいじゃないですか?」
「違います」
「教師課程の話をしたんでしょう?」
「少しです」
「三十二人来る程度には?」
「だから知りませんって!」
昨日より。
ずいぶん自然に「知りません」と言えるようになったな。
成長が早い。
もっとも。
本人に言うと怒られそうなので黙っておいた。
先頭の男性教師が書類を差し出した。
「本日は教師課程の授業方法、評価制度、実習内容を中心に視察させていただきたい」
「分かりました」
「可能であれば、講義計画書と年間教育課程も確認したい」
「ありますよ」
男性教師の表情が少し緩んだ。
たぶん。
ここまでは想定通りだったのだろう。
「では、まず教師課程の授業を――」
「その前に一枚書いてください」
俺は紙を三十二枚渡した。
男性教師が止まる。
「これは?」
紙には。
一つだけ。
質問が書いてある。
《あなたが今日、まだ分かっていないこと》
男性教師は、しばらく紙を見つめた。
「視察目的を書くのでしょうか?」
「いいえ」
「確認項目を?」
「違います」
「では?」
「書いてある通りです」
俺は答えた。
「今、自分が分かっていないことを一つ書いてください」
三十二人の教師が。
一斉に黙った。
◆
「必要でしょうか」
先頭の教師が尋ねた。
「見学には必要です」
「我々は生徒ではありません」
「知っています」
「王立中央学院の教師です」
「それも知っています」
少し。
空気が固くなった。
ユリアが俺を見る。
たぶん。
昨日の自分を見ている気分なのだろう。
先頭の教師は紙を持ったまま言った。
「我々はエルガ学院の教育制度を調査するために来ています。何を確認するかは、事前に王立中央学院で整理してあります」
「それなら」
俺は尋ねた。
「何が分からないから確認するんです?」
男性教師が。
止まった。
「……何?」
「全部分かっているなら、視察する必要はないでしょう」
後ろで。
誰かが小さく息を呑んだ。
「授業方法を知りたいなら、何が分からないのか」
「評価制度を見るなら、今の自分たちの評価制度の何に疑問があるのか」
「実習を見るなら、教師を育てる方法について何が分かっていないのか」
俺は紙を指した。
「それを一つだけ書いてください」
男性教師は。
少し不満そうだった。
だが。
後ろから声がした。
「私は書けます」
若い教師だった。
紙へ何かを書き込む。
《同じ説明をしているのに、生徒によって理解速度が違う理由》
別の教師も。
少し考えてから書いた。
《質問しない生徒が、本当に理解しているのか確かめる方法》
また一人。
《試験点数が伸びない生徒へ、反復以外に何をすればいいのか》
ユリアが。
いつの間にか紙を覗き込んでいる。
「いいですね」
「ユリア先生?」
「昨日の私より早いです」
妙な先輩面をしていた。
教師課程へ参加を希望したのは昨日だぞ。
やがて。
一人。
また一人。
紙が埋まっていく。
三十二人中。
三十一人。
最後まで。
先頭の男性教師だけが書けなかった。
「……」
白紙。
俺は何も言わなかった。
しばらく待つ。
やがて男性教師が尋ねた。
「必ず書かなければ、入れないのですか?」
「そんな規則はありません」
「では」
「ただ」
俺は答えた。
「何を知らないのか分からない状態で見ても、知っているものしか見えないかもしれません」
男性教師が。
俺を見る。
「昨日」
ユリアが口を挟んだ。
「私は、それをやりました」
全員が彼女を見る。
「一人の生徒を三時間見て、六個も分かったつもりになりました」
「分かったつもり?」
「はい」
ユリアは自分のノートを開いた。
そこには。
昨日見つけた。
十七個の《分からないこと》が残っている。
「午後には、ほとんど分からなくなりました」
若い教師が。
思わず笑った。
「悪化しているじゃないですか」
「そうなんです」
ユリアも笑う。
「でも、その方がよかったんです」
先頭の男性教師だけが。
笑わなかった。
白紙の紙を見つめている。
そして。
かなり長く考えてから。
一行だけ書いた。
《なぜ、この学院の教育が王立中央学院と違うのに成立しているのか》
俺は。
それを読んで頷いた。
「では、行きましょう」
◆
最初の教室へ入ろうとして。
問題が起きた。
「全員は入れません」
俺が言うと。
視察団が止まった。
「なぜです?」
「教室が狭いからです」
単純な理由だった。
生徒十八人。
教師一人。
教師見習い四人。
そこへ。
三十二人。
入ったら。
授業より視察団の方が多くなる。
「後ろに立って見学します」
「無理でしょう」
「多少狭くても構いません」
「皆さんが構わなくても」
俺は教室の中を見る。
「生徒が構います」
視察団が黙った。
昨日。
ユリアが観察していた栗色の髪の少女もいる。
今日は朝から木片を並べているが、教室の外に王立中央学院の教師三十二人がいると気づいて。
手が止まっていた。
「どうした?」
俺が尋ねる。
少女は。
教師たちを見る。
「……今日、あの人たちずっといるの?」
「見学したいそうだ」
「三十二人?」
「そうらしい」
少女は。
嫌そうな顔をした。
「やだ」
視察団の何人かが驚いた。
先頭の教師も。
眉を寄せる。
「我々は授業を妨害するつもりはありません」
少女は。
しばらく彼を見る。
「でも見るんでしょ?」
「見学だからね」
「だったら」
少女は木片を握った。
「いつもみたいにできない」
男性教師が。
言葉を失う。
俺は少女へ聞いた。
「何人なら大丈夫そうだ?」
「……二人」
「分かった」
俺は視察団へ向き直った。
「二人ずつにしましょう」
「待ってください」
当然。
反論が来た。
「三十二人の正式な視察団です。二人ずつでは、全員が同じ授業を確認できない」
「はい」
「では、正確な比較ができません」
「そうですね」
「なら――」
「でも」
俺は少女を見る。
「視察のために生徒の授業を壊す方が困ります」
男性教師が黙った。
「授業は」
俺は言う。
「視察されるためにやっているわけじゃないので」
誰も。
反論しなかった。
◆
結局。
視察団は二人ずつ。
十六組へ分かれた。
同じ授業を全員で見ることは諦め。
それぞれ別の教室や実習へ入ってもらう。
その結果。
予定していた視察計画は。
開始十五分でほとんど役に立たなくなった。
「こんな視察は初めてです」
視察団の一人が言った。
「すみません」
「いえ」
彼女は。
紙へ必死に何かを書きながら首を振る。
「面白いです」
隣では。
教師見習いと一緒に。
生徒二人が土魔法で小さな壁を作っている。
片方は速い。
片方は遅い。
だが。
遅い方の壁は。
何度押しても崩れなかった。
「なぜ、完成速度で評価しないんです?」
教師が尋ねる。
教師見習いが答えた。
「今日は、速さを練習している日ではないからです」
「では何を?」
「本人に聞いてみてください」
教師が。
ものすごく嫌な顔をした。
昨日のユリアと同じ顔だった。
「この学院、そればっかりですね」
「便利なので」
近くで聞いていた俺は。
思わず笑った。
どうやら。
この返答は広まりつつあるらしい。
◆
昼。
三十二人が再集合した。
朝とは。
ずいぶん雰囲気が違っていた。
最初は整然と並んでいた教師たちが。
今はあちこちで話し込んでいる。
「私が見た子は、教科書をほとんど使わなかったんです」
「それで理解できたんですか?」
「分かりません。だから午後に本人へ聞きます」
「私は逆でした。ずっと教科書を読んでいる子だったのですが、授業内容とは別のページを読んでいて」
「注意しなかったんですか?」
「しようと思いました。でも昨日のユリア先生の話を思い出して……」
ユリアが。
なぜか誇らしそうだった。
昨日まで。
王立中央学院の教育方法に疑問すら持っていなかった人なのに。
「先輩みたいな顔をしてますね」
俺が言う。
「昨日の経験者ですから」
「一日先輩?」
「一日でも先輩です」
そういうものなのだろうか。
そこへ。
朝から一番口数の少なかった視察団長が来た。
手には。
最初に渡した紙がある。
「アレン学院長」
「はい」
「一つ訂正してもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
彼は。
朝書いた一文。
《なぜ、この学院の教育が王立中央学院と違うのに成立しているのか》
そこへ。
一本線を引いた。
そして。
新しく書く。
《なぜ私は、王立中央学院と違う教育は成立しないと思っていたのか》
俺は。
少し驚いた。
「変わりましたね」
「はい」
「答えは分かりました?」
「いいえ」
視察団長は。
白紙だった裏面まで見せた。
そこには。
細かい字が。
ぎっしり並んでいた。
「分からないことが二十六個増えました」
「ユリア先生より多いですね」
ユリアが反応する。
「二十六!?」
「はい」
「私、十七だったのに……」
なぜ張り合う。
視察団長も困った顔をする。
「競争ではないと思いますが」
「分かっています」
どうも。
この学院では。
《分からない》の数まで。
順位になりかねない。
それはそれで困る。
◆
夕方。
視察は終わった。
三十二人の教師たちは。
転移門の前へ集まる。
全員。
朝より荷物が増えていた。
資料ではない。
生徒から借りた記録。
自分たちで書いた質問。
教師見習いとの話し合いで作ったメモ。
中には。
子供に描いてもらった図を大切そうに持っている教師までいる。
「本日はありがとうございました」
視察団長が。
深く頭を下げた。
朝より。
ずっと自然な頭の下げ方だった。
「何か参考になりました?」
俺が聞く。
「正直に言えば」
彼は苦笑する。
「分かりません」
後ろで。
ユリアが吹き出した。
「でも」
視察団長は続ける。
「帰ってから確認したいことは、三十二人全員にできました」
それなら。
視察した意味はあったと思う。
「一つだけ」
彼が尋ねた。
「お願いがあります」
嫌な予感がした。
最近。
この言葉の後には。
だいたい仕事が増える。
「何でしょう」
「本日のような見学を」
やはり。
「王立中央学院の教師全員に受けさせたい」
俺は。
黙った。
「全員って」
「現在所属する正規教師」
嫌な予感が。
もっと強くなる。
「何人です?」
視察団長は答えた。
「四百八十六名です」
俺は。
空を見上げた。
今日。
三十二人を受け入れるだけでも。
十六組に分けた。
それが。
四百八十六。
無理だ。
「一度には無理ですよ」
「もちろんです」
よかった。
話の分かる人だった。
「そこで」
視察団長が。
分厚い書類を出した。
「年間を通した定期研修として――」
話の分かる人ではなかった。
その横で。
学院管理人形が青く光る。
「新規教育需要」
「四百八十六名を確認」
俺は管理人形を見る。
「確認しなくていい」
「記録します」
「記録もしなくていい」
「管理業務です」
また。
校舎だけではなく。
教師の時間まで。
足りなくなりそうだった。




