第四話 王国最強の竜騎士が、勝手に教師になった
翌朝。
学院全体を揺らすほどの地響きで、俺は目を覚ました。
昨夜は屋根の残っている教室へ毛布を敷き、三人の生徒と離れた場所で眠っていた。
外へ飛び出すと、運動場の中央に巨大な竜が立っている。
赤黒い鱗。
校舎よりも高い背。
翼を広げれば、運動場の半分が影に覆われる。
王国でも数体しか確認されていない古竜だった。
その頭の上から、一人の女性が飛び降りる。
長い赤髪を後ろで束ね、黒い竜騎士の鎧を身につけていた。
着地した彼女は俺の姿を見つけると、すぐに駆け寄ってきた。
先生。
竜騎士フィオナ。
俺が育てた七人の教え子の一人だ。
幼い頃のフィオナは、どんな竜からも嫌われる少女だった。
彼女が近づくだけで、馬は逃げ、犬は吠え、竜は炎を吐いた。
本人は、自分には竜騎士の才能がないと思っていた。
実際は逆だ。
フィオナは竜の感情を強く感じ取りすぎていた。
竜が抱く恐怖や警戒心まで受け取ってしまい、無意識に同じ感情を返していたのだ。
俺は彼女へ、竜を従わせる方法ではなく、心を落ち着ける方法を教えた。
今では王国最強の古竜すら、彼女の指示へ従っている。
フィオナは俺の前まで来ると、両手を広げた。
先生。ご無事で本当に。
抱きつかれる直前、俺は彼女の額を片手で押さえた。
待て。
どうしてここにいる。
先生の安全を確認するためです。
王城はどうした。
六人が残っています。
つまり、まだ占拠しているのか。
先生からの手紙が届けば、きっと解放します。
届かなければどうする。
フィオナは笑顔のまま視線を逸らした。
俺は小さく息を吐いた。
王城へ戻りなさい。
嫌です。
即答だった。
フィオナは昔から素直な少女だったが、俺の言うことを何でも聞くわけではない。
特に、自分が正しいと思ったときは頑固になる。
俺はここで学院を始める。お前には王国を守る役目があるだろう。
魔王軍は退けました。
残党は。
昨日、古竜たちがすべて追い払いました。
竜たちを私物化していないか。
お願いしただけです。
フィオナが振り返る。
運動場にいる古竜が、大きく頷いた。
どうやら本当に頼んだだけらしい。
そこへ、ミレイユたち三人が校舎から出てきた。
巨大な古竜を見た瞬間、ミレイユとノエルはその場で固まった。
セシリアだけが反射的に木の枝を構える。
古竜は、その枝を見て首を傾げた。
おはようございます、先生。
ミレイユが震える声で挨拶する。
おはよう。
あちらの竜は、私たちを食べませんか。
食べない。
本当に。
フィオナの竜なら大丈夫だ。
俺が答えると、フィオナが胸を張った。
こちらは古竜ヴァルガスです。人間を食べることはありますが、先生の生徒は絶対に食べません。
余計な説明をするな。
ノエルが角ウサギを抱きしめた。
ヴァルガスは角ウサギへ鼻先を近づける。
食べられると思ったのか、角ウサギは震えていた。
ノエルが両腕で守ろうとすると、古竜は静かに顔を離した。
そのまま地面へ伏せ、角ウサギと同じ高さまで頭を下げる。
ノエルの生命活性を感じ取ったらしい。
不思議な力を持つ子ですね。
フィオナがノエルを見た。
その直後、今度はミレイユへ視線を向ける。
こちらの子は、身体から魔力が漏れ続けています。
分かるのか。
竜は魔力の流れに敏感ですから。
フィオナはミレイユの周囲を一周した。
これほどの魔力量は、ルシアでも持っていません。
私にも扱えるでしょうか。
ミレイユが不安そうに尋ねる。
フィオナは俺を見る。
先生が教えるのなら、扱えます。
迷いのない答えだった。
ミレイユの頬が少し赤くなる。
俺はフィオナが背負ってきた荷物を見た。
巨大な鞄がいくつも並んでいる。
安全確認に来ただけにしては多すぎる。
これは何だ。
着替え、寝具、食器、調理道具、竜用の餌、それから教師用の服です。
最後の言葉が気になった。
教師用。
はい。
フィオナは鞄から一枚の書類を取り出す。
エルガ学院、竜騎士科教師フィオナ。
いつの間に作った。
王城の執務室に、学院教師の任命書がありましたので。
俺の署名欄は空白だった。
学院長である俺が署名しなければ、正式な教師にはならない。
勝手に記入しなかったことだけは評価できる。
先生。
駄目だ。
まだ何も言っていません。
顔を見れば分かる。
フィオナは書類を胸の前で抱えた。
私なら、竜の扱い方を教えられます。
この学院には、竜騎士を目指す生徒はいない。
これから入学するかもしれません。
古竜を連れている教師がいたら、普通の生徒は怖がる。
ヴァルガスは大人しいです。
古竜が肯定するように喉を鳴らす。
その音だけで、校舎の割れた窓が震えた。
まったく説得力がない。
フィオナは諦めず、今度は壊れた校舎を見上げた。
では、教師として必要かどうか、働きで判断してください。
何をするつもりだ。
先生は、この校舎を修理されるのでしょう。
ああ。
フィオナはヴァルガスへ視線を向けた。
古竜が翼を広げる。
大きな風が吹き、運動場の雑草が一斉に倒れた。
そのまま空へ舞い上がり、学院の裏にある森へ向かう。
数分後。
ヴァルガスは、両脚で何本もの倒木を抱えて戻ってきた。
森を壊したのか。
枯れた木だけを選んでいます。
古竜は倒木を運動場へ並べる。
フィオナが腰の剣を抜いた。
一閃。
太い倒木が、同じ長さの木材へ切り分けられた。
さらに数度剣を振ると、柱や板に使えそうな形へ整っていく。
ミレイユたちが、目を輝かせていた。
先生。
フィオナが俺へ振り返る。
竜騎士は、建築にも役立ちます。
竜騎士の本来の仕事ではない。
ですが、役には立ちました。
それは否定できない。
俺一人なら、木材を集めるだけで何日もかかっていた。
ヴァルガスがいれば、屋根の上へ資材を運ぶこともできる。
俺が黙っていると、フィオナは任命書を差し出してきた。
教師として採用してください。
竜騎士科は作らない。
では、実技教師で。
生徒は三人だけだ。
三人もいます。
給料は出せない。
先生と同じ場所で暮らせれば必要ありません。
フィオナは引く気がなかった。
三人の生徒を見る。
ミレイユは期待するようにこちらを見ている。
セシリアは、フィオナの剣技へ興味を持ったらしい。
ノエルは古竜の頭を撫で始めている。
俺は負けを認め、任命書を受け取った。
しばらくの間だけだ。
ありがとうございます、先生。
フィオナは勢いよく俺へ抱きついた。
今度は止めるのが間に合わなかった。
鎧が胸へ当たって痛い。
離れろ。
もう少しだけ。
生徒の前だ。
では、教師だけのときならいいのですね。
そういう意味ではない。
ミレイユたちが、また三人で顔を見合わせている。
どうしてか、昨日より俺を見る目が少し冷たかった。
その日の午前中。
俺たちは全員で校舎の修理を始めた。
フィオナが木材を切り、ヴァルガスが屋根へ運ぶ。
セシリアは木の枝を剣代わりにして、腐った壁を正確に切り落とした。
ノエルは生命活性の力を細く広げ、傷んだ木材の中からまだ使えるものを見つける。
ミレイユには、余分な魔力を地面へ流しながら弱い風を起こしてもらった。
床や机に積もった埃が、窓の外へ運ばれていく。
誰も爆発せず、誰も気絶せず、魔物だけが巨大化することもなかった。
昨日より確実に成長している。
昼になる頃には、一階の教室が一つ使える状態になっていた。
フィオナは満足そうに完成した教室を見回す。
これで私の部屋も作れますね。
ここは教室だ。
先生の隣の部屋は空いていますか。
教師は校舎ではなく、裏の寮を使う。
では、先生も寮へ移りましょう。
なぜ俺の部屋まで決める。
フィオナが答える前に、ヴァルガスが空を見上げた。
低い唸り声を上げる。
何かが近づいているらしい。
俺たちも空を見上げる。
東の空に、巨大な光の輪が浮かんでいた。
転移魔法陣。
しかも一つではない。
六つの光が、学院の上空へ同時に現れる。
フィオナの顔から笑みが消えた。
早すぎます。
何がだ。
あの六人が、もう先生の居場所を見つけました。
次の瞬間。
学院の運動場へ、六本の光の柱が降り注いだ。
勇者。
剣聖。
聖女。
賢者。
精霊使い。
そして影の英雄。
王国最強と呼ばれる残り六人の教え子たちが、全員そろって姿を現す。
最初に口を開いたのは、勇者リリアだった。
フィオナ。
一人だけ先に来るなんて、ずるいです。
フィオナは俺の腕へしがみついた。
早く来た者の特権です。
六人の視線が、フィオナの腕へ集まった。
空気が一瞬で重くなる。
俺は六人との再会を喜ぶより先に、一つの疑問を口にした。
王城は、きちんと解放してきたんだろうな。
六人は誰一人として、俺と目を合わせなかった。




