第三十一話 初代学院長は、魔物たちから逃げられていた
初代エルガ総合育成学院長。
アルフォンス・レイヴァン。
二百年以上前に学院を作った人物が、今も生きている。
第七校から届いた報告を聞き、地下大教室は静まり返っていた。
俺もすぐには信じられなかった。
学院地下に残されていた記録映像の中で、アルフォンスはすでに白髪の老人だった。
あれから百年以上。
普通の人間なら生きているはずがない。
間違いないのか。
俺が通信越しに尋ねると、魔物と話せる少女が、大きな魔狼へ耳を傾けた。
少女の名はミア。
十三歳。
これまで、魔物と話せると言っても誰にも信じてもらえなかった生徒だ。
間違いないそうです。
アルフォンス先生。
山の魔物たちは、みんなそう呼んでいます。
フィオナが隣から尋ねる。
そのアルフォンス先生から逃げてきたのですか。
ミアが魔狼へ聞く。
魔狼は猛烈な勢いで頷いた。
続いて、校庭に集まっていたオーガも頷く。
巨大な熊型魔物まで両手で頭を抱えた。
そこまで怖いのか。
ミアが困惑した顔で通訳する。
えっと。
怖いというより。
先生が目を覚ますと。
訓練が始まるそうです。
訓練。
はい。
朝は山頂まで二十往復。
昼は滝の中で回避訓練。
夜は百匹一組で模擬戦。
逃げたら、翌日二倍。
地下大教室に妙な沈黙が落ちた。
リリアが小さく呟く。
先生。
何だ。
初代学院長は、かなり厳しい方だったようですね。
俺もそう思う。
ミアはさらに魔狼の言葉を聞く。
それから。
まだあるのか。
弱点を見つけるまで帰れない個人指導。
寝ているところへ不意打ち。
食事中にも質問。
自分より強い相手と毎週戦わされる。
途中から教育というより、軍事訓練になっていないか。
フィオナの古竜ヴァルガスが通信映像の外から顔を入れた。
何かを聞き、突然顔を引っ込める。
どうした。
フィオナが苦笑した。
ヴァルガスも知っているそうです。
会ったことがあるのか。
ヴァルガスのお祖父様が、アルフォンス先生の生徒だったそうです。
古竜の一族にまで教え子がいる。
しかも。
フィオナは少し言いにくそうに続ける。
アルフォンス先生が起きたら、絶対に目を合わせるなと言い伝えられているそうです。
目が合うと。
適性を見抜かれて訓練計画を組まれる、と。
俺は思わず額を押さえた。
魔物たちが山から逃げた理由は、災害が目覚めたからではなかった。
教師が目覚めたからだった。
それも、かなり面倒な教師だ。
だが。
笑ってばかりもいられない。
二百年以上生きている理由。
学院を閉鎖した後、なぜ山へ入ったのか。
そして現在まで姿を見せなかった理由。
聞くべきことはいくらでもある。
フィオナ。
はい。
アルフォンスを探してくれ。
承知しました。
ただし、戦うな。
もちろんです。
訓練にも参加するな。
フィオナが黙った。
なぜ黙る。
少し興味があります。
教師として行け。
はい。
返事が怪しい。
◆
一時間後。
第七校から再び通信が入った。
映像に映ったのは、山奥。
巨大な木々が並ぶ森の中を、フィオナ、ミア、古竜ヴァルガスが進んでいる。
その周囲を、逃げてきた魔物たちが遠巻きについてきていた。
道案内はする。
だが、絶対に近づきたくないらしい。
ミアが突然足を止める。
いました。
どこだ。
あそこです。
映像が上へ向く。
巨大な岩の上。
一人の老人が座っていた。
白い髪。
長い髭。
古びた灰色の外套。
学院地下に残っていた映像と、ほとんど同じ姿。
アルフォンス・レイヴァン。
老人は一人で鍋を火へかけていた。
そして鍋の中身を味見し、顔をしかめる。
塩が足りん。
第一声がそれだった。
フィオナが慎重に近づく。
アルフォンス・レイヴァン先生でしょうか。
老人が顔を上げる。
その瞬間。
周囲にいた魔物たちが一斉に森へ逃げた。
古竜ヴァルガスまで一歩後退する。
老人はそれを見て、眉をひそめた。
まったく。
最近の若い魔物は根性がない。
百年以上訓練していなかっただろう。
まだ覚えておるということは、教育が身についている証拠だ。
それを教育と呼んでいいのか少し疑問だ。
老人はフィオナを見る。
ほう。
竜騎士か。
フィオナの身体が固まった。
右肩が硬い。
騎乗中に左へ重心を寄せすぎておるな。
あと三年その癖を続ければ腰を壊す。
フィオナの顔色が変わった。
さらにヴァルガスを見る。
そこの若造。
右翼の三枚目の鱗に古傷がある。
風を受ける角度を直せ。
ヴァルガスが驚いたように自分の翼を見る。
本当に、目を合わせただけで訓練が始まった。
ミアは老人と視線を合わせないよう、必死に地面を見ている。
お前。
びくっ。
ミアの肩が跳ねる。
魔物の声を聞けるな。
少女が恐る恐る顔を上げた。
はい。
聞くだけか。
話せます。
なら、なぜ自分の言葉を信用しておらん。
ミアが目を見開いた。
周囲に信じてもらえなかったせいで、自分でも聞こえているものが正しいのか疑っておる。
老人は鍋を混ぜながら言った。
明日から百種類の魔物と会話し、内容を記録しろ。
比較すれば、自分の感覚がどこまで正しいか分かる。
一日百種類。
まず十種類からにしてください。
通信越しに俺が口を挟んだ。
老人の手が止まった。
ゆっくりこちらを見る。
ほう。
通信術式か。
俺はエルガ総合育成学院長、アレン・クロフォードだ。
一瞬。
アルフォンスの表情が消えた。
それから、老人は鍋を地面へ置いた。
今。
何と名乗った。
エルガ総合育成学院長だ。
アルフォンスは何も言わない。
通信映像の向こうで、フィオナたちまで静かになった。
学院は。
再開した。
生徒は現在。
俺は少し考える。
もう正確な人数を数えるのが難しくなってきている。
本校だけなら、子供と大人を合わせて三百人以上。
第四校も再建中だ。
第五、第六、第七校とも連絡がつながった。
アルフォンスの目が、大きく開かれる。
ティナは。
生きている。
今も俺の学院の生徒だ。
老人の身体がわずかに揺れた。
百二十三年間。
一人で地下にいた。
俺が告げると、アルフォンスは顔を伏せた。
長い沈黙。
やがて。
そうか。
一言だけ答えた。
あの子を。
一人にしてしまったか。
声から、先ほどまでの豪快さが消えている。
俺は聞きたいことが山ほどある。
学院を閉じた理由。
王国教育監督院。
七つの学校。
王国全土へ残された服従術式。
全部、お前が始めた頃の話だろう。
ああ。
なら、エルガ学院へ来てくれ。
アルフォンスが顔を上げた。
それはできん。
なぜだ。
わしがエルガへ戻れば。
学院が危険になる。
フィオナが眉をひそめる。
追われているのですか。
違う。
アルフォンスは自分の胸へ手を当てた。
外套の隙間から、一瞬だけ何かが見えた。
黒い魔法文字。
アイラの首輪や、レオンに刻まれていたものとは違う。
身体全体へ広がる巨大な術式だった。
わし自身が。
七校すべてを封鎖するための最後の鍵になっておる。
地下大教室にいたルシアが立ち上がる。
どういう意味ですか。
アルフォンスは静かに答えた。
二百年前。
王国が子供たちを兵器として利用し始めたとき。
わしは七校を守るため、広域教育網そのものを封じた。
その封印を維持する器として、自分の身体を使った。
だから死ねなかった。
いや。
正確には。
死ぬことを許されなかった。
老人は笑った。
そして百年以上。
山の中で、封印が壊れないよう眠り続けていた。
なら、どうして今目覚めた。
アルフォンスの笑みが消えた。
お前だ。
俺。
アレン・クロフォード。
お前が広域教育網を次々と再起動した。
第四校。
第五校。
第六校。
第七校。
眠っていた仕組みが動き始めたことで、わしの封印も限界に近づいた。
アルフォンスは山の向こうを見る。
残るのは。
第二校と第三校。
現在、応答のない二校。
そこには何がある。
第二校は、すでに学校ではない。
第三校は。
アルフォンスが言葉を止めた。
先生。
フィオナが促す。
老人はゆっくり息を吐いた。
第三校には。
わしが育てた最初の七人がいる。
俺は思わず聞き返した。
七人。
ああ。
お前が七人の勇者を育てたように。
わしにも七人の教え子がいた。
二百年前。
世界で最も才能があり。
そして。
わしが最後まで正しく育てることのできなかった七人だ。
老人の後ろ。
遠い山脈のさらに向こうで。
空が赤く染まった。
学院管理端末が激しい警告音を発する。
旧第三校。
二百十一年ぶりに生命反応を確認。
登録生徒。
七名。
全員。
在学中。
アルフォンスが、苦しそうに目を閉じた。
あの子たちまで。
目を覚ましてしまった。




