第二十九話 四百九十三人を守っていた、もう一人の先生
第四校、生徒処分開始まで。
残り十分。
学院管理端末の警告が響く。
門の向こうから逃げてきた少女は、リリアの腕の中で震えていた。
腕に刻まれた魔法文字が赤く光っている。
あの人も、生徒と一緒に処分されます。
その先生の名前は。
エレナ先生。
少女は必死に答えた。
エレナ・フォルティス先生です。
ずっと、私たちを逃がそうとしてくれて。
昨日から一人で管理室に閉じこもって、処分命令を止めています。
一人で四百九十三人を守っているのか。
はい。
でも、もう。
少女の腕の文字がさらに明るくなる。
残り九分。
考えている時間はない。
俺は門の向こうへ足を踏み入れた。
先生。
リリアが追ってくる。
ルシア、アイラ、クロエも続いた。
ゼルドまで後ろから来ようとする。
お前は残れ。
私の権限が必要になるかもしれません。
黒い鍵はもうある。
では、第四校の構造について。
知っているのか。
ゼルドは一瞬黙った。
三年前、一度だけ視察しました。
連れていく。
クロエ。
はい。
見張っていろ。
逃げた場合は。
捕まえろ。
残念そうな顔をするな。
◆
門の向こうは、学校には見えなかった。
白い壁。
白い床。
窓のない廊下。
一定間隔で並ぶ鉄の扉。
教室ではなく、収容所だ。
扉の一つに小さな窓がある。
中を見る。
六歳ほどの少年が、一人で椅子へ座っていた。
両腕には少女と同じ魔法文字。
その隣の部屋にも子供。
さらに隣にも。
四百九十三人が、一人ずつ隔離されている。
リリアの手が震えた。
先生。
分かっている。
怒るのは後だ。
今は助ける。
アイラが廊下の奥を見る。
先生。
糸が全部、同じ場所へ集まっています。
管理室か。
たぶん。
ゼルドが道を示す。
中央塔の最上階です。
ただし第四校には、教師を排除するための守衛人形が。
言い終わる前に、廊下の壁が開いた。
白い人型魔導兵器が六体現れる。
手には細長い杖。
先端に魔力が集まる。
反抗的教師を確認。
排除します。
リリアが一歩前へ出た。
先生。
壊さない程度ならいい。
分かりました。
嬉しそうにするな。
六体から魔法が放たれた。
リリアは聖剣を抜く。
一振り。
光の斬撃が魔法だけを消し飛ばした。
二振り目。
守衛人形の手にある杖だけが、六本まとめて切断される。
三振り目。
床へ固定されていた脚部の金具だけが切れた。
六体がその場へ倒れる。
壊していません。
確かに壊してはいない。
少し成長したらしい。
教育執行人より話が通じるかもしれない。
俺は倒れた一体へ近づく。
お前たちの役目は何だ。
生徒の安全管理。
なら、生徒を処分する命令は役目と矛盾する。
王国管理者による命令を優先。
今の管理者は。
第四校院長。
名前は。
回答不能。
エレナではないのか。
否定。
エレナ・フォルティスは教師。
現在、重大規律違反者。
つまり、別に管理者がいる。
残り七分。
今は人形を説得している余裕がない。
中央塔へ向かう。
廊下を進む途中。
子供たちの声が聞こえてきた。
怖い。
痛い。
ごめんなさい。
もう逆らいません。
何度も同じ言葉を繰り返している。
俺は足を止めなかった。
全部聞くのは、助けてからだ。
中央塔の前には、巨大な扉があった。
クロエが鍵穴を見る。
開けます。
待て。
俺が止める。
普通に開けるのか。
はい。
それならいい。
クロエが黒い針を差し込む。
三秒で扉が開いた。
鍵とは何なのだろう。
塔の中へ入る。
螺旋階段。
上から激しい魔力音が響いている。
残り五分。
一気に駆け上がった。
最上階。
扉を開ける。
そこには、一人の女性がいた。
三十歳ほど。
長い青髪。
教師用の黒い制服は破れ、片腕から血が流れている。
女性は巨大な制御装置へ両手を押し当てていた。
身体から魔力を流し込み、処分命令の起動を無理やり止めている。
誰。
俺たちに気づき、女性が振り返る。
エレナ・フォルティスか。
どうして私の名前を。
逃げてきた生徒から聞いた。
少女は。
無事だ。
その一言だけで、エレナの表情が崩れた。
よかった。
だが、すぐに制御装置へ向き直る。
ここから離れてください。
もう止められません。
処分命令が始まります。
残り四分。
ルシアが装置を調べる。
先生。
第四校全体へ術式が広がっています。
中央だけ壊せば。
全生徒の術式が暴走します。
アイラは。
少女は四百九十三本の糸を見つめていた。
無理です。
多すぎます。
全部ほどく必要はない。
俺はエレナの隣へ立つ。
この装置は、誰を生徒として認識している。
全員です。
登録された四百九十三人。
登録は誰が行う。
院長権限です。
なら、卒業させればどうなる。
エレナが驚いて俺を見る。
卒業。
生徒でなくなれば、処分命令の対象から外れる。
ですが、院長権限がなければ。
俺はゼルドへ視線を向ける。
旧教育監督院の権限で、第四校の管理者を変更できるか。
不可能です。
ゼルドは即答した。
第四校はすでに別の国家が管理しています。
その国が認めた院長しか。
学院管理端末が反応する。
訂正。
緊急時に限り、旧広域教育網第一校学院長による代理管理が可能。
ゼルドが固まった。
知らなかったのか。
二百年前の規則など。
なら使える。
代理管理を申請。
学院長アレン・クロフォード。
緊急事態を確認。
第四校現管理者へ承認要求。
拒否。
当然だろう。
代替条件。
在籍教師の過半数による承認。
エレナ。
この学校に教師は何人いる。
生きている教師は、私を含めて九人です。
味方は。
エレナは苦しそうに笑った。
全員です。
第四校を運営している者たちへ逆らい、九人とも拘束されています。
エレナ以外の八人は、地下へ閉じ込められている。
承認を取る時間がない。
残り二分。
通信はできるか。
エレナが装置の一部へ手を伸ばす。
短時間なら。
全教師へつなげろ。
八つの小さな映像が浮かんだ。
傷だらけの教師たち。
突然現れた俺を見て戸惑っている。
エレナが叫ぶ。
この人に、第四校の代理管理を任せます。
生徒を助ける方法があります。
八人の教師は理由を聞かなかった。
一人目。
承認する。
二人目。
お願いします。
三人目。
子供たちを助けてください。
次々と承認が入る。
九人中、九人。
第四校代理管理権限を承認。
残り一分。
俺は制御装置へ手を置いた。
四百九十三人を、全員卒業扱いに。
エレナが目を見開く。
ですが、この子たちは何も学べていません。
分かっている。
だから形式上だけだ。
処分命令を外したら、もう一度入学させればいい。
そんな方法。
学校の規則なら、教師が生徒を守るために使えばいい。
代理学院長命令。
在籍生徒四百九十三名を、緊急卒業。
制御装置が赤く光る。
卒業条件を満たしていません。
条件を一時停止。
理由。
生命保護。
長い一秒。
二秒。
処分開始まで、十秒。
九。
八。
七。
制御装置の色が変わった。
緊急卒業を承認。
在籍生徒数。
四百九十三。
零。
赤い光が、すべて消えた。
処分命令。
対象者不在。
中止。
エレナの身体から力が抜けた。
俺が支える。
終わった。
本当に。
ああ。
四百九十三人全員、生きている。
エレナは俺の服をつかんだ。
そのまま声を押し殺して泣いた。
何日も一人で止め続けていたのだろう。
リリアが静かに近づき、エレナの肩へ上着を掛ける。
先生。
何だ。
この方は、本物の先生ですね。
ああ。
俺もそう思う。
◆
処分命令を停止した後。
隔離室の扉をすべて開いた。
子供たちはすぐには出てこなかった。
長く閉じ込められていたため、扉が開いても外へ出ていいと理解できない者もいる。
エレナと八人の教師が、一部屋ずつ回った。
もう命令はない。
外へ出なくてもいい。
出たいと思ったときに出ておいで。
無理に手を引く教師はいなかった。
少しずつ。
一人。
二人。
子供たちが廊下へ姿を現す。
俺は四百九十三人全員をエルガ学院へ連れて帰るつもりはなかった。
まず本人たちへ尋ねる必要がある。
ここへ残りたい者。
家族のところへ帰りたい者。
エレナたちと別の学校を作りたい者。
エルガ学院へ来たい者。
選択肢を作る。
エレナ。
はい。
第四校を、本当の学校へ戻す気はあるか。
彼女は驚いた。
私が。
ここには四百九十三人の生徒がいる。
そして九人の教師もいる。
俺が持っているのは代理権限だ。
正式な学院長は、この学校の人間から選ぶべきだ。
エレナは子供たちを見る。
一人の少女が彼女の服を握っていた。
別の少年も近づく。
先生。
ここにいて。
エレナは目元を拭った。
私でよければ。
その瞬間。
学院管理端末が青く光る。
第四校。
新学院長候補を確認。
エレナ・フォルティス。
教育能力。
高。
生徒保護実績。
最高。
自己決定教育。
管理人形が一度止まる。
未修了。
エレナが固まった。
俺は思わず笑った。
お前も生徒から始めるらしい。
学院長なのにですか。
俺も似たようなものだ。
教師だから学ばなくていいという規則はない。
エレナはしばらく呆然としていた。
やがて。
初めて笑った。
では、私も一年生からお願いします。
第四校に。
新しい学校が一つ生まれた。
その直後。
旧広域教育網から、連続して警告が届く。
第五校より緊急通信。
第六校より緊急通信。
第七校より緊急通信。
ルシアが三つの映像を同時に開いた。
そこに映っていたのは。
別々の国。
別々の制服。
そして、それぞれ何百人もの子供たちだった。
第四校が処分命令を拒否したことで。
残る三校でも、生徒と教師たちが管理者へ反抗を始めたらしい。
通信の向こうから、三人の教師が同時に叫んだ。
エルガ学院長。
こちらにも。
子供たちを助けてください。




