第二十七話 王国全土を操る装置に、最初の質問をした
王国中の黒い糸が、一本につながりました。
アイラは学院地下の床へ膝をつき、王都の方角を見つめていた。
その顔は青い。
これまで騎士や官僚に見えていた服従術式とは、規模が違うらしい。
何人につながっている。
分かりません。
アイラは首を横に振った。
多すぎます。
王都だけではありません。
町にも、村にも。
神殿にも、学校にもあります。
王国全土。
百年以上かけて、人から人へ受け継がれてきた服従術式が、一斉に動こうとしている。
ルシアが巨大な王国地図を床へ広げた。
各地の通信魔道具が、次々と異常を知らせてくる。
頭痛を訴える騎士。
急に命令へ逆らえなくなった官僚。
自分の意思とは関係なく、王都へ向かおうとする兵士。
まだ完全には支配されていない。
だが、このままでは時間の問題だ。
先生。
リリアが聖剣を握りしめる。
今度は、壊すしかないのではありませんか。
何を壊す。
王都地下にある中枢です。
場所も分からない。
見つけます。
見つけたとして、その装置につながっている人間がどうなる。
リリアが黙る。
中枢を破壊した瞬間、王国全土の術式が暴走する可能性もある。
ゼルドなら、その程度の仕掛けは用意しているだろう。
アイラ。
はい。
黒い糸は、一方通行か。
少女が目を細める。
いいえ。
王都から命令が来ています。
でも、こちらからも何かが戻っています。
何が戻っている。
アイラはしばらく糸を見つめた。
答え。
答え?
命令に従った、という反応です。
なるほど。
命令を送るだけではない。
従ったかどうかを確認するため、王国全土と中枢がつながっている。
なら、その道は使える。
ルシア。
こちらから中枢へ信号を返せるか。
賢者の目が輝いた。
可能です。
ただし、何を送るのですか。
命令ではない。
質問だ。
教室にいた全員が、俺を見る。
俺は黒板へ一つの文章を書いた。
なぜ、その命令に従うのか。
リリアが首を傾げる。
装置へ質問して、意味がありますか。
装置が何も考えないただの道具なら、意味はない。
だが、百年以上も命令を管理し、人間が従ったか判断している。
何らかの判断機構はあるはずだ。
地下最下層にいた教育執行人と同じだ。
命令へ従うことを正しいと教え込まれた存在。
なら、こちらも教師として話してみる。
ルシアが通信術式を組み始めた。
アイラは黒い糸の中から、中枢へ戻る道だけを探す。
テオは地脈を通る魔力の流れを確認。
ティナが中央魔力炉を調整し、学院側から王都へ信号を送れるようにする。
王国全土へ広がる巨大な術式へ、エルガ学院の生徒たちが少しずつ道をつないでいく。
先生。
アイラが顔を上げる。
つながりました。
俺は通信魔道具の前へ立った。
王国全土を管理している何者かへ。
聞こえているなら答えてほしい。
なぜ、人間を命令へ従わせる。
返事はない。
黒い糸だけが激しく脈打つ。
各地から届く報告では、術式がさらに強まっている。
俺はもう一度尋ねた。
王国を守るためか。
今度は反応があった。
学院地下の壁へ、黒い文字が浮かぶ。
肯定。
リリアたちが武器へ手をかける。
待て。
俺は文字を見る。
王国を守るために、人間から選ぶ力を奪う必要があるのか。
回答。
人間は誤る。
命令に従わなければ、争いが生じる。
だから全員へ同じ命令を与える。
それが安定だと。
肯定。
単純な考えだ。
だが、間違っている。
同じ命令によって、人が傷ついた場合はどうする。
必要な犠牲。
では、王国を守る目的は何だ。
沈黙。
壁の文字が消え、再び現れる。
王国の存続。
誰が住んでいなくても、王国さえ残ればいいのか。
回答不能。
なら質問を変える。
王国とは何だ。
長い沈黙。
王家。
領土。
法。
軍。
次々と文字が現れる。
俺は首を横に振った。
そこに住んでいる人間は含まれないのか。
文字が止まった。
教室の中で、誰も声を出さない。
やがて、一文字ずつ新しい回答が現れる。
人間。
では、人間を壊して王国を守ることは、目的と矛盾している。
黒い糸が激しく震えた。
王国全土で術式が一瞬弱まる。
先生。
アイラが驚いた声を上げる。
糸が迷っています。
装置が、命令を実行するべきか判断できなくなっている。
教育執行人と同じだ。
百年以上、正しいと教えられた命令しか知らない。
考えることそのものを教えられていない。
壁へ大量の文字が流れ始めた。
人間は誤る。
王は誤る。
教師も誤る。
命令も誤る。
正解が存在しない。
ならば。
命令を停止できない。
停止すれば王国が不安定化する。
俺はその文章を見て、少しだけ笑った。
やっと一つ、自分で考えたな。
壁の文字が止まる。
命令に従うことと、命令を止めること。
二つしか選択肢がないと思っている。
三つ目がある。
何ですか。
今度の文字は、初めて質問になっていた。
人間へ返せ。
何を。
選ぶ権利を。
中枢はしばらく何も答えなかった。
俺は続ける。
命令を送る必要はない。
必要な情報を伝えろ。
危険があるなら知らせる。
王が何を求めているかも知らせる。
だが最後に行動を選ぶのは、受け取った人間だ。
それでは、誤る。
ああ。
俺も誤る。
生徒も誤る。
王も誤る。
だから学び直す。
間違ったら直す。
それができるから、人間なんだ。
教室の後ろで、レオンが静かに聞いていた。
自分が追放命令を出したこと。
その後、学院で学び直していること。
彼自身が一番よく分かっているのだろう。
レオンが通信魔道具の前へ出た。
私は王として誤った。
壁へ言葉が現れる。
王は正しくなければならない。
違う。
レオンは首を横に振る。
正しくあろうとする責任はある。
だが、間違わない人間になることはできない。
だから、私は王である前に学ばなければならなかった。
王が誤った場合。
国民はどうする。
問い返される。
レオンは少し考えた。
止めてくれればいい。
王へ逆らう。
必要なら。
それで国が壊れるなら。
レオンは学院の中を見る。
子供。
騎士。
教師。
魔族。
獣人。
王国から追い出された者まで、同じ場所で学んでいる。
命令だけでつながった国なら、一度壊して作り直す方がいい。
俺はレオンを見る。
随分と思い切ったことを言う。
一年生なので、まだ勉強中だ。
少しだけ笑いが起きた。
その瞬間。
黒い糸が、一斉に白く変わった。
アイラが立ち上がる。
先生。
命令が、消えていきます。
王国全土。
騎士。
官僚。
教師。
神官。
何世代にもわたり刻まれていた服従術式が、一本ずつほどけ始める。
切れたのではない。
中枢自身が接続を解除している。
壁へ最後の文字が現れた。
旧命令体系を停止。
新たな目的を設定してください。
俺はすぐに答えなかった。
俺が決めれば、また同じことになる。
目的は自分で考えろ。
回答不能。
なら、学べ。
沈黙。
しばらくして。
新しい文字が浮かんだ。
学習を希望。
学院管理人形が反応する。
未登録知性体から、入学希望を確認。
教室中が静まった。
まさか。
俺は嫌な予感を覚えた。
学院管理人形は淡々と判定を続ける。
年齢、推定二百十二年。
判断力教育、未修了。
自己決定教育、未修了。
初等課程一年への配属が適切。
王国全土を百年以上操っていた巨大魔導装置が。
エルガ学院の一年生になろうとしていた。
だが、その直後。
王都から緊急通信が入った。
クロエの声だ。
先生。
教育院長ゼルドを発見しました。
捕まえたのか。
いいえ。
クロエの声が珍しく険しい。
王都の地下に、誰も知らなかった転移門があります。
ゼルドは今、その門を開こうとしています。
行き先は。
不明です。
ただし、門の向こうから。
クロエは一度言葉を止めた。
大量の子供の声が聞こえます。




