第十四話 王国の兵士たちは、知らないうちに操られていた
全員の首から、王都へ黒い糸がつながっています。
アイラの言葉を聞いた瞬間、騎士団長ガレスの表情が変わった。
外で待機している兵士は二百人。
全員が王国騎士団に所属し、ガレスの命令でここまで来た者たちだ。
服従術式など聞いていない。
ガレスは低い声で言った。
教育院の男が、一歩後ろへ下がる。
その動きを、クロエは見逃さなかった。
逃げようとした男の背後へ回り込み、肩へ手を置く。
どちらへ。
わ、私は何も。
まだ何も聞いていません。
クロエは静かに男を見つめる。
男の額から汗が流れ始めた。
俺はアイラへ尋ねた。
黒い糸は、今も動いているのか。
はい。
少しずつ、太くなっています。
いつ起動するか分かるか。
アイラは目を細め、兵士たちを見つめる。
まだです。
でも、もうすぐ。
ガレスが正門の外へ飛び出した。
俺たちも後を追う。
二百人の兵士たちは、先ほどと変わらず整列していた。
誰も自分に術式が埋め込まれているとは思っていない。
ガレスは兵士たちの前へ立った。
全員、武器を地面へ置け。
兵士たちが戸惑う。
団長。
理由は後で説明する。今すぐだ。
ガレスの命令に従い、兵士たちは剣や槍を足元へ置き始めた。
だが、最後尾にいた一人だけが動かなかった。
若い兵士だ。
先ほど体調を崩し、ノエルに治療された者だった。
彼は顔を伏せたまま、剣を握りしめている。
どうした。
ガレスが近づく。
若い兵士の身体が、不自然に跳ねた。
次の瞬間。
剣を抜き、ガレスへ斬りかかった。
速い。
訓練された騎士の動きではない。
身体が壊れることを無視し、筋肉の限界を超えている。
ガレスは避けようとしたが、武器を持っていない。
エリシア。
俺が呼ぶより早く、剣聖エリシアが動いていた。
鞘に入れたままの剣で、兵士の腕を打つ。
剣が地面へ落ちた。
だが兵士は止まらない。
折れたように曲がった腕を使い、ガレスの首へつかみかかる。
ノエル。
はい。
ノエルが兵士一人だけへ生命活性を向けた。
傷ついた筋肉が回復する。
普通なら、それでは相手を強くしてしまう。
だが、ノエルの目的は治すことではなかった。
無理やり動かされていた身体が正常な状態へ戻り、兵士の動きが一瞬鈍る。
その隙にガレスが兵士を抱え込み、地面へ押さえた。
目を覚ませ。
兵士は答えない。
白目をむき、口から黒い霧を漏らしている。
アイラが駆け寄ろうとした。
俺は彼女の前へ手を出す。
近づきすぎるな。
ですが、糸を切らないと。
全部切る必要はない。
俺は若い兵士を見る。
服従術式は、身体を操る命令部分と、王都から魔力を運ぶ接続部分に分かれているはずだ。
命令だけを外せるか。
アイラの顔が強張る。
小さな火の魔法とは違います。
失敗したら、この人の中にある魔法を全部消すかもしれません。
それでも、今のお前にしかできない。
アイラは兵士の前へ座った。
震える両手を胸の前で握る。
紫色の瞳が、黒い糸を追うように動いた。
黒い糸が、たくさん絡まっています。
どれが命令だ。
一番太い糸です。
なら、それには触るな。
アイラが驚いて俺を見る。
太い糸は、術式を維持するための魔力だ。
先に細い糸を探せ。
命令は何度も書き換える必要がある。
太く頑丈には作られていないはずだ。
アイラはもう一度、兵士を見つめた。
あります。
首の後ろから頭へ入っている、細い糸。
それだけをほどけ。
アイラが指先を伸ばす。
兵士の身体が激しく暴れ始めた。
王都にいる術者も、こちらが術式へ触れたことに気づいたらしい。
周囲の兵士たちも次々と頭を押さえる。
黒い糸が、一斉に太くなった。
全員、学院の中へ入れ。
ガレスが叫ぶ。
しかし遅かった。
二百人の兵士が同時に武器へ手を伸ばした。
正門の内側には、生徒たちがいる。
リリアたち七人が前へ出る。
殺すな。
俺が告げる。
全員、王国に操られているだけだ。
分かっています。
勇者リリアが聖剣を地面へ突き立てた。
金色の光が広がり、兵士たちの足元を包む。
身体強化ではない。
地面だけを固め、兵士たちの靴を動かなくしている。
精霊使いマリアが風の精霊を呼び、兵士たちの武器を空へ巻き上げた。
フィオナとヴァルガスは背後へ回り、逃げ道を塞ぐ。
クロエは気配を消して兵士たちの間を走り、鎧の留め具だけを外していく。
エリシアは鞘に入れた剣で、暴れる者の関節を正確に打った。
誰も傷つけず、二百人を止めている。
だが、長くは持たない。
王都から送られる魔力が強くなっていた。
アイラ。
俺が呼ぶ。
少女の額には汗が浮かんでいる。
もう少しです。
細い糸が、ほどけます。
兵士の口から漏れていた黒い霧が、少しずつ薄くなる。
アイラが指を小さく動かした。
何かが切れる音はしなかった。
ただ、兵士の身体から力が抜けた。
ガレスの腕の中で、若い兵士が意識を失う。
黒い糸の一つが消えていた。
成功だ。
アイラは驚いたように、自分の手を見る。
切ったのではありません。
結び目を、外しました。
それでいい。
術式は壊れていない。
王都から送られてくる魔力の通り道も残っている。
命令部分だけが外れている。
これなら、術者に気づかれにくい。
同じことを二百人へできるか。
一人ずつでは、間に合いません。
なら、術式の共通部分を探せ。
全員へ同じ命令を送るなら、入口は一つのはずだ。
アイラは兵士たち全体を見た。
紫色の瞳が強く光る。
無数に見えていた黒い糸が、王都の方角で一つに束ねられている。
見つけました。
アイラが学院の正門へ手を伸ばす。
ですが、遠すぎます。
ミレイユ。
はい。
アイラへ魔力を貸せ。
消されてしまいませんか。
消される前提で流せ。
ミレイユは迷わず、両手を地面へ向けた。
膨大な魔力が土へ流れ、学院の正門を通ってアイラの足元へ集まる。
アイラの能力が、余分な魔力を次々と分解する。
だが、その一部だけが細い光へ変わり、王都へ伸びる黒い糸を照らした。
テオが地面へ手をつく。
王都からの魔力は、地下の地脈を通っています。
流れを少しだけずらせます。
やってくれ。
テオが地脈を動かす。
黒い糸が一瞬たるんだ。
その瞬間を、アイラは逃さなかった。
王都側にある大きな結び目だけを、静かにほどく。
二百人の兵士たちが同時に膝をついた。
黒い糸がすべて消える。
王都からの魔力供給も止まった。
しばらくして、兵士たちが一人ずつ意識を取り戻す。
自分が何をしたのか覚えていない者も多い。
ガレスは黙ったまま、自分の首元へ触れた。
俺にも、あったのか。
アイラが小さく頷く。
全員です。
調査団だけか。
分かりません。
王都の方に、もっとたくさん糸が見えます。
その言葉に、教育院の男の顔が青ざめた。
ガレスが男の胸ぐらをつかむ。
知っていたな。
私は。
答えろ。
団長、命令に従ってください。
教育院の男が震える声で言った。
その瞬間。
男の首元に、黒い紋章が浮かび上がった。
兵士たちとは違う。
もっと深く、身体そのものへ刻み込まれている。
アイラが叫ぶ。
離れてください。
ガレスが手を放す。
直後、教育院の男の身体から黒い炎が噴き出した。
証拠を消すための自滅術式。
ルシアが結界を張ろうとするが、間に合わない。
アイラ。
少女は恐怖で固まっていた。
失敗すれば、人間そのものの魔力を消すかもしれない。
俺はアイラの肩へ手を置く。
全部を救おうとするな。
一番危険な糸だけをほどけ。
アイラが歯を食いしばり、男を見た。
黒い炎。
心臓へ向かう命令。
魂へ食い込んだ契約。
無数の糸の中から、一つだけを選ぶ。
アイラが指を振る。
黒い炎が消えた。
教育院の男は、その場へ倒れる。
生きている。
だが、首元の紋章は残っていた。
完全には外せなかったらしい。
アイラは息を切らし、俺へ振り返る。
先生。
できました。
ああ。
お前は今日、二百一人を救った。
アイラの顔が、ゆっくりとほころぶ。
災害と呼ばれた少女が、初めて自分の力で大勢を守った。
ガレスは倒れた男を見下ろした後、俺へ深く頭を下げた。
アレン学院長。
何だ。
王国騎士団長としてではなく、一人の騎士として頼みがある。
ガレスは自分の鎧につけていた王国の紋章を外した。
王都へ戻れば、我々は再び操られる可能性がある。
原因が分かるまで、二百人の兵士をこの学院へ置いていただきたい。
生徒としてか。
兵士たちがざわつく。
ガレスは一度、自分の部下たちを見た。
そして真剣な表情で頷く。
他人の命令へ疑問を持たず従っていた我々には、学び直す必要があります。
俺は学院の正門を見る。
生徒百十七人。
教師見習い七人。
古竜一体。
角ウサギ一匹。
そこへ、王国騎士二百人が加わろうとしている。
この学院は、いったいどこまで大きくなるのだろう。
その頃。
遠く離れた王都の地下では、一人の男が砕けた黒い魔石を見下ろしていた。
二百人との接続が、同時に切れた。
男の背後には、騎士、官僚、教師、貴族の名が書かれた無数の魔石が並んでいる。
その数は、数千。
男は砕けた魔石を握り潰した。
アレン・クロフォード。
やはり、あの男を生かして追放したのは間違いだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
続きが気になる、面白かったと思っていただけましたら、ページ下部からブックマークと評価で応援していただけると嬉しいです。
皆さまの応援が、今後の更新の大きな励みになります。




