アルテミスの引き金
空閑は仕事帰り、疲れ切った足取りでアパートの階段を上っていた。“Bee”事件の捜査に追われ、心身ともに限界に近かった。
コンビニ袋を提げながら階段を上ると、後ろから足音が聞こえた。
空閑と同じ3階で降り、数歩後ろをついてくる。
――つけられている?
空閑は振り返り、突きを入れようとした。
「俺に何の用だよ!」
しかし、目に飛び込んできたのは見覚えのある顔だった。
「朔良...?」
その瞬間、朔良が空閑の腕を掴んだ。
“止まれ”
気づけば朔良に腕を握られていた。
「しまった....!」
空閑の体が、ぴたりと動かなくなった。
「朔良...これが、お前の“力”で......お前がしたかったことなのか?」
“騒ぐな”
空閑は自身の喉が締め付けられるような感覚になった。
「空閑青洲さん。君に用があるのは僕ですよ」
朔良の背後から、茶色いロングコートを着た男が現れた。
防犯カメラに映っていた“黒い傘の男”と同じ服装。
空閑は悟った。
――こいつが“Bee”だ。
「お前らが...“Bee”か......」
荒い息のまま、空閑は2人をにらみつけた。
「ほう。警察はそんな呼び方をしているんですね」
昴はゆっくりと歩み寄り、楽しそうに笑った。
「俺を...殺すのか...」
「焦らないで下さいよ、まずは部屋でゆっくり話しましょう」
“扉を開けろ”
“ゆっくり歩け”
朔良の力に操られ、空閑は自室の扉を開け、中へ入った。空閑は彼女の顔をちらりとみた。彼女の目には涙が浮かんでいた。
朔良は空閑の腕を掴んだまま、昴と向き合わせた。
「手間をかけさせたね、朔良」昴は微笑む。
「...いえ」
「聞かせろ。被害者をあんな状態にしたのはなぜだ」
空閑が絞り出すように言うと、昴は嬉しそうに目を輝かせた。
「おお、君は僕の“芸術”に興味があるのか、それはいい。あれは僕の大好きな星、オリオンの芸術さ」
「オリオン...冬の星座の?」
「あぁ」
空閑は頭の中で事件をつなげた。
「なるほど...3つ目の赤い塗料はベテルギウス。4つ目の青い靴はリゲルか。じゃあ1つ目のバットと2つ目の上着は?」
「1つ目のバットはこん棒。2つ目の上着は獅子の毛皮。どちらも狩人オリオンが持つものだ。ちなみにナイフもね」
「殺害した理由は...何だ。1人目は朔良のストーカーだったようだが、他の3人は?」
「拳銃、塗料、青い靴。彼らが愛した物で、この世界に僕の“作品”を刻むためさ。他に理由が必要か?」
「...狂ってやがる...」
空閑の額に汗が流れた。
「さぁ、そろそろお喋りは終わりだ」
昴は右ポケットから拳銃を取り出し、銃口を空閑に向けた。
その瞬間――
空閑の視界の端で、朔良が動いた。
彼女は空閑の背後から腕を伸ばし、隠し持っていた拳銃を昴へ向けた。
「おっと、どうしたんだ朔良?」
昴は驚いたように眉を上げた。
だが彼の表情はそんな“今”を楽しんでいた。
「昴......楽しい?」
「楽しい?」
昴は目を見開き、笑みを深くした。その笑みは温度がなく、底が見えない。
「――あぁ。最高だよ」
朔良の呼吸が乱れる。
「......そう......良かった」
昴は薄く笑ったまま、首を傾げる。
「それで?朔良は僕を殺すのかい?」
その声は、期待と興奮の混じった声であった。
「......」
「なら急ぐんだ。僕の指が引き金を引く前に」
朔良の肩が震える。声にならない嗚咽が漏れる。
「昴......あなたは...」
声がかすれ、次の瞬間、彼女は叫ぶように言った。
「あなたは...私にアルテミスになって欲しかったんでしょ...ずっと......!」
引き金が引かれた。
乾いた銃声が響き、弾丸は昴の頭部を正確に撃ち抜いた。
「朔良...ありがとう......」
それが、昴の最期の言葉だった。
彼は力を失い、後ろへ倒れこむように地面へ崩れ落ちた。
朔良は空閑の腕をそっと離し、彼の前に立った。
まっすぐな瞳で空閑を見つめる。
「全部、私がやりました。彼は......私の指示で動きました」
静かに、彼女は両腕を差し出した。




