半神レネとの夜(上)
半神レネの私室に入ると驚くようなものが用意されていた。
窓際のテーブルの上で瀟洒なガラス製の容器に入っていたのは美しい琥珀色の液体だ。
香りですぐにわかる。
クルズニスミツァ産のブドウの蒸留酒だ。
言っておくがこの世界にガラスは存在するがその加工技術はまだ未熟だ。
こんな瀟洒なガラス細工の容器が存在するとは思っていなかった。
後から聞いた話だがフェリジア諸国の更に南東にある、俺のようなテルデサード王国の人間からはそれこそ未知の地域となる国々には優れたガラス細工の技術があるそうだ。
勿論、希少性の高い高価な品だ。
ヴァラキアにはそれが交易で手に入る。
平和になれば、そんな遠方の文物でさえ、交易で王国にもたらすことができる。
この一時だけでもこれまで人間達がいかに愚行を繰り返してきたかがわかる。
「そなたがこれを好んでいるとはソニアから聞いている。」
そうかソニアは半神レネにまで俺の酒好きを吹聴しているのか。
まぁ、否定は全くできないんだけどな。
「だから、今夜はそなたとこの酒を酌み交わそう思ってな。」
そういって半神レネはやはり瀟洒で凝った作りの杯に酒を注いでくれた。
俺達は無言で乾杯した。
フレッドとなら、何かふざけたことを言ってやるんだが、半神レネにそんな冗談が通じるのかは疑問だ。
もっとも半神レネは無口な方だからな無言の乾杯もしっくりくる。
ただ、何故、半神レネは俺と酒を飲もうと言うんだ?
話があるなら、別に酒などなくても良いだろうに。
と言うか、半神でも酒を飲むんだな。
そちらにも不思議な気持ちがした。
酔えるのか?
この人?
「悩んでいるようだな?」
「?」
俺はドキリとした。
悩んでいるか?と問われれば、然りだ。
転生者の権利、そして…
「あの…」
相手は半神レネだ。
この話をすべきか?
いや、もしかしたらこの目の前にいる天地創造の時から魔王メルコルの右腕であったこの半神こそが最も相談すべき相手なのかもしれない…
俺は一口呷った。
半神レネが用意してくれたクルズニスミツァ産のブドウの蒸留酒は絶品だった。
この国で二番目に偉い人の用意する酒だからな。
俺達がいつも薬屋で飲む酒よりもはるかに上等な酒なんだろう。
強いが涼やかな香りが広がり、素晴らしい余韻の中にやはり強いが心地よい戻りが来る。
これだけ良い酒を飲んだんだ。
俺の心も少し落ち着き、覚悟もできた。
「恩恵と罰について少し議論をしませんか?」
「ほう。議論と言うか?」
相手は半神だ。
人間に過ぎない俺が議論をしようと提案したんだ。
不遜な発言とされても仕方がない。
しかし、半神レネはこう続けた。
「それは興味深い。」
半神レネは無表情だ。
あのライオンと太陽の塔とダリを組み合わせたような奇妙な顔に何らかの感情が浮かぶことなんてない。
しかし、俺も魔法の教えを受けて、それなりの時間をともに過ごしてきたから、少しわかるんだ。
半神レネは少し面白がっている。
「では、そなたの話を聞こうではないか?」
「魔王様は恩恵がいつかくると考えられおられますよね?」
「うむ。」
「それは罰に対して恩恵が一つ足りないからですよね?」
「そうだな。」
魔王様の考えでは幽閉を解かれること、人界に復帰すること、スヴァートエルフの裏切りと三つの恩恵を受けているが、罰、神々からの虐待、力の剥奪、情を植え付けられる、召喚者の登場の四つだ。
つまり、恩恵が一つ足りない。
「果たして、そうなのでしょうか?」
「ほう?」
「レネ様はどうお考えでしょうか?」
「そなたには異論があるのであろう?議論を始めたのはそなただ。言ってみよ。」
「私は既に恩恵と罰は全て相殺されていると思います。」
「その根拠は?」
「何を以って恩恵と言い、何を以って罰とするのでしょうか?」
「魔王様はこれまでご自身が受けてきた仕打ちに対して恩恵と罰を明確に把握されていると思うが?」
「レネ様は本当にそう思うのですか?」
少し沈黙が続いた。
そして、俺は半神レネから信じられないものを感じた。
半神レネは今、面白がられている。
「ソニアの言った通りだな?」
「?」
「そなたは語る時に妙にもったいぶる癖があるとな。」
それ、フレッドにも『悪い癖だと』よく言われる。
ソニア、そんなことまで半神レネに話しているのか?
俺は少し呆れた。
まぁ、娘が父親にする他愛のない話題の一つなんだろうが。
「すまぬな。話を折ってしまったようだ。」
「あぁ…いえ…仰る通りです。私はどうも勿体ぶって話を引き伸ばしてしまうようです。」
「良い。続けよ。」
「では、率直に私の考えを申し上げます。私の考えでは魔王様の受けた罰は神々からの虐待、力の剥奪、召喚者の登場の三つです。」
「一つ足りぬようだが?」
「はい。それはこうです。魔王様が受けた恩恵は幽閉を解かれること、人界に復帰すること、情を得たことの三つです。つまり恩恵と罰は全て相殺されているのです。」
「確かにメルコル様のお考えとは違うようだな。」
「はい。私は情を得たことを罰とは思えません。私達、人間は情がある故に苦しみますが、情がある故に幸せにもなれるのです。もし、情を持つことが罰であるなら、私達、人間は創造神様から生まれながらに罰を与えられたことになります。果たして創造神様がそのようなことをなさるでしょうか?」
「そなたは勇気があるな。」
「?」
「惚けなくとも良い。そなたが私に語ることを躊躇したわけだ。」
「…」
「そなたの説に従えば、我等、即ち神や半神は人間に劣っていることになるからな。」
「レネ様、私は決して…」
「良い。」
「レネ様…」
「私にもわかる。」
半神レネのこの返答、俺がわずかに疑っていたあることを裏付けているように思えた。
俺はその話をここですべきか一瞬悩んだが、半神レネが先に口を開いた。
「一つ教えてもらおう。」
「?」
「スヴァートエルフの裏切りはどうなるのだ?メルコル様は恩恵としてお考えだが?」
「それについてなのですが…」
俺は今日の昼、ルサールカから聞いた話を半神レネにした。
「なるほど…そうであったか。」
半神レネの口ぶりからはどこか『やはりな』という思いが感じられた。
俺に全て語らせたが、同じことを考えていたんじゃないか?
俺にはそう思える根拠があった。
この目の前にいる半神には情を得たことが恩恵と理解できるという根拠がね。
「仮にそなたの話が真実だとすれば、どうなるのかね?」
「巨神兵が動き出したこと、神々が再びこの世界に降臨したのに、何の因果応報も現れないことに疑問を感じるのです。」
「申してみよ。」
「これまでの魔王様のお考えであれば恩恵と罰の相殺には時間差があって不思議はありませんでした。」
「そうだな。だからこそメルコル様はいずれ恩恵があるだろうとお考えであった。」
「しかし、私が申し上げたことが真実であれば恩恵と罰の相殺はほぼ時間差なく行われることになります。」
即ち、こういうことだ。
罰『神々からの虐待』に対する恩恵『幽閉を解かれること』
罰『力の剥奪』に対する恩恵『人界に復帰すること』
罰『召喚者の登場』に対する恩恵『情を得たこと』
これら三組の恩恵と罰は常に即座に相殺されてきているんだ。
そして今、神々がこの世界に降臨し、巨神兵が動き出した。
これは間違いなく魔王様にとってとてつもなく大きな罰だ。
そして、これに対する恩恵はこれまでのところない。
これはどういうことだ?
半神レネが沈黙した。
もっとも、いつも無口だから、いつも通りなんだが…
何というか考えに耽ったかのような沈黙なんだ。
「ソニアが申す通りだな。」
「?」
「そなたは賢い。」
ソニア、珍しく俺のことを褒めてくれているのか?
この時、俺はレネ様から今までにほとんど感じたことのない奇妙なものを感じた。
希望…
安堵…
喜び…
俺には今一つ、理解ができない反応だった。
そして、俺はあまりに愚かだった。
俺はよく鈍感と言われる。
前の世界でも、生まれ変わったこの世界でも。
確かにそうかもしれないが、あまり気にしてこなかった。
他人に誠実であれば、多少鈍感であっても良いじゃないか?
そう思っていた。
しかし、この時ばかりはそうではなかった。
この時、レネ様のお心を推し量れなかったことを、そして、これが二人で語り合う最後の夜となったことを俺は後々まで後悔することになる。
「つまり、そなたは巨神兵が動き出したことに何かからくりがあるだろうと言うのだな。」
「はい。真に神々がこの世界に降臨したのであれば、何らかの恩恵が現れる筈です。」
「それがないと言うことは…」
「神々は本当にこの世界に降臨しているのでしょうか?」
「巨神兵は動き出しているだぞ?」
「そうです。そこにからくりがある筈なのです。」
「ふむ…」
レネ様は暫く間をおいてから言った。
「その答えは神々の宿木にあろうな。」
「神々の宿木にですか?」
「そうだ。もっと言えば、神々の宿木に残るかつての神々の神殿跡にな。」
「どういうことでしょうか?」
「神々がこの世界に直接干渉すれば、メルコル様にとっての罰となろう。しかし、アルベリッヒが何をしようと罰とはならぬ。恩恵と罰はあくまで神々の間でのことに限られる。」
「アルベリッヒが巨神兵を動かしているということでしょうか?」
「無論、奴の力だけでは巨神兵を動かすことはできぬであろう。」
「では?」
「そなた神々の宿木にある神殿でアルベリッヒを見たのであったな?」
「はい。あの神殿でアルベリッヒは何者かと話をしているようでした。今から思えば、あれこそ神々とやりとりをしていたのではないかと…」
「恐らく、神殿には創造神様にすら気づかれぬように神界と人界を繋ぐ門が残されていたのであろう。」
「では、神々はその門を通って人界に降臨できると?」
「可能であるかもしれぬが、そうすれば、すぐに創造神様の知るところとなるであろう。」
「では、何が起きているというのでしょうか?」
「恐らく神々は門のところまで自分達の『力』だけを送っているのであろう。」
「『力』ですか?」
「うむ。人間の言葉でそうとしか表現できぬな。」
「それは門の手前までなのですか?」
「そうだ。そうであれば、創造神様の干渉を受けぬからな。そして、その力をこの世界に持ち込んだのはアルベリッヒだ。あの者の力量であれば可能であろう。」
「では、巨神兵は神々から『力』を受け取ったアルベリッヒが操っていると?」
「そうであろう。」
レネ様は半神だ。
レネ様の仰ることに大きく誤りがあるとは思えない。
即ち、それは…
それの意味するところは…
俺自身が決意を迫られることになる。
ルサールカの話を聞いた時から薄々そうではないかと考えていたんだ。
俺は…
あろうことか、俺は…
俺は世界を救うことができる。




