第二章
響がカリルを呼び止めたのは、ヤノとの稽古を始めて一ヶ月近く経ったころだった。
『・・・カリルさん。お話があるんです』
ちょうど稽古に行こうとしていた所を呼び止められたカリルは、ヤノを見やった。ヤノは「先に行くな」と言って出ていってしまう。
いつの間にかキリの姿も消えていて、部屋の中はふたりだけになった。カリルがあぐらをかいて座ると、響もちょこんと離れたところに正座する。
奇妙な緊迫感の中、響はカリルに全てを話した。
ウィルに会ったこと。
ウィルがティティンの皇子、ウィリアムだったこと。
彼が響の主になり、国に帰りたいと言ったこと。
壁にもたれて聞いていたカリルは、話が終わると「ふーん」とそっけなくつぶやいた。
驚かなかったといえば嘘になるが、正直ウィリアムのことなんてどうでもいい。彼が皇子さまだろうが何だろうが自分には関係ないことだ。
自分に関係あるとすれば、目の前にいるこの守護霊に関してだけだろう。
『・・・どうすればいいでしょうか。ずっと考えていたんですけど、ぼく・・・』
「・・・」
憔悴した様子の響をカリルは横目でみた。頭をかいて口を開く。
「初めて会ったとき、おまえ言ったよな。仮主ってのは一時的な関係にすぎないって。言葉は違うだろうけど、そんなようなことをさ」
『カリルさん・・・』
「本当の主とやらに会えたんだろ?こういうのは何だけどさ、おまえとウィルは少し複雑な形で出会っただけだと思う。
本当ならウィルは守護の島に来て、響の封印を解いて、おまえは何のためらいもなくウィルの守護をしてたんだ。違うか?」
『違いません。でも、カリルさん』
「おまえが何を悩んでるのかは知らねーけど、おれが言えることはそれだけだ。あとは自分で決めろ」
『・・・カリルさんは』
響はうつむいて、消え入りそうな声でつぶやいた。
『ぼくがいなくても平気なんですか』
カリルはガシガシと頭をかきまわすと、響をにらみつけた。
「・・・おまえさ、それなんて言ってほしいわけ?」
『・・・』
「平気じゃないって言ったら残るのかよ?それとも平気だって言って、背中を押してほしいのか?おれを理由にするのはやめろ。そういうのすっげぇムカつく」
『違います!ただぼくは・・・』
「ぼくは、何だよ?」
突き放すように聞き返す。顔を上げた響に、カリルは瞠目した。その大きな目は潤んでいたが、真っ直ぐにカリルを睨み返している。
『カリルさんは冷たいです』
「はぁ?何言ってんだ、おまえ」
『冷たいです!どうしていつもそうなんですか?そりゃおっしゃってることは正しいですよ。それくらいぼくにだって分かります。でも、そんな言い方することないじゃないですか!!』
悲鳴のような訴えに、カリルは目をしばたたかせた。
「おい、響」
『ぼくは寂しいですよ』
ぼろぼろっと涙が落ちるのを見て、絶句する。
『カリルさんなんて自己中だし言葉きついし乱暴だし胸だってないし・・・でも、それでもぼくは一緒にいられなくなると思うと寂しいんです!それがそんなに悪いことですか?カリルさんも同じ気持ちだったらいいのに、って思うことがそんなにいけませんか!?』
普段の響からは考えられないような感情の爆発に、カリルは呆気にとられていた。
「響」
『もういいです、知りません!カリルさんのバカ!!』
響は子供のように叫ぶと、壁を飛び出して行った。静まり返った部屋にひとり取り残されたカリルは「バカって何だよ・・・」とつぶやいた。
あいつは一体何が言いたかったのか。いや、言いたいことはなんとなく分かったが、自分にいったいどうしろと言うのか。
残れということも、行けと背中を押すことも簡単だ。ただそうやって決めたことで後悔しないと言い切れるのか。自分で決めなければ意味がないのではないのか。
「・・・いや、違うか」
響が知りたかったのはカリルの正直な気持ちだけだったのかもしれない。というか、そうなのだと思う。
正直な気持ちね、と口の中でつぶやく。響がいなくなったら、確かに寂しくなるかもしれない。だけどそれを伝えて、それでも響がウィルを選んだとしたら、こちらの気持ちは一体どうなるのか。
あいつは絶対そこまで考えてない。バカはあいつだ、あいつ。
とりあえず確実に言える事なら今はひとつだけある。
あそこで泣くのは卑怯だ。
長屋の外に出ると、水場の所でヤノが待っていた。
「カリル、話は終わったのか?」
「ああ」
そうか、と言ったヤノはどこか複雑そうだ。カリルは笑った。
「何を話したのか聞きたいんじゃねーの?」
「バカを言うな。おれはそこまで野暮じゃないぞ。それに・・・どんな内容だったのかは見当がつく」
ああ、とカリルは得心がいった。
「そうか、あんたとキリは知ってるんだったな。ウィルのこと」
ヤノは神妙にうなずいた。
「・・・黙っていて悪かったな」
「別にわざわざ話すことでもないだろ。いいさ、別に。それよりそろそろ始めるか」
指を鳴らすカリルに、ヤノはからかうように言う。
「十八回目の挑戦だったか?」
「十七回目だっつの。見てろよ、今日こそ割ってやるからな!」
「まぁ、がんばれ」
カリルは肩を回すと、目を閉じて深呼吸した。一度、二度。目を開けると、軽く頬を叩いて気合いを入れる。
左手首の枷を動かして隙間を作ると、右手の側面を押し当てた。集中する。
集中。
さっき見た響の顔が浮かんだ。泣きそうな顔をしている。バカだなと思う。本当に、どいつもこいつも。
カリルは枷の中心に右手をたたきこんだ。空気が震える。
乾いた音がして、割れた枷が地面に落ちた。




