第一章
フォリオたちがトランドに帰国したとき、城は異様な熱気に包まれていた。
ただ単に勝利をおさめた軍隊が戻ってきたからかと思ったが、どうやら様子が違う。
城の使用人はもちろん、警護に残っていた兵士たちがやたら近づいてきては「おめでとうございます」と口をそろえて言う。最初は反乱鎮圧のことかと思っていたが、どうも違和感が拭えない。
状況が全く読めないフォリオは、何人目かの時に相手を呼び止めた。いつも城門の警護をしている兵士だ。
「おれがいない間に、何かあった?」
「は、何か、とは・・・?」
「やたら声をかけられるんだけど」
ああ、と兵士は満面の笑顔を見せた。
「そのことですか!いや、本当におめでとうございます」
「・・・だから、何のこと?」
「何のことって・・・もちろん皇子のご婚約のことです」
あっさりと言われた言葉に、フォリオは目を丸くした。フォリオの横にいた刃も吹き出している。
「・・・なんだって?」
「ですから、皇子のご婚約のことです。夕べ、王が国中にそのお触れを出したんです。クールのレイアさまとのご婚約が正式に成立したと」
「・・・・・・・・・」
フォリオは思わずこめかみを押さえた。頭が痛い。
では、失礼します!と爽やかに兵士が立ち去る。刃がそっとフォリオに声をかけた。
「おーい、生きてるか?」
「・・・何を考えてるんだ、本当に。あの人は・・・!」
「それが分かりゃ誰も苦労しないって。・・・おい、フォリオ?どこ行くんだよ?」
「決まってるだろ。父上のところだ」
「おお、フォリオか。よく無事で戻った」
玉座にふんぞりかえって家臣たちと話をしていたクライスは、現れたフォリオの姿を認めて家臣たちを下がらせた。
フォリオは歩み寄ると形式的な礼をとる。
「ルベルトは元気そうだったか?」
「はい。書簡の返事をいただきましたので、後でお持ちします」
「ああ」
フォリオは顔を上げて、父王を見据えた。
「ところで、父上。お話があります」
「なんだ、改まって」
「なんだ、ではありません。姫との婚約の件です」
予想がついていたのか、ああ、とクライスはそっけなく言った。
「なんだ、そのことか。ようやく決心がついたようだな。全くどれだけ待たせれば気が済むのか」
「父上!」
フォリオは声を上げた。
「わたしも姫も、婚約を承諾した覚えはありません。なのに何故」
「しかし、おまえはレイアを連れて帰ってきたではないか」
嫌な指摘に、フォリオは眉をひそめた。
確かにレイアは、フォリオたちとともにトランドへと戻ってきていた。出発間際まで残らなくていいのかと尋ねたが、なぜか彼女はかたくなに行くと言い張って聞かなかったのだ。
「結婚が嫌だと言うのなら、レイアはクールに残ればよかっただろうに。レイアはクールを出、おまえはそれを連れて帰ってきた。つまりはそういうことではないのか」
苦虫を噛み潰したような表情のフォリオを、クライスは面白そうに眺めている。
ふとその視線を扉のほうに向けると「なぁレイア?」と声を投げかけた。
驚いて振り返ると、そこにはレイアと紅がいた。礼をとると、フォリオの横まで歩いてくる。
「姫、」
「レイア、おまえはどういうつもりで戻ってきたのだ?まさかここまで来て、まだ結婚は嫌だなどと言うつもりか?」
「・・・恐れながら、陛下」
レイアは伏せていた顔を上げると、まっすぐクライスを見た。
「この婚約を機に、両国の同盟を維持すると約束していただけるのでしょうか?」
「もちろんだ。レイアが嫁ぐとなれば、クールも身内のようなもの。今以上の協力は惜しまんよ」
「わたしが求めるのはクールの主権です。かの国を、ひとつの国として平等に扱っていただけますか?」
ふむ、とクライスはくちびるをあげた。
「それはそちらの出方次第だな。我が国に楯突くようなら容赦はせんが、そうでないのなら我々は同志だ。それくらいの余裕はある」
「・・・」
長い沈黙の後、レイアはそうですか、とつぶやいた。
「でしたら婚約の話、わたしは受けさせていただこうと思います」
「姫・・・!?」
フォリオは驚いてレイアを振り返った。レイアは完全に無表情を貫いていて、何を考えているのかさっぱり分からない。
クライスが大きな声で笑った。
「そうか。よく言ってくれた。・・・と、いうわけだ、フォリオ。おまえはどうする?まさかレイアの面子を潰すつもりじゃないだろうな」
「・・・なんなんだ、本当に・・・」
自室に戻ったフォリオは、着替えないままベッドに倒れ込んだ。疲れがどっと押し寄せてくる。
うつぶせたまま、側にいる刃に声をかけた。
「刃、姫はトランドが憎いんじゃなかったのか?なんで急にあんなこと・・・」
「いや、そんなことおれに聞かれても。女心はまじで難解だからなー」
「・・・だよな」
難解というのは非常に同意できる。フォリオはため息をついた。
「どうしようか・・・」
「もういいじゃん。結婚しちまえば。あの姫さん顔は可愛いし、いいんじゃねーの?」
他人事だからといって適当に答える刃を、恨みがましく見やる。
「そんな簡単に決められるわけないだろ」
「でもレイアと結婚しなくても、いずれどこかのお嬢さんと結婚するはめになるんだろ?政略結婚なんて、所詮そんなもんだって」
「・・・」
フォリオはしばらく黙り込むと、そうだよな、と静かにつぶやいた。諦観のにじんだ声。
その時、部屋の扉を叩く音がした。急ぎのようなのか、続けて名前を呼ぶ声も聞こえる。
「フォリオさま」
フォリオは身体を起こした。シルバの声だ。入るよう促すと、シルバが申し訳なさそうな表情で入室してくる。
「フォリオさま、・・・すみません。お休み中に」
「いいよ。どうかした?」
シルバが表情を引き締めると、声をひそめた。
「すぐにお越しいただけますか。リナさまが・・・」
フォリオは刃と顔を見合わせると、すぐさま立ち上がった。
離れの宮に近づくと、物が割れる大きな音が響いた。急いで母親の部屋に向かう。
「いや!離して!」
癇癪をおこした大きな叫び声。
部屋の中に入ったフォリオは、その光景に唖然とした。家具という家具が倒され、物が散乱している。部屋の中央には、取り乱した様子で暴れる母と、それをふたりがかりで押さえようとしている女官たち。
「母上!」
「フォリオ・・・っ!」
リナはフォリオの姿を認めると、振り回していた手を止めた。ゆるんだ女官の腕を振りきって駆け寄ってくると、フォリオの服にすがりついて顔を埋める。
「落ち着いてください。どうなさったのですか?」
「フォリオ、言ったでしょう!?結婚なんてしないって。言ったよね?」
「母上」
リナは息も切れ切れに訴えた。その細い肩に手を置いて、フォリオは愕然とする。ひどい熱だった。
「なのにクライスさまが・・・フォリオはクールのお姫様と結婚するって。ねぇ、嘘でしょう?」
「母上、落ち着いて。座ってください。身体に障ります」
「なんで嘘だって言ってくれないの!?」
大声でわめいたリナは、次の瞬間激しい咳の発作にみまわれた。身体を折り曲げると、苦しげに膝を突く。
「母上、」
リナの身体を支えながら、フォリオは後ろにいたシルバに声をかける。
「シルバ、ひどい熱だ。医師を」
「すぐに呼んでまいります」
シルバはうなずくと、さっと部屋を出ていった。フォリオは取り残された女官たちに、ベッドを空けるよう指示をする。女官たちは慌ててベッドの上の散乱した本をどけ始めた。
「嘘だって言ってよ!フォリオの馬鹿!嘘つきっ・・・」
「母上」
ベッドに運ぼうと伸ばした手を、リナは払いのけた。
「触らないでっ!!」
「母上」
リナはまだせき込みながら、肩で呼吸していた。ヒューヒューという耳障りな呼吸音が聞こえる。
フォリオはもう一度手を伸ばして、母の身体を抱き上げた。再び拒絶があったが、もうその気力も残されていないらしく、弱々しいものだ。
リナの病的な軽さに、フォリオは顔をしかめた。
リナが床に伏してから一週間、フォリオは時間があれば母のところに顔を出すようにしていた。
最初はひどい錯乱状態が続いていたが、続く高熱と咳の発作に身体は徐々に弱っていき、今では会話すらままならない状態だった。
刃は、リナの部屋から出てきたフォリオに声をかけた。
「どうだ?リナの様子は」
フォリオは一度刃を見て、目を伏せた。小さく首を横に振る。
「・・・あまり良くないらしい。食事も薬も受け付けないんだ。どんどん衰弱してる」
疲れきった声に刃は眉根を寄せた。どうやらかなり深刻な状態らしい。
元々リナは身体が弱く、昔から寝込むことが多かった。医師の話では、そう長くは生きられないだろうと言われていたらしいが・・・。
刃は目の前の主を観察した。こちらもかなり神経を消耗しているらしく、顔色が悪い。
「フォリオ、おまえもちょっとは休んどけよ。顔色ひどいぞ?」
「ちゃんと休んでるよ」
「どこがだよ。鏡見てみろっての」
昼間は公務にかかりきりで、夜になれば部屋に戻らず、リナの看病を続けているのだ。こんな生活を続けていたら、フォリオだってまいってしまう。
フォリオは息をついた。
「本当に、大丈夫だから」
「・・・おまえって、ほんっと変なとこで頑固だよなー・・・」
呆れ果てた刃が、なおも言い募ろうとしたとき、誰かが廊下の角を曲がってきた。
レイアと紅だ。ふたりもこちらに気づいて立ち止まる。
「姫」
「あ、あの。王妃さまのお加減が良くないって聞いて・・・一応お見舞いでも」
視線をさまよわせたレイアに、フォリオがかすかに微笑んだ。
「・・・ありがとうございます。でも、今は眠っていますから」
「そ、そう」
じゃあ仕事があるので、とフォリオは律儀に断りを入れてその場を後にした。残されたのは三人だ。紅が嫌そうにつぶやいた。
「おぬしはついて行かんで良いのか?」
「あ?まぁ、行くけど。その前に一つだけ」
刃はレイアを見据えた。声をおさえて言う。
「あのさ、悪いけど姫さんはしばらく顔出さないほうがいい。リナが錯乱するからさ。今、安静にしておかないとまずいらしいんだ」
リナがおかしくなったのは、間違いなくフォリオの婚約が原因だ。その原因の一端であるレイアが顔を出せばどうなるか分かったものではない。
レイアは戸惑ったような顔をしていたが、わりとあっさりとうなずいた。
「分かったわよ」
「今日は素直だな」
「あほう、レイアはいつも素直じゃ」
「あーはいはい。そりゃ失礼。んじゃおれ行くから」
手を振って行こうとした刃を「ちょっと待ってよ」とレイアが呼び止めた。
「まだなにか用か?」
「その・・・あいつは大丈夫なの?・・・ひどい顔してたけど」
「フォリオか?あーあいつも似たり寄ったりなんだけどな、何しろ頑固なもんだから」
「そ、そう」
うつむいてつぶやいたレイアを、刃はまじまじと見下ろした。これは、あれだろうか。心配してくれていると解釈すればいいのだろうか?
「なぁ、姫さん。ひとつ聞いていいか?」
「なによ?」
「何で今更あいつとの結婚なんて承諾したんだ?トランドが憎いんじゃなかったのか?」
「憎いわよ」
「じゃ何で」
「知らないわよ」
簡潔に返された答えに、刃は気が抜けた。
「はぁ?」
「だから!わたしだってどうして受けたのかよく分からないんだから仕方ないでしょ!?あれよ、売り言葉に買い言葉ってやつよ!」
「いやいやいや。おかしいだろ、それ・・・」
いくら何でもその場の流れで、婚約なんて重大なことを決めたりはしないだろう。よく分からないってことは、レイアの中で婚約に対する抵抗が薄れてきていたということか?
難しいことを考えるのが嫌になり、刃は一番分かりやすい言葉で聞くことにした。
「・・・姫さんってさ、もしかしてフォリオのこと好きなんじゃねーの?」
「ななな、何バカなこと言ってんのよ!?そんなことあるわけないでしょ!?」
「声、ひっくり返ってるけど」
「あんたが驚かせるからでしょ!とにかく、それだけは死んでもないから!!」
力一杯否定したレイアに、刃はふーん、と冷めた返事を返す。
「ならいいけど。フォリオ、好きな奴いるし」
「・・・え、」
固まったレイアを尻目に、刃が続ける。
「言うなって言われてたけど、やっぱ一応言っとかないとフェアじゃないだろ?ま、好きじゃないんなら関係ないんだけど」
「そ、そうよ。関係ないわよ」
小声で同意したレイアだったが、しばらくしておずおずと口を開いた。
「・・・ちなみに、誰?わたしの知ってる人?」
「いや違うけど」
「そ、そう」
そう言ったきりレイアは黙り込んでしまった。心なしか落ち込んでいるように見える。
紅は狐につままれたような呆然とした顔でレイアを凝視した。
「レイア、おぬし・・・」
「・・・あーだめだ姫さん。分かりやすすぎ」
刃はこらえきれないように吹き出す。
「姫さん、今のは冗談だから」
「は?」
「今ので姫さんが傷ついたら、つまりはそういうことだろ」
あっけらかんとした刃の言葉に、レイアは目を見開いた。
「だ、だましたの!?」
「いや、半分くらいは本当、かな?」
「どっちなのよ!?」
顔をゆがめてレイアは詰ったが、刃は苦笑したまま答えなかった。好きな奴、という意味でならフォリオはいないと思うが・・・。
「ま、どっちにしろ、フォリオと結婚するつもりなら覚悟したほうがいいぞ?あいつ、わりとややこしいからさ」
レイアは顔をしかめて「でしょうね」と嘆息した。
署名をもらいに父の私室をおとずれていたフォリオは、その書類を受け取った後、クライスにそっと切り出した。
「・・・父上、母上のことですが」
「なんだ?」
クライスは他の書類に目を通しながら答えた。あまり興味がなさそうな態度だ。リナの容態を知っているにも関わらず。
フォリオはくちびるをかんだ。
「・・・ここではゆっくり静養できないようです。どこか静かな場所に移っていただいてはいかがでしょうか」
「かまわん。好きにしろ。まぁ、リナの身体が移動に耐えられるか分からんがな」
「・・・」
確かに今の衰弱しきった身体では、移動も困難だろう。そんなことは分かっている。分かっているが、クライスの態度はあまりにも他人事のようだ。
フォリオは声を低くした。
「父上、最後に母上とお会いしたのはいつですか」
「さぁな。気にしてもおらんが・・・一ヶ月くらい前か?」
「なぜ、お会いにならないのです」
「なぜ、と聞かれれば必要がないからとしか言えんな」
あまりに簡潔な答えに、フォリオは息をのんだ。クライスをにらみつける。
「・・・母上の容態をあなたはご存じのはずです。それなのに必要がないと?」
責める口調に、クライスは鼻で笑った。
「フォリオ、おまえも分かっていると思うが、あれの身体は弱く、そう長い間は生きられんだろうと言われていた。そんな女だが跡継ぎをきちんと産んだんだ。それで役目は果たしたと言えるのではないか?」
「父上!」
「それに、リナはおれの顔など見たくはないだろう。愛しい息子が顔を出しているのだから、文句はあるまい」
「父上は・・・」
フォリオは拳に力を入れた。
「父上は、母上のことをどうお思いなのですか」
「むろん、家族だと思っている。フォリオ、おまえと同じようにな」
その言葉にめまいがした。何も言えなくなる。
「ところでフォリオ、おまえの婚約のことだが」
気力を振り絞って、フォリオは首を振った。
「・・・わたしは結婚はしません」
「いい加減にしろ。血を残すのも王族の役目だぞ?」
「そうして跡継ぎが産まれれば、姫も飼い殺しにするつもりですか。母上と同様に」
反射的に口をついた言葉に、ハッと我に返る。自分で行った言葉に愕然とした。
クライスを見ると、彼は観察するような冷めた目をこちらに向けていた。
目をそらす。
「・・・申し訳ありません。口が過ぎました」
「全く、リナもリナだが、あれを甘やかすおまえもおまえだな」
クライスは背もたれに身体を預けながら、くちびるをゆがめて笑った。
「あれは悩みの種にしかならん。いっそのこと早く死んでしまうほうが、この国の為になるやもしれんな」




