第三章
その日、夕方近くに家に戻ったキリは、表で組み手をしているふたりの姿を見つけ、驚いた。身軽に立ち回るカリルの手首には、長い間はまっていた枷がない。
カリルがこちらに気づき、手を振る。
「お、キリ!おかえりー」
「おい、カリル。もう一回だ」ヤノが汗を拭いながら言った。
「はぁ、また?もういい加減諦めろよ。面倒くさい」
「そうはいくか!」
ぽかんとしているキリに、カリルが意地悪く笑って説明する。
「キリ、聞いてくれよ。組み手だとヤノよりおれのが強いんだ」
「だからもう一回と言ってるだろう!」
「やだよ。爺なんだから、もうやめとけって」
キリはカリルの手を見つめた。
「カリルさん、その手・・・」
「ああ、これ?」
カリルは手を持ち上げてひらひらと振った。どことなく得意げだ。
「枷、壊せたんですね?」
「ああ。時間かかっちまったけどな。なんとか・・・って、キリ?」
キリは歩み寄ると、腕をのばしてカリルを抱き寄せた。
一ヶ月も一緒にいたせいか、彼女のことは本当に家族のように感じていたのだ。だからだろうか。枷が壊せたと聞いて、キリまで嬉しくなる。
「よかったですね、本当に・・・」
カリルは目を丸くすると、ふっと苦笑した。キリの背中を軽く叩く。
「ありがとな。キリのおかげだ」
「おい、そこはおれのおかげだろう?」
「ちげーよ。キリの飯とおれの努力のおかげだっつの」
「なんだ、それは・・・」
ヤノは呆れていたが、どこかキリと同じで嬉しそうだ。キリは腕を放してカリルに言った。
「じゃあお祝いしないといけませんね。今日はカリルさんの食べたいものにしましょう。何がいいですか?」
「んー、じゃ肉づくしで」
「では材料揃えにいかないと」とキリは微笑んだ。一度荷物を家の中に置きに行こうとして、ふと気になっていたことを聞いた。
「そういえば響さんはどうしました?姿が見えないようですが・・・」
問いかけにヤノは複雑そうな顔をし、カリルはさぁ?と肩をすくめた。
「ウィルんとこ行くって言ってたし、もう帰ってこないかもな」
「・・・カリルさん」
「さ、材料調達に行くんだろ?おれも付き合う」
促すと、カリルは先に行ってしまった。キリはそっと夫の顔を見る。ヤノも分からないとばかりにそっと首を振った。
出来上がった料理を前に、あとは手を合わせるだけ、となったその時、突然部屋の扉が乱暴に開いた。
驚いてそちらを見ると、そこに立っていたのはウィリアムだった。険しい表情を隠そうともしていない。
「ウィル・・・」
ヤノはウィリアムが持っている物に視線を移し、顔をしかめた。彼は片手に、細身の剣を二振り持っている。
「ウィル、それは何のつもりだ?」
ウィリアムは黙ったまま答えなかった。冷ややかな目をカリルに向けている。射殺すような視線。
カリルは目を細めた。
「何だよ?」
「・・・どうして」
「あ?」
「どうして、おまえなんだ?」
カリルは目をさらに細めてウィリアムを注視した。どうやら彼は怒り狂っているらしい。
その時、ウィリアムの名前を呼びながら響が壁をぬけてきた。部屋の状況に唖然とすると、慌ててカリルの前に立ってウィリアムと向き合う。
『皇子、待ってください!ぼくの話を聞いてください!』
「どけ、響」
『ぼくがひとりで決めたんです。カリルさんのせいじゃない!そうでしょう?』
「響」
ウィリアムは責めるような口調で吐き捨てた。
「響はティティンの守護霊だ。おれと一緒に、国を守る義務と責任がある。・・・それを、素性も分からない奴を主にするだなんて、どうして納得できる?」
『ティティンは必ず守ります。それがぼくの存在理由だから。でも、それとは別に、カリルさんと一緒にいたいんです!』
「黙れ。聞きたくない」
『皇子!』
緊迫した空気の中、ふと場違いなほど大きなため息が聞こえた。カリルだ。あきれかえった様子で手を振った。
「響、どけ。そいつが用があるのはおれだろ?」
『でもカリルさん』
「いいから。そいつ、今のままじゃ納得しないだろーが」
『・・・・・・』
渋々、響は横に身体を引いた。それでも不安なのか、すぐ側に控えたままだ。
カリルはウィルに向かい合うと、笑みを浮かべた。
「よっ、久しぶり」
「・・・その余裕がムカつくな」
「悪いけど今日はおれ、機嫌がいいから。あんたと違ってな」
ウィリアムは視線を下げて、カリルの腕を見た。
「・・・枷、外せたんだな」
「まぁな、それで何か用かよ?これから飯なんだけど」
「話がある。外に出ろ」
カリルはヤノたちをちらっと見た。ふたりとも不安そうに成り行きを見守っている。
「外ね・・・ま、いいけど。こんなところで暴れられたら飯が食えなくなるし」
立ち上がったカリルを制止するように、慌てて響が手を広げた。
『カリルさん!』
「心配すんな。話するだけだ。ヤノたちは先に飯食っててくれよ」
カリルは食事をまたぐと、ウィルの傍らに進んだ。ウィルが出ていった後をついていく。
外は日が暮れ始め、薄暗くなってきていた。
ウィリアムが無造作に投げた剣が、カリルの目の前に落ちる。ウィリアムが持っている物と同じものだ。
カリルは胡散臭そうにウィリアムを見た。
「何だよ、これ?」
「剣術はヤノに教えてもらったんだろう?おれと勝負しろ」
「勝負?」
「負けた方が響から手を引く。分かりやすいだろう?」
「あー、別にいいんだけどさ」
カリルは頭をかくと、ついてきた響に視線を向けないまま尋ねた。
「響、一応聞いておくけど、おまえはおれを選んだんだよな?」
『は、はい』
「だってさ。響の意志は完全に無視すんのか?皇子さま?」
「おれにはおれの、響には響の立場がある。根無し草のおまえとは違うんだ」
『皇子!言い過ぎです』
カリルは、くちびるをつり上げた。
「そうだな。おれはあんたとは違う。自分のやりたいことに我慢したり遠慮したりしない」
「開き直りか?」
「事実だろ?言っとくが響だってそうだ。あいつが決めたことを、おれたちが口出してどうするんだよ」
「守護霊が役目を放棄してどうする。個人の感情なんておれたちは二の次なんだ」
「だーかーら、響はちゃんとティティンを守るって言ってんだろうが。おまえのそれは、ただの依存だ。甘えてんじゃーよ!」
怒鳴りつけると、ウィリアムの表情が変わった。
「なんだって?」
「ひとつ言っておいてやるが、おまえは逃げてるだけだ。加護が受けられなかったから隠れたとか、そんなのは綺麗事なんだよ。リオはなぁ、加護受ける前から戦場に立ってんだ」
カリルは目の前の剣を拾い上げた。いい品らしく、滑らかに鞘から刀身が現れる。鞘を投げ捨て、カリルはウィリアムをにらみつけた。
「本当に国が大切だって言うんなら、こんな所に引きこもるかよ。響なんていなくても戦えばいいだろ。おまえは自分が可愛いだけだ。違うか?」
「違う!」
ウィリアムが叫んだ。先ほどまでの冷静な仮面は剥がれ落ち、激しい感情が見えた。
「おまえなんかに言われる筋合いはない。知ったような口を利くな!」
「おれだっておまえのことなんて知りたくもねーよ!」
カリルは後ろにいる響の名前を呼んだ。
「響、手出しすんなよ」
『で、で、でも』
「でも、じゃねー」
カリルはふと口調を和らげた。
「心配すんな。こんな奴には絶対負けねーから」
響ははらはらと両手を握りしめて、目の前の攻防を見つめていた。
剣術のことはよく分からないが、カリルのほうが押している・・・ように思う。王宮剣術そのままに、綺麗な型で動くウィリアムに対し、カリルはどこか大雑把な動きだ。時々はっとするような予想外の立ち回りをするので、ウィリアムはやりづらそうに見える。
『カリルさん・・・』
くちびるを噛みしめる。いつも見ていることしかできない自分がもどかしい。
あの後すぐ、響はウィリアムに会いに行った。途中までは気が高ぶっていたが、飛んでいる間に冷静になれたと思う。よくよく考え、たどり着いた結論を、言葉を選びながらウィリアムに説明したのはつい先ほどのことだ。
徐々に表情を強張らせていくウィリアムに申し訳ないと思ったが、嘘をつくことはできなかった。たとえウィリアムを選んだとしても、今の状態ならカリルのことばかり気にしてしまうに違いない。
自己中だし言葉きついし乱暴だし胸だってない。でも自分にも他人にも絶対嘘はつかないし、ぶっきらぼうな反面優しいところがあることも知っている。自分はそんな主のことが好きなのだ。
無鉄砲な彼女を放っておくのも危なっかしいし、何より行く先を見届けないまま別れてしまうのは嫌だった。
たとえカリルが本当は迷惑だと思っていたとしても、素直に生きることを教えてくれたのは彼女なのだから。
ふと視界の端で何かが動いた。茂みから出てきた黒い狼が、ふたりの邪魔にならないようにしゃがみ込む。その姿は不安そうというよりは、どこか寂しげだ。
ダークに気を取られていたそのとき、刃と刃は激しくぶつかった金属音が大きく響いた。
はっとしてそちらを見る。
ウィリアムが剣を取り落とし、地面に膝を突いていた。カリルの剣が、ウィリアムの顔の横に当てられている。
息を乱しながら、は、とカリルは笑った。
「皇子さまってのも大したことないな。こんなところにいるから平和ボケしてんじゃねーの?」
「・・・っ」
ウィリアムはくちびるをかみしめると、カリルをにらみ上げた。彼も肩を上下させている。
「・・・殺せよ、」
「はぁ?」
「殺せって言ったんだ」
「おまえ、自分の立場分かってる?なんでおれが、おまえの言うこと聞かないといけないわけ?死にたきゃ自分でやれ」
「・・・」
にらみ合いの末、そうか、とウィリアムはつぶやいた。素早い動きで落ちていた剣を拾うと、刀身を自分に向ける。
カリルはぎょっとした。けれど刀身が身体に届く前に、ダークがウィリアムに飛びかかった。再び地面に落ちた剣を、カリルは遠くに蹴り飛ばす。
「おまえっ、バカか!!?なに考えてんだよ!!」
「どうして・・・!」
ウィリアムは苦しげにつぶやいた。自分で死のうとしたくせに、まだ強い目でにらんでくる。
「どうして止める。自分でやれと言ったのはそっちだろう!」
「・・・おまえ、そんなに死にたいのかよ」
ウィリアムは自嘲気味に笑った。
「生き恥をさらすぐらいなら、死んだほうがマシだ」
「っ、ふざけんな!」
カリルは剣を捨てると、拳で思い切りウィリアムの頬を殴りつけた。手加減なしだったので、殴ったこっちだって相当痛い。
なんでこんな奴のために痛い目みないといけないんだよ、と内心舌打ちする。
「死んだ方がマシだと?よくそんなこと言えるな!さっき言ってた王族の義務とか責任ってやつはどうするんだよ。さっさと死んで放棄するってか?最ッ低だな!」
「・・・」
ウィリアムは頬を手で拭うと、視線を落とした。
「響も相当バカだけど、おまえよりかは遙かにマシだな。あいつはあいつなりに責任を全うしようとしてる。おまえは、最低だ」
ウィリアムは黙ったままだ。カリルは立ち上がって、ダークを見やった。
「死にたきゃ勝手にしろ。次は止めない。・・ダーク、おまえもこんな奴放っておけ」
カリルはきびすを返すと、待っていた響の側へ歩み寄った。
「響、戻るぞ」
『で、ですが・・・』
響はおろおろと後ろを振り返った。カリルも足を止め、そちらを見てみた。座り込んだままのウィリアムを心配するように、狼が寄り添っている。
「ほっとけ。ダークがいる」
『・・・』
はい、とつぶやくと響はカリルの隣に並んだ。
『カ、カリルさん』
隣に並んだ響が、おずおずと声をかけてきた。振り返ると、彼は耳を垂らしてうつむいていた。
「何だよ?」
『えっと。その。・・・そういうわけなので、あの』
響は言い淀むばかりで先が進まない。カリルは呆れた。
「おい響。なにが言いたいのか、全っ然分かんねーんだけど?」
『ええっと・・・』
「・・・」
『そのですね・・・』
「・・・あと五秒で言わないと、金輪際おまえの話は聞かねーからな」
『そ、それは困ります!』
「ならさっさと言え」
響は一度口を引き結ぶと、そっと息をついた。
『・・・あの。さっきの話なんですけど、そういうわけなので・・・ぼく、カリルさんと一緒にいてもいいですか?』
会話文としては滅茶苦茶だったが、とりあえず響が何のことを言っているのかは分かった。さっきの、ウィルに言ったことだろう。
カリルは今度こそ本気で呆れた。
「なに今更言ってんだよ?ウィルにあんな啖呵切ったくせに」
『でっでも、よく考えたらぼくが勝手に決めちゃったので。カリルさんの気持ちも・・・考えずに』
「おれの気持ちねぇ・・・」
反省しているのかしょげている響を見やり、カリルは言った。
「正直おまえって、いてもいなくても同じだからどうでもいいんだけど。いやむしろ迷惑なぐらいなんだけど」
『カリルさん!』
「っていうのはまぁ半分冗談」
『半分は本気なんですね・・・』
恨めしげな響の声に、カリルは笑った。本当に今更なにを言い出すのかと思えば。こいつらしいといえば、こいつらしいが。
「響」
『は、はい』
「本当に迷惑なら、熨斗つけてウィルにくれてやってるっての。おまえの好きにしろなんて言わずに、ウィルのこと行けってはっきり言うからな、おれは」
その時の響の顔といったら、かなりの間抜け面で、カリルは吹き出してしまった。
『・・・カリルさん、それって・・・』
「ま、いいんじゃねーの?仕方ねーから、もうしばらく面倒みてやるよ」
笑いをこらえながら言うと、響の顔が見る見るうちに明るくなった。
『はい!』




