第四章
それからカリルの修行に近い毎日は始まった。
最初はひとりで枷を壊そうと躍起になっていたカリルだったが、いかんせん一度見ただけではコツもなにも分からない。見よう見まねで枷を叩いてもビクともしないし、手が痛いだけだ。
枷をほうっておいて戻るという選択肢もあったが、カリルはそれを拒否した。試されているのではないか、とヤノに言われた以上、死んでもこの姿のままあの霊媒男には会いたくない。
がつん、と鈍い音がした。カリルは右手を抱え込んでうずくまる。出っ張った骨が当たったらしくかなり痛い。
「っっってぇぇー!!」
『だ、大丈夫ですか?カリルさん!』
「あほか、おまえは」
呆れたように言ったのは、ヤノだ。
「力任せにやればいいというものじゃないぞ?」
「っ、分かってるっての」
カリルは胡座をかいたまま、そっぽを向いた。分かっている。分かっているが・・・ではどうすればいいのか。
「・・・もう一度、見せてくれ。あの手刀ってやつ」
目をそらしたまま、ぼそっとカリルはつぶやいた。ヤノが意地悪げに笑う。
「さて、何か言ったかな?声が小さすぎて聞こえないな」
「っの、くそじじい!!下手に出りゃいい気になりやがって!!もう一回見せろって言ってんだよ!!」
「それが人に物を頼む態度かな?」
「ふざけんな一回死ね」
ぎゃあぎゃあ騒ぐふたりに、キリが台所から声を投げた。
「ふたりとも、ご近所迷惑ですよ。それからヤノさん、意地悪せずに見せてさしあげればいいじゃありませんか」
「さすがキリ!もっと言ってやってくれよ!」
「カリルさんも、家の中で暴れるのはやめてくださいね?」
「・・・おお」
キリに注意されるとなぜか反論できず、カリルは大人しくうなずいた。ヤノと目が合う。
「・・・とりあえず、外にでるか。カリル」
これも反論する理由はない。
「手刀に一番必要なのは集中力だ。もちろん腕力もある程度はいるがな」
おとなしく外に出た二人は、あまり人が来ない森の中まで来ていた。光が木々の間から降りてきてきらきらと瞬いている。
「集中力ねぇ」
「カリル、剣術はできるのか?」
「いや、おれは殴るか、これのどっちか」
と、腰に下げてあるナイフを見せる。ふむ、とヤノは首を傾げた。何を思ったのか、その辺に落ちていた長い枝を二本拾ってくると、片方を投げて寄越す。
「なんだよ?」
「剣の代わりだ。それでおれに打ち込んできてみろ」
「だからおれは剣とか使わねーって」
「だが、軍に入るつもりならば剣が使えんと話にならんぞ。ナイフは身軽で扱いやすいが、圧倒的にリーチで負ける」
「覚えておいて損はないってか?」
「そういうことだ」
カリルは息をつくと、枝を拾い上げた。長さと強度を確かめると、それを肩に乗せる。
にやりと笑った。
「打ち込めばいいんだな?」
「ああ」
「んじゃ遠慮なく」
とつぶやくと、カリルは枝を降りおろした。地面を蹴って間合いを詰める。余裕しゃくしゃくのヤノの顔にかちんときて、その顔めがけて枝を叩きつける。
が、寸前でヤノは身体を低くしてそれを避け、逆に持っていた枝でカリルの肩を叩いた。
『カリルさん!』
「あほ、ナイフとは違うんだから近づきすぎは禁物だ。だが、速さはいいな」
「そりゃーどーも」
肩を払ってカリルが吐き捨てた。くちびるがひくついているので、かなり怒っているのが分かる。
「そう怒るな。素材はいいと言ってるんだ。おれが剣術を教えてやる」
「あんたが?」
ヤノはうなずいて笑った。
「さっきの話に戻るが、剣術を覚えておいて損はないぞ。トランドの皇子は剣術に長けていると聞く」
「リオが?」
「ああ」
「・・・分かった。教えてくれ。でも剣術で枷が壊せるようになるのかよ?」
「剣術にも集中力は必要だからな。素振りを毎日1000回すれば嫌でも身につくさ」
『1000回って、ヤノさん』
「分かった。1000回だな」
カリルは普段が嘘に思えるほど素直に応じると、少し離れたところにいた響に目を向けた。
「響」
『はいっ!』
「ちょっとどっか行ってろ。見られてると落ち着かねーし、なんかムカつく」
『いや別にいいんですけどね。寂しくなんてないんですけどね。カリルさんのバカバカ』
響は長い耳をぺたんと垂らして、空を飛んでいた。肩を落としたままべそをかく。
『ぐすっ・・・カリルさんの鬼。おたんこなす』
カリルにはっきり「どこかに行け」と言われ、邪魔したくなかったので、いそいそとあの場を離れたのはいいが。
響は大きくため息をついた。
ヤノはこの島は安全だと言っていた。響にもそれは分かる。どう言えばいいのかーーーイヤな感じが全くしないのだ。
同時にそれは響の不要を意味している。
『ぼくって役立たずなんだなぁ・・・』
ぽつりとつぶやいた言葉は、空中で溶けて消えた。
守護霊は主を守ることしかできない。危険がないことはいいことだ。だけどカリルが頑張っているのに、見ていることも応援することも拒否されたら・・・。
『・・・・・・・・あああああダメです。前向き、前向きに!ぼくはぼくにできることをやればいいんですよね!』
安全とはいえ、カリルには一応薄い結界を張ってある。それから、大声で応援すると怒られるので、心の中で一杯応援する。それから。それから。・・・それから。
『・・・・・・ええーっと。なんか、できること少ないですよねぼく・・・』
再び響は耳をぺたんと垂らした。なんだか落ち込んでばかりだ。とりあえずカリルの稽古が終わるまでどこかで時間をつぶそう。今のうちに島のあちこちを探索するのもいいかもしれない。
そう決めた響は、低い位置を飛びながら島の様子を観察した。
人々が長屋の前で談笑している姿。響の横をすごいスピードで通り過ぎていく鳥の群。太陽の光を浴びて、きれいに輝く海と森。
本当に小さな島だったが、生命力に満ちている。
『?』
ふと何かが聞こえたような気がして、響は空中で止まった。耳を澄ます。
『これは・・・犬でしょうか?それとも狼?』
遠くから風に乗って遠吠えが聞こえてくる。まるで呼ぶような声が。
響は誘われるようにそちらに向かった。
彼らがいたのは、海に面した崖のところだった。
真っ黒な髪の少年と、同じく真っ黒な犬。いや、あの大きさは狼だろうか?
寄り添うようにしていた狼は、ふと少年がなにか囁くと、しなやかな動きでその場を離れた。どこかへ走っていく。
それを目で追っていた響は、ふと少年がこちらを見ていることに気づいてぎくりとした。なぜ内心焦ったのか分からない。
ただ、少年の黒い瞳を見たら金縛りのように体がすくんでしまった。
『こ、こんにちは。って、ええと、ぼくのこと見えてるんでしょうか?』
あたふたと挨拶をした響に、少年は少しだけ表情をゆるめた。
「見えてるよ」
『あ、そうなんですか?よかった』
何がよかったのだろう、と響は自分でつっこむ。あれ?なんだか変だ。うまく言えないけれど。
『あの、ぼくは響っていいます。あなたは?』
「・・・ウィル。みんなはそう呼んでる」
響はぽかんと口を開けた。
『ウィルさん・・・ってもしかして、ヤノさんの息子さんですか?』
「・・・」
『ああそういえばサガさんと雰囲気が似てらっしゃるかもしれません。そうでしたか』
「顔は?」
『はい?』
「顔は似てるか?ヤノやサガと」
むむ、反抗期とやらは本当のようですね。実の父親とお兄さんを呼びすてにするとは。そんなことを思いつつ、響はまじまじとウィルを見つめた。
まばたきをする。
・・・正直、あまり似ていない。気がする。ヤノとサガは似ているのに。
「似てないだろ?」
『・・・・・いえあの。そんなことは』
「気を遣わなくていい。当たり前なんだから。おれはあの人たちとは血なんて繋がってない」
あっさりと言われた言葉に、響は懸命に頭を回転させる。ええと。
『あのですね。いくら反抗期でもそういうのはどうかと思いますよ?』
「・・・・・・それ、本気で言ってるのか?響は本気でおれがあの人の子供だと?」
どこか寂しそうな、それでいて怒ったような口調に、響は間抜けな顔をすることしかできなかった。
『あ、あの・・・』
「・・・」
ウィルはなぜかため息をついた。
「・・・おれの本当の名前は、ウィリアムというんだ」
『ウィリアム、さん・・・?』
そうだ、とつぶやくと、ウィルはまっすぐに響を見た。ああ、まただ。この目がなぜか緊張するのはーーー
「ウィリアム・クーレ・ティティンだ。響」




