第五章
ヤノは一度家に戻って木刀を持ってくると、それをカリルに手渡した。カリルは重さを確かめてから、それを振り回す。
「どうすればいいんだ?」
「とりあえずは基本からだな。構えは流派によって違うものだが・・・」
「あんたのやり方でいい。教えてくれ」
ヤノは笑って「じゃあ見てろ」と言った。
「足を少し開いて、利き足じゃない方を後ろに下げる。剣は身体に対して斜めに立てるんだが・・・まぁ、45度くらいだな」
説明しながら、ヤノは実際に構えて見せた。カリルは食い入るように見つめながら質問する。
「なんだか横が無防備だよな。いきなり襲われたらどうすんだよ?」
「そうだな。剣で防御するのが一番だろうが、おまえの速さなら後ろに飛んだ方が有利かもしれないな。剣で受けて力比べになったら、女の腕では辛くなるだろうし」
「あーそういうの男女差別っていうんだろ?」
「差別じゃなくて、事実だろうが。些細なことに拘っていたら、命などいくつあっても足りなくなるぞ?」
カリルは舌を出して「へいへい」と返事をする。
「敵と向き合うことになったら、とりあえずは間合いをとったほうがいい。下手に突っ込むのはバカのすることだ。距離を保ちながら、相手の力量をはかれ」
「どうやって」
「こればかりは説明が難しいんだが・・・目を見れば分かるときもある」
「わかんねーよ、そんなの」
ふとそのとき、唐突に空気が変わったのが分かった。肌が焼け付くような妙な緊迫感を覚える。
カリルは目を瞬かせて、ヤノを凝視した。ピリピリした空気は彼から感じる気がする。
「おい。何だよ?」
「・・・ふむ。今のが分かったのか?」
「知るか。あんたから妙な感じがしたんだ」
「妙な感じか・・・勘もいいようだな。これは得だぞ?」
「ああ?」
いつの間にか、その<妙な感じ>は消えていた。ヤノはいつもの様子で朗らかに言う。
「殺気の類は勘がいいとすぐに分かる。とはいってもこれも駆け引きだな。相手が隠すのがうまいか、それともこちらがそれ以上に敏感か」
「・・・なんつーか、剣術って面倒くさそうだよな」
「そう言うな。おまえは素質はありそうだぞ?」
「んなもん当たり前だろ」
カリルは堂々と言い切ると、木刀を肩に担ぎなおした。
「とりあえず何から始めればいいんだ?」
「まずは先ほどの基本の構えで素振りを・・・そうだな、200回ぐらいしておくか」
黙々と素振りをするカリルの額には大粒の汗が浮かんでいる。いざ素振りを始めると、手を休めるどころか文句も言わない。
「おい、今何回だ?」
「177。こら集中しろ。手元がぶれてきてるぞ」
「あーはいはい」
息も切れ切れに答えると、カリルは木刀を持ち直した。ぶれていた軌道が戻る。初めてだと思えば、かなり集中力もあるほうかもしれない。
素振りを傍らで眺めながら、もしかしたら、とヤノは思った。これは本当に掘り出し物かもしれない。女なのが残念なくらいだ。サガは気づいていたのだろうか。
ヤノはしみじみと息をついた。
「おまえ、生まれてくる性別間違ってるよな・・・」
「ああ!?」
「あーもったいない。今からでもいい。女をやめろ」
「何の話か分かんねーけど、喧嘩売られてんのは分かるぞ?このくそじじい」
「あほう。おれは誉めてるんだ」
「どこがだよ」と毒づいて、カリルは頭を軽く振った。汗が目にはいるらしい。
「ほら頑張れ。あと少し・・・」
ヤノが声をかけた、その時だった。カリルが少し前に、<妙な感じ>と表したものが肌をかすめる。
ハッとして顔を上げるとほぼ同時に、横の茂みから何かが飛び出してきた。
「カリル!」
ものすごい速さで飛び出してきたそれは、黒い狼だった。カリルに飛びかかって横倒しにすると、低い唸り声とともに牙を剥く。
「やめろ、ダーク!!」
「っ、」
この体勢では防御もできず、カリルは目を見開いた。
鋭い牙が、カリルの首に食い込もうとしたその瞬間、静電気のような衝撃がそれを阻んだ。それに怯んだのか、ダークが一瞬身体を引く。
その隙を見逃さず、カリルは素早く手を伸ばした。ダークの首をつかむと、押さえつけたまま身体を入れ替える。
逆に地面に押さえつけられる姿勢になったダークは、力一杯もがいたが、カリルの方が上手らしい。少しずつ大人しくなると、クゥ、と弱々しい声で鳴いた。
カリルはチッと舌打ちした。
「あとちょっとだったってのに、邪魔しやがってこいつ・・・」
「カリル、大丈夫か?」
ああ、と応じると、カリルはダークの目を至近距離からのぞき込んだ。
「いいか?人と共存してる狼なら、人を襲うな!それができないなら殺されるだけだぞ。そんなことも分かんねーのか、おまえは!」
ダークの真っ黒な目が揺らいだ。カリルの視線を受け止めると、言葉を交わすかのようにじっと見つめる。
カリルはふっと肩の力を抜いた。手を離すと、ダークはよろよろと起き上がり、おぼつかない足取りで森の中へと姿を消した。
それを見送っていたヤノは、ふとカリルの声に視線を戻した。
「おい」
「・・・なんだ?」
「あれ、あんたの息子の狼だろ。ちゃんとしつけとけよ。全く」
「・・・そうだな」
答えたきり、ヤノは黙り込んだ。嫌な予感がじわじわと広がっていく。
確かにダークはウィルの狼だ。ウィルの言うことなら従うし、逆にウィルの言うことしか聞かない狼だった。
そのダークがカリルに襲いかかった。それがどういうことなのかは、さすがに考えなくても分かった。
ウィリアム・クーレ・ティティン。
その名前の意味が分からないほど響は馬鹿ではない。
何か硬いもので殴られたような衝撃を覚えつつ、響は目の前の少年を凝視した。
『・・・ウィリアム、皇子・・・?』
そうだ、と肯定したあの顔。確かに誰かに似ている気がした。ヤノでもなく、サガでもなく、他の誰かに。
閃くように思い出したのは、前の主との別れの時だった。頼もしい王、優しい王妃。王妃のお腹は膨らんでいた・・・。
ああ、確かに似ている。
そう思った。
『では・・・サガさんがおっしゃっていた安全な場所というのは、ここだったんですか・・・?』
声が震えた。ウィリアムがうなずく。
「ああ。父上たちが殺され、戦争が始まってすぐ・・・ここに連れてこられた。その時おれはまだ十四で、響の加護を受けることもできなかったんだ」
『・・・』
「名と身分を偽り、ここではヤノの息子として通っている。おれのことを知っているのはヤノとキリと・・・もう二人ほどいたかな。ほとんどの者は知らない」
話を聞きながら、響は手に力を入れた。この人が、前の主の忘れ形見。・・・自分の、本来の主。
『あ、あの・・・』
何か言わなければ。それなのに頭が混乱してうまくしゃべれない。
それでもなんとか口を開いた、その時だった。
カリルに張ってあった結界に、何かが触れた。静電気のような衝撃が響の元まで届き、響は打たれたように顔を上げた。
『カリルさん・・・!?』
何かあったのだろうか。結界が働くようなことが。響はすぐさま戻ろうとした。
「大丈夫だ」とつぶやいたのは目の前にいたウィリアムだ。そのはっきりとした物言いに、響は当惑する。
『ウィリアムさん?あの・・・』
「結界が張ってあったんだな。わざわざ君がひとりになった時を見計らったんだけど」
『・・・おっしゃっている意味がよく・・・分かりませんが。すいません。ぼく、戻らないと』
「だからカリルのことだろう?それなら大丈夫だと言っている」
『・・・どうしてあなたがそんなこと・・・』
「ダークが失敗だと言っているから。君にも聞こえるだろう?」
言われ、響は耳を澄ましてみた。かすかに狼の遠吠えのようなものが聞こえる。
その声に、ウィリアムと一緒にいた黒い狼のことを思い出した。
しかしそれとカリルに何の関係があるのだろうか。
ウィリアムはあっさりと告げた。
「ダークがカリルを襲ったんだよ。と、いっても命じたのはおれだけど」
『は・・・!?』
響はウィリアムを見つめた。
『ど、ど、どうしてそんなこと・・・』
「・・・彼女のことは、サガから聞いている。だが響、君の本来の主はおれのはずだ」
響は息をのんだ。
彼の言っていることは正しい。何一つ間違っていない。
守護霊の本当の主とはその国の王族だけだ。彼にしか響の封印は完全に解けないし、響もまた彼に従うのが当然の理だ。
だけど。
『だ、だからってカリルさんを襲っていい理由にはなりません!!!』
「見たかったんだ。君がどういう反応をするのか。・・・サガの言ったとおりだな」
最後にぽつりと付け足された言葉がやけに静かで、それ以上何も言えなくなってしまう。
「おれは今年で十六になる。もう守られるような年でもない。守護霊の力を得、すぐにでも国の為に戦いたい」
だから、とウィリアムは言った。
「響、おれに力を貸してくれ」




