第三章
客室がないため、カリルは居間を借りて休むことになった。
毛布にくるまって横になりながら、灯り取りの窓から見える夜空をながめる。
ぼーっとしていたカリルは、ふとキリの言葉を思い出した。
「誰にでも、優しいねぇ・・・」
キリが知っているフォリオは、まだ十才にもなっていないはずだ。そのころにはすでにあの性格は形成されていた、ということだろうか。
そう思うとなんだか笑えて、そしてなんだか少しだけ安心した。自分以外にもちゃんとリオのことを分かっている人がいるのだ。
キリに、今度サガに会ったらその話をしてやってくれと頼もうか。あの男は絶対にカリルの話など信じないだろうが、義母の言うことなら少しは耳を貸すかもしれない。
いい加減寝るか、と毛布をかぶり直したその時、カリルの耳に懐かしい声が聞こえた。
「!」
カリルは飛び起きて耳を澄ます。しばらくして、やっぱり聞こえた。
狼の遠吠え。
「シロ・・・、なわけないか」
ヤノが野犬がいると言っていたし、その声なのかもしれない。それは分かっているのだけれど。
「・・・」
どうにも落ち着かなくなり、カリルは毛布から出た。上着を羽織り、念のため愛用しているナイフを腰に下げる。
ちらりと台の上に置いてある石版に目を向けた。
響は今、あの中だ。守護霊は眠る必要はないのだが、夜ひとりでいるのが嫌らしく、大抵石版の中に戻っていることが多い。
声をかければすぐに出てくることは分かっていたが、カリルはなにも言わずに部屋を出た。いちいち声をかける必要もないだろうし。
音を立てないように歩き、家を出る。
月がやけに明るい夜だった。太陽も出ていないのに影が落ちている。
再び聞こえた遠吠えに耳を澄まし、カリルはそれが聞こえる方向に足を進めた。
集落を抜け、森に入る。視界が悪くなるが、鋭い感覚で進む。ここはカリルが住んでいたあの島に似ているせいか、不思議と見知った場所のような感覚を覚える。
やがてカリルは森を抜け、海に出た。こちら側の海岸は岩が多く、足場が悪い。
暗い海にとけ込むように、彼らはいた。
黒い髪を短く切りそろえた少年と、その傍らには闇と区別がつかないほど真っ黒な犬。いや。あの大きさはもしかして、
「狼、か・・・?」
つぶやくと、獣がゆっくりとこちらを振り返った。真っ黒な瞳が月の光を吸い込んで光っている。低いうなり声に、やっぱり狼だ、とカリルは確信する。
狼の威嚇に、少年のほうも振り返った。カリルと目があった。にもかかわらず、ふいっとまた前を向いてしまう。
カリルは狼の威嚇など気にせずに近寄った。うなり声が一段と大きくなると、ようやく少年が口を開いた。
「近づくと咬むぞ」
「咬むのか?」
たぶんな、と少年は曖昧に答えた。狼はまだ低く唸っているが、カリルは気にせず傍らにしゃがみこんだ。まじまじとのぞきこむ。
「これ、狼だよな?」
「ああ」
「なら、しつけたほうがいいんじゃねーの。人間と一緒にいるならさ」
「おれには咬まないから。それで?」
「あ?」
ちらっと少年はカリルを見た。
「あんた誰?」
「ああ、おれはカリルっていうんだ。あんたは?」
尋ねると、少年は少し考えた後「ウィル」と名乗った。
「ウィル・・・?」
なんだかどこかで聞いたような。しかも最近。
記憶を手繰りよせ、あっとカリルは声を上げた。
「もしかしてヤノの息子か?」
「・・・」
ウィルは目を細めてカリルを見据えた。目に険が帯びる。
「なんだよ?違うのか?」
「・・・さぁ、あの人を親だなんて思ったことはないけど」
「なんで?」
ウィルは黙ったまま答えない。これは相当な反抗期だな、とカリルは肩をすくめた。
ウィルと会話していたせいか、いつのまにか狼の威嚇は収まっていた。くつろぐように身体を伏せている。
カリルが手を伸ばすと、それを目で追いながら再び小さく唸ったが、カリルは構わず首筋を撫でた。しばらくさすると、次第に唸り声が小さくなっていく。
「・・・怖くないのか?」
目を向けると、ウィルが興味深そうにこちらを見ていた。
「怖いってこいつが?」
「ああ」
「いや別に?もっと大きな狼も知ってるし」
「ふぅん」
ところでさ、とカリルは声をひそめた。
「こいつの名前って・・・もしかしてクロか?」
「・・・・・・・・・ダークだけど」
「はぁっ!?なんだよそれ。なんで無駄にカッコつけるんだよ。クロでいいじゃんか!」
なぁ?とダークに同意を求めた途端、ダークががぶりとカリルの手を咬んだ。
「では、いってきますね」
そう言って微笑んだのはキリだ。手には焼きたてのパンをたくさん詰めた籠を抱えている。
カリルとヤノは朝食を終えたばかりで、まだ食後の茶を飲んでいる最中だった。
『どこに行かれるんですか?こんなに朝早くに』
「朝は市場があるんです。といってもみんなが物を持ちよって、物々交換するだけなんですが」
「キリ、ウィルのところにも寄っていけよ」
ヤノが言うと、キリはうなずいて出ていった。
カリルは茶を飲み干し、思い出したように言った。
「そういえば、おれ会ったぞ。あんたの息子に」
『ええええっ?いつですか!?』
「昨晩。西の浜のところに狼と一緒にいた」
『ずるいずるいずるいです!!ぼくもお会いしたかったですー!声かけてってくださいよー!』
「そんなの知るか。石版の中にひっこむおまえが悪いんだろ」
『ううっ。カリルさんとは一心同体だと思ってたのに・・・』
「気持ちわりー言い方すんな!!!」
泣き真似までする響に鳥肌が立って、カリルはごしごしとそれをこすった。響がヤノに話を降る。
『ヤノさん、ひどいと思いませんか?・・・ヤノさん?』
何かを考え込んでいるような様子だったヤノだが、響に顔をのぞき込まれ、ふっと笑みを浮かべた。
「そうか、ウィルと会ったか。どんな様子だった?」
「どんなもなにも。普通だったけど。ああ、でも反抗期ってのは相当っぽかったな」
「他は何もなかったか?」
「・・・そういえばある。深刻なのが」
声をひそめてそういえば、ヤノも響も何事かと表情を改めた。
「あいつネーミングセンスない」
『はい?』
「ネーミングセンスだよ、センス!なんであれがダークなんだよ?クロだろ普通!」
響はなんのことか分からなかったようだが、ヤノはすぐピンときたらしく苦笑していた。
ヤノたちの生活は基本自給自足らしい。野菜を作り、家畜を育て、生活に必要な日常品は手作りが多い。この点もカリルの育った島と酷似していた。
この日のヤノの仕事は、漁に使うための網づくりらしい。一宿一飯の恩もあって、カリルはそれを手伝っていた。ちなみに響はなにが面白いのか、横にしゃがみこんで作業をきらきらした目で見ている。
「巧いな」
「まぁな。こういうのよく作ってたし」
器用に足で網の端を押さえながら編んでいくカリルに、ヤノは感心したようだった。
『カリルさん、すごいですお上手ですー』
「だろ?敬えよ」
『はい!!』
ふたりのやりとりに、隣で聞いていたヤノが失笑する。
「おまえら本当に仲がいいな」
「だーかーら、どこがだよ?」
「今のを見てそう思わん奴はいないと思うがな」
『そうですよカリルさん!ぼくたちラブラブじゃないですか!』
「うるせぇテメーはだまってろ」
容赦ない返しにも響は気にした様子はない。まだ笑っているヤノを、カリルはちらりと見やった。
「・・・あんたさ、よく笑うよな」
「そうか?」
「ああ。サガはあんま笑わねー。ウィルのことはまだよく知らないけど、あいつもどっちかっていうと無愛想だったぞ?」
「そうか。サガもウィルも昔はよく笑う奴だったんだがなぁ。なぁ?響?」
『はい!ウィルさんには会ったことはありませんでしたが・・・昔のサガさんはすごく元気なお子さんでしたよ?』
カリルはよく笑う元気なサガを想像してみたが、なんというか不気味なだけだった。
網もだいぶん長くなり、一度端を折り返して留めることにする。手際よく作業していくカリルだが、動かす度にじゃらじゃらとまとわりつく鎖に顔をしかめた。
枷と枷をつなぐ鎖は長さも十分あるので、普通の生活をするには少し不便な程度なのだが・・・
「すっげーうっとうしいんだよなーこれ」
編み上げた縄を畳みながら、ヤノが顔を上げた。
「その枷か?」
「ああ、外せねーかな。これ」
「無理だろうな。鍵はサガが持っているだろうし・・・いや、あいつのことだ。もうとっくに捨てているかもしれんな」
「はーあー?じゃ何か?これずっとこのままってことかよ?」
『ふふっ』
「・・・響、今笑ったな?」
『いえ笑ってません。笑ってませんよー』
「てめぇやっぱ笑ってんじゃねーか!ふざけんな!」
「こらカリル、どうせ当たらないんだから物を投げるな」
網をひとまとめにしたヤノは、ひとまずそれを横にどけた。
「カリル、手を見せてみろ」
「?」
言われるまま、カリルは片手をヤノに差し出した。ヤノは手首にはまった枷をじっくりと眺める。
「ふむ。外すことは無理だが、壊すことはできそうだな」
カリルはぽかんと相手を見返した。
「うそだろ?だってこれかなり頑丈だぞ?」
「ちょっと待ってろ」
とヤノは立ち上がると、隣の部屋へ行った。すぐに戻ってきた彼の手には、紙の押さえに使う板上の重石がある。
「見てろ」
そういうとヤノは左手で石を固定したまま、右手をピンと伸ばし、その側面を石に叩きつけた。
さほど力が入っていないように見えたのに、石は真っ二つに割れる。
カリルは唖然と割れた石を見つめ、響は歓声と共に拍手をする。
『すごいですヤノさん!!』
「いわゆる手刀というやつだな。物には必ず脆い部分があって、そこに力を加えるんだ。石は硬いが衝撃に弱い分、木よりも割りやすい」
『あ、じゃあそれでカリルさんの枷を壊してもらえば・・・』
響の提案を、ヤノは「甘えるな」と一蹴した。
「それぐらい自分でやれ。サガならこれくらい簡単にやるぞ?」
『で、でもヤノさん・・・』
「サガは言葉の足りない男だが、無駄なことはせん。枷をはめてここに連れてきたのも理由があるだろう。試されているとは思わんか?」
まっすぐヤノの視線を受け止めていたカリルは、ふっと口元をつり上げた。
「上等じゃねーか。だいたい誰がやってくれなんて頼んだよ?んなもん自分でやってやる」
ヤノは目を細めて笑った。
「いい心がけだ」




