第9話:愛のある縁こそ本物、と言った人
王太子の一行が辺境に着くまでに、三日あった。
その三日で、王都の顛末が、少しずつ辺境に伝わってきた。
セシリア様の縁組が、どのように壊れていったか。行商人たちは、まるで見てきたかのように語った。
「東の三家をまとめて縁づけようとしたそうですよ。ヴァイス伯、ロート伯、グリュン伯。三家で持ち回りの婚姻同盟を組めば、王家の力になると」
なるほど、と、わたしは思った。
家格だけ見れば、悪くない縁だ。三家とも、同格の伯爵家。持参金も釣り合う。書類の上では、完璧な同盟に見える。
けれど、その三家の間に張られた糸を、わたしは知っていた。
ヴァイス伯とロート伯は、先代同士が決闘までした間柄。ロート伯とグリュン伯は、猟場を巡る訴訟が今も続いている。グリュン伯とヴァイス伯だけは仲が良いが、それは二人が同じ女性に横恋慕して以来の、危うい共犯関係だ。
この三家を婚姻で結べば、どうなるか。
火薬庫に、火を三つ、同時に投げ込むようなものだ。
「案の定、三家は縁談の席で大喧嘩になったそうで。今は、王家を挟んで三つ巴のいがみ合いだとか」
わたしは、深く息を吐いた。
セシリア様は、糸を見なかった。いや、見えなかった。彼女には、三つの家が「同格で釣り合っている」ことしか、見えなかったのだ。
その裏にある、決闘の遺恨も、訴訟の恨みも、横恋慕の火種も。
「愛のある縁こそ、本物ですもの」
彼女は、そう言っていた。
けれど、彼女の言う「愛」は、他人の痛みを見ない愛だった。自分とオルフェウス様の物語には夢中でも、他人の縁の中にある無数の事情には、一片の関心もない。
だから、縁が結べない。
縁は、相手を見ることでしか、結べないのだから。
*
「ねえ、ロザ様」
マリカが、釣書の整理を手伝いながら、ふと聞いてきた。
「そのセシリアってやつ、あんたを追い出した張本人なんでしょ。今、めちゃくちゃ困ってるわけじゃん。……いい気味、って思わないの?」
わたしは、少し手を止めた。
「思わない、と言えば嘘になります」
「じゃあ、思うんだ」
「ええ。でも、それより先に、思うことがあります」
わたしは、積まれた釣書を見た。王都から流れてきた、宙に浮いた縁談の写し。壊れた同盟の残骸。
「あの三家の縁が壊れたことで、いちばん傷つくのは、伯爵たちではありません。その家に仕える人々、嫁ぐはずだった娘たち、同盟を頼りにしていた小さな村々です。糸が切れると、いちばん弱いところが、真っ先に痛む」
「……」
「セシリア様が困るのは、いい気味です。でも、そのために切れた糸の先で、名前も知らない誰かが泣いているのは——少しも、いい気味ではありません」
マリカは、しばらく黙って、それから、ぽつりと言った。
「あんた、やっぱり変わってるよ。自分を追い出した奴が困ってても、その先の知らない奴のこと心配してんだから」
「そうかもしれませんね」
わたしは、笑った。
けれど、これが、わたしの縁定めだ。誰かを困らせるために縁を切るのではない。誰も泣かないように、縁を結ぶ。それだけが、わたしのしてきたこと。
だから、わたしはもう、王家のためには結ばない。けれど——糸の先で泣く誰かのためになら、いつか、また結ぶのかもしれない。
*
三日目の夕暮れ、辺境の門に、王家の紋章を掲げた馬車が着いた。
アルヴィン様が、わたしの隣に立った。
「会うのか」
「会います。逃げても、糸は切れませんから」
「俺も、そばにいる」
さらりと、彼は言った。まるで、当たり前のことのように。
その一言が、なぜだか、こわばっていたわたしの肩から、そっと力を抜いた。
馬車の扉が開く。
降りてきたのは、青ざめた顔の、王太子オルフェウス様だった。
かつて、大広間でわたしを断罪した人。「縁を組む道具」と、切り捨てた人。
その人が今、追放したはずの女の前に、立っていた。
セシリアの縁組が、なぜ壊れたのか。彼女は「糸が見えなかった」——ただそれだけのことでした。「愛のある縁こそ本物」と言いながら、他人の痛みを見なかった彼女の、静かな自滅です。
そしてロザの縁定めの本質が、マリカとの会話で語られます。誰かを困らせるためではなく、誰も泣かないように結ぶ。
「俺も、そばにいる」——アルヴィンのこの一言。次話、ついに王太子との対面です。物語最初の大きな山場、どうぞお見逃しなく。




