第10話:頭を下げに来た王太子
オルフェウス様は、辺境の粗末な客間で、わたしと向き合っていた。
半年ぶりに見る元婚約者は、記憶よりずっと痩せ、目の下に濃い隈を刻んでいた。王都の華やかな装いのまま、けれど、その背は、どこか丸まっていた。
「ロザ」
彼は、口を開いた。
「……久しい」
「王太子殿下。辺境まで、遠路お疲れ様でございました」
わたしは、追放された者としての礼を尽くした。それ以上でも、それ以下でもなく。
オルフェウス様は、しばらく言葉を探すように黙っていた。それから、意を決したように、言った。
「単刀直入に言う。王都へ、戻ってきてほしい」
やはり、その話か。
「王家の縁組が、立ち行かなくなっている。リューベルンとの同盟は破談し、東の三家は今や三つ巴だ。周辺諸国は、我が王家を『約束を守れぬ家』と侮り始めている。……このままでは、国が、傾く」
「セシリア様は、縁組がおできになるのでは?」
わたしは、静かに尋ねた。皮肉ではない。事実として。
オルフェウス様の顔が、歪んだ。
「……セシリアには、無理だった。あれは、縁を組めなかった。組むたびに、壊した」
「そうですか」
「ロザ。私が、間違っていた」
彼は、椅子から立ち上がると——膝を、ついた。
王太子が。追放した女の前で。石の床に、膝を。
「お前を、道具のように扱った。お前が組んでいた縁が、どれほどのものだったか、失って初めて知った。私は、お前の価値を、何一つ、わかっていなかった。……この通りだ。詫びる」
部屋の隅で、ハンナが息を呑む音がした。
わたしは、膝をついた元婚約者を、静かに見下ろしていた。
不思議と、胸は波立たなかった。
半年前、あの大広間で断罪された時、わたしはこの人を恨んだだろうか。いや。恨むより先に、勘定していた。この人が抜けた王家の縁が、どうほどけていくかを。
そして今、その勘定通りに、この人は膝をついている。
溜飲が下がる、というのは、こういうことなのかもしれない。声を荒げず、復讐もせず、ただ手を引いただけで、切り捨てた人が自分から膝をつく。
けれど。
「殿下。お顔を上げてください」
わたしは、言った。
「謝罪は、受け取ります。あなたが、わたしの仕事の価値を認めてくださったこと、それは……正直に申せば、少しだけ、報われた心地がします」
オルフェウス様の顔に、かすかな希望が差した。
「では——」
「けれど、王都へは、戻りません」
その希望が、凍りついた。
「なぜだ。詫びは、したはずだ。お前の望むものは、なんでも——地位でも、名誉でも」
「わたしが欲しかったものは、地位でも名誉でもありません」
わたしは、まっすぐに彼を見た。
「一人の人間として、見てもらうこと。ただ、それだけでした。あなたは今、わたしの『仕事』の価値を認めてくださった。でも、それは結局、『縁を組む道具』として、優秀だったと言っているだけです」
オルフェウス様が、言葉を失った。
「あなたは今も、わたしを『使える道具』として、取り戻しに来た。半年前と、何も変わっていません。……違いますか?」
彼は、答えられなかった。それが、答えだった。
「わたしは、もう、あなたのためには結びません」
その時。
客間の扉が開いて、アルヴィン様が入ってきた。ノックもなく、当たり前のように、わたしの隣に立った。
「話は、済んだか」
オルフェウス様が、警戒するように彼を見た。
「……ヴェルンフェルト辺境伯。この者は、王家の人間だ。返してもらう」
「断る」
アルヴィン様は、即答した。
「この女は、道具ではない。俺の——」
彼は、そこで、一瞬、言葉を切った。頬が、わずかに赤らんだ。無骨な男の、精一杯の逡巡だった。
「……この辺境に、なくてはならん人だ。誰にも、渡さん」
わたしの胸が、大きく、鳴った。
「渡さん」——その一言が、「縁を組む道具」と呼ばれ続けたわたしを、一人の人間として、まるごと肯定していた。
オルフェウス様は、長いこと、わたしとアルヴィン様を見比べていた。
そして、ゆっくりと、立ち上がった。
「……そうか。お前は、もう」
彼は、それ以上言わなかった。言えば、みじめになるだけだと、わかったのだろう。それくらいの分別は、この人にも、まだ残っていた。
「達者で、な。ロザ」
去り際、彼は、そう言った。
初めて——「道具」ではなく、「ロザ」と、一人の名前として、わたしを呼んだ。
半年、遅かった。
*
馬車が去っていくのを、わたしはアルヴィン様と並んで見送った。
「よかったのか」
彼が、ぽつりと言った。
「王家へ戻れば、お前は元の地位に戻れた。こんな、痩せた辺境ではなく」
「よかったのです」
わたしは、迷いなく答えた。
「あそこには、わたしの縁は、ありませんでしたから」
夕暮れの辺境に、風が渡っていく。橋の架かった川。実り始めた畑。憎まれ口の少女。そして、隣に立つ、不器用な人。
わたしは、ようやく、輪の外ではなく、輪の中にいた。
去っていく馬車の向こう、王都の空の下では、宙に浮いた縁が、まだ、静かにほどけ続けている。
――けれど、それは、もう、わたしの糸ではない。
第10話、物語最初の大きな山場をお届けしました。ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
王太子が、追放した女の前で膝をつく。溜飲の下がる場面です。でも、ロザが欲しかったのは地位でも名誉でもなく、「一人の人間として見てもらうこと」でした。だから彼女は戻らない。そして、それをまるごと肯定したのは、あの不器用な辺境伯でした。
「渡さん」——アルヴィンの、精一杯の言葉。二人の縁が、また一歩、近づきました。
さて、王都はこれからどうなるのか。宙に浮いた縁の裏で、糸を引いていた本当の黒幕が、次のアークで姿を現します。ロザを追放した、本当の理由とは——。
続きも、どうぞお楽しみに。ブックマーク・評価で応援いただけると、とても励みになります。これからもよろしくお願いします。




