第7話:境の縁談
ヴェルンフェルト辺境の南の端に、ドレーゼ男爵領があった。
二つの領地は、細い川一本を境に接している。そして、その境では、十年前から止まったままの縁談があった。
「ヴェルンフェルトの分家の娘と、ドレーゼの跡取り息子。十年前に持ち上がって、それきりだ」
アルヴィン様が、地図を広げて説明してくれた。最近、彼はわたしに縁の話を持ってくるようになった。「させない」と言っていたはずなのに。
「なぜ、止まったのですか」
「境の水車小屋だ。どちらの領のものか、はっきりしない。縁談をまとめれば、水車が持参金代わりに片方へ渡る。それを、双方が惜しんで、話が進まん」
なるほど、と思った。
けれど、地図を見ているうちに、違う糸が見えてきた。
「アルヴィン様。この縁談、当のお二人は、どう思っておられるのでしょう」
「……さあな。十年も宙ぶらりんだ。今さら顔も覚えていまい」
「一度、お会いしてみます」
分家の娘は、リネットといった。二十歳を過ぎ、そろそろ嫁ぎ遅れと囁かれる年頃だった。ドレーゼの跡取りは、トマス。生真面目そうな青年だった。
二人を、それぞれ別に呼んで話を聞いた。
そして、すぐにわかった。
この二人の糸は——とっくに、結ばれていた。
「リネット様。あなたは、川辺で本を読むのがお好きですね」
「え……なぜ、それを」
「トマス様も、同じ川辺で、よく釣りをなさる。お二人は、十年の間に、何度もそこですれ違っている。違いますか」
リネットの頬が、みるみる赤くなった。
トマスに同じことを尋ねると、彼は耳まで赤くして、うつむいた。
「……あの、川辺の。本を読んでる人が、いて。話したことは、ないんですが。その、いつも、いるので……」
二人は、水車のことも、家の事情も、何一つ知らないまま、十年、同じ川辺で、互いを見ていた。
家同士は「水車が惜しい」と揉め、当人たちは「話しかける勇気がない」まま、十年。
なんという、もったいない糸だろう。
「アルヴィン様」
わたしは、館に戻って報告した。
「あの縁談、水車は関係ありません。お二人は、もう、結ばれています。家が、それに気づいていないだけです」
「……なに?」
「水車を、どちらの持参金にもしなければいい。境の川に架ける橋の袂に、二つの領で共同の水車小屋を建てるのです。どちらのものでもない、二人のための水車小屋を。そうすれば、水車は誰の手にも渡らず、けれど二つの領を結ぶ縁の証になります」
アルヴィン様は、しばらくわたしを見つめていた。
それから、ふ、と、笑った。
初めて見る、彼の笑顔だった。
「お前は……本当に、糸が見えるんだな」
その笑顔に、わたしの胸が、なぜだか、とん、と鳴った。
*
縁談は、あっけないほど早くまとまった。
水車小屋の案に、両家とも異存はなかった。惜しんでいたのは水車ではなく、「相手に譲ること」だったのだ。譲らなくていいとわかった途端、二つの家は、十年の膠着が嘘のように和解した。
婚礼は、一月後と決まった。
リネットが、去り際に、わたしの手を握った。
「ロザリンド様。わたし……十年、諦めていました。この縁は、もう結ばれないのだと。ありがとうございます」
わたしは、微笑んで、その手を握り返した。
けれど、館へ帰る道すがら、胸の奥が、少しだけ痛んだ。
わたしは、他人の諦めた縁を、いくつも結び直してきた。十年止まった縁も、三十年こじれた縁も。
なのに——自分の縁だけは、いつも、諦めている。
「わたしは、縁を組む道具ですから」
そう言われ続けて、そう思い込んできた。選ばれる側ではない、と。
隣を歩くアルヴィン様を、ちらりと見た。
さっきの笑顔が、まだ、瞼の裏に残っていた。
(——だめよ、ロザリンド。自分の糸を読もうとするなんて。読めるわけがないのだから)
わたしは、そっと目を伏せて、歩く速さを、少しだけ速めた。
案件を変えて、今回は「十年止まった境の縁談」。実は当人同士はとっくに結ばれていた、というお話でした。
他人の縁は結べるのに、自分の縁だけは諦めているロザ。そして、初めて見せたアルヴィンの笑顔に、彼女の胸が小さく鳴りました。
次話は、辺境で祝言が挙がります。結ばれる二人を見つめるロザの、少し寂しい横顔を。
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