第6話:繋ぎ直せない糸
王都の混乱は、日を追うごとに辺境まで伝わってきた。
行商人が、旅の吟遊詩人が、逃げてきた下級役人が——みな、同じ話をした。王家が、縁を結べなくなっている、と。
「セシリア様とやらが、必死に縁組をまとめようとしているらしいですよ」
ハンナが、市場で仕入れた話を聞かせてくれた。
「でも、まとめた端から壊れるのだとか。この前は、隣り合う二つの伯爵家を縁づけようとして、かえって戦の一歩手前まで揉めさせたそうで」
わたしには、その光景が目に浮かぶようだった。
セシリア様は、家格と持参金の釣り合いだけを見て、縁を組んでいるのだろう。それは、王都の誰もが「正しい」と思っているやり方だ。釣り合っていれば、良い縁。釣り合っていなければ、悪い縁。
けれど、糸は釣り合いでは結べない。
隣り合う伯爵家というのは、たいてい、境界を巡る古い遺恨を抱えている。近いからこそ、こじれる。その遺恨を先にほどかずに婚姻で結べば、二つの家の恨みが、一つの家の中に持ち込まれるだけだ。
「愛のある縁こそ本物」——セシリア様は、そう言っていた。
けれど、彼女の言う「愛」は、たぶん、自分とオルフェウス様のことしか指していない。他人の縁の中にある、無数の情や痛みや事情を、彼女は見ようとしたことがない。
見ようとしない人には、糸は見えない。
「お嬢様は、悔しくないのですか」
ハンナが、ぽつりと言った。
「あなたが二年かけて組んだ縁を、あの方が、たった数月で滅茶苦茶にして……」
「悔しい、とは少し違うわね」
わたしは、正直に答えた。
縁が壊れていくのは、寂しい。わたしが通した糸が、切られていくのだから。けれど、それを切っているのは、わたしではない。あの人たち自身だ。
わたしは、何もしていない。ただ、手を引いただけ。
それで、王家は自分たちの手で、自分たちの縁を壊していく。
「これが、いちばん静かな仕返しなのかもしれないわね」
わたしは、そう言って、少し笑った。
*
その日の夕方、館の中庭で、アルヴィン様が剣の稽古をしていた。
上着を脱ぎ、汗を飛ばして木剣を振るう姿は、王都の優男たちとはまるで違った。無駄がなく、静かで、けれど、どこか——寂しげだった。
「見物か」
手を止めずに、彼が言った。
「いえ。通りかかっただけです」
「嘘だな。お前は、通りかかるだけで人を見ない女ではない」
見透かされている。わたしは、少しばつが悪くなった。
「……アルヴィン様は、なぜ縁を拒まれるのですか」
稽古の手が、止まった。
聞くつもりはなかった。けれど、口をついて出ていた。彼の糸が、いつもどこか痛みを孕んで揺れているのが、気になって仕方なかった。
アルヴィン様は、木剣を下ろし、しばらく黙っていた。
「……昔、姉がいた」
低い声だった。
「政略の縁で、遠くの家へ嫁いだ。家格の釣り合った、良い縁だと、誰もが言った。だが、姉は三年で帰ってきた。棺に入って」
わたしは、息を呑んだ。
「嫁ぎ先とうちの家には、古い境界争いの遺恨があった。誰も、それを姉に言わなかった。釣り合っていれば良い縁だと、そう信じて、姉を送り出した。——姉は、その遺恨の真ん中で、一人きりで、擦り切れて死んだ」
彼が縁を拒む理由。それが、今、目の前でほどけた。
「だから俺は、縁を組む奴が嫌いだった。家格だ持参金だと、人を釣り合いで測って、その裏の遺恨を見ようともしない奴らが」
彼は、わたしを見た。まっすぐに。
「だが、お前は」
「……」
「お前は、遺恨を見る。釣り合いの裏を読む。もし、あの時、お前のような縁定めがいたら……姉は、死なずにすんだのかもしれん」
わたしは、何も言えなかった。
慰めの言葉は、この痛みには軽すぎた。
だから、代わりに、一つだけ言った。
「アルヴィン様のお姉様の縁は、悪い縁ではありませんでした。ほどけなかっただけです。誰も、結び直そうとしなかっただけ」
アルヴィン様の目が、かすかに揺れた。
「切れた縁は、二度と結べません。けれど、まだ切れていない縁なら——わたしは、結び直せます」
その夜、彼はもう、剣を振らなかった。
*
同じ頃、王都の小部屋には。
繋ぎ直せない糸の残骸——処理されない釣書が、天井まで届くほどに、積み上がっていた。
アルヴィンが縁を拒んできた理由が明かされました。彼の痛みと、ロザの「結び直せる」という信念が、静かに触れ合う回です。
一方、王都ではセシリアの縁組が壊れ続け、繋ぎ直せない糸が積み上がっていきます。
次話、ロザは辺境で新しい縁を結びます。そして、王都からある人物が動き始めます。
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