第5話:私が抜けた、その後の王家
辺境に、春が来ようとしていた。
橋の架かった川では、二つの村が並んで田を起こしていた。跡目の割れていた村では、兄弟が二人で村長の座に着き、半年ぶりに種が蒔かれた。マリカは相変わらず憎まれ口を叩きながら、なぜか毎日、わたしの後ろをついて回っている。
「べ、別に、暇だからだし。糸読みってやつ、ちょっとだけ見ときたいだけ」
「そうですか」
「……その、ロザ様が結んだ縁でさ。あの兄弟、昨日、初めて一緒に酒飲んでたって。村のみんな、泣いてた」
わたしは、少しだけ笑った。
辺境の縁が、一つ、また一つと、結ばれ直していく。土地はまだ痩せている。けれど、人が助け合い始めた土地は、必ず豊かになる。糸が通れば、水も、種も、商いも巡り出す。
これが、わたしのしたかったことだった。王都では、ついぞ、こんな顔を見られなかった。
*
同じ頃、王都の大広間では。
凍りついた空気の中に、オルフェウスが立っていた。
リューベルンとの同盟婚が破談し、その報せは瞬く間に周辺諸国へ広まった。「エルデンフェルト王家は、約束した縁を守れない」——外交の場で、そう囁かれるようになった。
一つ縁がほどけると、糸は連鎖する。リューベルンとの婚姻を前提に組まれていた、東の男爵家との縁談も宙に浮いた。宙に浮いた縁談は「空き縁」となり、処理されないまま、王城の小部屋に釣書の山となって積み上がっていく。
かつて、ロザリンドがいた、あの小部屋に。
「セシリア」
オルフェウスは、傍らの令嬢に問うた。
「お前は、縁組ができると言ったな。リューベルンの縁を、繋ぎ直せるか」
セシリアは、扇で口元を隠した。その手が、かすかに震えていた。
「……もちろんですわ。愛のある縁こそ、本物ですもの。あんな、計算ずくの縁より」
「では、繋げ。来月までに」
「え……ら、来月、ですか」
セシリアには、糸が見えなかった。
リューベルン王女の乳母の実家と、財務卿の因縁。周辺諸国の力関係。どの縁が、どの縁を支えていたか。ロザリンドが二年かけて読み、通し、結んでいた無数の糸——そのどれ一つ、セシリアには見えていなかった。
彼女に見えていたのは、ロザリンドが縁を組む「結果」だけだった。だから、思ったのだ。私にもできる、と。
家格と持参金の釣り合いだけで、いくつか縁談をまとめてみた。どれも、三月と持たずに破談した。壊れた縁は遺恨になり、遺恨は新たな破談を呼んだ。
王家の縁が、片端から、静かにほどけていく。
誰も、繋ぎ直せないまま。
「あの女は」
オルフェウスは、誰にともなく呟いた。
「本当に、これを一人で……」
その先を、彼は言えなかった。
*
辺境の夜、わたしは窓辺で、王都からの報せを読んでいた。
破談。破談。また、破談。
ハンナが、そっと尋ねた。
「お嬢様。……胸がすく、と思われますか」
わたしは、少し考えた。
胸がすく、というのとは、少し違った。ざまを見ろ、と溜飲を下げるには、わたしはあの縁たちを、あまりに丁寧に組みすぎた。あれは、わたしが二年かけて通した糸だ。ほどけていくのを見るのは、正直、少し寂しい。
けれど。
「わたしは、もう結びません。あの人たちのためには」
それだけは、揺るがなかった。
わたしを「道具」と呼んで切り捨てた人たちが、その道具がどれほどのものだったかを、今、身をもって知っていく。命令もせず、復讐もせず、ただ手を引いただけで。
——それで、充分だ。
「お嬢様。もし、王家が正式に呼び戻しを命じてきたら?」
「命じられても、戻りません」
わたしは、窓の外の辺境を見た。
橋の灯り。田を起こす人々。憎まれ口を叩きながらついてくる、あの少女。そして——縁を拒みながら、わたしの目のことを、誰より早く言い当てた、あの無骨な人。
ここには、結び直せる縁がある。わたしを「道具」ではなく、一人の人間として見てくれる人が、いる。
「わたしの縁は、もう、こちらにあります」
そう呟いた時、自分の頬が、ほんの少し熱くなった気がして。
わたしは、慌てて報せを畳んだ。
(——おかしいわね。他人の縁なら、あんなに簡単に読めるのに)
自分とあの人の間に張られた糸だけは、どうしても、うまく読めなかった。
第一部の最初の区切り、第5話をお届けしました。ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
ロザが抜けた王家が、静かにほどけていく——命令も復讐もせず、ただ手を引いただけで。これが、この物語の「遅効性のざまぁ」です。
そして、他人の縁は読めるのに、自分の縁だけは読めないロザ。彼女とアルヴィンの糸が、これからどう結ばれていくのか。
王都で最初に破談したその縁が、次はもっと大きくほどけていきます。横取り令嬢セシリアの「縁組」が、どんな結末を迎えるか——次のアークもどうぞお楽しみに。
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