第4話:釣書は、家格では読みません
橋が架かったという話は、あっという間に辺境を巡った。
三日後には、館の前に人が並ぶようになっていた。縁のもつれを抱えた者たちだ。跡目が決まらない、隣家と揉めている、娘の縁談がまとまらない——三十年こじれた村の縁が解けたなら、うちの縁も、と。
「だから、縁の仕事はさせんと言ったはずだ」
アルヴィン様が、腕を組んで渋い顔をしていた。
「わたしは何も。勝手に集まってこられるのです」
「お前が、あの橋を架けたからだろう」
「架けたのは、村の方々です。わたしは、結び目を一つ、ほどいただけ」
そんな押し問答をしていると、列の先頭から、生意気そうな声が飛んできた。
「ねえ、あんたが噂の縁組の令嬢?」
十六ほどの少女だった。そばかすの散った顔で、腰に手を当て、わたしを値踏みするように見上げている。
「マリカっていうの。で、聞きたいんだけど。あんた、縁が『見える』んでしょ。だったら、うちの馬鹿な話も見えるわけ?」
「マリカ。領主様の前だ、言葉を——」
「いいのです」
わたしは、少女の前にしゃがんだ。
「どんな話?」
「うちの村、跡目でもめてんの。村長のじいさんが死んで、息子が二人いてさ。上の兄ちゃんは畑仕事が下手だけど人望があって、下の兄ちゃんは畑は上手いけど人に嫌われてる。で、村が真っ二つ。もう半年、誰も種を蒔いてない」
なるほど。よくある話だ。よくある話ほど、こじれると根が深い。
「その二人の間の糸は、憎み合ってはいませんね」
「……は? 毎日怒鳴り合ってるけど」
「怒鳴り合えるのは、切れていないからです。本当に切れた縁は、静かになる。あの二人は、たぶん、互いに認めてほしいだけ」
わたしは、マリカに尋ねた。
「上の兄上は、畑が下手なことを気にしている。下の兄上は、人に嫌われることを気にしている。違いますか」
マリカが、目を丸くした。
「なんで、それ……」
「だったら、答えは簡単です。二人で村長をやればいい。上の兄上が村をまとめ、下の兄上が畑を采配する。跡目は一つでも、役目は二つに分けられます。人望と技を、争わせるのではなく、結ぶ」
「そんなの……うまくいくの?」
「うまくいくかは、二人次第です。でも、続く糸はあります。あの兄弟は、本当は、二人でなら村を守れると、どこかで知っている。ただ、素直になれないだけ」
マリカは、しばらくぽかんとしていた。それから、ふいに顔をそむけて、鼻をすすった。
「……ふーん。まあ、伝えるだけ伝えといてやる。うまくいったら、礼くらい言ってやってもいいけど」
そう言って走り去る背中を、アルヴィン様が見送っていた。
「あの子は、ロウ村の孤児だ。もらい水の遺恨で、両親を早くに亡くした。縁というものを、誰より信じていない子だった」
「知っています」
「……なぜ」
「あの子の糸は、ずっと外を向いていました。誰も信じないと言いながら、いちばん、誰かと結ばれたがっている」
アルヴィン様が、ふと、わたしの手元を覗き込んだ。
わたしの膝の上には、集まった者たちから預かった縁談の釣書が、何枚も広げられていた。家格、持参金、家柄——王都の釣書と同じ書式で、けれど、書かれている名前はどれも辺境の素朴な人々のものだ。
「その紙で、何がわかる」
「家格は、何もわかりません」
わたしは、正直に答えた。
「釣書は、家格では読みません。ここに書かれていない余白を読みます。誰が誰の名を、少し丁寧に書いたか。どの家の話に、ためらいの染みがあるか。——縁は、書かれた文字より、書かれなかったところに出ます」
アルヴィン様は、長いこと、わたしの横顔を見ていた。
「お前は」
「はい」
「……王都で、そうやって縁を組んでいたのか。誰にも、その目のことを、わかってもらえないまま」
不意を突かれた。
胸の奥の、いちばん触れられたくない場所を、この無骨な人が、まっすぐ言い当ててきた。
わたしは、思わず釣書に目を落とした。
「……縁を組む道具だと、言われておりました。心のない女だと」
「そうか」
アルヴィン様は、それだけ言った。慰めも、同情もなかった。ただ、そうか、と。
けれど、その一言が、なぜだか、王都で浴びたどんな言葉よりも、静かに胸に落ちた。
*
その夜、館に王都からの早馬が着いた。
ハンナが青い顔で報せを持ってきた。
「お嬢様。王都が……リューベルンとの同盟婚が、破談したと。そして——」
ハンナは、声を落とした。
「あなたを、呼び戻せないかと。宮廷で、そういう声が上がり始めていると」
わたしは、窓の外の辺境の闇を見た。
昨日より、灯りが一つ、多い気がした。橋の架かった、あの川のあたりだ。
「戻りません」
わたしは、静かに言った。
「わたしはもう、あの人たちのためには結ばない。——ここには、結び直せる縁が、いくらでもあるのですから」
推しキャラ・マリカが登場しました。憎まれ口ばかりですが、これから物語を賑やかにしてくれる子です。
そしてアルヴィンが、ロザの触れられたくない傷に、そっと触れました。無骨だけれど、この人はロザの目を、誰より早く見抜いています。
一方、王都ではロザを呼び戻す声が。でも、彼女はもう戻りません。次話、いよいよ第一部の区切りです。
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