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縁結びの令嬢はもう結ばない ~王家の縁を全部組んでいた私を追放した結果、誰も結べなくなったそうです~  作者: 早乙女リク


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3/11

第3話:その遺恨、結び目は三十年前の「もらい水」です

翌朝、川辺には血が流れていた。


幸い、人の血ではない。畑を荒らされた腹いせに、ロウ村の者がギード村の山羊を一頭、崖から落としたのだという。ギード村の男たちが鍬を手に押しかけ、川を挟んで睨み合っていた。


「やめておけ」


アルヴィン様が間に割って入っていた。剣の柄に手をかけ、両村を力で押さえつけている。


けれど、力で止められるのは今日一日だけだ。明日も、明後日も、この遺恨は湧いて出る。糸が、こじれたままだからだ。


「アルヴィン様」


わたしが近づくと、彼は苛立った顔を向けた。


「下がっていろ。危ない」


「三十年、こうして力で押さえてこられたのですね」


その一言に、アルヴィン様の眉が動いた。


「……先代からだ。父も、こうして間に立った。俺も、こうしている。だが、いくら止めても、また繰り返す。この二つの村は、もう——」


「結び直せます」


わたしは、言った。


「もう結ばない」と決めたはずの言葉が、口をついて出ていた。こじれた糸を前にすると、どうしても手が伸びてしまう。これは、もう病のようなものだ。


「その遺恨の結び目は、水利権ではありません。山羊でも、畑でもない」


わたしは、両村の年寄りを呼んでもらった。ギード村の村長ガレスと、ロウ村の村長ボルド。三十年、口をきいていないという二人の老人が、渋々、川の両岸に立った。


「ガレス様。三十年前の干魃の年、あなたはボルド様に、水を分けてほしいと頼まれた。違いますか」


ガレス老人の顔が、ぴくりと動いた。


「……なぜ、それを」


「そして、断った。上流のあなたには、分ける水があったのに」


「あの年は、うちも苦しかった!」


「ええ。苦しかったのでしょう。けれど、ボルド様はこう聞いておられます。『あの男は、水を惜しんで、わしに頭を下げさせた挙句、それでも一杯もよこさなかった』と」


今度は、ボルド老人が顔を上げた。


「そうだ。わしはあの時、生まれて初めて人に頭を下げた。それを、あいつは……!」


「違います」


わたしは、静かに遮った。


「ガレス様は、水を惜しんだのではありません。あの年、あなたは水を分けようとした。桶に汲んで、川を渡ろうとした。——けれど、渡れなかった。橋が、落ちていたからです」


川に、沈黙が落ちた。


「三十年前の秋、大水でギード村の橋が落ちた。記録が残っています。ガレス様は水を汲んだまま、対岸へ渡る術がなかった。頭を下げたボルド様に、何も返せなかった。——恥じたのでしょう。だから、何も言わなかった。言い訳を、しなかった」


ガレス老人の、節くれだった手が震えていた。


「……なぜ、言わなかった、じゃと?」


「男が、一度惜しんだと思われたことを、後から『橋が落ちていた』と言い訳するのは、みっともない。そう思われたのではありませんか」


老人は、答えなかった。答えられなかった。それが、答えだった。


わたしは、ボルド老人に向き直る。


「ボルド様。あなたが三十年恨んでこられたのは、『水を惜しんだ男』です。けれど、そんな男は、初めからいなかった。いたのは、『水を分けたくても、橋がなくて渡れなかった男』だけです」


川の両岸で、二人の老人が、初めて互いの顔を見た。


三十年、背けてきた顔を。


「……ガレス」


「ボルド。わしは、あの時……」


言葉は、続かなかった。けれど、続く必要はなかった。


こじれていた糸が、ほどけた。ほどけた糸は、もう一度、結び直せる。


わたしは、アルヴィン様を振り返った。


「橋を、架け直しましょう。三十年前に落ちた、あの橋を。——この縁なら、結べます」


アルヴィン様は、呆然とわたしを見ていた。それから、ぐっと奥歯を噛むような顔をして、川下を指さした。


「……橋の材木なら、ある。館の裏に、使わずに積んである。父が、いつか架け直すと言って、そのままにしていたものだ」


「では、ちょうどいい」


わたしは、微笑んだ。


その日の午後、三十年ぶりに、二つの村の男たちが同じ川に立った。ギード村が材木を運び、ロウ村が縄を綯った。夕暮れには、粗い橋が一本、川を跨いだ。


橋のたもとで、ガレス老人がボルド老人に、水を一杯、差し出していた。


三十年、遅れた水だった。



その頃、王都では。


リューベルン王国の使者が、同盟婚の白紙撤回を告げて、王城を発とうとしていた。


「話が違う。我らが聞いていた縁組の条件と、まるで異なる。あのアルシェット嬢が差配していた時とは、何もかもが」


引き止めようとするオルフェウスの声も、セシリアの取りなしも、使者の背には届かなかった。


王家が結んだはずの、最初の同盟の糸が。


ぷつりと、切れた。


第3話、いかがでしたか。ロザの「糸読み」が初めて本領を発揮する回でした。


三十年の遺恨の結び目が、たった一杯の「もらい水」だった——縁というのは、案外そういうものかもしれません。


そして同じ日、王都では最初の同盟がほどけ始めました。ロザが抜けた代償が、静かに動き出します。


続きも読んでいただけたら嬉しいです。ブックマーク・評価で応援よろしくお願いします。


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