第2話:縁の切れた辺境と、結べない男
ヴェルンフェルト辺境は、噂通りの土地だった。
三日の道のりの果てに見えてきたのは、痩せた畑と、互いに背を向けるように点在する村々。石造りの領主館だけが、不釣り合いに堅牢だった。
「お嬢様、あれが……」
ハンナが不安げに窓を指す。館の門前で、一人の男が仁王立ちしていた。
長身。無骨。剣を提げ、こちらを射るように見ている。歓迎、という言葉からもっとも遠い立ち姿だった。
馬車が止まる。わたしは自分で扉を開けて降りた。
「ヴェルンフェルト辺境伯、アルヴィン様でいらっしゃいますか」
「そうだ」
低い声だった。
「王都から、厄介払いが来たと聞いている。縁組がどうとかいう令嬢だそうだな」
「ロザリンド・アルシェットと申します。しばらく、こちらでお世話になります」
「世話などせん」
アルヴィン様は、にべもなく言い放った。
「言っておくが、この辺境に縁など要らん。お前が王都で何を組んでいたか知らんが、ここでその仕事はさせん。縁談を持ってくる使者は、全員門前で追い返してきた。お前も、余計なことはするな」
なるほど。
わたしは、少しだけ面白くなった。
縁を組む女が追放された先が、縁を拒む男の土地だとは。皮肉にしても、できすぎている。
「かしこまりました。余計なことは、いたしません」
「……本当にわかっているのか」
「はい。ただ」
わたしは、館の門をくぐりながら、あたりをぐるりと見渡した。
見えてしまうのだ。見まいとしても。
痩せた土地の上に、ほどけ、こんがらがり、あるいはぷつりと切れた、無数の糸。
上流の村と下流の村が、水を巡って背を向けている。跡目の決まらない家が、二つ、三つ。隣の男爵領との境で止まったままの、古い縁談。——この辺境は、縁が一つも結べていない。
だから、痩せているのだ。
土地が痩せているから縁が切れたのではない。縁が切れているから、土地が痩せている。人が助け合わず、水を分けず、跡目が定まらず、商いの縁も結べない。
「何を見ている」
アルヴィン様が、怪訝そうにわたしを見た。
「お前の目は……家格を見ていないな。持参金でも、身分でもない。何を見ている」
わたしは、少し驚いた。
王都の誰も、そんなことを尋ねたことはなかった。彼らはわたしに縁を組ませるだけで、わたしが何を見て組んでいるのか、興味を持ったことなど一度もなかった。
「糸を、見ております」
「糸?」
「人と人の間には、糸があります。相性や、利害や、古い遺恨や、傷。目には見えませんが、確かにあります。わたしは、それを読みます」
アルヴィン様は、しばらく黙ってわたしを見ていた。
それから、ふいと顔を背けた。
「……勝手なことを言うな。縁など、組めば壊れる。壊れる縁を、家格で無理やり結ぶから、人が不幸になる。俺は、そういうものを見飽きた」
その声に、かすかな痛みがにじんでいた。
——ああ。
この人は、縁を拒んでいるのではない。縁に、傷つけられたことがあるのだ。
わたしは、それ以上何も言わなかった。読めてしまったからといって、口に出していい傷とそうでない傷がある。それくらいの分別は、王都で身につけた。
「お部屋は、どちらでしょう」
「北の隅だ。狭いぞ」
「充分です」
*
その夜、わたしは狭い部屋の窓から、辺境の闇を眺めていた。
灯りの少ない土地だった。村々は互いに背を向け、ぽつり、ぽつりと孤独に灯っている。あの灯りとあの灯りが、もし結ばれたら。水を分け合い、跡目を定め、商いの縁を通したら。
この辺境は、きっと変わる。
(——でも、それはわたしの仕事ではない)
わたしはもう、縁を結ばないと決めたのだ。王家のためにも、この辺境のためにも。
そう思ったのに。
窓の下で、争う声が聞こえた。
たいまつを掲げた村人たちが二手に分かれ、痩せた川を挟んで怒鳴り合っている。上流のギード村と、下流のロウ村。三十年来のいがみ合いだと、道中でハンナが聞き込んでいた。
その二つの村の間に張られた糸が、わたしには見えた。
きつく、こじれ、けれど——不思議なことに、完全には切れていない。
切れていない糸は、結び直せる。
わたしは、窓から手を離した。
「……関係ない。わたしは、もう結ばない」
そう呟いて、寝台に横になった。
けれど、こじれた糸の結び目が、瞼の裏に焼きついて、その夜はなかなか眠れなかった。
「結べない男」アルヴィン。彼が縁を拒む理由は、これからゆっくり明かされていきます。
次話、ロザはついに——「もう結ばない」と決めたはずの手で、三十年こじれた縁に触れます。この作品最初の見せ場です。
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