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縁結びの令嬢はもう結ばない ~王家の縁を全部組んでいた私を追放した結果、誰も結べなくなったそうです~  作者: 早乙女リク


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30/45

第30話:縁結びの令嬢は、もう結ばない

辺境に、春が来た。


鏡の中で、ハンナが櫛を置いた。


「お嬢様。本日は——木陰には、まいりませんように」


「……ハンナ」


「リネット様の祝言の日、お嬢様は、輪の外の木陰に、お一人でおいででした。お声をおかけしなかったのが、わたくしの、いちばんの後悔でございます」


「祭壇は、まんなかでございます。お間違えのないよう」


泣くまい、と思った。まだ、朝だ。


*


祭壇は、国境の橋のたもとに、市の花で組まれた。


そこに、わたしが結んだ縁が、全部、来ていた。


三十年いがみ合ったガレスとボルドが、上座を譲り合った末に並んで座り、杯に酒を注ぎ合っている。身重のリネットが、それを笑う。クラリッサ様は、絹の裾を土に引きずって、「誰も、わたくしの家格を聞いてまいりませんもの」と笑う。橋の向こうから、サルデ村の人々が、胡椒の壺を抱えて渡ってくる。誰も咎めない。


レオノーラ様は、まだ帳面を持っている。


「四十一。過去最高ですの。あなたの祝言は、市にとって大変よろしい」


*


祭壇の中央に、アルヴィン様が立っていた。


わたしは、その人の前へ、歩いた。輪の中を。人々が、道を空ける。


——縁を結ぶ側。祝う側。見送る側。祭壇の中央に立つことは、決してない、外側の人間。


あの日、木陰で、そう思った。


その女が、いま、まんなかを歩いている。


「……綺麗だ」


言ってから、この人は真っ赤になって、明後日を向いた。


わたしは、笑った。笑いながら、少し、泣いていた。


*


誓いは、辺境のやり方だった。酒ではなく、互いの椀に、相手の水を注ぐ。


「……水、ですか」


「三十年、それで揉めた土地だ。水を分けられん者は、何も分けられん。……そういう、意味らしい」


もらい水だ。


三十年の遺恨も、国と国の縁も、この祝言も。結び目は、いつも、一杯の水だった。


椀を取り、この人の椀に、水を注いだ。


*


宴のあいだに、縁の相談の列ができた。花嫁の衣装のまま、一件ずつ聞いた。列の最後尾に、旅の外套の男が立っていた。


「……殿下」


「順が、来た。二刻、かかった。村の縁は、大事だそうだ。誰も、順を譲らん」


かつて大広間の高みから、わたしを断罪した人が、村人の列の、いちばん後ろに。


旗も供もないから、誰も気づかない。前の女が、「兄さん、次だよ」と、彼の背中を叩いた。彼は、「ああ」と答えた。


勝ち誇る気は、起きなかった。ただ、事実として、そうなっていた。


「王家の縁では、ない」


先回りして、彼は紙を出した。


「王領の、東の村と、隣の村だ。水の分け方で、三十年、揉めている。私では、裁けなかった」


「もらい水ですか」


「……なぜ、わかる」


「いいえ。存じません。——ですが、たいてい、水です」


初めて見る、力の抜けた笑い方だった。


「敵わんな。……頼む、ロザ」


「——お引き受けします」


*


宴の隅で、マリカが、サルデ村の若者の襟首を掴んでいる。


「うじうじすんな! 行け!」


蹴られた男は、ロウ村の娘の前に転がり出た。


言葉が、通じない。だから彼は、胡椒の壺を差し出した。娘は、しばらくそれを見て、自分の椀の粥を差し出した。


わたしは、一歩も、動かなかった。


「……見てたでしょ。べ、別に。縁とか、結んでないし」


「マリカ。糸を、読みましたか」


「……読んでない。読めないし」


「では、何を、見ましたか」


「……顔。あいつ、粥もらう時、三回も、あの子の列に並んでた。あほみたいに」


「それが、糸です。——あなたは、読めていました」


マリカは、乱暴に、目元を擦った。


「……べ、別に。泣いてないし」


*


日に焼けた男が橋を渡ってきた。服の埃が、乾いた赤い色をしていた。


「ひと月半、旅をしてまいりました。南の、海沿いの土地から」


差し出された書状は、読めなかった。文字が、違う。ただ、末尾に一行だけ、この国の言葉で、震える字で。


『その縁は、結べますか』


誰かが、この一行のために、この国の言葉を覚えたのだ。その道の、向こう側で。


「あたしが、行く」


マリカが、言った。


「まだ、早いです」


「早くない。あんた、さっき言ったじゃん。あたし、読めてたって」


王都で初めて釣書を渡された時の、わたしと同じ目だった。


——この子は、いつか、行く。


「その話は、明日」


「なんでよ!」


「今日は、わたしの、祝言です」


*


夜。橋の上に、灯りが、点々とともっていた。


「こんなところに、いたのか」


杯を二つ持って、アルヴィン様が、隣に来た。


「木陰では、ありませんよ」


「……知っている。木陰を、三本まわった。おらんかった」


「輪の中に、おりましたので」


杯の一つを、渡された。あの日と、同じように。


「あの日、あなたは仰いました。『縁定めだ、と言うなら、殴るぞ』と」


「……言った」


「今日は、なんと仰いますか」


この人は、少し考えて、言った。


「言わん。——今日のお前は、ただの縁定めでは、ないからな」


「ロザ。前に、言ったな。役目の外に、あってもいいものが、あるのかもしれん、と」


「覚えております」


「あれは、間違いだった。——役目の外じゃない。役目の、まんなかにあった。お前が縁を結ぶから、この土地に灯りが増えた。増えたから、俺は、お前を見つけた。同じものだ」


*


風が、川から上がってきた。雪解けの水と、焼けた麦と、辛い粥の匂いがした。


王都で結んだ何百の縁の、どれ一つ、わたし自身のものではなかった。


いま、わたしは、そのまんなかに、立っている。


アルヴィン様が、手を差し出した。わたしは、その手を取った。——今日も、わたしから。


硬くて、剣だこだらけで、温かい手だった。


明日には、また荷が橋を渡る。机の上の書状も、いつか、あの子が読みに行くのだろう。


——わたしは、もう、王家の縁は、結びません。


でも。


この土地の縁なら、いくらでも。

第30話、そして第二部の最終話をお届けしました。第8話でロザは、輪の外の木陰に座っていました。「祭壇の中央に立つことは、決してない、外側の人間」。あの一行を書いたときから、この回のために書いていたようなものです。あの日、木陰まで杯を届けに来た男が、今日は木陰を三本まわって、彼女を見つけられませんでした。彼女が、輪の中にいたからです。


「縁を組む道具」と呼ばれた女が、祭壇のまんなかに立つ。かつて彼女を断罪した王家は、村人の列のいちばん後ろに、二刻。「兄さん、次だよ」と背中を叩かれながら。ロザは勝ち誇りません。溜飲は、声を張らないほうが深く下がるものだと思っています。


誓いが「水を分け合うこと」だったのは、書きながら決めました。三十年の遺恨も、国と国の縁も、この二人の縁も、結び目はいつも一杯のもらい水でした。そしてタイトルは、断罪の日にロザが投げ捨てた言葉です。それが最後に、意味を裏返して戻ってきます。


机の上には、読めない文字の書状が置かれたままです。『その縁は、結べますか』。——あれを読める人が、ひとりだけいます。そして読み上げられた一文は、ロザリンド自身が書いた一行のせいで地図から消えた土地がある、という一文でした。


第三部『帳面にない縁』、続けてお届けします。

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