↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
縁結びの令嬢はもう結ばない ~王家の縁を全部組んでいた私を追放した結果、誰も結べなくなったそうです~  作者: 早乙女リク


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
29/45

第29話:わたしの縁は、わたしが結びます

雪が緩んで、国境の橋に、市が立った。


誰が触れを出したわけでもない。ロウ村の男が塩を置き、翌日、サルデ村の女が麦を並べた。七日目には、川を挟まず、同じ橋の上に、両国の筵がずらりと並んでいた。


百枚目は、ついに書かなかった。


数え終える前に、市のほうが、増えていた。


——縁は、これから結ぶのではない。もう、そこにある。


ガルディアの軍が退いたのは、その翌々日だった。


「なぜだ」


地図を巻きながら、アルヴィン様が言った。赤い線の内側に、もう、旗はない。


「ひと月の市の実入りが、公女様の値を、超えたそうです。本国が、そろばんを弾きました」


わたしは、答えた。


「縁は取引だ、感情は誤差だと、あの方は仰いました。——その物差しで、あの方は、負けました」


*


レオノーラ様は、橋のたもとで、渡っていく荷を数えていた。


公女の装いではない。厚い外套に、泥の跳ねた靴。


「誰かが数えておかねば、これは『たまたま』で終わりますでしょう。どちらの旗も立てない市の後見人は、誰の家門でもない者にしか務まりませんの」


彼女は、帳面を閉じた。


「縁定め。あなたは、わたくしを娶らなかった代わりに、務めをくださいましたのね」


娶る、という言葉を、この方は、わざと使った。


「値踏みなさい、と申し上げたのに。……値をつけられるより、ずっと業腹ですのよ。断りようが、ございませんもの」


そう言って、この方は、初めて、笑った。


「これまで、わたくしの務めは、いつも、誰かに与えられたものでした。……これは、わたくしが、選びました」


*


オルフェウス様は、供も旗もなく、一枚の辞令を持って来た。


「王家は、縁定めの職を、ヴェルンフェルトに置く。王印は、押した」


わたしは、両手で、それを受け取った。


「戻れとは、言わない」


彼は、遠い山を見た。


「あの日、私が手放したものが、何だったのか。半年かけて、国がまるごと教えてくれた。……高い月謝だった。詫びは、もうした。二度言うのは、詫びではない。甘えだ」


そして、馬に手をかけた。


「幸せに、な。ロザ」


「……ありがとうございます」


馬が丘の向こうに消えるまで、見送った。


——切られた糸は、恨みになって残る。わたしは、あの広間で、そう言った。


けれど、この人との糸は、切れたのではなかった。ほどけたのだ。


ほどけた糸は、恨みにならない。


*


その夜から、アルヴィン様の様子が、おかしくなった。


夕餉で、パンを二つ、同時に取った。


「お嬢様。辺境伯様は、この三日で、紙を十七枚、無駄になさっております」


ハンナが、盆を抱えたまま、そっと言った。


「屑籠を片づけるのは、わたくしの務めでございます」


*


呼び出されたのは、翌日の夕暮れの、橋だった。


市は畳まれて、筵の跡だけが残っている。夕日が、水の面で割れていた。


「言葉は、うまくない」


「存じております」


「……即答するな」


アルヴィン様は、懐から折り畳んだ紙を出して、両手で、差し出した。


「……釣書だ」


「どなたの」


「俺のだ」


開いた。字が、ひどかった。


『ヴェルンフェルト辺境伯 アルヴィン 二十六』『領地 痩せている』『持参金 なし』


「釣書に、そういうことは、書きません」


「嘘は、書かん」


そして、最後の欄で、手が止まった。


『人柄』


そこは、真っ黒だった。書いては消した跡が幾重にも重なり、一字も、読めない。


「……人柄の欄が、真っ黒です」


「書いては、消した」


「何度も」


「十七回だ」


屑籠の、紙の数だった。この人は三日かけて、自分の人柄を、十七回、消したのだ。


「なぜ、消されたのですか」


「……どう書いても、お前に、読まれる」


彼は、顔を背けた。


「お前は、縁定めだ。俺の釣書を、お前が読む。——それが、いちばん、怖かった」


*


「ロザ。俺は、この土地に、縁など要らんと言った。お前が来た日にだ」


「覚えております」


「あれは、嘘だ。……要らんのではない。要る、と言えば、また壊れると思った。姉が、壊れたように」


川の音が、二人のあいだを流れた。


「縁など——」


彼の顎が、硬くなった。口が、つぐまれた。


わたしは、待った。


この人が「……縁など」と言いかけて口をつぐむのを、何度も見てきた。そのたびに、飲み込んだ言葉を、わたしが代わりに読んだ。それが、わたしの仕事だった。


けれど、今日は、読まなかった。ただ、待った。


「——縁など、と言っていた男が、言う」


彼は、言い切った。つぐまなかった。


「……俺と、結んでくれ」


*


わたしは、この人と、わたしのあいだの糸に、指を伸ばしかけて——やめた。


指先は、震えなかった。


「アルヴィン様。縁定めとしては、この釣書に、お返事は、いたしません」


「……読まんのか」


「読みません」


わたしは、言った。


「他人の縁なら、一目で読めます。家格も、持参金も、遺恨も、傷も、全部。——でも、自分の縁は、読むものではないと。あなたが、教えてくださいました」


『縁は、読むものじゃない。……結ぶものだろう』


あの朝は、この人が、わたしの手を取ってくれた。


今日は。


わたしは、一歩前に出て、この人の、剣だこだらけの手を、わたしのほうから、取った。


「ロザリンド・アルシェットとして、お答えします」


見上げた。


「わたしの縁は、わたしが結びます。——結びます。あなたと」


*


アルヴィン様は、しばらく微動だにせず、それから、空いているほうの手で、顔を覆った。


「……祝言は」


かすれた声だった。


「祝言は、いつだ」


わたしは、握った手に、力を込めた。硬くて、温かくて、十七回の墨が、まだ指に残っていた。


「春に」


橋の向こうで、雪解けの水が、光っていた。


「この土地に、春が来る頃に」

第29話、お読みいただきありがとうございます。第13話でアルヴィンが言ったのは「お前を選ぶ」でした。あれは、彼が彼女を選ぶ告白です。今回は違います。「結んでくれ」——縁を拒み続けた男が、生まれて初めて、自分から縁を結びに行きました。第2話、門の前で「辺境に縁など要らん」と言い放った、あの男が。


「……縁など」と言いかけて口をつぐむのが、彼の癖でした。最後にもう一度だけ出して、今度は、つぐませませんでした。


ロザの答えは「読みません」です。他人の縁は一目で読めるのに、自分の縁だけは読めなかった女が、読むことをやめました。「縁は、読むものじゃない。結ぶものだろう」への、返事です。手を取ったのは、今度は、彼女のほうから。


十七回書いて十七回消した釣書と、帳面を抱えた公女と、幸せにと言って去った男。戦のあとに残ったのは、値のつかないものばかりでした。


次話、辺境の祝言です。あの日、輪の外の木陰にいた女が、祭壇のまんなかに立ちます。ブックマーク・評価が力になります。あと一話、どうぞお付き合いください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。