↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
縁結びの令嬢はもう結ばない ~王家の縁を全部組んでいた私を追放した結果、誰も結べなくなったそうです~  作者: 早乙女リク


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
23/45

第23話:もらい水の子

公女が来てから三日、マリカは厩にこもっていた。


「政略婚? ばかみたい。……縁なんて、結んだって死ぬのに」


藁の上で膝を抱えたまま、この子は笑っていなかった。いつもの憎まれ口の、はずだった。


外を向いていたはずの糸が、今日は、内側の根に触れている。わたしは、この子の糸を、一度も根まで読んだことがなかった。


「マリカ。……誰が、死んだのですか」


長い沈黙のあと、彼女は立ち上がった。


「……見せてやろうか。あたしの、生まれたとこ」


*


道のない川べりを、マリカは迷わず歩いた。たぶん、毎日通っているのだろう。


石組みが四角く残っている。正面に、あの橋が見えた。


「父さんは、ロウの男だった。母さんは、ギードの娘」


わたしは、息を止めた。


「もらい水の真ん中で、二人はくっついたんだよ。ばかでしょ。どっちの村も、入れてくんなかった。……上流でも下流でもない場所なんて、川べりしかないじゃん」


「あたし、六つだった」


マリカの声が、平らだった。平らにしないと、続けられないのだ。


「秋に雨が続いて、あたしが熱を出した。父さんはロウへ走った。薬をくれって。父さんが生まれた村だよ。——戸、開けてくんなかった。……で、母さんはギードへ渡ろうとした。自分の生まれた家へ。向こう岸だよ。歩いたら、すぐじゃん」


川が流れていた。十歩か、十五歩。それだけの幅だった。


「橋が、なかった」


わたしの中で、何かが崩れた。


「三十年前に落ちたっきり、上流と下流が憎み合ってたから、誰も架けなかった。……母さん、流された。父さんは次の冬に死んだ。毎日、川を見てただけ」


言葉が、出なかった。人の遺恨を言葉でほどく女が、一言も。


あの日、わたしは橋が架かるのを見て微笑んでいた。三十年、遅れた水だ、と。——その三十年に渡れなかった人がいたことを、一度も考えなかった。


「あんたが橋を架けたとき、あたし、嬉しかった。……嬉しかったのが、悔しかった。なんで、十年遅いんだよ」


そばかすの散った顔が、ぐしゃぐしゃになっていた。


「橋があれば、母さんは、死ななかった」


誰も殺していない。ただ、橋がなかっただけだ。誰も悪くないから、この子は、誰も恨めない。


*


「マリカ。あなたは今、どこの村の子ですか。帳面の話です」


「ロウの子ってことに、なってる。でも、ロウの帳面に、あたしの名前、ないよ。潜り込んで、見た。ギードにも、ない」


「では、あなたは」


「ハイデ。ギードとロウの間の、ちっちゃい村。ヨナスじいさんが、父さんの死んだ冬に、川べりで拾った」


ヨナス。ハイデ村の、亡くなった村長。


——うちの村、跡目でもめてんの。村長のじいさんが死んで、息子が二人いてさ。


「じいさんがいたから、あたし、いられたの。死んだら、また、どこの子でもなくなった。ハイデの帳面にも、名前、ないよ。……あたし、どこにもいないの」


この土地の縁は、全部読んだつもりでいた。けれど、その糸の真ん中に、ずっと、この子がぶら下がっていた。


「マリカ。明日の朝、橋に来てください。あなたの縁を、結びます」


「あたしの? ……嫁がないよ。跡目もない。結ぶもんなんか、何もないじゃん」


「ええ。ありません。——ですから、作ります」


*


翌朝は、霜だった。


橋の上に、ギードの村長ガレスとロウの村長ボルド。たもとに、むっつりした顔のマリカ。二人は、その姿を見て、目を逸らした。


「ボルド様。あの子の父御は、あなたの村の男でした。ガレス様。あの子の母御は、あなたの村の娘でした」


皺だらけの手が、欄干を握った。


「……知っとる。追い出したのは、わしじゃ」


「あの夜、戸を叩いた男の声も、知っとった。うちの村で生まれた男じゃ。——開けんかった」


三十年の遺恨の、いちばん奥にあったものが、そこにあった。


わたしは、袖から帳面を二冊、取り出した。ギードの帳面と、ロウの帳面。


「跡目でも、婚姻でもありません。——ただ、この子の名を、二つの帳面に書いていただきたいのです」


「一人の子が、二つの村の帳面に、じゃと。……聞いたことがない」


「ええ。ありません。ですから、書くのです。——あの子は、どちらの村の子でもない。そう思われてきました。違います。どちらの村の子でも、あるのです。お二人がどちらも入れなかった二人の子が、ずっと、この川べりにいた。半分はギードで、あとの半分はロウ。——あの子は、この橋より先に、二つの村を繋いでいました」


ボルド様が、帳面を見下ろした。


「……マリカは。あれは、わしらの、橋か」


「ええ」


わたしは、静かに言った。


「……この縁なら、結べます」


*


ガレス様が筆を受け取って、動かなくなった。


「……わしは、字が」


「書け。わしが、見ておる」


「見るな」


「見る」


三十年ぶりの会話が、それだった。


震える手が、帳面の隅に、ひどく歪んだ字を書いた。ボルド様のは、もっと下手だった。


「名は、なんと書く。姓が、ないが」


「……マリカ。それだけ」


「ギードのマリカ、と書いた」


「ロウのマリカ、と書いた」


二人は、何も言わなかった。「すまなかった」も、「よく生きていた」も。老人というのは、そういうものだ。いちばん言うべきことは、最後まで言えない。


代わりに、ガレス様が、橋のたもとの桶から水を一杯汲んで、差し出した。


「……飲むか」


あの日と、同じ絵だった。


マリカは両手でそれを受け取り、口をつけて、むせた。むせて、しゃがみ込んで、顔を膝に押しつけた。


声は、出さなかった。この子は、一人で泣いてきた子だからだ。


「……十年、遅い」


「……そうじゃな」


「遅い」


二人はそれ以上、何も言わなかった。ただ、寒い橋の上で、泣き止むまで待っていた。


*


「あたし、縁定めになる。ロザ様の弟子に、ちゃんとなる。……べ、別に、感動したとかじゃないけど」


顔を上げたマリカは、目も鼻も真っ赤だった。


「ええ。では、明日から字を教えます。帳面が読めない縁定めは、困りますから」


「……っ、うるさいな!」


橋の上で、老人が二人、ぼそぼそと笑った。三十年ぶりの、笑い声だった。


*


橋の袂に、深緑の外套が立っていた。


ぴんと張って、どこにも繋がっていなかった、あの糸が。


——揺れた。


「あの帳面には、家格も、持参金も、書いてありませんわね」


「ええ。名前だけです」


公女は、誰にも聞こえないくらいの声で言った。


「縁とは……そのようなもので、ありましたの?」


わたしは、答えなかった。この方は今、生まれて初めて、自分に問うている。たわんだ糸で。


その夜。雪の中、扉が控えめに叩かれた。ハンナの叩き方ではない。マリカでもない。


「どうぞ」


ガルディア公女レオノーラが、灯りも持たずに、そこに立っていた。

第23話をお届けしました。この作品で、いちばん書きたかった回です。


第3話の橋を覚えていらっしゃるでしょうか。三十年の遺恨がほどけて、二つの村が和解した、あの回です。——その橋がなかったせいで、死んだ人がいました。


ロザは三十年を数えました。でも、その三十年の中にいた人を、一度も数えなかった。彼女の一手は、跡目でも婚姻でもありません。ただ、名前を二つの帳面に書く。それだけです。


ガレスとボルドは、最後まで「すまなかった」と言いませんでした。代わりに、水を一杯、差し出しました。第3話と、同じように。


マリカが、ようやく「ちゃんと弟子になる」と言ってくれました。いちばん長く、どこにも名前がなかった子です。


その一部始終を、橋の袂から見ていた人がいます。次話、彼女の口から、あの男の過去が語られます。ブックマーク・評価、いつもありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。